31.5 余談 恋を失い恋をする
レクスの側近と侯爵令嬢レティシアの話です。
図書室に借りていた本を返しにいった際に、レティシアはその光景を目の当たりにした。
割合奥まった処にある机に地図か資料のようなものを広げ、二人はそれを見ていた。
二人というのは先日正式に婚約の儀を交わした自国の王子レクスと隣国の王女ロジエだ。
レクスはロジエの斜め後ろにピタリと寄り添っていた。
ロジエが何か言うと、レクスが紙面を指して説明を加える、という感じがする。
ふと、ロジエが顔を上げた。するとレクスはやや身を屈めロジエの口元に耳を寄せた。
その際にレクスはロジエを机と自らの身体の間に閉じ込めるように、両手を机に付いた。
ロジエの方も嫌がる素振りどころか、自分の置かれた状況に頓着すらしない。
どうやらこの距離感が二人には自然なことになってしまっているらしい。
ロジエが何やらレクスに囁いてくすりと笑うと、今度はレクスがロジエの耳元で何か囁く。
ロジエがそれを受けて何か考え始めると、レクスはその様子を愛おしげに見つめていた。
(レクス殿下、あんな表情をされるのですね……)
レティシアはレクスの想い人はオリアーヌだと思い信じていた。
けれどこの光景を目の当たりにしてしまえば、レクスの態度の違いは一目瞭然だった。
確かにレクスはオリアーヌといる時に、他の令嬢には見せない穏やかさを見せることがあった。
だが、こんなにも触れる寸前という距離も慈しむような表情も見せたことが無い。
(……こういうのを入り込めない雰囲気っていうのでしょうね)
今ならわかる。オリアーヌに対する態度は身内の近しさだったのだ。
(無愛想さの欠片もありませんわね……)
あ、と思った瞬間。
考え込むロジエのこめかみにレクスが口付けた。
ロジエは一瞬レクスを見て目を瞠り、一気に顔を赤くした。
おそらくは「なんでこんなところで」と怒っているのだろう、レクスの胸を叩いた。
レクスはそれを笑って受け止める。
それは初めて見る王子ではない砕けた態度。
(馬鹿らしいですわね。わたくしは何を見ていたのでしょう)
レクスの愛はロジエのものだ。
他の誰でも彼女の代わりにはなれないと思い知らされる。
「「はあ」」
自分の溜息と同時にごく近くからも溜息が聞こえた。横を見れば通路を挟んだ書架の影にレクスの側近のウィルが立っていた。
「……何をなさっているんですの?」
レティシアはこっそりとウィルに訊ねる。
「迎えに来たのですが出辛くて」
ウィルも小さな声で答える。レティシアは足音を立てないようにウィルの方へと移動した。
「ウィル様はロジエ様をお慕いしていますの?」
「単刀直入ですね。違います」
「嘘ですわ。わたくしと同じタイミングで溜息を吐きましたもの」
あの溜息は自分と同じ、自分では駄目なのだと悟った音だ。
「……内密にお願いしますね。もとより私には叶うわけもない想いですから」
「いいですわ。同士ですもの」
そう、恋を失った同士だ。
「どうしたら早く忘れられるのでしょうね?」
「別に忘れなくていいのでは?」
思いもよらない答にレティシアは怪訝な顔をする。
「もっと好きだと思える相手に出会えるのを待つしかないと私は思っています」
「もっと好きな相手?」
「はい。私の真の相手は他にいるのでしょうから、その方に会えるのを待つしかないかと。私はレクス殿下を主人として敬愛し、友人としてとても嫌いにはなれません。好意を寄せる姫にも幸せになって貰いたいので、この状況に甘んじます。ですから次の出会いを待つしかありません」
「意外とロマンチストですのね。でも、そうですわね。実はわたくしもロジエ様のことは好きなのです」
「それは……」
「意外というお顔ですわね。でも本当ですのよ」
レティシアは別にロジエを苛めたかった訳ではない。
もしレクスに好きな相手がいることを知らないまま、政略で嫁ぎ、後で辛い思いをして欲しくなかったのだ。
だから覚悟をして欲しいと思い、ああ言ったのだ。
全ては思い違いであったけれど。
「謝罪はしますわ」
「潔いですね」
「当然です。間違いは正し謝らなければ、女が廃ります」
「なるほど、私もレティシア様を見倣って、これから出会うべき女性の為にも少しでもいい男になれるよう努めましょう」
「そうですわね。わたくしも少しでも素敵な女性になれるように努力しますわ」
「お互い頑張りましょう」
「ええ!」
失った恋は戻らないけれど、その痛手を癒しつつ、どこかでまた新たな恋も始まっていく。




