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神の子  作者: 柘榴石
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46 純白の小悪魔

 ぱしゃん、とロジエの白い脚から水飛沫が飛ぶ。

 蹴散らかされた水はキラキラと輝き小川へと戻った。


「レクス様! 気持ちいいですよ!」


 ロジエはにっこりとそれはあどけなく笑った。

 雨季が終わり、いかにも初夏という澄み渡った快晴の日、レクスはロジエと共に城の裏手にある森の小川に訪れていた。

 婚儀を控え、肌が焼けたら困ると持たされた日傘を手に持ち、ロジエは素足で小川に入った。

 白い膝丈のドレスは陽が当たると胸元とスカートの裾に施されたビジューが煌めく。

 しかし、何よりもロジエの白い脚が眩しい。

 普段見ることは叶わない、白く細く艶かしい脚だ。

 なるべく見ないようにしよう

 レクスはそう心に決めた。


「レクス様?」


 反応が無いからかロジエは不安そうに首を傾げた。


「ああ。何でもない。気持ちいいのは分かったが、頼むから転ぶなよ」

「ふふ。レクス様は心配症です」


 屈託なく微笑むロジエは堪らなく可愛い。が、警戒心をもっと持って欲しい。

 転んで怪我をする事は勿論心配だが、それ以上にロジエの服が白い事が問題だ。たぶん、おそらく、間違いなく、濡れれば透ける。

 恐ろしい。そうなった時、自分が何をするかが恐ろしかった。


「レクス様」


 ロジエは川の中から細い腕を伸ばした。上がるので支えて欲しいということだろう。レクスが手を差し出せば、嬉しそうに小さな手を重ね、岸に上がった。

 とん、と柔らかな肢体がレクスの胸に飛び込んだ。

 ぱさりと日傘が草の上に落ちる。


「ロジエ?」

「誰もいないから甘えちゃうんです」


 頬をレクスの胸に擦り寄る様に当て、満ち足りた微笑みを浮かべる。


「甘えていいって言いましたよね」

「ああ、言った。人前でもすればいい」


 レクスも愛情を伝えるように抱き返す。


「嫌です。二人きりの時がいいです」


 ロジエは最近漸く、二人きりの時に限るがこうして甘えるようになった。甘えると言っても、手を繋ぐ、腕を組む、抱きつく、その程度だが。


「お前は本当に可愛いな」

「嬉しいです」


 腕の中で見上げてくる顔に、躊躇わず自分の顔を近付けた。

 零になった距離で、至福を噛み締めながらレクスがどれ程自分を律しているかをロジエは知らないだろう。



 ロジエを自室に送り、レクスは執務室に向かう。そしてそのまま隣の休憩用の私室へと入った。

 一人掛け用のソファに座り、割合高さのあるセンターテーブルに両肘をつくと頭を抱え込む。


「あ~~~~~」


 低く低く吐き出される声。

 こんな気持ちでは執務になど戻れるわけもない。残った仕事は都合のつくものだけだから猶更気持ちの切り替えが難しい。

 おそらくこの姿を見れば、クライヴからは小言が飛んでくるだろうが、彼は今騎士団の方に顔を出していて留守だ。レクスは思う存分邪念を払うことに集中した。


「レクス、いるのか?」


 扉の外から聞こえるのはジェドの声だ。いっそ人と話をした方が気が紛れるかもとレクスは「入って良いぞ」と返事をした。


「北部地区の報告書を持って来たんだが……何かあったのか?」

「いや、別に?」

「心ここに非ずって感じで何言ってんだ。何があった?」


 余程陰鬱な表情をしているのだろうか、ジェドは本気で心配しているようだ。そんな彼に今の心情を言えば呆れられるに決まっている。


「何でもない。報告書をくれ」

「話をしたらな」

「心配は有難く思うが話すことは無い。大丈夫だ」

「……ロジエの事か?」


 報告書を受け取る為に伸ばした手が僅かに揺れてしまった。


「なんだよ。今度は何があった?」


 ジェドは書類を渡すことはせず、レクスの対面の長椅子に座り込み、さあ話せと言わんばかりに身を乗り出す。


「本当に何もないんだ。気にしないでくれ」

「それが気にするなって面かよ」


 ジェドは普段人を嘲る事が多いが、反面、面倒見のいい兄貴分のようなところがある。「言うだけでも言ってみろよ。楽になるぞ」と親身に言われ、レクスはついに吐露し始める。


「……ロジエがな……」

「ああ」

「俺のことを信用し過ぎるんだ」

「あ?」

「俺に対して警戒心が全くないんだ」

「……」


 それがどうした。ジェドの顔はそう言っているが、俯いたままのレクスの目には入らない。


「二人きりだからと甘えてくるんだ。しかも可愛く! いや、もう普段から可愛すぎるんだが!」

「………」

「大好きですよと上目遣いで言ってきたり、ふわりと抱きついてきたり、手を繋いで幸せそうに頬を染めたり!」


 ジェドは後悔した。訊かなければ良かったと。


「なんだあれは!! 俺の理性を試しているのか!?」

「……つまりは欲求不満だな」

「一言で片づけないでくれ!」


 ダンッとレクスはテーブルを拳で叩く。叩かれた箇所には多少ヒビが入ったようだ。


「俺は後悔しているんだ」

「ロジエとの婚約か?」

「そんなわけあるか!! そうじゃなくて、ロジエを安心させ過ぎたと。一人の時に部屋に押し掛けたことは一度きりだし、抱き締めたまま一緒にただ昼寝したり、嫌なことはしないと言ってしまったり、いや、本当に嫌がられればするつもりは無いが……ロジエは俺が口付け以上は何もしないと安心しきってしまっているんだ……」

「あと二ヶ月の我慢だろ……」

「お前は……この生殺しの状態が分かっていないんだ!!」


 頭を抱えて悶絶するレクスに、ああ、わからねぇよ、とジェドは思った。


「ロジエは小悪魔だったか」

「小悪魔?」

「可愛さや思わせぶりな仕草とかで男を翻弄する女のことだ。ロジエの場合は無自覚だから特に質が悪い」

「小悪魔……」


 その通りだ。可愛くあどけなく純真で、なのにそれが男を誑かす。あれだけの佳人に安心しきった様子で擦り寄られ、心を擽られない男が何処にいる!? そしてそれを無下に手折れる程、狡い男にはレクスはなれない。レクスは益々頭を抱えた。


「いや、まあ。レクスはよく我慢してると思うぜ。ロジエの近頃の色気は半端ねぇからな。同じ男として感心するね」


 そう。ロジエは最近めっきり色を漂わせるようになった。綻び始めた花が一気に開花するように匂い立つ色気。男を知らずにあれなのだから、今後はどうなってしまうのか。そして、それを目の当たりにするこの王子はどうなってしまうのか……。


「ジェド……ロジエに手を出したらお前でも容赦しない……」


 今でさえ、独占欲全開なのに。


「わかってるよ! お前の女に手を出すわけねぇだろ。それに俺はそこまで不自由してない」


 ジェドも長身で整った顔立ちをしているのだ。夜の街に繰り出せば、簡単に相手は見つかる。


「なあ、レクス。他の女で代用すればいいんじゃねぇの?」

「は?」

「女官でも侍女でも令嬢でも、お前の相手なら喜んでするだろ。後腐れが無いようにってんなら娼館でも行くか?」

「いや、俺が触れたいのはロジエだけなんだ。他の女性じゃない」

「ロジエだと思えばいいだろうが。それともロジエに義理立てしてんのか? 真面目だな、お前は」


 ジェドは半ば呆れ気味に背凭れに身体を預け後頭部で指を組んだ。


「それも無い訳じゃ無いが、それ以上にロジエはロジエだけだ。代用など効かない。それに……」

「それに?」

「他の女性を抱いても虚しさしか残らんだろう。益々ロジエが欲しくなるだけだ」

「……重症だな」

「そう思う」


 ジェドの目の前の男は俯き深く深く息を吐いた。

 神の血を引く王子と言えど、健康で健全な青年男子。溜まるものは溜まるし、精神衛生上も良い訳がない。


「お前どうやって発散してんの?」

「……疲れきるまで剣を振るうとかな……」

「お前が疲れ切るってどのくらいだよ?……なぁ、王子の花嫁って手入らずじゃなきゃいけないのか?」

「基本そうだな」

「ロジエって初めてなのか?」

「決まっているだろう!! 口付けに舌を使うことすら知らなかったんだぞ!!」


 侮辱するなと言わんばかりの形相に、「あ、そう」とジェドは曖昧に返事した。


「相手が王子本人でも婚姻前は駄目なのか?」

「……………」


 流石にそこまでは求められていない。過去には婚姻までに花嫁が孕んでいた例もある。だが、その事でまたロジエが謗りを受けるかも知れない。


「お前が自分以外の者にロジエを触れさせないのは周囲の事実だし、朝まで一緒にいれば、破瓜の跡は確認されるんだ」

「あまりはっきり言うな……」

「子供にしても、お前らの状況なら一部を除けば歓迎されるんじゃないか?」


 サフィラスとルベウスの王族の間に子は望めない

 どこまで本当かわからない噂話。

 ロジエに子供が授かれば、鬱陶しい側室問題も一蹴できる。


「ロジエが受け入れるならいいんじゃねぇの?」

「……そうか。そうだよな」


 等と頷いてしまったレクスは本当に大分、精神疲労を起こしていたのだろう。



 翌日、“ロジエが嫌がれば強要は絶対にしない”けれど“受け入れてくれるのならば自分の心に従おう”と決め、ダリアとマーガレットの咲き誇る花園の四阿でレクスはロジエと向き合った。


「あの、レクス様。傍に行ってもいいですか?」


 言葉の通り“向き合って”いるのだ。

 いつもならレクスの方がロジエを離さないというのに、最近少し距離が空くことがある。ロジエは、どうして、と不安そうな顔をする。レクスが「勿論いいぞ」と言えば、顔を耀かせちょこんと隣に座った。


(ああ、もう、反則だろ! そんなに可愛くて!)


 一応、自重していたレクスも辛抱出来ずに薄い肩を抱き寄せた。ロジエも抵抗することなく、むしろ積極的にレクスの身体に身を預けた。


「良かった……」

「ん?」

「最近ちょっと飽きられてしまったのかなって……」

「有り得んことを言うな! 俺はロジエに嫌われないようにだな!」


 そうだ。突然襲うような真似をして嫌われるのはごめんだ。


「二人きりの時にくっつくのは好きですよ……」


 頬を染め、長い睫毛の影を落とし可憐きわまる女の顔で、無意識に男を誘う。レクスが駄目だと思っても身体はその誘惑に乗ろうとしたその時、パッとロジエは純真無垢な笑顔をレクスに向けた。


「今日花嫁衣装の仮着付けがあったんです」

「うぁ? ああ……」

「お衣裳が本当に素晴らしくて……純白の花嫁…なんて恥ずかしいですけど」


 夢見るようにロジエは語る。


 ――― 純白の花嫁 ―――


「婚儀まで後少しですね。その、……美容とか苦手なんですけど、レクス様の為に少しでも綺麗になれるように頑張りますね」


 はにかむように微笑むロジエは本当に美しくて……


 ――― 花嫁の純潔 ―――


 汚せるものか!


 そう思い今日も純白の小悪魔の誘惑に負けず

 生殺しの状態を耐えるのだった。

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