41.5 余談 自重して下さい
クライヴからみたレクスとロジエです。
「自重して下さい」
その言葉をこんなことに対して言うことになるとは思わなかった。
座学をサボったときや力加減が上手く出来ず物を壊した時、一人で城を抜け出した時などに良く使った言葉だが。
まさか彼の女性関係について使うことになるとは。
いつもは無愛想な顔で執務机に向かう、私クライヴの主人であるサフィラスの王太子レクス様が今日は上機嫌だ。
書類に署名をする合間に視線を上げてはとても幸せそうに微笑む。
彼の視線の先にあるもの、それは先日正式に婚約の儀を交わしたお相手、隣国ルベウスの姫君ロジエ様だ。
レクス様の正面にある長椅子に座り、彼の視線に気付くと手元にある資料から視線を上げて、ふわりと微笑む。
と、その甘ったるい雰囲気を咳払いで制するのが女官長殿だ。
レクス様は舌打ちでもしそうな顔で女官長殿を一瞥し再び書類に向かう。の繰り返しだ。
何故、執務時間中にロジエ様が此処にいるのかと言えば、迫る婚儀に向けて決めねばならない事があるからだ。本来なら、別に時間を割いて其のみを話し合って貰いたかったが、なかなかレクス様の仕事が忙しく難しい。と言うのも、多少の時間が空けば、レクス様はロジエ様と婚儀の話などそっちのけで二人きりで過ごしたがるからだ。そんなわけで、簡単な書類仕事だけの時に、ロジエ様を執務室に呼んで、必要な事をレクス様に訊きながら決めていく形になった。
だが、それすらもレクス様の策略ではと思ってしまう。レクス様はロジエ様の事となると狡猾になる節がある。執務中に一緒にいるための策かと邪推してしまうのだ。
「レクス様、少しいいですか?」
「うん? どうした?」
待ってましたと言わんばかりに顔を上げるレクス様。
ロジエ様と出会う前の貴方は何処に行ったのですかと問いたい。
どんな美しい女性にもどんな扇情的な女性にも、淡々と愛想笑いをしていた王子は何処に行った。
「衣装の色生地なんですけど、どちらの白がいいですか?」
「どちらでもロジエなら似合う」
「もう! どちらかです!」
「なら左の白だ」
窘める姿すら可愛いと言うようにレクス様は微笑む。
甘い。
「じゃあドレスの形なんですけど……」
ロジエ様は数枚のデザイン画を手に持ってレクス様に向けた。
「見辛いから此方に持ってきてくれ」
「はい」
ロジエ様が立ち上がると、此処に置けと言うように執務机の右側を空けた。こうすれば、執務机を挟んでではなく、自分のすぐ横にロジエ様が来るからだ。机にデザイン画を並べるロジエ様を愛おしげに眺めるレクス様。
本当に甘い。
「どのタイプが好きですか? きゃあ!?」
あっと思った時には、横に立つロジエ様の細腰をぐいっと引き寄せ自分の膝の上に座らせた。
「レクス殿下!!」
途端に飛ぶ女官長殿の鋭い声。
ロジエ様はレクス様の膝上、抱き込まれる形で真っ赤になって硬直している。
「いいだろう。これを決める間だけだ」
悪びれる様子もなく女官長殿に返すレクス様。
夜会のダンスすら面倒だと言っていた方は何処に行ったのですか。
「レクス様、離して……」
「だからこれを決めたらな」
肩口に顔を乗せて、それはそれは幸せそうだ。
「俺の妻になる者には寂しい思いをさせるだろうな」と言っていた方は何処ですか。
「人前は嫌ですって言ってるのに……」
「では、二人を追い出すか?」
「そうではありません!」
ヒソヒソと話す声はしっかりと聞こえている。女官長殿の眉がピクリと動いた。
「もう! 早く決めてください」
「ロジエは何でも似合う。お前はどれがいいんだ?」
「迷っているから訊いているのです!」
「そう言われても困る。一時間毎に着替えたらどうだ?」
「真剣に考えて下さい!」
――― 甘い。 本当に甘い。
愛おしくて堪らないというレクス様の表情。恥らうロジエ様。確かにこれは独り身には凶器に等しい甘さだ。
実のところ、方々から居たたまれないという声が上がっている。
青薔薇を贈った翌日の朝、挨拶と共に頬に口付けたとか
夜会の警備場所を変えてくれとか
一人だと思って声をかけたら前にロジエ様が隠れていたとか
図書室で書架に押付ていたとか
人目を少しは気にしてくれとか
色々色々色々
全くこれがあの“絶食系”とまで言われた人か。
我々がこの女性こそという方をどんなに紹介しようと、「議会の承認が下りればいいんじゃないか」と誰でもいい全開だった人が。元敵国の姫に一目で心を奪われるとは。
ロジエ様は確かに美しく可愛らしく聡明で性格もいい。
お相手として問題は無いはずだった。
世継ぎの問題さえなければ。
サフィラスとルベウスの王族の間に子供は望めない―――勿論確証など無い噂だ。今までがそうであっただけ。
それでも、ロジエ様は中傷を受けていた。
「気を付けて見てやってくれ。俺はロジエを離せない」
レクス様は我々側近とロジエ様付きの女官にそう言った。
レクス様は自らの正義感と王子としての責任感から、国を地位を捨てることは出来ないだろう。
それでも次の世継ぎより、相手の不遇より、自分の我を通したいと思う相手と出会ったのだ。
国を守ることが全てで、己のことなど論外だった人が唯一つ望んだ我儘だ。
ロジエ様も、彼女なら王妃としてレクス様を支え、妻としてレクス様を癒せる存在になると確信できる。
レクス様を為政者としても一個人としてもロジエ様は愛して下さる方だ。
互いに覚悟があるならば共に有りたいとの望みくらいは叶ってもいいだろう。
御子も授かる可能性だってあるのだから。
何よりもこの幸せそうな表情は彼女でなければ見られない。唯一の人と出逢ってしまった今、他の女性ととなったら、レクス様は表情を無くしてしまうだろうと容易に想像できる。
ロジエ様でなければ駄目なのだ。
我々は彼にそんな出逢いがあったことを歓迎する。
彼が王族としてではなく、個としての望みを持てたことを歓迎する。
統治者として尊敬できるこの方が、人として幸せになれることを喜ばしいと思える。
だから臣としてレクス様と彼が選んだ女性を守ると誓える。
兄、友として幸せを願える。
ただ
自重は必要だ。
「殿下。決められないのであれば、後はロジエ様とわたくしどもで決めますので、ロジエ様をお離し下さい」
とうとう女官長殿にピシャリと言われた。
「今、考えてる」
腕の中に抱え込み後ろからデザイン画をもう一度見る。ロジエ様を離す気は毛頭ないようだ。
因みにこれはドレスの形であって、細かいデザインではない。形だけだ。すぐに決まる事だろうと思えることだ。それを熟考するようにしてロジエ様に触れる時間を増やしているのだろうか。
腕の中のロジエ様は真っ赤に熟れた顔でこちらを見た。そんな助けて下さいというような顔をされても無駄です。私は小さく頭を振った。
「ロジエ。俺に抱かれているというのに他の男を見るとはいい度胸だな」
「え? あ、あの……?」
「もう今日はこのまま仕事をする」
「殿下!!!」
ぎゅうとロジエ様を抱き竦めるレクス様に、城内に響き渡る雷が落ちた。
女官長殿に有無を言わさずロジエ様を引き剥がされる。
「もう結構です。御自重下さい!」と女官長殿はロジエ様の手を引き執務室を後にしようとする。
「女官長」
「……何でございましょう」
「ドレスはロジエの好きにしていい。ただブーケは青薔薇にしろ。他にも青薔薇を使うのなら好きなだけ使っていい」
落ち着いた声で言うレクス様に女官長殿は「畏まりました」と退室した。
はぁ、と小さな溜息が聞える。
「レクス様」
「何だ?」
「自重して下さい」
「しているだろうが」
どこが。と顔に出ていたのだろうか。
「なるべく時間が迫っている時や、人目がありそうなところでしか触れていない」
初めて理解した。
レクス様は自重していたのだ。ロジエ様と一線を越えないように。
「それに軽い口付け以上は人に見せる気はない」
人の目があったことも承知らしい。
それでも
「自重して下さい」
伝えねばならないだろう。
城仕えの者の心が折れる前に。
独り身の者が世を儚んでしまう前に。
その甘すぎる空気は毒なのですよ。




