41 贈り物
薔薇の庭園で。
レクスはロジエを後ろ向かせると、その白くほっそりとした首に細い鎖を廻して留め金を留めた。
ロジエが首の下、鎖骨の辺りに光る蒼い輝きを見る為に俯いたため、普段髪や服に隠された無防備な白い項がレクスの目前に晒される。レクスが躊躇わずそこにちゅっと音をたてて口付けると「きゃあ!?」と小さな悲鳴と共にびくりと肩を震わせる。
「れれれ、れくすさま!?」
ロジエは顔を朱に染め、口付けられた項に手を当ててレクスを振り返る。レクスは笑ってロジエの全身を自分に向けるように肩に手を掛けくるりと回す。そうして瞳を細め。
「うん。似合うな」
と、その蒼い宝石にも口付けた。
ロジエの鎖骨の下で光る宝石。薔薇の形にカットされた深い蒼色の石を使用した首飾りだ。花弁の先には小さな金剛石が露のように輝いている。蒼玉をのせた白金の台座は花の形に合わせたようにデザインされ、可憐な薔薇をより華やかに見せてくれる。
「あの、レクス様。これは?……」
「遅くなったが、誕生祝いの品だ。受け取ってくれ」
「えっと……誕生祝いには夜会の時にドレスも装飾品も一式頂いていますが」
「あれは婚約の祝だ。誕生祝いじゃない」
「むぅ。詭弁を……」
「はは。ロジエは普段からあまり華美な格好をしないから、あの首飾りなんかは普段付にはならんだろう。この指環は嫌でも填めていて貰わないと困るがな」
左手を掬い上げ環指にある蒼い宝石にも誓いのように口付ける。
どんなに本人が慎ましいものを望んでも、王太子の婚約者である以上それなりのものを身に付けなければならない。ましてその王太子からの贈り物が安物や適当なものであれば、その程度の相手なのだと邪推される。
ロジエの指には蒼い金剛石だ。ロジエの嫋やかな指に大きすぎる宝石は似合わない。多少大きさを控えても見る者が見ればその稀少価値が分かるだろうとその宝石で造らせた。
「確かに気後れします。こんなに大きな蒼い金剛石……私がこの指環に相応しいのか……でも、他の方に譲る気にはなれません」
「宝石などより余程ロジエの方が美しい」
美しく微笑み可愛いことを言う婚約者の頬に唇を寄せれば、困ったように、それでも頬を寄せ受け入れる。
「言い過ぎです」
「本当のことだ」
「もう、それに嫌だなんて……とても嬉しかったのに」
「それなら何よりだ。ただ、指環は誕生日の贈り物ではないし、この首飾りのように日常的につけられるものを贈りたかったんだ。気に入らないか?」
「いえ。とっても素敵ですけど」
「ずっと何か良いものがないかと思っていたんだが、思いがけず良いものが手に入った」
*****
見せたい品があると伝言を受け訪れた本屋の奥の部屋、溌剌たる女商人が「いかがですか?」と差し出したのは蒼い宝石の首飾りだ。
「これは蒼玉か?」
「まあ、流石にお目が高い。そうです。蒼玉の中でもロイヤルブルーと言われるもの。それを随分と大胆にカットした贅沢品です」
大胆にカットしたというだけあって、それは美しい薔薇の形をしていた。薔薇の形をしてこの大きさならば元の石はもっと大きかったというわけだ。
「ああ、いいな。貰おう」
「即決! ちょっと拍子抜けです」
「そうか? 丁度、いいものがないか探していたんだ」
ロジエの白い肌に濃い青が映えるのは実証済みだ。青薔薇をモチーフにしているのも申し分ない。白金の台座も繊細さを加えた素晴らしい出来だった。
「そうですか。張り切って作らせた甲斐がありました!」
「作らせたのか? 注文も受けずに」
「そうです。特注品の一点ものです。王子様が御婚約者にご愛執なのはサフィラス中の噂。王の青薔薇を惜しげもなく贈ったと。それにちなんで作ってみました。もし王子様にお買い上げいただけなくても欲しがる人はいくらでもいると思まして」
人好きのする笑みを浮かべる女商人は万事に抜け目が無さそうだ。
「蒼玉は愛の不変を誓う誠実の石とされ、夫婦和合や、恋人との関係を良くするために効果があると言われています。ピッタリでございましょう?」
「出来過ぎてないか?」
「石はたまたまそういう意味を持っていただけです。商人はお客様のご要望に応えるものですから。一度遠目に拝見しただけですけれど慎み深く可愛いルベウスのお姫様。大人しめな服装を好む方のようですから派手さは出さずに大きさも控えました」
成程、この商人はロジエを見たことがあるのかとレクスは感心した。それほどこの首飾りのイメージがロジエに合っているのだ。本当は何か自分が注文したうえで造らせようと思っていたのだが、その“何か”が漠然としすぎていて正直レクスは困っていた。そこにこの首飾りだ。自分が造らせたという事にならなかったのは残念だが、それ以上にこれは良い物だ。何も贈り物をするのは今回が最後という訳ではない。造らせるのは次にしようと思えた。
「しかし、俺に直接会えると確信があったのか?」
通常王族と会うには手順というものがある。見せたいものがあるからと謁見が叶う訳もなく、レクスはこの女商人と顔見知りという訳でもない。今日初めて会ったのだ。
「知り合いを五人辿ると会いたい人に会えるのですよ。やらずして諦めるなんて商人としてありえません!」
女商人は楽しそうに笑った。その知り合いの一人が表の店で店番をする本屋の主人なのだろう。
「逞しいな」
「褒め言葉ありがとうございます。オーダーメイドも承りますのでこれからもご贔屓に」
*****
「受け取ってくれるよな」
「…レクス様。私は貴方が傍に居てくれるだけで幸せですよ。ですから品物は贈って下さらなくてもいいんです」
ロジエは少し困ったようにレクスを見つめ。
「でも……すごく嬉しいです。指環と同じくらい嬉しいです。ずっと大事にしますね」
と、はにかみながらも花綻ばせるような艶やかな笑みをレクスへと向けた。堪らずにレクスはロジエを掻き抱く。
「きゃっ! レクス様……?」
「お前は本当に可愛いな。俺もお前が傍に居てくれればそれだけで幸せだ」
「ふふ。お望みの限りずっとお傍に居ますよ」
ロジエはすりとレクスの胸に一度すり寄って、「それと」とレクスを見上げ目で少し放して下さいと訴える。
「実は私からもレクス様に贈り物があるんです」
そう言ってロジエが取り出したのは青いリボンの捲かれた小さな箱。
「これは……」
レクスはその箱に見覚えがあった。先日一緒に城下を歩いた際に雑貨屋でロジエが購入したものだ。
「開けてもいいか?」
「ええ、是非」
小さな箱を壊さないよう慎重に開けると、そこには長方形の蒼い石を包むように白金で透かし細工が施された装飾品が入っていた。
「これも蒼玉だな……」
「はい。蒼玉の首飾りです。貰うばかりなので何か贈りたいと思っていて…。レクス様の耳飾りが素敵だったので同じような細工で作ってもらいました」
「作って?」
ロジエはこくりと頷くと「内緒にしたかったのでジェドさんに職人さんを紹介してもらって」と笑った。
つまり、あの噴水前でロジエが受け取ったのはこれだったのだ。確かにジェドは盗賊をしていただけあって、目利きも出来るし、その筋の知り合いもいるのだろう。しかもこの細工をした職人は余程の腕があるだろう、それ程に繊細で見事だった。ロジエもあの時、この出来にあれ程嬉しそうな顔をしたのかもしれない。
「蒼はレクス様の色ですし蒼玉はカリスマ性や勝利運を高めてくれるそうですから…」
「ほう。俺は愛の不変を誓う誠実な石と聞いたが」
「そ、そういう意味もありますが……」
知っていたんですかとロジエは赤くなって俯いてしまった。レクスはふっと笑う。
「ロジエ、付けてくれるか?」
「はい。じゃあすこし屈んで貰えますか」
レクスが言われた通りにすると、ロジエはレクスの首筋に腕を回し首飾りを付ける。そして自分の首に掛かった石に手を掛けて愛おしげに囁いた。
「ふふ。形は違いますけれどお揃いですね」
「ああ。揃いだな」
ロジエは「レクス様」と屈むように手招きする。人気もないのに内緒話かとレクスが身を屈めると、ちゅっと微かな音を立ててレクスの頬に口付けた。一瞬の出来事にレクスは眼を瞠る。
「……いつも驚かされるので、偶にはお返しです」
恥ずかしそうに、それでもどこかあどけなく微笑むロジエはどうしようもなく可愛らしくて。
「あっ、んっ……ちょっと苦しいです…」
ぎゅうぎゅうと音がしそうな程に抱き締めた。
「すまん」と言って力を緩めれば、ふうと息を吐く音が聞こえ、ぽすんとロジエの方から改めて腕の中に収まった。そんな腕の中のロジエの顔を覗き見て、レクスの心臓が跳ねた。
彼女がとても満ち足りた、幸せそうな顔をしていたからだ。
たかが小さな贈り物をして抱き締めただけだというのに。
「お前は本当に可愛すぎる……!!」
レクスはロジエの顎を掬うと唇をきつく塞ぐのだった。
そう言えば、あの女商人はこんなことも言っていた。
「指輪や首飾りなどの「輪」になっている装飾品は、相手を縛っておきたい、独り占めしたいという意味を持っているんですよ」
レクスは勿論そう思っている。
醜い束縛欲だが、どうしようもない。
もしロジエもそう思ってくれているのなら、自分は喜んで受け入れる。
レクスはその願いを叶えるべく益々口付けを深くしていった。




