38 王子と王子
応接室を出て、繋ぎの間に来ると一人の青年が壁に背を凭れてレクスを待っていた。誰か、などわかりきったことだ。この一角はロジエとシエルに宛がわれているのだから。お互い人の気配に敏感なのも時と場合によって良し悪しだ。
「眠れないのか、シエル」
そんなわけがないだろうと分かってはいるが、取り合えず居心地の悪さを払う様に声を掛ける。
「そうなんだ。ちょっと付き合って欲しいなぁ?」
シエルはレクスの言葉に乗りにっこりと微笑むと自分に宛がわれた部屋へとレクスを誘った。
二人はテーブルを挟み向き合って座る。卓上には軽めの酒とつまみが用意された。
「婚前交渉は認めないよ」
「……努力はするが約束は出来ない。正直俺はロジエが欲しくて堪らないんだ」
シエルの警告に、やはりかとレクスはやや眉を顰め溜息を吐くと、正直に心情を吐露する。
「本当に正直だなあ」
シエルもある程度分かっていたのだろう、呆れたように様に言うと酒に手を伸ばした。
「さっきだってお前の気配がしたから止めたが……」
「わざと気配を大きくしたからね」
くすりと笑うシエルに、レクスは些かむっとして切り返す。
「そもそもお前に言われたくない」
「なんで?」
「お前がサフィラスでそれなりに奔放にやっているのは知っているぞ」
「注意?」
「相手は選んでいるようだし、お前のことだ、巧くやっているだろうからいいが」
「ははっ。絶食系と言っても流石にそのあたりは男か。節操がないとか言われたらどうしようかと思ったよ」
シエルは酒を一嘗めすると卓上に戻した。
「まあ、それはおいといて。ロジエとのことだ。僕がいる間は遠慮なく邪魔させてもらうし、ロジエにも忠告しておくことにしよう」
「後三ヶ月も生殺し状態で耐えろと?」
ロジエとの婚儀はまだ三ヶ月も先なのだ。その間、あの美しい花を眺めるだけで我慢しろとは肉体的にも精神衛生上もこの上もなく酷な話だ。そんなレクスの心情を察しつつも、シエルは殊更良い笑顔をレクスに向けて「頑張ってくれ!」と激励の言葉を掛けた。
憮然とするレクスをまあまあと宥めて、落ち着いて飲めという様にシエルはグラスに酒を注ぐ。
「それはそうと……せっかくだから君に改めて訊いておきたいことがあるんだ」
「なんだ?」
「単刀直入に訊くから君も忌憚なく答えて欲しい」
先程までの軽々しい態度が改まった事を感じとり、レクスも声を僅かに落とした。
「ああ」
「サフィラスがルベウスと戦争を始めた理由はなんだ?」
「? もともとは宗教戦争じゃないのか? その後は国境を巡っての抗争やなんかだろう?」
「いや、そんな過去の事じゃなくて、ここ最近のことだよ」
最近の事、自分達が係わった、事実を知っている戦役のことかとレクスは眉を顰めた。
「……そっちが仕掛けて来たんだろう……?」
「やっぱりそうか。ルベウスもそうだよ。サフィラスが攻めて来たから国を守って戦っただけだ」
「それは……」
「君もうすうす感じてはいたんじゃないか? 僕は君達と親しくなって確信したよ。君やサフィラス王が進んで戦いを仕掛ける様な人物じゃないことを。別に巧く挑発している奴がいるんだって」
戦争は休戦から終戦へと動き始めた。戦いに明け暮れた日々も過去の事だと終わりにしてしまうのは簡単だ。けれど禍根や導因が別にあるのならば断たなければ同じことの繰り返しになる。
「僕はね、君の事を‟“戦闘好きの殺略者”って聞いていたんだよ。君は僕の事を何と?」
「……‟“拷問好きの異常者”だと」
「成る程なぁ」
「……いつ見方が変わったんだ?」
「戦場で君本人が斥候として現れた時だ。君はあの時『そちらの非礼は流すから双方剣を収めよう』と此方に非のある言い方をした。けれど発端はルベウス側から見ると、サフィラスの兵が不可侵協定を破り医療院を襲ったことにあったんだよ」
「いや! あれはルベウスが……」
「そういうことだよ」
レクスが否定しようとするとシエルはわかっているという様に制した。サフィラスの方ではルベウスの者が何かを仕掛けた事になっているのだろうと察しているのだ。
「あの時、正直なところ、指揮官ともあろうものが馬鹿なことを言うし、やると思った。殺戮者が剣を収めようと言うのは演技かとも思ったが、君が嘘を言っているようにも見えない。だから僕も試した」
「捕虜を連れて帰れと言ったことか?」
「そう。どう出るかと思ってさ」
「捕虜にされていた者達が言ったんだ。ルベウス側に不当な扱いをされたことはない。尋問は受けたが拷問はなかった。食事も与えらえれたし、……それから女神のような女性がいたと言っていたな」
「それはロジエだよ。脅えるサフィラスの兵によく話しかけていた。……君はどうしてあの時自ら敵陣に赴いたんだ?」
「ルベウスの指揮官がお前だと知ったからだ。何度か停戦協議で顔を合わせて、聞いていた為人とは結び付かなくてな。直線話してみたかった」
「危険だってわかってる?」
「何となく大丈夫なような気がした」
「ロジエの無鉄砲をよく嗜められるな。自重してよ」
「これから気を付ける」
「まあ、そのお陰で休戦とまでなったんだけどさ」
あの頃から互いの信頼できる者を介して親書をやり取りした。今のような親密さはなく腹の探り合いに近かったが。それでも今の関係への足掛かりにはなったのだ。
「それにしても挑発か……心当たりは?」
「君の方が心当たりがあるだろう?」
レクスは聞き返され、仕方がないと言うように溢した。
「……ゼノ、だろう?」
「ゼノだけかな?」
「……お前の言いたいことは分かるが、俺は口に出したくない」
「そう。君は嘘が嫌いだと言っていたしね、何かあるんだろうと察しておくよ。ただ、ゼノの事は放って置けない。君はどうしてあれを放っておくんだ?」
「何よりも証拠がない。王子が元ではあるが宰相を憶測で罰することは出来ない」
「今は第一王子の執務補佐官か……上手く逃げているな」
「何故、他国の王子がゼノを放っておけないんだ」
顎に手を置いて考えるようにするシエルに、今度はレクスが眉を顰め訊いた。たとえゼノが導因者だとしても、サフィラスに踏査と処断を任せればいいだけだ。
「あれはルベウスの負だ。僕の敵なんだよ」
さらりと言われた言葉には何か深い意味を含んでいそうな重みがあった。
「どういうことだ?」
「サフィラスの精霊師は元々ルベウスの血脈のものだろう。ルベウスを、精霊師を統べる者として放っておけないって事だよ」
「そこまで言って、そんな言葉で誤魔化すのか」
「君は変なところで鋭いな。いいよ。腹を割って話そうか」
シエルはくすりと笑い、居住まいを直した。
「ゼノは先代王の時代から仕えているらしいけど、歳は知ってる?」
「正しい歳は知らんな」
「昔、凡そ千年前にルベウスにゼノという王がいた」
「まさか」
流石に荒唐無稽だ。
「サフィラスに神剣があるようにルベウスにも秘宝がある」
「……まさか、不老長寿の……?」
シエルはそうだと言うように頷いた。
レクスもルベウスの秘宝の話は知っている。けれどもその存在は有耶無耶だった。サフィラスに神剣が存在する以上“無い”とは断言できないが。
「今はもうルベウス王族ですらそれを見たことはない。あるのかないのかすらも分からないんだ。ただ、その記述がされたであろう書物がないんだよ」
「書物?」
「王族にしか伝えられない文字で書かれた『知叡の書』の一冊がいつからか知らないが無いんだ。前後の書を読むと恐らくそれには妙薬についての記載があるはずだ」
「それをゼノが?」
「分からない。憶測でしかない。でも、サフィラスに来て色々と調べさせて貰ったけど、サフィラスの歴史上、不穏な出来事があるときには“王の信頼厚い宰相”の存在がある。名前はその都度違うが遣り口が同一人物のように似ている。戦争、王、王妃の早世、後継問題、とかね」
ゼノは長い時を生き名を変えて、サフィラスとルベウスの歴史に干渉しているというのか。
「証拠は掴めそうなのか?」
「……信じるのか?」
「信じるさ。お前は憶測だというが真実だと確信しているから俺に話したのだろう?」
「ああ、いや、うん……」
本当に真っ直ぐ過ぎる。シエルは俯くが、その口許は弧を描いていた。
「君は少し人を疑う事をした方がいいんじゃないかな」
「俺だって、本当に誰でもという訳じゃない。ゼノに関しては物心ついた時からいけ好かなかった」
「本能で感じ取れるのかな」
「そう思うしかないな。ゼノも俺が王になれば罷免にも出来るだろうが、兄についているとなると理由なくしては難しい。協力してくれるんだろう?」
「こちらの台詞だ。僕は罷免ではなく、消滅を望んでいる。協力して欲しい」
「消滅、凄い言葉をつかうな」
「生かしておいては同じことの繰り返しだろう。他にも僕の憶測が当たっているのであれば、それが妥当だ」
「その憶測を詳しく話してくれる気は?」
「勿論徐々に」
「分かった。恃む」
「此方も」
契約のように二人のグラスが澄んだ音をたてた。
「ついでだから一つロジエのことでも言っておきたいことがあるんだ」
「なんだ?」
レクスは酒を一煽りして、再び改まった口調のシエルと向き合う。
「ロジエは薬に耐性が無いんだ。毒には十分注意して欲しい」
「勿論。そんなものを近づける気もないが……慣らされてはいないのか」
陰惨な話ではあるが王族と言えば暗殺は付き物で、多くは幼少期から毒などの薬には慣れるように訓練される。勿論、レクスもシエルもその例に漏れていない。
「訓練はしようとしたけど、全く駄目だった。ごく軽いもので三日高熱を出して寝込んだこともある。解毒剤も効きが悪くて、それ以上は出来なかった」
「そうか……」
「一応毒とその解毒法なんかは必要以上に仕込んだけどね」
「わかった。……何か少し対策を考えた方がいいな」
「そうしてもらえると有難い」
「……他には何かあるか? ロジエの事なら何でも聞いておきたい」
「……ロジエの見る夢のこととか?」
「!……やはりなにかあるのか!?」
あの午睡の時の怯えようは普通ではなかった。ずっと気になってはいたが、あのときロジエは「思い出したくない」と辛そうに言っていた。だからその後も訊けずにいた。
「夢はただの夢だ。それで何かが起こるわけじゃない。でもこれはロジエにとって大事なことで、彼女が人を頼るのが苦手な理由なんだ。だから、本人が話すまで待ってやって欲しい」
「待って、話してくれるだろうか」
「それは分からないけど」
「……お前は本当に喰えない奴だな」
「だって悔しいからね」
レクスの眉間に深いしわが刻まれる。その表情を見て、シエルはいつものように静かに笑った。
「なんと言われようとロジエを帰す気はないぞ」
「ロジエだって帰ってくる気はないよ」
シエルの考えている事はレクスにはよく理解できない。
彼がロジエのことを深く大切にしているのは瞭然として、ともすればそれは恋愛感情ではないのかとも取れるほどだ。なのに、レクスとロジエの婚約に関しては歓迎もしてくれている。大切な妹を自分になら任せられると思ってくれているのは、友としてとても幸甚なことだ。が、親しくなる前の敵国の王子になんの理由もなく政略婚にロジエを差し出すとも思えない。
そして一番納得できないのは
婚約に至った今、手を出すなと言ってくること。
応援しているようで突き放す。その意味は。
「君だってリアンに恋人が出来たらわかるよ」
レクスの懸念を察したように告げられた言葉を熟考し、レクスはなんとなく「成程」と返すのだった。




