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神の子  作者: 柘榴石
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39 疑惑と我慢

 レクスは王都の噴水広場を見渡した。

 そこは商店が立ち並ぶ中央に位置し、噴水という目印もあることから待ち合わせの場所にもしやすく、多くの人々が忙しく行き交っていた。

 噴水の縁に腰かける一人の少女が目に入った。簡素だが仕立てと生地の良さそうなワンピースに、頭には頭巾を被っている。少女は俯いて膝に置いた本に大事そうに触れていた。

 顔は見えないが彼女が誰であるかレクスには遠目でも一目でわかった。

 あの頭巾の下には指通りの良い柔らかな銀の髪と、この世のどんな者よりも愛らしい顔が隠れているはずだ。

 そう、彼女はロジエだ。


「面白そうな本が入りますよ」と件の本屋の店主が連絡をくれたのは先日だ。今日は地方貴族との謁見日で、レクスはとてもロジエに付き合うことが出来なくて。仕方がないと護衛をウィルと一人の女性騎士に頼んだ。その二人はロジエの隣に立ち、何やら話しているが警戒を怠る様子はない。さりげなく周囲の気配を探っているのがレクスには分かった。

 と、そこに一人の男が声を掛ける。二人は笑顔でそれに応え、ロジエも顔を上げた。不審人物ならばウィルがロジエに近づけるわけもないが、その男は同じく側近のジェドだった。ジェドがロジエの前に立つとロジエはにっこりと笑って挨拶をしているように口を動かす。

 ジェドは懐に手を入れて何かを取り出すと、ロジエにそれを手渡した。ロジエは手にしたそれを見て、瞳を輝かせて嬉しそうに微笑んだ。

 心に小波が立つ。自分以外の男から貰ったものにそれほど嬉しそうにするなんて。

 ジェドは何を渡したのか。彼ならば菓子や玩具の類という事もあるが、それであれほど嬉しそうな顔をするだろうか。……ロジエならしなくもない。と、どこかで思うが釈然としない。

 ロジエが礼を述べると、ジェドは三人に「じゃあな」という様に手を上げて雑踏に消えていった。


 ふと、自分の周りに空間が出来ていることに気付く。おそらく自分が怖い顔をしていたのだろう。人が避けるようにレクスの横を抜けていく。

 僅かではあるが殺伐とした気配を感じたのか三人がこちらを見た。ロジエはその気配の元が誰かとわかるとぱっと顔を輝かせて立ち上がった。先程ジェドから受け取った物を見た時と同じぐらいに嬉しそうな表情を見てレクスの面持ちも柔らかくなる。ウィルが何やらロジエに声を掛けるとロジエは持っていた本を手渡した。どうやら本を持って帰ってやると言ったらしい。ロジエは二人に頭を下げるとレクスに駆け寄る。ロジエがレクスの元に辿り着くのを確認してウィルはレクスに手を上げ女性騎士は頭を下げる。レクスがそれに応えるように手を上げると二人は任務を終えて姿を消した。


 喜色満面という笑顔で「レクス様」と小声で名を呼ばれ、レクスは眦を下げてロジエの頬に手を伸ばした。


「待たせたな」

「いいえ。思いがけず一緒にいられるようになって嬉しいです」


 ロジエはそっとレクスの手に自分の華奢な白い手を重ねる。

 思いがけず、というようにレクスには城下を歩く暇など無かったのだが、急に午後の謁見を父王が出れることになり時間が開いたのだ。父の計らいであることは勿論承知でレクスは有難く従うことにした。

 なんとか本屋にいるであろうロジエに言伝が出来、この時間に噴水前で待ち合わせとしたのだった。


「でも髪色が違うと随分印象が変わりますね」

「ん? ああ、これか。リアンの思いつきだが、偶には王子とばれないように歩くのもいいだろう。……そういえばよく分かったな?」

「ふふ。分かりますよ」


 レクスの蒼い髪はサフィラスの人に多い濃褐色に染められていた。服装も生地こそいいが貴族子息や騎士が普段着るような平服だ。これならばまじまじと見なければ王子と気付く人も少ないだろう。


「レクス様だって私がわかるのでしょう?」


 言われて、顔も見ずにロジエと気付いた自分を思い出す。


「そうか。そうだな」


 レクスはロジエを優しく見下ろし笑った。先程のジェドの事は一先ず置いておくことにした。折角の時間に水を差すべきではない。


「どこか行きたい所があるか?」

「とりあえず雑貨屋さんへ。買いたいものがあります」

「よし、行こう」


 ロジエは当然のように差し出された大きな手に自らの手を重ねた。

 歩き出した後もロジエはいやに上機嫌で、どうしたと問えば。


「ふふ。嬉しいことが一杯で」

「一杯?」

「ええ。欲しいものが手に入ったこととか、一緒にいられることもそうですけど、レクス様の大きな手とかも嬉しくて」


 ロジエは繋いでいた手の指を無邪気に絡ませる。その時レクスの心臓が跳ねたことは無愛想な顔が隠してくれたので彼女は気付いていないようだ。


「それに…待ち合わせなんて……恋人同士みたいで楽しくて」


 確かに同じ城内に住んでいるのだから、待ち合わせなんて初めてだが。


「恋人同士みたいじゃなくて、恋人だろう」


 婚約期間中であるし、相思相愛なのだ。恋人以外になんというのだろうか。きっぱりと答えるレクスにロジエは「あんまりはっきり言われると恥ずかしいですね……」と初々しく頬を染めた。


 大通りは人通りも多く、時折すれ違う相手とぶつかりそうになる。そんな時レクスが抱き寄せ庇ってやれば、ロジエは恥ずかしそうに微笑んでレクスを見上げてくる。堪らずに、ほんの一瞬掠めるだけの口付けを落とす。ロジエは一瞬目を瞠った後、みるみる顔を赤くした。


「何をするんですか!」

「ん? お前があんまり可愛いから我慢できなかった」

「……人目のあるところは嫌ですって言ってるのに……」

「一瞬だから誰も気付いていないさ」


 そんなわけがない。大通りの人込みだ。すれ違った人が振り返ったりもしたのだから。

 可愛くて我慢が出来なかったというのも本当だが、レクスはこうして人に見せつけたくなる時がある。勿論これ以上は見せる気も聞かせる気もないが、ロジエは自分のものだと誇示したくなるのだ。

 通りを歩くと、すれ違う男達がロジエを見ているのに気付く。レクスが視線を送れば慌てて眼を逸らすのだが、全くもっていい気がしない。


「もうしないで下さいねっ!」

「わかった。したくなったら人気のないところに行こう」

「なっ!?」


 慌てるロジエに、冗談だと(冗談ではないが)笑って宥めるとレクスは手を引いて歩いた。


 雑貨屋でロジエは小さな箱と青いリボンを買った。何に使うのかと問えば、まだ内緒ですと人差し指を口元に当てる。含んだように微笑まれるとまたどうしようもなく煽られる。ロジエはそういう事に全く気付かないのでレクスはいつも我慢するばかりだ。


 露店で飲み物を二つ購入して、喧騒から離れた木々で囲まれた小さな空地へやってくる。いつもはレクス達のような恋人達や子供達の姿が数人見えるのだが、今日は誰もいないようだ。


「疲れてないか」

「平気です」


 樹木の枝が広がる下のベンチへとロジエを座らすと、レクスも隣に座り、飲み物を渡す。


「意外と気付かれないものですね」

「ん? 俺の事か? 王子と言えば “蒼髪”“蒼瞳”“神剣”だからな。こんなものだろう」


 髪を染め、神剣は外套の下に隠す。瞳の色はそのままでも、そうしてしまえば王子とは気付かれないとレクスは言う。でも。


「女の子達はレクス様をちらちら窺っていましたよ」

「うん? ばれていたのか?」

「違います。貴方を見ていたんです」


 ロジエはむうっと眉を寄せて苦い顔で飲み物を含む。その様子を見て、漸くレクスは理解した。ロジエも自分と同じような事を感じていたらしいことを。レクスも自惚れるつもりはないが、自分の容姿が人目を引くらしいことは知っている。それ故に自分に向けられる無遠慮な視線には慣れてしまっていた。だから殺気こそ含まれなければ今更それに頓着することが無くなってしまっていたのだ。


「はは。そうか、お前もそういうのを気にするんだな」

「どういう意味ですか?」


 心外だというようにロジエは眉を寄せてレクスを見上げる。怒っているのだろうが、レクスとってはそんな表情さえも何ともいえず可愛らしいとしか思えない。


「多少は執着してくれているんだなと思うと嬉しいということだ」


 レクスがにこやかに言えば、ロジエはふいっと手にしている飲み物に目を移して、拗ねたように唇を尖らせ「……多少じゃないですよ」と消え入るように呟いた。その声は細やかな葉擦れの音にさえも遮られてしまいそうなほどであったが、レクスの耳にはしっかりと届いた。レクスはロジエの肩に手を置くと、飲み物が零れないようにそっとロジエを引き寄せる。


「俺はお前に向けられる男の視線を睨み返すので大変だったぞ」

「それは、私の銀の髪がサフィラスでは珍しいからです」


 その珍しいという美しい銀髪は頭巾にほぼ隠れているのだが。本気でそんなことを言っているのだろうか。ロジエは不思議なほど自分に向けられる異性の好意に疎い。当然レクスにとっては古今東西ロジエより美しい者はいないが、そうではなくてもロジエの容姿は、十人に十人ともが「美人だ」と声を揃えて言うであろう。それは城の廷臣や騎士たちの様子を見ていてもありありと分かる。

 ロジエは誰からも好意の言葉を掛けられたことが無いと言った事があった。普通にしていたらあり得ないだろう。これはきっと裏であのシエルが何か画策していたに違いない。いっそ、その方法を伝授して欲しいほどだ。


「全く、無駄に容姿が良いのも困ったものです」


 ロジエのぼやきに、これはこちらの台詞だと言いたいが。嫉妬ともとれるその言葉はどこか嬉しくもある。レクスは未だ剥れるロジエの顔を顎を掬ってやや強引に上向かせ、銀の双眸を覗き込む。


「ロジエはこの(かお)が嫌いか?」


 途端、ロジエは視線を彷徨わせる。


「俺はロジエのこの貌が大好きだ。勿論、貌以上にロジエ自身のことが好きだが」


 硬直してしまったロジエの顔に、レクスは顔を近づけた。こつん、と額がぶつかる。間近に覗き込む瞳は羞恥からか動揺からか、それとも期待からか微かに潤んでいて。レクスは視線を絡ませたまま、ロジエの手にある飲み物の容器を取り上げベンチの隅に置いた。

 ロジエは「ぁ」と小さく声を漏らした後。


「……私もレクス様の全部が大好きです」


 と観念した様に答えて、長い銀の睫をそっと閉ざす。レクスは僅かに残っていた彼女との距離を詰めた。



 帰りしな、やはりどうしても辛抱ならず、さりげなさを装って訊いてみる。そもそも疑念を燻らせるのは彼の性に合わない。


「ジェドに何か貰っていなかったか?」

「え? 見ていたんですか?」


 ロジエは驚いたように訊き返してきた。


「遠目にな」

「何かは見えませんでした?」

「だから訊いている」

「え、っと……じゃあ、まだ秘密、です」


 ロジエはまたも口元に人差し指をたててにこりと笑う。レクスは眉根を寄せた。


「レクス様が隠し事を嫌うのはわかりますが、もう少ししたらお見せしますから我慢して下さいね?」


 にっこりと悪戯を隠す子供のようにロジエは笑う。

 そもそも、ジェドにしてもウィルと女性騎士の前で簡単に渡していたのだから、疚しい意味のあるものではないのだろう。

 もう少ししたら見せるという言葉と、ロジエの可愛らしい仕草と笑顔に免じて、レクスは溢れそうになる疑惑を腹の底に強引に押し込めた。

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