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神の子  作者: 柘榴石
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6  女官長

「では宮廷での慣わしを教えて頂きたいです」


「そういう事ではありません」と言いそうになった。

 女官長の前で微笑む可愛らしい女性。彼女は王子の婚約者となる隣国の王女だ。

 サフィラスの第二王子にして王太子のレクスは、次期王としてその器を家臣にも民衆にも認められている。

 子供の頃は些か机に向かうことが苦手で剣を振るうことに傾倒しがちであったが、決して愚盲なわけではなく成人してからは父王を助けるべく執務にも携わっている。

 素っ気ない態度と無愛想な表情が玉に瑕だが、国と民を心から守ろうとしているのは明らかで自慢の王子だ。

 そんな彼に一つの危惧があったのだが……それは彼があまり女性に興味を持たないことだ。

 男色という訳ではない。王族としての立場と迎えるべき伴侶の為に彼自身知らずにそうなってしまっていると女官長は解していたが、それは彼を幼い頃から見守って育ててきた者としては少し悲しいことであった。

 結局王子は休戦の為の政略により敵国であったルベウスの姫との婚約することになった。

 それがどんな女性であるのかを確かめる為、勿論隣国の姫君に失礼にならない為にも自ら夜会の準備を手伝いに行った。

 そしてそこでみた彼女の姿に猜疑心は掻き消えたのだ。

 美しく慎ましやかなルベウスの姫。笑った顔が可愛らしく、侍女の対応にひとつひとつ礼を言う。淑女を気取り優しい女性を演じているのではない。長年王宮に仕えて来たのだ。それぐらいの仮面を見抜くのは得意だ。

 ただ、着飾ることは苦手なようだ。支度が済むとおどおどと「可笑しくないですか」と訊いてきた。出来栄えは仕立てた自分も侍女も溜息を吐きたくなる思いであったが彼女はどうやら自分に自信が無いらしい。所作や姿勢は洗練されているのに勿体無い。自信を持ちなさいと背を叩き、ついでに王子の為にショールは取り去った。彼女は肌を晒すことにやや抵抗を持つようで情けない顔をしていたが、夜会のドレスとはそういうものであり、彼女の白く美しい肌理を隠す方が野暮というものである。

 そうして、義兄であるルベウスの王子が迎えに来ると、にっこりと笑って「支度を手伝って下さりありがとうございました」と頭を下げた。後ろに控えていた侍女は頬を染めて「こちらこそ」と慌てて頭を下げた。

 上に立つ者としては少々控えめ過ぎて侮られかねないが、不思議と彼女にされると嬉しさが募る。


 そうして女性に無関心といってもいい王子が初めて目にした彼女を自らダンスに誘い、更には立て続けに三曲も踊ったのだから彼の意志は明白だった。

 実のところ彼女が会場に現れた時には女性である自分でも目を奪われた。

 支度の際のどこか不安げな様子は何処にもなく、かつての敵国の中毅然とした態度を見せる。

 長く宮廷に仕え美姫は沢山見てきたが、彼女は何処か異質な美しさだった。妖艶というには程遠い、美しいというよりは可愛らしい容貌なのに“輝く様な美しさ”を醸し出している。

 優雅な所作に儚げでいて凛然とした雰囲気。正に“妖精”だった。

 正直なところ王子が容姿にだけ心奪われてしまったのかとも心配していたのだが。


 今、目の前にいるのはただ“かわいい”と言える女性。

 本当に不思議な女性だ。

 王子の意志が明白なのに対して、どうやら彼女の方は今一つという感じがする。多少なりと王子に惹かれているならば『王子との時間を取って欲しい』と言うはずで、そして言ってもいい身分である。

 実際城に表向き行儀見習いと称して王子を射止めんと滞在している貴族の姫たちは『一緒にお茶を』などといつも言っている(王子は執務で忙しいとやんわりと避けているが)。

 それを彼女は“謁見方法”と“図書室の使用許可”である。さらには宮廷での習わしを訊ねるとは。当の婚約者である王子はそっちのけではないか。何とも儀礼的な婚約者だ。

 良く言えば真面目で慎み深い、“大人しい妃”としてはいいのだろうが…彼女はそれだけではないだろう。

 とても聡明そうな意志の強い瞳をしている。きっと王子を支えられる良き妃となれる人物である。

 だが……彼女は自国の王子と同じくらい恋愛面に疎いらしい。


 ――― 全く難儀な方を選ばれましたね


 難儀ではあるが妃としては相応しいと長年の女官としての勘が言う。本来はこのようなことに容喙(ようかい)すべきではないが、ことこの二人に関しては多少の干渉が必要らしいことも勘が告げる。


「城の慣わしですか……」

「ええ。失礼があってもいけませんし」


 純真そうな瞳を向ける彼女。

 王子の乳母としても、可愛い孫のような彼の為にも少しだけ手を貸すついで、

 いっそ、妃教育をしてしまおう ――― 女官長は心の中で微笑んだ。


「分かりました。とりあえずは中庭に参りましょうか」

「中庭ですか?」

「はい。中庭は王族専用の庭でございまして、この時間であれば殿下はそこで剣の鍛錬をなさっています」

「でしたら正式な許可もなく訪れることは出来ません」


 きっぱりと否定する彼女に思わず眦が下がってしまう。殿下の眼にとまりたいと用もなく中庭近くの回廊をうろつく令嬢達にもこれくらいの慎みや思慮があってもよさそうなものなのに。


「散策の途中で偶々目にする分には問題ございません。妨碍(ぼうげ)であれば眼で制されますので通り過ぎれば良いですし、今日はシエル殿下もそちらにいらっしゃいます」

「兄様が?」

「はい。ロジエ様と同様に一人で散策に出て目にされたようです」

「う、すみません。……それにしても、お二人ともいつも間にか仲良くなられたのですね……」

「確認の為にも参りましょうか」

「あ、でも、この格好では」


 ロジエはルベウスにいた頃は特に普段の生活で着飾ったことは無い。けれど国の名を背負っている以上、この簡易な格好では、と戸惑う。


「いっそ髪は解いてしまいましょうか」


 女官長は近くの空き部屋へとロジエを誘った。

 女官の服の隠しから櫛を取り出すとロジエの銀の髪を波に沿って丁寧に優しく梳いた。


「大変お美しい御髪ですね。ルベウスではよくある御色なのでしょうか」

「ありがとうございます。母の…いえ、ルベウス王妃様の家系に多いようですが、国でも多いというほどではないようです」

「左様ですか。サフィラスでは殊に珍しいので流すだけでも随分と映えます」

「そうですか?」

「はい。では、背筋を伸ばして、参りましょう」

「あの、お化粧は? いいのですか?」

「今日は必要御座いません」


 必要ないだろう。

 肌は肌理細かく、白磁のよう。

 唇は紅など注さなくとも淡く桃色に濡れている。

 大きく潤いのある瞳は銀に輝いて。

 容姿そのものが人形のように整っているのだ。

 夜会の化粧ですらほんのりとしただけで素顔を全く隠すものではなかったのだから。


 ――― 女官としては少々弄り甲斐がありませんが。


 どうぞ、と女官長は外へ続く扉を開けた。


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