45 粛清
人払いのされた執務室で、レクスはニーデルと対峙していた。部屋にいるのはレクスに、ニーデル、クライヴ、シエル、ロジエ、とニーデルの監視役として扉の前にウィルとジェドが控えている。
「爵位の剥奪か、国外追放が妥当かと」
ニーデルがそう告げるとレクスは眉根を寄せ如何にも不可解というような怪訝な顔をした。
「……何故お前がそれを言う?」
「殿下とそのご婚約者への背信行為として極刑を問われるのでしたら、甘んじてお受けいたします」
ニーデルは深々と頭を下げた。レクスはそれを見て一度息を吐いた。
「……自分が何をしたかはわかっているのだな?」
「勿論でございます。寝台に寝かされている間も会話は聞こえておりました」
「それを踏まえたうえで罰を受けると? 操られただけだと逃げないのか」
「私は国の訓誡に背けませぬ」
『正しい事を為せ 真の事を言え』――― それは『常に誠実であれ』というサフィラスの神の教え。
レクスは執務椅子の背に身を預け指を組んだ。
「お前にとっての『正しい事』とはロジエを廃する事ではないのか?」
「両国王族の婚姻が成れば、一時的でも戦争は終わる。それが分かっていて流石に其処までは盲目にはなれませぬ」
「そうか」
「間接的なれど、誘拐と…最悪、殺人に至った行為と思っております」
「……ロジエのことを恨んでいるか」
「はい。心の奥底を覘かれたのでしょう」
「反論はなしか」
「今更なんと? そう思っているから付け込まれたのだとルベウスの王太子殿下が申していたではありませんか」
レクスは一瞬思案するように黙した。
「……今 ロジエのことをどう思う?」
「わかりませぬ。……亡くした娘は面白い方だと殿下を支えられる方だと申していました。あの娘がそういうのであれば信じたい、なれど、何かに狙われる方というのは如何かと」
「“何かに狙われる”か……何かというのに心当たりは?」
「わかりませぬ。ただ赤い目をしていたことと『神に捧げろ』と囁かれました。連れてこいと。狙われているのでしょう」
狙われているのだろうか。
例えば、ロジエを盾に何かを要求することだって考えられる。ロジエはレクスもシエルも、両国の王子が掌中の珠と大切にする娘だ。人質としてはこれ以上の存在はない。
だが、神に捧げろ、とは。それでは『贄』だ。
ロジエを見れば何か考えるように両手の指を組み視線を下に落としていた。
「お前は今でもすぐに側室が必要と思うか?」
「如何でしょうな。選定は早い方がとも思いますが、殿下は頷かれないでしょう。けれどもそもそも今回のことで私に罰が下されることは必至。これ以上国政国事に口は出せませぬ」
「……成程、賛成も反対もなしか」
「する立場ではなくなるということです」
「わかった。……ロジエ、お前はどうしたい?」
「人の心は自由です。私を恨むも嫌うもその人の自由。操られたとなれば猶更。罪はなく罰など必要もないかと」
静かにはっきりとした声音にレクスは瞳を閉じた。
「ロジエ、お前は優し過ぎる」
「……その優しいはどういう優しいですか?」
「甘い、という事だ。思うは自由。けれど手を下せば罪。今回は結果として何も無かったというだけだ。許すだけでは肝心な時に見下されるぞ。時に粛清は必要だ」
きっぱりと為政者として告げる言葉にロジエは口を噤んだ。
「ニーデル」
「は」
「俺も正直に言おう。俺はロジエが大事だ。俺はあの場でお前を斬って捨ててしまいたかった。けれどもそれはロジエが望まないと思ったから止まった。お前を斬らなかったのはそれだけのこと。お前を極刑にはしない。だが、条件がある」
「なんでしょう」
「昨日のことを外部に知られたくない。口を噤んでくれ」
実際ロジエが何かに狙われているのかどうかはわからないまでも、それが噂として広がれば、またそれをもとに誹謗や落とし込みにつなぐ輩もいるだろう。
「自分が何者かに操られたなどと自ら風潮する愚か者がいるでしょうか」
「ならば昨日のことは何もなかったのだ。罪も罰も存在しない」
「……粛清が必要だとご自分が申されたではありませんか」
その言葉にレクスは意地の悪い笑みを浮かべた。
「いい答えだ。では罰を与えよう。だがな、お前はロジエに対する反対派の筆頭だ。何も犯していないお前を訳もなく罷免するとなれば俺は嫉妬に狂った愚君と言われよう。これからの為それは避けたい。……どうするか……お前の長男は息災だな?」
「…息子に何か……」
自分以外の者が罰せられるのかとニーデルは身構えた。
「まさか。共謀したのでなければ罪は犯した本人のみにある。罪も罰もお前だけのものだ」
「ありがとうございます」
「息子に家督を譲れ。ただし、俺とロジエの婚儀が済んでからだ」
「…それは…」
罰になるのでしょうかと顔が訴える。
「ニーデル、お前の国に対する忠義は本物のようだ。今後、死ぬまでその忠義、国とそして俺に捧げてもらう。陰から王家を支えろ」
「まずは反対派の中にあり殿下の眼になれと?」
「話が早いな。お前には婚儀が済むまで“蝙蝠”になってもらう。その後も色々出来ることはあるだろう。励めよ」
「それでは安いくらいでは……」
「仲間を謀るのは苦しいものだ。特にもともと清廉なお前には堪える筈だ」
「仲間…ですか。今の私には国に害する心のある者は敵でありますが……」
「くっ。はは。それが本心ならありがたいがな。まあ、安いと言うのであればまだやってもらいたいことはある。サフィラスの主だった貴族達の家族構成、愛人関係、さらには力関係をロジエに伝授してくれ。お前がこの国にとてつもない人脈を築いている事は知っているぞ。お前の持てるものを全てロジエに与えて引退しろ。……くれぐれも言っておくが俺も相応の眼を持っている。次に何かしたら家名剥奪では済まぬと思え」
「殿下……」
「異論は受け付けん。下がれ」
ニーデルがウィルとジェドに伴われ部屋を後にするとシエルとクライヴが同時に口を開いた。
「「レクス・様」」
「なんだ?」
「「いつからあんなに狡猾に?」」
「あのな、俺だって一応 帝王学やら政治学やらは学ばされているんだぞ?」
お前らも不敬罪で罰を与えてやろうかと腕組みをしていつもの無愛想な顔を向けると、クライヴは「さあ、ひと段落ついたところでお茶でもいれましょう」と、シエルは「僕も調べたいことがあったんだ」と部屋を退出した。ロジエが「あ、私も孤児院の視察の話がリアンさんと…」と二人に続こうとするとその手が引かれた。
レクスは執務机と自分の間にロジエを閉じ込めた。
「さあ、どう償う?」
レクスが顔を近づける為、ロジエは机に手をついて身体を後ろに反らした。
「え? あの、私? ですか?」
「シエルはともかく、クライヴは償いに俺とお前を二人きりにしてくれたんだろう? さあ、お前はどう償ってくれるんだ?」
さらにぐいとレクスがロジエに顔を近づける。ロジエは耳まで真っ赤になった。
「私は何も言っていないのですが……」
「心で思っただろう?」
「……卑怯ですよ…レクス様…」
「さっきも言っただろう。粛清は必要だと」
ロジエは「もう」っと小さく呟いて、レクスの頬に手を添える。そうしてレクスの唇に短くかすめるような口付けをして、恥ずかしそうに俯いた。
「申し訳ありませんでした……」
その恥じらう仕草も、微か過ぎる口付けも余りに可愛らしすぎて、にやりと笑ったレクスは、ロジエの頤に指を掛けるとロジエの唇を己のそれで覆った。息が詰まるほどに長く口付けてから、満足そうに笑う。「次はこれくらいしないと許さんぞ?」と。
ロジエはレクスの悪戯っ子のような微笑みを赤い顔で受け止めて、その胸に顔を埋めた。
――― 神の贄 ―――
――― 見つけたぞ。銀の娘 ―――
そう言われた。
確実に狙われているのは自分。
彼の傍に居てはいけないのかもしれない。
警鐘が鳴る。それでも。
「レクス様と一緒にいたいです」
「離すわけがないだろう」
この目の前のとんでもなく可愛い生き物を守る為ならばどんな狡い男にもなろう。
そう決めてレクスはもう一度長く長く口付けた。
*****
「ロジエ!」
娘は呼びかけに振り返る。声の主の姿を目に留めて走り寄る。
駆け寄る娘の姿を見つめる男の眼差しは何処までも温かで。
眼の前にきた娘と交わす微笑みは至福という意味を教えてくれそうだ。
ああ、娘がみた笑顔とはあれか――――――
と、ニーデルは一人納得しその場から離れた。
*****
「失敗したみたいだなあ、ゼノ?」
男の腰かける椅子の背凭れに片肘を付き、黒髪の青年は笑った。
「いいえ。楽しめました」
赤い液体で満たされた盆から目を離し、椅子に座る中年の痩せた男、ゼノも笑った。
「ふうん? 随分遠くから見ているな。それ、かなり精神力も使うんだろう? 血もそれだけ使ったのだからもっと近くで視ればいいものを」
液体の表面には遠目から見たようなレクスとロジエの姿が映っていた。
「両王子が鋭いのですよ。これ以上の近くと時間は気付かれます」
ゼノの白く骨ばった指が液体を揺らすと映像は消え、後はドロリとした赤い液体が波紋を残すだけとなった。
「へえ」
「それよりあの娘、約束通り私が頂いても?」
「何の価値がある?」
「美しいものは欲しくなりませぬか」
「もっとましなことを言ったらどうだ? 私が楽しんだ後でならいいだろう」
「勿論、構いません。器が新しかろうが古かろうが問題ありませんので」
「さて、ではそろそろ我が家に帰ろうか」
こつりと冷たい足音が暗い石畳の回廊に響いた。




