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神の子  作者: 柘榴石
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43 悪夢

 休戦協定が結ばれたその日が戦役で命を落とした者達の命日とされた。それはある月の一日で、また、末娘が事故で亡くなったのも一日だったため、合わせて毎月その日に墓標に花を手向けに行く。

 するとそこには先客がいた。


 佇むのは二人の若い娘。

 赤毛の女性はどこかで見覚えがあると記憶を辿ると、ああ、生前娘が友達だと紹介した女性騎士だと思い出した。確か彼女は、現在、王子の婚約者の専属護衛をしているという。そして彼女が付き従っているもう一人は、かの王子の婚約者であった。


 此方の気配に感づいたのだろう。振り返り己の存在を認めると墓標の前から身体を除けて深々と頭を下げてきた。

 見れば墓標の前に百合の花が手向けられていた。ここ数か月、命日に訪れると先客が居たらしく季節の花が手向けられていた。誰だろうかと疑問に思いつつ、今日は早めに墓参した。この娘かと、胸の奥がザワついた。


「これはこれはルベウスの姫君。ご機嫌麗しゅう」

「おはようございます。ニーデル様」

「自己満足の墓参りですかな?」


 告げた嫌味に、控えた女性騎士がカッとして口を開こうとするのを婚約者殿は静かに制した。


「はい。お邪魔して申し訳ありません。お先に失礼致します」


 いつもこうだ。何度となく誹謗を浴びせても静かに受け入れる。ざわざわと胸の中が波だった。


「厚顔無恥とはこういうことなのだろうな。よくも殺した相手に顔向けできるものだ」


 互いに背を向けたところで聞こえるように大きな独り言を言ってみる。それでも反応したのは騎士の方だった。


「ニーデル様!」

「なんだ?」


 くるりと振り返り騎士に顔を向ける。「ケイトさん…!」と婚約者殿が困ったように言った。


「ロジエ様の護衛としてではなく、ジルの…貴方様の娘の友人として言わせて頂きます! ジルの死はロジエ様に全く関係はありません」

「そんなことは分かっている。私が言っているのは戦死した者達の事よ。自分を死に追いやった敵国の者を恨まない者がいるのかな」

「戦争は個に責任はありません! 私は貴方様の御子息とも面識がありました。御子息は騎士として誇りを持っていました。ロジエ様を恨むような、そんな愚かな方ではありませんでした!」

「誰が個の話をしている。それに生きている者が死んだ者の気持ちを勝手に解釈するな」


 ぴしゃりと切って捨て背を向ける。「申し訳ありませんでした」そう告げるのはやはり婚約者殿の声だった。


 ニーデル家は長年サフィラス王家を支えてきた貴族だ。自分とて王家に対する忠誠は揺るぎないものだと自負している。サフィラスの王家は忠誠を捧げるに値する一族だった。そしてそれを憚らず家族に告げていた為か自分の次男と末娘は、「お父様がそれほどに言う方々ならば自分も王家に仕える騎士、女官になりたい」と幼い頃から言っていた。

 そして念願叶って、息子は騎士に、娘は女官となる。仕事明け家に帰ると息子はレクス殿下の武勇と威ある姿勢を褒め称え、娘は女官長様は厳しいがリアン様が可愛いと常に嬉しそうに言っていた。

 ある時娘がぽつりと「レクス殿下は素敵な方ね」と頬を染めて言い出した。もともと歴史ある貴族の娘、王子の妃としての身分も申し分ない。親の欲目を除いても見目も良く心持も悪くない。叶わないまでも釣書を用意して王子の妃候補に並べた。


 そんな折、次男が戦没した。

 自分とて長年王家を支えてきたのだ。息子が騎士として仕える以上、武器を持ち王を守る立場にある以上、そうなってしまう可能があると覚悟とまでもいかないまでも、心の片隅に置いてはおいた。けれどそれが現実となるととても受け入れられるものではなかった。


 何故 息子が命を落とさなければならないのか

 何故 今 休戦協定が結ばれるのか


 更に先日、娘が事故死した。

 娘の死自体は事故で疑いようがない。わかっている。だが、殿下の婚約者である敵国の姫の女官に志願してすぐの事だった。


 何故 敵国の姫が生きて

 何故 娘の想い人の伴侶となろうとするのか



 休戦協定で結ばれた婚約の為、開かれた歓迎夜会で、誰もがそのルベウスの姫に目を奪われた。“妖精姫”の名に遜色なく耀くばかりに美しかった。あの場で何人の男が心を奪われたのだろうか。

 そしてその中の一人に、それまで女性に目もくれなかった王子もいたのだ。色恋事には堅物すぎる王子が自ら進んでダンスに誘い、剰え三曲も立て続けに踊るなど考えられないことだった。

 容姿に心を奪われたのだと思った。

 けれども姫は目にする度に誰にでも物腰柔らかに接し微笑んでいた。傍に仕える侍従侍女や騎士たちが傾倒するのはすぐだった。天真爛漫に見えながら人をしっかりと見極めるところのあるリアン王女も心を許しているし、何よりもあの女官長が王子妃に相応しいと太鼓判を押したのだ。知識も豊富で更なる探求心もあり、令嬢として必要な教養は全て備わっていると。女官長は、もともと私利私欲に煙る人物ではなく公平に人を見ることができると自分(わたし)自身が認識していた人物で、彼女が言うのであればきっとそうなのだろうと思うことが出来る…はずであった。

 なのに この胸にある姫に対する猜疑心はなんなのだろうか。


 答は簡単だ。


 ――― 息子と娘が毎夜忠告するのだ ―――


『正しい事を為せ 真の事を言え』

 何が正しい事なのか 何が真実なのか

 全てを曖昧にして

 国の訓誡を打ち消し、王家に対する忠誠心をもかき消すように。


 *****


「さあ、殿下、お手元の資料をご覧ください」


 一人の貴族が嬉々として声を掛けた。明らかに眉間に不愉快を表す皺を刻むレクスの顔を見てリアンを含む会議の出席者の多くが心の中で溜息を吐いた。


「国中の美女、才女と名高い者を集めました。お目に留まる者はおりませんか?」


 ぱらり、とレクスがひとつの綴りを捲った。


「ああ、確かに美人だな。気立ても良さそうだ」

「ええ、左様に御座いましょう」

「きっと大切に育てられたのだろうな」

「はい。サフィラスの名家のご令嬢です」

「そうか、で、何の為の資料なんだ?」


 レクスは口許には笑みを浮かべているが眼は全く笑っていなかった。問い掛ける冷淡な声に会議室の温度が一気に下がった。


 ピシイイイイイイぃぃぃぃぃぃぃぃ…………

(ああ、緊張の糸が見えるよ………)

 元々は夏至の祭事に関する会議だった為、会議に出席していた王女リアンは身を縮こめさせた。時折こうして会議が横に逸れることがあるのは知っていた。そしてその度に兄の機嫌が悪くなることも。

(またロジエさんと過ごす時間が多目に必要だなぁ)


「ですから御側室候補の……」


 言葉尻が消えていく貴族に対してレクスは更に剣呑な視線を浴びせる。彼の背は嫌な汗に濡れていることだろう。


「何度も同じようなことを聞いて卿らも飽き飽きしているだろうがな、俺の妻となるのはロジエ一人だ。これは隣国との協定でもあるし、それ以上に俺個人の望みでもある。俺はロジエ以外の女性を妻として愛し守ろうとは思えない。側室だろうが他の女性を娶ればその者はきっと不幸になる。卿らとて大切な娘をそのようにしたくないだろう」


 努めてレクスは平淡な声で言い、そこで一つ大きく息を吐いた。


「そもそもロジエの何が不満なんだ?」

(お兄ちゃん!?)

「婚約式も済み、リアンとともに少しずつ妃としての仕事もするようになった。作る書類も完璧だし、視察も問題なく熟している。性格だって明るく親しみやすくて奥ゆかしいし」

(お、おおおお兄ちゃん!?)

「容姿だって可愛いし綺麗だし文句のつけようがないだろう」

(や、やばい、やばいよ。お兄ちゃん、ちょっと切れてる!?)

「何が不満だ?」


 しん……………

 緊張とは違うもので会議室が静まり返る。

(呆れてる。呆れてるよね。うん、わかるよ。でも、お兄ちゃんも限界なんだろうな……)


「妃として不満なのではありません。国母として、御子が授からないかもということが、国を支える者として不安なのです」


 一人の貴族、ニーデル伯がはっきりと口にした。レクスはその顔を確認して眉を顰めた。彼は以前ロジエに暴言を吐いた貴族官吏であり、側室推奨派の筆頭者だ。おかしい、レクスはそう思う。


「子供か……婚姻する前からする話か?」

「……今のうちから御側室候補の選定をと申し上げております」


 ニーデルはレクスの凄味にも怯むことは無い。

 二人の睨み合いにまたも会議室が静まり返った。先に口を開いたのはレクスだ。


「ロジエに子が出来なければリアンの子が継ぐまでだ」

「無礼を承知で申し上げます。我々も民も望むのはレクス殿下の御子でございます」

「ではロジエに授かるよう祈るのだな。正妃の座も国母の座も彼女一人のものだ」


 緊張の糸どころか、初夏だというのに空気が氷水のように冷たく冴えた。リアンは自分の腕を擦って暖めた。


「今日の会議はここまでだ」


 その言葉を最後にレクスは立ち上がり会議室を後にした。


 回廊を進みつつ、おかしい、レクスはもう一度そう思った。

 ロジエに暴言を吐いたあの貴族はもともと忠誠心厚く、私欲に走るような者ではなかった。国家を立て王族を立ててきた人物だ。ただ単に国を思い側室と子をというならまだいい。だが、二年という期間を待たずにいうようなことではないだろうし、こちらの意思を無視してまでそんなことをいう人物でもなかった。

 次男が戦役で亡くなり、末娘がロジエの女官に志願してすぐ事故死したという。

 私怨……こちらのほうが余程問題だ。

 先日ロジエが戦没者の墓参に訪れた際に彼に会い、交わされた会話を護衛のケイトが教えてくれた。

 ケイトはクライヴの縁者で由緒ある騎士の家系の生まれだ。幼い頃から女性騎士を目指していた事とさっぱりとした性格もありレクスとは幼なじみのような存在だった。女性というよりは男友達に近い関係で、その親しさをロジエが少し嫉妬するというレクスにとっては嬉しい事もあった。ケイトとの関係と、騎士としての腕も確かな彼女をロジエの護衛にと考えていると説明すれば、誤解したと顔を真っ赤に染めたロジエがまた可愛いらしかった。

 そのケイトが言っていた。自分はニーデルの息子と娘とは友人だった。ニーデルもその子供達も恨み言を言うような人物ではなかったと。

 レクスもそう思う。彼は私怨に囚われるような為人ではなかったはずだ。息子、娘可愛さに変わった、と言われればそれまでだが。

 難しいなと重い溜息が漏れた。


「ねえ、お兄ちゃん。ニーデルおかしいよね……」


 隣りに走り寄ったリアンが話しかけてきた。


「……そう思うか……」


 妹ですら気付いた。それくらいどこかおかしく思えるのだ。


 *****


「レクス、大事な話があるんだ」


 シエルがそう言ってレクスの私室を訪ねて来たのはその日の夜だった。


「風の精霊よ。帳を降ろし声を守れ」


 シエルは大事な話をするときには必ず精霊に命じて結界を作る。こうすれば外部には声が届かないと言って。初めて知らずにこうされたとき、空気が張り詰めてるみたいで変だと言えば、わかるのかと感心された。


「ニーデル伯は操られているかも知れない」


 二人の会話に前置きは不必要だった。大切な内容程、簡潔に話した方が伝わりやすく、結界もあるので遠慮も要らない。何よりも互いを信用しているから出来る事だった。


「詳しく話してくれ」


 レクスは適時適切な話に身を乗り出した。


「悪夢を見させられているんじゃないかな」

「そんなことが出来るのか」

「闇の精霊を召喚出来る者ならば」


 精霊師の力は四種類。土、水、火、風の何れかの精霊を召喚して使う。 精霊師は四つの力のうちで特に得手とする力の徴を持って生まれてくるが、闇の精霊というのはレクスは聞いたことが無かった。


「闇の精霊というのは普通に召喚出来るものなのか」

「出来ない。出来るのは胸に金の徴を持つ者だけなんだ」

「それは」

「そう、ルベウス王族だけだ。今現在金の徴を持つのは、僕と父王と父の弟だけだ。僕はニーデルには何もしてないし」

「それは分かっている」

「父がするとも思えない。する意味もないしね。叔父は徴はあっても力自体が王族としてはごく弱いんだ。出来るとは思えない」


 闇の精霊を召喚すると、当然闇を操れるのだが、他に夢に介入することが可能だという。ただしこれには随分と精神力を使うのでシエルとしてはやりたくないらしい。


「では他に?」

「こちらの認識していない徴持ちがいるか、以前言った可能性があるか、というところかな」

「……それについては今のところ調べようがないから置いておこう。ニーデルに何の夢を見せて何をするつもりなんだ? お前がわざわざ話をしに来るからには余程の事なんだろう」

「何の夢を見て何をしようとしているのかは分からない。探ろうとしたが、結界まであった。強引に探るとニーデル伯の精神が破綻する。おそらくは潜在意識にあるものの悪夢を見せて、心の隙をついて行動を誘導させようとしているのだと思う」


 結界まであったという事は何某かの介入があったというのは間違いがないだろう。何をさせるのかが掴めないのだ。


「そんなことが?」

「夢を一から作り操作するのは疲れるけれど、あるものを膨らますのは意外に簡単なんだよ。例えば、猜疑心塗れの互いの密偵に僕達の悪い印象を夢で何度も見せたとしたら?」

「殺略者と異常者か」

「そう。思い込みって怖いんだよ。戦争にもなるくらいにね」


 確かに万が一そうされた結果が数百年と続く争いだと思えば恐ろしい。


「今回の問題はその悪意がロジエに向いているという事なんだ。何をするかは分からない。けれど向かう先はロジエだ」


 シエルは精霊師を統べるルベウスの王族の中でも、近年特に強い神導力を持っているという。その為なのか単に個人の資質なのか、やろうと思えば人の心を感じとる事が出来てしまうらしい。ニーデルはいつもロジエを見る時に昏い目をするのだという。最初はよくある敵国の者に対する猜疑心程度であったのが、ここ最近度を超す様な態度と目つきを怪しく思い少し探ってみた結果が先程までの話だ。


「やはりおかしいとは思っていたんだ」


 レクスも独り(ごち)るように言った。


 *****


 夢の中で血に染まった息子と娘が訴える――――――


   あの女は魔女だ

   レクス殿下に近づいて

   王を殺し

   リアン王女を殺し

   サフィラスを奪おうとしている

   私達は守ろうとした

   でも

   あの女は狡猾だった

   戦場で兄を殺し

   宮廷で妹を殺した

   痛みと共に血が流れる

   痛い 痛い 痛い

   苦しい 苦しい 苦しい

   いつかきっと

   レクス殿下も殺される

   お願い お父様

   正しい事を為して

   真の事を言って 

   レクス殿下を

   サフィラスを

   守って

   私達の仇を取って

   私達の幸せを奪ったあの魔女を

   やっつけて


 何が正しいのだ?

 何を言ったらいいのだ?

 ………… いや

 どうやったらいい?


   魔女など神の贄にすればいい

   ―――に渡せばきっとそうしてくれる

   夏至祭りの夜に連れてきて


 赤い目をした何かの口がニヤリと笑った



 汗でべとりと肌に張り付いた寝衣を掴み目が覚める

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