40 しるし
ここは王子の側近の為の控え室。そこで二人の男女が頭を下げ合っていた。
「ジェドさん…さっきはすみません。返事も聞かずに扉を開けてしまって」
「いや…俺こそすまない。誰もいないだろうと油断した」
ロジエは先程、義兄であるシエルと此処に来た。シエルが城下に出る付き添いをジェドに頼むというので(一人で行くことはシエルもレクスに禁止されていた)、ロジエも話があるからと一緒に来たのだ。けれど、部屋の前まで来たときにウィルに会い、ジェドはいないし、付き添いが自分でいいなら付き合うよ、というので二人はそのまま行ってしまったのだ。その際にウィルが持っていた書類を部屋の中に置いておくと受け取ったので、扉を一応「失礼します」との挨拶と共に開けた。ウィルが誰もいないと言っていたし、それで問題ないはずだった。
が、そこに上半身裸のジェドが驚いた顔で立っていたのだった。
側近の控え室を挟んで左右に仮眠部屋がある。彼はそこに(彼の習性上)窓から中に入ったらしい。仕事の汚れを落とすべく風呂に入り、誰もいないからとあられもない格好で控え室に入ったところで、ロジエが扉を開けたという事態だった。
「あの…ジェドさん、腕に徴が?…」
「……ああ、見られたか。昔いた盗賊団に仲間として無理やり押されたんだ」
晒されたジェドの左の二の腕。そこにちらりと黒い何かの徴が見えた。
「無理やり…焼き印ですか?」
「そうだ」
「……ジェドさん……」
物言いたげにロジエはジェドを見上げた。
「な、なんだ?」
「腕の徴…もう一度見せてもらってもいいですか……」
「……こんなものに興味があるのか?」
「……少し……」
あまり人に見せたくはないが、と言いながらもジェドは服を開け左腕の徴を晒した。ロジエはそっとその徴に白い手を伸ばした。
「……痛かったですか?」
「まあ、焼き鏝だから痛くないわけはないな。子供だったし」
「焼き鏝………」
精霊師も手の甲に徴を持つ。義兄のシエルの胸には知叡の神の子であり王の金の徴が、そしてロジエの胸には銀の徴がある。
王の徴以上に稀な銀の五芒星。“王の花嫁”と言われるらしいが、そのわりには出現頻度が少ないように思う。一番最近の記録にあるのは五百年も前だ。何か別に意味があるのではないだろうか。
仲間の証として押されたジェドの徴。徴には何かしら意味を持たせるものだから。
ロジエは無意識につうっとジェドの徴に指を這わせる。
「! おい! ロ…」
「ロジエっ 居るか!?」
乱暴に開かれた扉と共に現れた蒼色にロジエとジェドは目を見開いた。
レクスは回廊を速足で歩いていた。午後の会議の予定が潰れ、思わぬ時間が空いたのだ。少しではあるが森に散策ぐらいは行けると執務室を出れば、出掛けるというシエルとウィルに出くわし、ロジエが側近の控え部屋にいると言う。行き違いにならないように急いで来たのだが。
扉を開けてみれば、そこには、明らかに風呂上がりの様子の側近と彼の腕に手を伸ばす婚約者の姿。
「何をしているんだ……?」
俯いて呟かれた声は地を這うように低く、剣呑で。
「お、俺は何もしていない!! ロジエが腕の徴に興味を持って!」
「腕の徴? 昔のあれか?」
「そうだ。それを見たいと言って……」
「見るのはともかく触れる必要はあるのか?」
レクスの気配がさらに剣呑になる。
「待て! レクス!! 神剣は止めろ! シャレにならない!」
レクスの手が腰に掛かった神剣に伸びた為、ジェドは慌ててレクスの間合いの外へ距離を取った。
「……ジェド……」
「わかった! 俺は席を外すから二人で存分に話し合ってくれ!!」
何の話だろうかときょとんとするロジエの横で、男二人は納得した様に話し終えてジェドは部屋を出て行った。
「レクス様?」
どうしたんですかという様に見上げるロジエの頬を両手で上向かせると有無を言わさず強引に口付けた。
「っん、んん……っ!?」
前々から思っていたが、ロジエは男に対して無防備すぎる。勿論誰にでもという訳ではないが、信用した相手には気を許しすぎるのだ。それはきっとシエルという兄の存在の所為だということもわかっていた。男兄弟がいる女性というのは如何せん男性に対して警戒が薄くなる。しかもシエルのロジエに対する可愛がり方は通常の兄妹以上だ。それ故に男は油断ならない者だという認識が薄くなっているに違いない。
いい加減分からせなければならない。
突然のことに拒むようにぎゅっと閉じられた口元を強引に舌で割り開く。
「……っん……ぁ……んふっ……や、っん……」
噛みあわせていた歯が吐息と拒絶の言葉を発しようとしたことで僅かに開くと、見逃さずに舌を滑り込ませた。歯列をなぞり上顎を擽って執拗に蹂躙してから舌を絡めた。
細い腕はこちらを押し返そうとしている。ただ、力が入らないのか全く気にならない程度だ。腰に回した腕で離さないよう更にきつく抱き寄せた。
ロジエが抗おうとする力は徐々に弱くなり、腰の力も抜けてきたようだった。
「……レクス、さ……ま……?」
まだ満足などしていなかったが、さすがに限界だろうと思ったのでぺろりと色付いた唇を舐めると一度ロジエを解放してやる。ロジエはレクスの支えなしでは立っていられない状態だ。
「……ここ、人のお部屋ですよ……」
「その人の部屋でお前は俺以外の男と二人きりで何をしていたんだ」
「え?」
恍惚としていた瞳に光が宿る。ロジエは驚いたようにレクスを見上げた。
「何を言っているのですか……?」
「お前は無防備すぎる。俺の側近は信用できるが、それでも男であることに違いないんだ」
「私を疑うのですか!?」
「無意識だろうがお前の所作は男を煽るときがある」
レクスはロジエを愛しているが故にどんな仕草であれ煽られてしまうが、でもそれだけではないはずだ。ロジエは自分の魅力をよく分かっていない。分かっていないが故に男を唆る。
「何を!?」
「本当の話だ。お前は男が何に煽られるか分かっていない」
「酷いです! レクス様!!」
自分が男を誘っているように言われて憤ったのだろう。ロジエが声を荒げる。だが、レクスはそれ以上の声を上げた。
「酷いのはどっちだ! 俺が普段からどれほど心配していると思っているんだ!! 所詮本気になった男に女が適う訳がない。もっと気を付けろ!!」
レクスが本気で言っていることが分かったのか、ロジエはレクスを一睨みしてから視線を外した。
「逆に訊くが、お前は俺が他の女性と二人きりで親密そうにしていたらどんな気分になる?」
「……私はジェドさんと親密にしていたわけではありません」
「わかっているが、それでも外からはそう見えるという事だ。で?お前はどう思うんだ?」
「……嫌です」
「だろう? お前にそのつもりはなくとも相手がどうとるかはわからんし、なにより俺は良い気がするわけがない」
「ごめんなさい」
レクスが幾らか和らいだ態度を取ったからか、ロジエはぽすんとレクスに身を預ける。
「わかったなら、気を付けてくれるな?」
「はい」
「……ロジエ……」
レクスは再びロジエの顔を上向かせる。だが、今度は強引な事をせずにロジエの同意を得るように視線で促す。
「あの……ここは側近の方の控え室で……」
ロジエは頬を染めてレクスを見上げる。
「どうせジェドが人払いしているさ」
「…本当ですか?」
「ああ」
頬を両手で優しく包まれて、ロジエは瞳を閉じる。ゆっくりと優しく心ゆくまでロジエの口腔内を堪能して、吐息を零すロジエを解放する。
力の入らない彼女の身体を片腕で支えて、空いた手で服の胸元を少し寛げる。僅かに銀の徴が覗いた。
驚くロジエに構わず、普段服で隠れる胸の膨らみに強く吸い付いた。
「……っぁ!」
驚愕に瞳を見開くロジエに優しく微笑んで、とんっと赤く咲いた痕を指さす。
「徴に興味があるんだろう?」
「~~~~~~!?」
体中を赤く染めたロジエは「貴方の行動こそ問題があります!」と声を上げるのだった。
その頃、部屋の扉からやや離れた壁際では。
「おや? ジェドさんこんなところで何をしているのですか?」
「ああ、ちょっとな。軽い罪滅ぼし…か? 俺は悪くないのにな」
実際にジェドが人払いよろしく番人のように佇んでいた。
「罪滅ぼし? レクス様がこちらにいらしているはずですが」
「急ぎじゃないなら暫く待て。神剣の錆になりたくなかったらな」
「ああ……ロジエ様と一緒なんですね……」
溜息を吐きつつ側近の騎士も壁際による。
「レクスってあんなだったか? 子供っぽくなったよな?」
「ロジエ様に関しては、何と言うか我慢がきかないと言うかきくと言うか……今までの自己抑制の反動と言うか」
「あれ、クライヴにジェド。何してるの、そんな部屋の前で突っ立って。ロジエさん知らない?」
「まあ、リアンも壁によれ。そのうち出てくる」
「ああ~……お兄ちゃんがロジエさんと一緒にいるんだね」
結局、部屋を出たときにロジエは顔を真っ赤にしてレクスの影に隠れることになるのだった。




