30 夢の小波
その日の午後、少し纏まった休憩時間を得られることになったレクスは中庭の四阿へと急いでいた。当然そこで愛しい婚約者ロジエと待ち合わせをしているからであり、自然足取りも軽くなる。
薔薇の花に囲まれた四阿に近付くと銀の髪が見え、「ロジエ」と呼ぼうとしてとどまった。
そっと近付けば、ロジエは瞳を閉じて無防備な身体を柱に預けるようにして心地好さ気に眠っていた。王族しか入れない庭であるが無防備過ぎだと窘めなければと思っても、こうまであどけない姿をさらされると和みすら感じてしまう。
雨季に入る前の爽やかな時候ではあるが、風邪をひいたら困るのでとりあえず自分の外套をそっとかけてやる。それでも起きる様子はないのでレクスはそのままロジエの頭のある方に座った。八角形の四阿は入り口を除いてぐるりとベンチが添えつけられている。彼女は一本の柱に頭を預けるように眠っていて体勢を崩せばそのまま倒れてしまうと思ったからだ。
さわさわと心地の良い風が緑の葉を擽ると木漏れ日が揺れた。いっそこのまま自分も昼寝でもしてしまおうかと思った時、ぴくりと小さくロジエの肩が揺れた。
「……ぅ……」
「ロジエ?」
起きるのかと思えば、苦しげに眉根を寄せている。
「……い、や……いやぁ……!」
「おい、ロジエ!? ロジエっ!!」
溢れる声は苦痛と拒絶。幸福な夢であればこうなるはずもなく、レクスはロジエの薄い肩を揺らした。
「いやああ!!」
悲鳴に近い拒絶の声と共にレクスの手を払い除け、ロジエは瞳を開いた。はあ、と息を漏らし、朧気な視線を彷徨わせる。やがてその瞳がレクスを捉えると、数度ぱちぱちと瞬きし大きく見開いた。
「レ、クス殿下……?」
「ああ、大丈夫か?」
「……私……」
「悪い夢でも見ていたんだろう?」
「夢」
「ああ、どんな夢を見ていたか聞いてもいいか?」
「……思い出したくありません」
ふと見るとロジエは左胸の辺りの服をぎゅと握っていた。
「胸が痛むのか!?」
レクスがロジエの手を掬おうとすると突然「いや!!」と鋭い声を上げてレクスの手を再び払いのけた。
「ロジエ?」
「あ、……あ、すみませ……あ、私、さっきも…?」
レクスも戸惑ったが、それ以上にロジエは狼狽している。蒼白な顔で謝罪の言葉を口にする。
「気にしなくていい。……俺が嫌か?」
「ちが……ちがいます……」
「……触れてもいいか?」
ロジエがこくりと頷いたので、レクスは労わるようにそっとロジエの身体を包み込んだ。背に掛かる髪を優しく撫でていると、暫くしてロジエの身体から力が抜けた。おずおずとレクスの背に細い腕が廻される。
「……ごめんなさい」
「いや、嫌われていないのならいい」
「嫌うなんて……大好きです……」
「そうか。それなら良かった」
一旦身体を離して、ロジエ、と名を呼んで自分を見るように促して、未だ少し震える唇を塞ぐ。重ねるだけで音を立てて離すと、もう一度視線を絡ませ今度はきつく抱きしめる。
「ロジエ 愛している」
耳元で呟けばふるりとロジエの身体が揺れた。そして小さく消え入りそうな声で「私もです」と返してくれる。
「……夢の内容は今は訊かないことにする。これから訊くことに答えられたら答えてくれ」
抱きしめたまま、再び背を撫でるようにするとロジエは「はい」と返事をした。
「度々見るのか?」
初めて見た夢にしては怯え方が尋常ではない。
「……小さな頃はよく見ていました。……最近はあまりなかったのですが、サフィラスに来て、環境が変わった所為か……」
「そうか。夜、ちゃんと眠れているのか?」
「……大丈夫…なようには眠っています……」
「疑わしいな」
「ひどいです」
「現にいま昼寝していたじゃないか」
「暖かくて、風も気持ちのいい午後ですし……殿下が来るのが遅いから眠ってしまったんですよ」
「それは悪かった…が、待ち焦がれていたとは嬉しいな」
「そ、そんなふうには言ってませんよ!」
返答が大分いつものロジエに戻って来たので、レクスもほっとすると小さく笑った。それに気付いたのか、ロジエはレクスから身体を離すとむうっと頬を膨らませて見せる。その姿があまりに可愛いので、ちゅっと音を立てて口付けた。ロジエは真っ赤になって「不意打ちは卑怯です」とレクスの胸を一つ叩いた。レクスは笑ってそれを受け止めると更に質問する。
「子供の頃から、というとシエルは知っているんだよな」
「……はい。一緒によく寝てもらいました」
「――――――」
レクスが無言で固まった。
「殿下?」
「一緒に寝た? よく?」
「え? ええ。 子供の頃の話ですよ?」
「ああ、まあ、そうだろうが……」
レクスは思案するように庭園に目を遣った。そしてロジエの手を取ると立ち上がり枝を大きく広げた樹の元へと連れて行った。ロジエが不思議そうに見ていると樹の根元にロジエに掛けていた外套を広げ、ごろりと横になる。
「来い。ロジエ」
きょとんとロジエは横たわるレクスを見た。当のレクスは身体を横にして右手で自分の頭を支え、左手で自分の身体のすぐ横のスペースをぽんぽんと叩く。
「……え?……」
「昼寝を一緒にしよう。四半刻位横になれる。万が一寝入ってしまってもクライヴあたりが呼びに来るだろう」
「え?…だって、その、一緒に寝るんですか?」
「ああ。昼寝位問題ないだろう? それとも外で寝転がるなんて無理か?」
「いえ。それは平気ですけど」
幼少期のロジエはそれほどいい暮らしをしてきたわけではないし、ルベウス王家に引き取られてからも木陰で昼寝位したこともある。シエルの視察に付いていくことも、賊の討伐にも随行したこともあるのだ。地面に寝転ぶくらいなんてことはない。
「夜あまり眠れないのなら、今一緒に寝ればいい。魘されれば起こしてやれるし、俺も昔はよくこの辺りで昼寝をしていたしな」
「殿下がお昼寝ですか?」
ふらふらとロジエはレクスの元へと近付きとりあえず膝をついた。
「ああ、執務に忙殺される前の空き時間や、座学をサボッて昼寝してた」
と言うと共に手を伸ばしロジエの身体を引き倒しすと、腕の中に捕える。
「れれれれれくすでんか!?」
右腕をロジエの頭の下から廻してその薄い肩を抱き込み、左腕は細腰に廻す。身体を密着させると慌てるロジエを無視してその額に口づける。
「眠れなくても眼を閉じるだけでも身体は休まるぞ」
身体が休まっても心が休まらない。ロジエはそう抗議しようとしたが、レクスはロジエの事を心配しているのだろう。彼は端々で過保護なところがあるのだ。
それに、こうしてレクスの大きく逞しい身体に包まれ、その温かな体温を感じると何とも言えず安心してしまう。胸の近くに顔を寄せられているからレクスの規則正しい心音まで聞こえる。
実のところロジエはここ数日あまり良く眠れていなかった。あまりに度々夢を見るようになっていた為に、少し眠るのが怖かったのだ。
だが、こうして木漏れ日の中寄り添って、背を撫でられると自然と瞼が落ちてきてしまう。先程悪夢を見たにも関わらずロジエが眠りに落ちるまでには時間が掛からなかった。
自分の腕の中に柔らかく華奢な身体を安心しきったように預けて眠るロジエを見る。四阿で見た時の苦痛に歪むような苦しげな表情は微塵も感じられない。眠れと促されてあっさり寝てしまうあたり、やはり夜に眠れていないのだろう。
睡眠不足を心配したのは勿論だが、シエルにして自分にはしてくれないことに焦れたのが大半だった。一緒に寝たのは幼い頃だというが、それだけではなくロジエはシエルに甘えるように自分には甘えてこない気がする。一緒にいた年月の差もあるのだろうが、仕方がないと諦めてしまえるほど自分は大人ではないらしい。殊、ロジエに関しては自分が一番であってほしいと望んでしまう。
(自分のことながら厄介だな)
レクスは溜息を吐いて滑らかな絹糸のような銀の髪を一房掬い上げ口付けた。そうして腕の中の温かみを抱えなおすと自分も瞳を閉じる。
結局お互いの体温の心地の良さに寝入ってしまった二人は、腕どころか脚まで絡められたロジエを義兄と側近に見咎められることになり、特にレクスは二人から長時間の説教を頂戴することになるのだった。
30話まできました。
読んでくださっている方 ありがとうございます。
先週あたりから大分甘み成分が多くなっていますが大丈夫でしょうか。
引き続き 読んでいただければ嬉しいです。
よろしくお願いします。




