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神の子  作者: 柘榴石
5/80

5  散策へ

「は…………はァ…は……ゆる…さない…はぁ……」


 暗闇

 暗くて冷たい

 逃げて

 早く


「……はっ……はぁ……わた…さない……」


 呟くのは女性の声

 見上げた先にあるのは赤く光る眼 口元がにやりと笑った


 逃げて!!


 赤い眼の人物の手に魔力が籠る


 逃げて! 逃げて! 逃げて!!


「いやああああぁぁぁぁぁ!!」


 *****


 跳ね起きた身体はじっとりと嫌な汗を掻いている。


「……っ! はぁ…はぁ……っ」


 荒く脈打つ心臓と乱れた呼吸を宥めようとしても出来なくて。小さく震える身体を自分で抱きしめた。


「……にいさ……」


 助けを求めるように名前を紡ごうとして、駄目だというように首を振る。


 ――― だめ だめ 助けをもとめては駄目

 それは幼い頃から稀に見る夢。

 ――― 殺される女性……おそらくそれは母の夢。

 母の最期を見たわけではない。

 なのにどうしてそんな夢を見るのか分からない。

 ――― わかるのは赤い眼の男が敵だという事だ


 左胸の上に右手を置いてその手を左手でぐっと握って大きく息を吐く。


 ――― 落ち着いて 落ち着くの

 目を閉じて呼吸が落ち着くように努力する。

 ――― ここはどこ


 現実を確かめるようにロジエは今自分の置かれている状況を考えた。

 いつもの自分の部屋とは違う色調と置かれた豪奢な家具と調度類。そして自分のいる大きな寝台。


 ――― ここは…そう。サフィラス城。昨夜歓迎の夜会に出席して……そして婚約者となるレクス殿下とダンスを……それから……


 ロジエは急激に昨夜の出来事を思い出した。

 サフィラスのレクス王子。端整な顔立ちに威或る態度、すらりとした長躯に品のある動作。想像していたよりもずっとずっと素敵な人だった。

 宴席でちらりと目にした姿に瞬時心を奪われたようになり、義兄にこっそりと威儀を正せとエスコートされた手を握られてしまった。

 戦場に立つ彼はその武勇から鬼神とまで恐れられ、噂に聞く限りでは直情径行でもっと粗野な印象を受けていた。

 けれども直接相まみえた彼はとても温かで優しい人だった。慌てた様子はどこか可愛くもあって……。

 その彼が優しく笑みを浮かべて自分の名を呼んで……鋭く強い力を宿した蒼い蒼い瞳が自分を捉え……そして……政略ではあるが婚約はほぼ確約されているのにも関わらず自分の意志で求婚まで……大切にするとか、幸せにするとか……!

 ロジエは寝台に顔を突っ伏す。全身が熱い。きっと顔は真っ赤だろう。さっきとは全然違うがまたも心臓が暴れまわる。


 ――― 落ち着いて 落ち着くの


 もう一度自分に言い聞かせ、息を吐く。

 心臓はどきどきしているがこれはさっき見た夢の所為ではない。それどころか夢の恐怖など吹き飛んだ。ゆっくりと息をもう一度吐いて身を起こす。紗幕は閉じていないのでカーテンの隙間から入る光から夜が明けたばかりの時刻であることが窺えた。


 今日から自分はサフィラス王太子殿下の婚約者としてこの国に滞在する。

 つい、数か月前までは争いを続けていた敵国だ。全ての者達に自分が歓迎されるとは思わない。それを心配して従兄であり、義兄となったルベウスの王子(シエル)まで暫くはサフィラスに滞在してくれると言う。

 敵国の王子に輿入れする以上無体を敷かれる可能性だってあったが。きっと大丈夫、そう思えた。敵国の王子だけれど彼に対して嫌悪感は全く抱かなかったし、それ以上に彼ならば信頼できる気がして、たとえ政略の為であったとしても委ねられると思いすらした。


 きっと大丈夫。

 レクス殿下とならば両国の信頼関係を築いていけるはず。


 ロジエは気を取り直して寝台から抜け出し、身支度を整えた。

  


 シエルとロジエは隣国の王子と王女ということで、王宮の一角がそのまま宛がわれた。

 ロジエの部屋は置かれた調度類が豪華な事は勿論だが、白と金、そして薄桃色で統一された如何にも女性用という部屋だ。広さも十分すぎるほどで、居室、寝室、衣裳部屋、浴室、洗面所、閑所が全て独立してついている。

 中は二階建てになっている。二階はほぼロジエに与えられた部屋に占められているが、他に侍女の控え部屋が二部屋、一階は大きな客間が二部屋ありその一部屋をシエルが使う。更に食堂、応接室、来客の控えの間となる広い回廊、突き当りの扉を開ければ庭とも言えるバルコニーも付いていた。賓客用にしても随分と特別な感じがする。

 居室の大きな扉を開けて階段を降りるとまた扉を開け繋ぎの間があり、さらに扉をあけると漸く外の回廊に出る。

 ロジエが扉を内側から開けると扉を守る衛兵二人がいた。


「おはようございます」


 ロジエがにこりと笑って挨拶をすると、二人は恭しく頭を下げ挨拶をした。


「おはようございます」


 するりと扉を抜けて歩き出そうとすると慌てたように声が掛かった。


「お待ちください! どちらにいかれるのですか!?」

「え? あの…少し散歩でもと……」

「お一人ではなりません。すぐに侍女か騎士を呼びますのでお待ちください」

「ええ!? 一人で大丈夫ですよ」


 この棟の造りは昨日説明を受けて地図も見たので頭に入っている。遠くに行くわけでもないし少し外の空気を吸いがてら散策をと思っただけなのだが。


「いいえ。客人を独り歩きさせるわけには参りません。ただでさえ、当城は入り組んだ造りになっており慣れない者は迷ってしまうのが定石。どうか道案内としてお連れ下さい」


 ロジエはサフィラス王子との婚姻に当りルベウス王家の正式な養女となったが、これまでルベウスでは姫ではなく家臣としての態度を取っていた。勿論それはルベウス王の厚情あってこそだが、それ故に城では独り歩きが当然であった。

 しかしここでのロジエはルベウス王の娘であり“王女”なのだ。自分としては身分不相応の様な気もするが事実ではあるし、そうした教育も受けている。それに彼らとて仕事であり、ここでロジエを一人送り出せば叱責どころか処罰があるのかもしれない。


「……すみません。我儘を言いました。供をお願いします」


 わかってはいるが出来る事なら一人で歩いて頭の中の城の地図を確かめたい思いがあって少ししゅんとした様に俯くと衛兵は慌てて首を振る。なぜか顔も赤い。


「い、いいえ! 我儘などとんでもない!! いっそわたくしが御伴したいと!」

「何をしているのです」


 風格を滲ませる声に振り返るとそこには女官の衣装を纏った中年の女性が背筋を伸ばして立っていた。彼女は確か、昨夜夜会の準備を手伝ってくれた…ロジエが考えていると。


「おはようございます。女官長殿」


(そう女官長のハンナさんだ)


 衛兵二人はびしっと背筋を伸ばして礼をした。それだけで彼女の威厳が窺える。けれど、この女官長は厳しいだけの人ではなく温かな人だ。ロジエは昨夜のやり取りからそう感じていた。そうして微笑んで挨拶をする。


「おはようございます。ハンナ女官長」

「おはようございます。ロジエ様。何か不手際でもございましたか?」

「いいえ。私が城の散策をしたいと言ったので、供の方を呼んで下さると」

「そうですか。わかりました。わたくしが御供いたしましょう」


 ロジエが驚いて、忙しいのに結構ですと断ろうとしたが既に女官長は参りましょうと踵を返していた。ロジエは慌てて衛兵に礼を言うと女官長を追いかけた。


「どちらに参りましょうか?」

「この棟を確認がてら散策させて頂こうかと思っていましたが…それよりもすみません。お忙しいのにお付き合いいただいて」

「いいえ。ご心配には及びません。わたくしは本日よりロジエ様付となりましたので準備とご挨拶に伺ったのですが……随分と早起きでございますね」

「ええ、目が覚めてしまって……ではなくて! えっと、女官長自らが私に付くのですか!?」


 女官長とはその名の通り城に仕える女官の長である。女官の仕事は簡単に言うと王族の秘書兼世話係で、その内容は多岐に渡る。そもそも女官は通常、主人よりも低い階級ながらも彼女自身が貴族であり召使ではないのだ。


「はい。殿下より打診がございまして、特に信頼の置ける者をとのことでしたので、わたくし自ら参りました。不満がございましたら変更いたしますが」

「不満何てとんでもない!! 寧ろ恐縮です……」


 そもそもロジエとしては自分のことは自分で出来るので特に傍仕えの者を置こうとは思っていなかったのだ。勿論、他国にはその国の流儀があり、賓客として滞在する以上その流儀を学ぶ上でも侍女は必要というのはわかるが…女官長が付いてくれるとは。ちょっと特別扱い過ぎないだろうか。


「改めて選定が済めば若い者もお付けしますので」

「いえ、そういう事を心配しているのでは……」

「そのお支度はご自分で?」

「は、はい?」


 女官長はロジエを上から下まで確認する。今のロジエの格好は、生地も仕立ても良いものだが、些か“姫”としては簡素であり飾り気がないワンピースにボレロを羽織ったもの。早朝ということと自分の宛がわれている一角のある棟内の散策だけと思っていたので装飾品は一切なく化粧もしていない、髪も簡単に二つに結わいただけだ。


「散策から戻りましたら少し整えましょう」


 女官長の御眼鏡には適わなかったらしい。

 そういえば、昨日のドレスの着替えの際もロジエはショールを羽織ろうとしたのだが、夜会には不必要ですと剥ぎ取られたのだ。


「あの……あまり肌を露出したものや動きにくい物は遠慮したいのですが……」

「……考慮致します」


 今、答えるまでに間がありましたね。とはロジエは言わない。考慮してくれると言うのだから信じるしかない。郷に入りては郷に従えだ。そういえば、と一つ尋ねたいことを思い出した。


「お尋ねしますが、殿下とお会いするにはどうしたらいいでしょうか?」


 通常王族との謁見には手順というものがある。会いたいからと会えるものではないのだ。


「殿下に何か?」

「はい。図書室を使わせて頂けないかと思いまして。あ、でも許可が頂けるのであれば殿下でなくともいいのですが」

「……それだけですか?」

「え?」

「他にご要望はございますか」

「えーと、では宮廷での慣わしを教えて頂きたいです」


 ロジエは答え、微笑んだのだけれど、何故か女官長は不可解という様に片眉を微かに上げた。

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