33 王妃の条件
テーブルに並ぶのは、ケーキにスコーン、タルト、クッキー、チョコレート、紅茶はアッサムとローズヒップ。甘くて可愛いお菓子は女の子の大好物だ。つまり今日のお茶の時間は女の子だけの集まりだ。
「お兄ちゃんが毎日にこにこでれでれ、幸せ満開だよ」
「ええ。御馳走様と言いたくなりますわ」
「そうですか? 何かいいことでもあったのでしょうか?」
ロジエの恍けた答えにリアンはフルーツタルトを口に運んだまま止まり、潔い謝罪を受け、今ではすっかりお茶のみ友達となったレティシアはお茶をカップに注ぐ手が止まった。
「ロジエさんがお兄ちゃんと正式に婚約したからだよ!! ロジエさんがお兄ちゃんのものって確約したからだよ~!!」
なんでわからないかな~とリアンは叫んだ。そんなに叫ばれるほどレクスは機嫌が良いのだろうか。自分といる時は確かに触れることは格段に多くなったが、優しい表情や態度はそのままのように思う。
「ロジエさんはロジエさんに対するお兄ちゃんしか知らないからなぁ」
「ええ。レクス殿下は優しい方ですけれど、それを表すには些か強面かつ実直過ぎて勘違いされることもありましたから。ロジエ様と過ごすようになってから随分と笑顔が優しくなられましたわ。愛想が良くなったと評判ですのよ」
「そうなんですか……」
「その所為で余計に女の子が寄って来ちゃってるけどね」
リアンの言う通り、正式に婚約が発表されたというのに未だ城に居座る貴族令嬢はいる(レティシアは王都内の自分の屋敷に戻った)。訊けば、ロジエが城に滞在した頃からその数が更に増えたそうだ。今まで女性に興味を示すことが無かったレクスが、ロジエに関心を持ったことで漸く女性に目覚めたかと察し、娘達を送り込む者が増えたらしいのだ。更には根深い子供の問題だ。多くの者は授からないと決めつけて、すぐにでなくとも側室として目に留まるようにと目論んでいた。
「心配しなくても大丈夫ですわ、ロジエ様。レクス殿下はロジエ様しか目に入っていませんもの」
「ぅえ!? いえ、別に私は……」
否定しようとするロジエにレティシアは強がりは結構ですわと含むように笑った。
「あの状態のレクス殿下の側室になろうと思う方の気が知れませんわ。寂しすぎますもの」
「だよね~。側室なんて寵がなければ権力も持てないのに」
「ええ。ロジエ様がいる限り触れるどころか眼中にも入れてもらえませんわ。お子様もロジエ様以外誰にも授かれないことが容易に窺えます」
「でも、それは……」
もし、本当に子供を授かる事が出来なければ側室が必要な事はロジエにも分かっている。受け入れるべく心構えが必要な事も。
「唯の噂話を真実のように話すのがおかしいのです」
「そうそう!」
リアンもレティシアも本当に優しい。いつもロジエの側に立ち、言葉をくれる。
「それにしてもさ、お兄ちゃんが自然とロジエさんの腰抱いたり肩抱いたりとかしてるの見ると本当に不思議だよ」
「え?」
「お兄ちゃんが女の人といちゃいちゃするとこなんか想像出来なかったもん」
「そうですわねぇ。レクス殿下ったらご自分からは女性との縁を持とうとはしませんでしたものね。ですからわたくしも妃候補として名乗り出たのです。‟“妃”としてなら支えられると思いましたから」
「そうだね。お兄ちゃんは‟“王妃になれる人”を迎えようとしてたから、王子としてしか向き合おうとしなかったんだよね。『結婚で民の暮らしや国が守れるなら安いものだ』とか言っちゃっててさ。政略結婚、諾々と受け入れようとしてて。そのくせ私には『好きな奴と結婚すればいい』って。自分の事は国の駒にしようとするくせに、私は自由にしろって言うんだよ」
リアンはむくれた顔で今度はスコーンを口に運ぶ。これだけ食べていると言うのにリアンの身体は細い。運動量の方が多いのだろうか。
「そのレクス殿下があれですものね」
「ねー。これでもかってくらいロジエさん大切にしてて幸せ満開!」
リアンとレティシアは揶揄い、羨むように微笑み合う。ロジエは琥珀色の紅茶に落としていた視線を上げ口を開いた。
「でも、あの、レクス様はきっと誰とお付き合いされてもその方を大切にしてくれると思います」
おそらく自分以外の誰かが彼の婚約者におさまったとしてもきっと優しく大切にしてくれるだろう。レクスはそういう人だ。正直に言うとそういうところに少し寂しさを覚えてしまうのだけれど。
リアンは一瞬目を見開いたが、すぐにどこか大人っぽい悟ったような笑顔を浮かべた。
「そうだね。お兄ちゃんだから、優しくしただろうとは思うよ。でもロジエさんにする優しさとは全然違うと思う」
「全然違う?」
「きっとそこも王子としての儀礼的な優しさですわ」
リアンの言葉に訊きかえせば、レティシアも微笑んでリアンに同意した。
「何ていうんだろう。相手の希望をその通りに叶えるだけって言うのかな。相手が会いたいって言えば、じゃあこの日なら時間があるからって感じでそうしてくれると思う。でも本当に会うだけで終わりそう。必要以上に一緒にいることは無いと思う。少しでも時間が空いたからって会いに行くとか絶対ないよ。結婚が決まっても結婚式まで顔会わせなくても平気そう」
「そんな……」
「ホントだよ。お兄ちゃんてそれくらい女の人に無頓着だったんだよ」
俄には信じがたい。それほどにレクスはロジエの為に時間を作り一緒にいてくれようとする。
「ロジエさんにするみたいに自分から会いに行くとか触れようとか、色々してあげようとかあり得ないよ。ロジエさんだけが特別なんだよ。ロジエさんの為には勿論なんだけどさ、お兄ちゃんがそうしたいんだよね」
「そう、だと嬉しいですけど」
「絶対にそうなんだよ!!」
妹の私が言うんだから間違いなし、とリアンは自分の胸を叩く。
「ロジエさん、サフィラスの王妃の条件って知ってる?」
「条件? 容姿端麗とか頭脳明晰とか家柄ですか?それとも王と共に国や民を支えられる事ですか?」
言ってしまって考える。自分は? 当てはまるのだろうか? 容姿はお化粧でなんとかしてもらうとして、教養は美容以外なら大丈夫だと思う。家柄も養女ではあるが王女という身分だ。レクスと共にサフィラスを支えたいとは思っているが。
「ロジエ様が考えてることなんとなくわりますけれど、ロジエ様、今のなら全て当てはまっていますし、そもそも違うのですよ」
「え?」
「王妃の条件はね、王を癒せることだよ」
「王を癒す?」
「そうです。本来サフィラスの王妃は身分に関係なく王となる人が好きになった女性でいいのです」
国を背負うのは王の務め、王妃はその王を癒せればいいのだとリアンとレティシアは言う。
「やっぱり王様って色んな事を最終的に一人で決めてその責任も負わなきゃいけなかったりして、色々疲れるじゃない? だからそれを癒せる人でいいんだって。王妃は王の為にいればいいんだって」
随分と端的な条件だ。王妃としての公的な姿勢より王の為に在ればいいなんて。それは王妃というよりは寵姫の役目だ。
「でもね。やっぱりそれが叶うことは少ないんだよ。国益、国状、外交、思惑、いろんなものがあって、やっぱり“王妃に相応しい”女性の中から本人が選ぶか、貴族議会に選ばれるかがほとんどで、例えば身分のない人をどうしてもっていうと側室に迎える事になるって。だから結局それが寵姫って呼ばれて、王を癒す人になっちゃう」
「ですから本来の王妃の条件などなかったことになってしまっているのが現状です。年若くなると知らない方もいますわ」
「そうなの。だから余計に我を通すのは難しいって。上に立つものだからこそ、そして責任感の強い人なら尚更。強引に結婚しても妃となった人も辛いだろうしね」
やはり王妃となり、王と並び立つ事がある以上、必然的にロジエが言ったことのようなものが求められてしまうのだ。なんの素養もない女性では非難も多いうえ、後ろ楯もないのでは肩身が狭く居たたまれなくなるだろう。そしてその事で心を傷めれば、それを癒すのは王しかいない。これでは本末転倒だ。
「愛した人が王妃に相応しければ一番いいし、王妃に選んだ人を後からでも愛せればそれでいいんだけどね。感情の問題だからそれも難しいよね。だからお兄ちゃんの望んだロジエさんが全部を兼ね備えてて良かった」
「全部?」
「王妃にもお兄ちゃんを癒す人にもなれる」
リアンは静かに微笑む。
「本当に良かったって思うんだ。お兄ちゃん、ああいう人だからロジエさんと出逢えなかったら王としてだけの人生で終わってたと思う。でも、ロジエさんに会って“レクス”として幸せになれるんだよ」
兄は幸せの意味すら知らず、それを放棄して王になろうとしていた。リアンはそう思っていた。それがロジエに出逢い変わった。ロジエという兄にとっての幸せそのものを手離す事はもう出来ないだろう。ロジエは王妃となれる身分の人だけれど、きっと何か反発があっても、ロジエを正妃とする、それだけは我を通してでも譲らないだろう。そう思える出逢いがあったのだ。
「だからお兄ちゃんの好きになった人がロジエさんで良かった。ロジエさんが全部を持っててくれて良かった。二人が出逢えて良かった。ロジエさんがお兄ちゃんの事を好きになってくれて良かった。全部良かったな~って思うの」
にっこりといつものような笑顔でリアンは締め括った。
「リアンさん……私はリアンさんも大好きです」
ロジエはリアンをぎゅうっと抱きしめた。リアンは心がとても強くて綺麗だ。本気で兄が国の駒になろうとすることに憤り、そして兄に自分自身が幸せになれる出逢いがあった事を喜んでいるのだ。
「本当? すっごく嬉しい。私もロジエさん大好き。 えへへ…」
リアンもロジエをぎゅっと抱き返す。
「まあ。わたくしは除け者ですの? わたくしだってレクス殿下の幸せを願えますし、リアン様もロジエ様も好きですわ」
「もちろんレティシア(さん)も大好きだよ(です)!!!」
ロジエとリアンの声が重なって。三人はくすくすと朗らかに笑い合うのだった。
*****
いつものように午後の休憩時間、ロジエはレクスと腕と指を絡めて中庭を歩く。
「リアンとレティシアの茶会は楽しかったか?」
「ふふ。レクス様が優しいというお話をしていました」
ロジエはとんとレクスの左腕に頭を預けた。ロジエが積極的に甘えてくることはほとんどなく、控えめながらもそうしてきたことにレクスはほんの少し動揺し、熱りそうな顔をあいている右手で覆う。
「優しいか? 怒っていると思われることが多いぞ」
「そんなことないですよ。レクス様はいつもサフィラスの国や民の為に一生懸命で…皆そんなレクス様をわかっていますよ」
だからこそレクスは民衆に人気があり、そして文官武官も付いてきてくれる。それに。
「レクス様のことを本当に怖いと思っていたら、御令嬢達があんなに熱を上げるわけがありませんから」
「それは王子だからだろう」
レクス自身ではなく“王子”としての身分に恋しているのだとレクスは真剣に言う。
「もう! レクス様はそういうところが女性に無関心と言われるんですよ。レクス様は内面も素敵で、それにとても優しいことは皆さん分かっているんですよ。今だってこうして私の為に時間を割いてくれているじゃないですか」
むうっと頬を膨らませるロジエに、彼は少し困ったような、けれど優しい微笑みを浮かべて視線を落としていて。
「勘違いするなよ。お前にだけだ。誰にでも同じように優しいんじゃない」
「ロジエだけが俺の特別だ」
真っ直ぐに澄んだ蒼眸に射抜かれて、本人から直接「特別」だと言われ、ロジエは首筋まで真っ赤に染めた。一度視線を逸らし彷徨わせて、再び決意してレクスを見上げる。
「レクス様、私に貴方を癒すことが出来るでしょうか?」
「もう出来ているぞ? お前と一緒にいるだけでとても穏やかで温かな気持ちになれるんだ。ずっと傍にいてくれ。お前でなければ駄目なんだ」
自分を見つめる優しい優しい蒼い瞳。
彼は何時も人の事ばかり。国の事、民の事、ロジエの事。
こんなに優しい人を寂しい王にはしたくない。
子供の事はなるようにしかならない。今悩んでも仕方がない。
だから
彼が自分を望んでくれるのならば
自分がこの人を癒すことが出来るのならば
「必要としてくださる限りずっと傍にいます」
そう言葉にしてロジエは誓った。




