44 夏至祭り
――― もし外部の者を使って何かを仕掛けるのならば『夏至祭り』が濃厚だろうな ―――
そう言ったのはジェドだ。
人の出入りが多ければ、入り込む余地ももちろん多くなる。夜会などでは特に招待客に紛れようと思えば出来るのだと。しかも高位貴族の付添だと大義名分があれば紛れる必要もなく入り込むことが出来る。
夏至祭りは日中に祭事、夜に晩餐会が披かれる。祭事には婚姻前で崇める神の違うロジエとシエルは臨席できない。狙われるとすればそこではないかと大方の予想だ。
ロジエにも話はした。薄々なにか感じていたのかも知れない彼女は「わかりました」と静かに頷いた。
シエルからロジエに害をなす可能性が示唆された時、レクスは直ぐにニーデルを拘束しようとして窘められた。そしてまた、ロジエにも同じことを言われることになる。
「レクス様。憶測で人を拘束は出来ません。それに誰が何の為にしたのかわかってからでは駄目ですか?」
「駄目だ。危険が迫っているとわかって放っておけるか。何かあってからでは遅いんだぞ」
「ですが、目的も犯人も分からないままでは同じことの繰り返しになるのでは?」
結局、理論的で口達者な二人に言いくるめられる形となり、クライヴ、ジェド、ウィルそしてケイトまでもが自分達を信用しろと言い出した。
敢えてロジエを一人にして様子を見てみようと提案される。
もちろん一人といっても、悟られないよう護衛は付ける。クライヴとウィルは側近として祭事に参列する為、諜者であるジェドと神導力を使えるシエルが影から見守る。ケイトは敢えてロジエの傍から離さなければならない。当のロジエは祭事の行われる神殿の近くでレクスを待ちがてら本でも読むことになった。
“もしかしたら何かあるかも知れない”その程度の何一つ確証の無い話にレクスの側近は耳を傾け、対策を考える。
「しかし、憶測だけの話を此処まで信じるかな」
「シエル様の憶測は憶測ではないでしょうし、レクス様が当たりだというのならそうなのでしょうから」
「そうそう。サフィラスの未来の王妃様になにかあってからじゃ遅いしね」
「だな。何もなければ何もないでいいだろ。用心に超したことは無い」
弱冠呆れたようにシエルが言っても彼らはこの返答だ。
「はあ。主同様、君たちもお人好しだな」
「シエルだって何も言わず始末をつけることだって出来ただろうに、それをしないのはお人好しなんじゃないか」
「……僕はその先を知りたいんだよ」
手足を捥いでも本体が残っていれば意味がない。黒幕にたどり着かなければ、永遠に小者を退治し続けなければならない。
何よりもシエルは影にいるその存在自体を知りたかった。
*****
「レクス殿下がお呼びです」
神殿に通ずる庭園の四阿でロジエは本を広げていた。つい先ほどまでケイトが控えていたが、飲み物を持って来ましょうと離れた。通常ならば護衛が傍を離れるなどあり得ないが、それでもそこに喰い付いて来た。
「此方で待つよう殿下に言われたのですが」
「祭事に必要な神具が足りないので取りに行って欲しいと……ロジエ様と一緒にいる口実ではないでしょうか」
神殿では今まさに、祭事が行われている。それなのにこれから神具を用意するというのか。しかもそれをロジエに持ってこさせるなど。相手も分かっていて誘っているのかもしれない。
「わかりました。案内をお願いします」
ふわりと笑い、僧侶の半歩後ろをロジエは付いていく。後ろにジェドとシエルの気配を感じながら。
神具の置いてあるのは神殿の地下備品庫なのか、脚は階下へと向かっていた。
階段を一番下まで降り、灯りの届かないところまで来ると僧侶が口を開いた。
「伯爵様 連れて参りました」
暗がりからかつんと足音が聞えた。
「ご苦労だった。祭事に戻ってくれ」
僧侶は礼をとると踵を返し階段を上がっていった。きっと彼は何も知らず頼まれただけだろう。一僧侶が高位の貴族の頼みを断ることなど出来ないのだから。
ロジエは現れたニーデルに向き直る。彼は青白く不気味なまでに表情が無かった。
「ニーデル様? どうなさいました?」
「見つけたぞ、銀の娘。我が贄となれ」
「え……」
途端、細い暗がりから伸びた手がロジエを拐った。
*****
サフィラス城は城下を見下ろす高台に建っている。その為数十キロ離れた川から水を引いている。つまりは水路が迷路のように城の下に張り巡らされていて、さらに侵入者を防ぐ為に実際地下迷宮も兼ねていた。
「ロジエ!!」
暗い地下水路に声が反響するが返事はない。
「くそっ!」
ロジエを拐った手は地下水路に続く階段から伸びた。シエルがニーデルを拘束したため、先にロジエを追ってきたジェドは毒づいた。
湿った埃の乗った石畳についていた足跡が消えている。水路に入ったのだろう。水路だけなら地図があるだろうが、地下迷宮は王族とそれに近しい者しか全てを教えられない。ジェドも大まかにしか頭に入れていないのが現状だ。
「下水道業者でも仲間にいるのかよ!?」
「水の精霊よ。細く流れを変え道を示せ」
後ろから聞こえた澄んだ声に、大筋の流れの中で細く一筋水が流れを変えた。
「ジェド、こっちだ」
「便利だな。道理で俺を先に行かせたわけだ。そのまま捕まえられないのか」
「目に見えない不特定多数は殺す事しか出来ないよ。出来れば生きたまま捕らえたい。なによりロジエに害が及んだら困る。ロジエが怪我をしたらわかるようにはしてあるから、今のところ平気なようだ」
「なるほど。じゃあ、神剣の錆びにならないよう急ぐか」
二人は脚を速めた。
水流の示す先で金属の打つかる固い音が聞こえた。シエルとジェドがそれぞれ得物を抜いてそこに辿り着く。割合広さのあるそこは奥の階段を上れば外に通じているのだろうと思える場所だ。
そこに血に染まった剣の切っ先をシエル達の方に向けてロジエが立っていた。
「兄様……ジェドさん……」
ロジエは安堵の表情を浮かべて剣を下ろした。
「流石だな」
ジェドは転がる賊の一人を脚で小突いた。微かな呻き声が聞こえるので命はあるようだ。転がる賊は五人。賊の隙をついて武器を奪い全てを斬り伏せたとなれば“流石”としか言いようが無いだろう。
「怪我は?」
「ありません」
シエルはロジエの握る剣を取り、そのまま床に投げると、自らの上着を脱いで返り血で汚れたロジエに掛けた。そのままぎゅっと抱き締める。
「こういう時は力を使ってもいいんだ」
「使うほどではありませんでした」
「そうか。良くやった」
「……はい……」
ロジエもシエルの背の服を握りそれに応えた。
重く固い足音がいくつも聞こえた。けれどシエルもジェドも武器すら構えない。その足音の幾つかはよく知ったものだったからだ。
「ロジエ!!」
案の定、声と共に一番先に見えたのは蒼い色だった。周囲の状況を一瞥し真っ直ぐにロジエのもとに向かう。
「レクス様、祭事は?」
レクスは未だ祭事に臨んだままの正装だった。ただでさえ堅苦しそうな装束に、しゃらしゃらと幾つもの宝石飾りが動くたびに揺れていた。
「終わった。ケイトから途中までの状況は聞いたが怪我はないか?」
頭から足の先まで確認すると、ロジエの頬に手を添えて顔を覗き込む。
「平気です。兄様とジェドさんもすぐに来てくれましたから」
その答えを聞いて漸くほっとしたのかロジエの髪を優しく撫でて、レクスも緊張を解いた。
「二人は平気か?」
賊を全て縛り上げ、俺は走っただけだとジェドは両手を上げて心配はいらないと告げる。
「僕も何もしてないから平気だ。ニーデルが心配だから先に戻るよ。ロジエを頼めるよね」
「ああ。礼を言う」
シエルを先頭にして、ジェドや引き連れてきた騎士が賊を担ぎ上げ姿を消すと、レクスはロジエの手を取り切なげに眉を顰めた。
「震えているな」
「すみません。……私いつも大きなことを言って……結局こうです……」
「いや、剣を使わせた俺が悪い」
曲者は命こそあっても深傷は負っていた。全てロジエが倒したのだ。
懸念はあった。いくら技を磨いても、訓練と実戦は違う。シエルは戦場にロジエを立たせた事がないと言っていた。だから初めてだったはずだ。
実際に“斬る”ということが。
肉を断つ感触と血の匂い、精霊の力であればそれにのたうつ姿に耐えられるのだろうかと心配していた。
「すまない」
「いいえ。これは必要なこと。大丈夫です」
それでも微笑むロジエの両手を取り、額と額を合わせる。
「すまん。こういった事が二度とないとは言えない。……ロジエ、俺にはお前が必要だ。だから目を逸らすな。迷わず斬れ」
「はい」
「人を弑する力を守る力に変えるんだ」
「はい……!」
レクスはロジエの覚悟の返事を聞いて、震える身体を強く抱き寄せた。
***
侵入者をクライヴやウィルに任せ、レクスとロジエはニーデルが捕えられている部屋に向かう。ニーデルがいるのは神殿の地下の一室で、簡素な寝台が一つだけある質素な部屋だった。部屋の前にはジェドが立ち、部屋の中にはシエルが待っていた。寝台の上に横たわるニーデルは拘束されるでもなく唯眠っているようにしか見えない。
「…ちゃんと“捕縛”しているから問題ないよ」
レクスの心配を察したようにシエルが笑った。
「さて、どうしようか。眠っている方が真実が言えるかな?」
「どういうことだ?」
「夢って起きると忘れていることが多いだろう?」
「ああ……」
「やった事はないけど試してみるか」
シエルはニーデルの額に手を当て、精霊に命ずる。
「闇の精霊よ。夢の真実を絡めとり告げよ」
シエルがニーデルの名前と年齢、家族構成、役職などを訊くと、ニーデルは眠ったまま口を開いた。全て正しい答えが返ってくると「出来そうだ」という様にシエルは二人に頷いた。
「なぜロジエを狙った?」
「……魔女は神の贄にする」
びくんと跳ねたロジエの肩をレクスはぐっと引き寄せる。大丈夫だというように視線を交わし頷くと、ロジエも静かに頷いた。
「魔女とは?」
「銀の娘」
「神とは?」
「……神……」
「誰に頼まれた?」
「息子と娘」
「誰に渡す?」
「……―――……赤い……」
「名前は?」
「………」
ニーデルは僅かに口を開いたまま言葉を発しない。
此処までか、というようにシエルはニーデルの額から手を離した。
「真実も曖昧みたいだな。巧妙だよ」
「どう思う?」
「……銀は只の色か、それとも徴か。神はどちらか。そして赤……」
シエルはちらりと眉根を寄せ不安気な顔をするロジエを見ると、大袈裟に溜め息を吐いた。
「考えることが一杯だなぁ。まずはニーデルどうする? 聞くこと聞いたし始末しちゃう?」
軽々と口にする凶事にロジエは反応した。
「兄様!! 冗談でもそんなこと言わないで下さい!」
「冗談じゃないよ。僕はロジエの身の安全を確保するためにいるんだ。不穏分子は一つでも減らしておきたい」
「操られただけです!」
「付け入られたんだよ。責任はある」
ロジエの瞳が一瞬揺れた。
付け入られる程にロジエを疎ましく思っていたということか。
それでも。
「簡単に人を殺めてはいけません。思うことは自由。話を聞かなければ。そして真実は受け止めて前に進まなければ」
「真実か。『正しい事を為せ 真の事を言え』っていうのは彼の教訓かな?」
きっぱりと否定するロジエの言葉を受けて、シエルはニーデルに視線を落とした。
「それは国の訓誡だ」
答えたのはレクスだ。それは『常に誠実であれ』というサフィラスの神の教えとされる言葉だった。
「なるほど。ずっと彼の頭の中にあるんだよ。何が正しい。何が真実だって。操られるのに抵抗するように」
「やはり私欲に走るような人物ではなかったか。抵抗していたんだな」
「けれど、レクス。王族の婚約者に手を掛けようとしたことは事実。罪は裁かねばならない」
「兄様! ですからニーデル様は操られていただけで…」
「ロジエ、やめろ。事実は事実。裁きは必要だ。だが、俺も少し考えたい。明日まで待ってくれ」
そう言った時、扉が叩かれ入室を促せば、入って来たのは硬い顔をしたクライヴだった。
「どうした?」
「申し訳ありません。捕えた者が皆、死亡致しました」
「自害か!?」
「自害なのか……。死因は窒息です」
「精霊の力を使えば不可能じゃない。ただしかなり大きな力が必要だ。捕まった時にはそうなるよう仕組まれていたのかな。……狡猾だな」
「ニーデルは」
「彼は大丈夫。起きている時にも話を訊かなければならないし、大事な最後の証人だ。守っておくよ」
シエルはもう一度何かを精霊に命じた。
レクスは小さく呟かれたその声を拾う事は出来なかったけれど、守るだけではないように思え、訊けば「ついでに正しい夢を見るようにしただけだ」「君は本当に勘が良すぎるな」とシエルは困ったように笑った。
そうしてレクスはニーデルを監視付で城に預かることにした。
*****
「装束は破れたりしていませんでしたか?」
平服に着替えたレクスを前に、自らも着替えたロジエはくすりと笑った。
神殿から城に戻り、僅かな時間、ロジエはレクスの執務室で共に過ごすことが出来ることになった。
「多少汚れが付いたくらいだ。それよりもゆっくりと抱きしめさせてくれ」
長椅子に座り広げられた両腕の中に、ロジエはそっと我が身を預けた。途端、痛いくらいに抱きしめられる。
「全く狙われているとわかっていて傍に居られないとは……。本当はお前を守るのは俺でありたかった」
「……人を頼ることも大切ですよ」
これから先、王なればこそ身動きできないことが多いのだから。
「分かっている。……お前を誰にもやる気はない。誰よりもロジエを欲しているのは俺だ」
「ん、レクス様、ちょっと苦しいです……」
少しだけ拘束が緩んだと思うと、唇が重ねられた。レクスはロジエの口内へと舌を忍び込ませる。その舌で彼女の歯並びをなぞり、奥深くへと潜り込ませていくと、やがては彼女の舌と絡ませあい始める。静かだった部屋の中には水音が響いた。
「……レクス、さま…、んっ、…んぅ……」
先へと誘う本能を律し、唇を離すと、もう一度力強く抱きしめた。
「俺の…ロジエ」
「……レクス様…好きです……」
本当は操られただろうがなんだろうが、ロジエに害をなす奴など殺してしまいたい。けれどもレクスはニーデルと話をしようと決めた。
『全ての人と話が通じるとも限りませんけれど、まずは顔を見て話し合う事が大事なようですね』
シエルとロジエ、二人と出会い学んだこと。
話の出来る相手であるならば、顔を見て言葉を聞かなければならない。
そして、国の訓誡を支えとしたニーデルに少しばかり感心したのも事実だった。
話を聞いて処遇を決めよう、そう自分を制した。
きっとロジエもそれを望むであろうから。
*****
「ねえ、お父様。レクス殿下の笑顔ってご覧になったことがある?」
それは、仕事から帰宅した娘が言った言葉。
「無論ある」
「社交用じゃなくて、本当に心から笑った顔よ?」
娘が高揚した様子で問うてきたことに真剣に考えてみた。かの王子は、正直なところ無愛想である。眉間に皺を寄せたような顔が常にみられるものだ。それでも時折、リアン王女や側近と微笑んで話している様子を見たことがある。あれが心から笑った顔ではないのだろうか。
「私、見たの!!」
「ほう?」
「すっごく素敵なのよ! 見ているこっちが赤面しちゃうような、幸せそうなお顔!」
「それはお前がレクス殿下に心を寄せているからそう見えるのだろう」
「違うわよ! 誰が見てもそう思うような幸せなお顔なのよ」
「いつ、そのようなお顔を?」
「……ロジエ様と一緒にいらっしゃるときよ」
そう告げる顔も嬉しそうで不思議だった。
「お前、それは……いや、だがあのお二人は形式的な結婚で、二年後には」
「いいえ。レクス殿下はロジエ様だけよ。ずっと見ていたからわかるの」
「サフィラスとルベウスの間に子は……」
両国の王族の間に御子が授かった試しはない。サフィラス王家は側室を持つことを公には良しとしていないが、二年間正妃に御子が授からなければ、側室を娶る事が許されている。だからそうなるだろうと思っていた。
「ただの迷信でしょう? ロジエ様って面白いかたよ。暇だからって部屋のお掃除を始めて女官長様に怒られたりして。笑顔が可愛くて、知識も豊富で。あの方ならレクス殿下を支えていけるのだろうと思える素敵な方。私、ロジエ様付の女官になりたいの。そうすればレクス殿下のあの笑顔がいつでも拝見できるわ!」
「お前本気でそのようなことを言っているのか?」
「ええ、おかしいかしら? 確かに私はレクス殿下をお慕いしているけれど、あんなに幸せそうなお顔が見られるならそれでいいと思えるのだけれど?」
ああ、そうだ。この娘は少し変わっていて、人の幸せをみるのが好きであった。こんなことでこの娘自身は幸せになれるのだろかと心配になる。
「いつか、私を見てあんな顔をしてくれる方に出会えるといいのだけれど……」
親の心配をよそに夢見るように娘は手を合わせ空を見上げた。ふと娘がこちらをみた。
「ねえ、お父様」
「なんだ?」
「お兄様から伝言があるの。『私は騎士として誇りを持っている。命をかけて国の為に戦った。それは命を落としたサフィラスとルベウスの兵全てに言えることだ。命をかけて守った人、ものだから幸せになってもらいたい。そして父上には良くやったと褒めて欲しい』ですって」
満面の笑みで娘は消えていった。




