29 披露
その晩。美しい一対の男女に会場は息を呑むことになる。自国の王子の整えられた端正な姿は言うに及ばず、殊に王子に伴なわれた女性の美しさは秀麗で居合わせたものは男も女も皆目を奪われた。
右手を王子にエスコートされた女性はサフィラスを象徴するような濃い青に全身を包まれて、左手の環指には深い蒼色の大きな金剛石の指環が填められている。
それだけでも王子の婚約者だと主張するに十分であるにもかかわらず、彼女の月光を掬い上げた様に煌めく艶やかな髪には王(現在は王子であるが)の愛の象徴である青薔薇が飾られている。
普段無愛想と言われる王子の彼女を見つめる蕩けるような顔からも、彼女が王子の愛を一身に受けていることが一目瞭然であった。
王子自ら正式に婚約者となったルベウスの王女ロジエを紹介すると、いつもの夜会のように二人はホールの中央で踊り出す。いつもながら二人のダンスは優雅そのもので、けれどいつも以上に親密さを漂わせる絡む視線や表情に眺める者は頬を染める様相を呈した。
ダンスを終えて歓談が始まると、二人は挨拶にくる人々に囲まれた。その間もレクスはロジエの肩や腰を抱き続けて離すことが無かった。
挨拶がひと段落すると、次はダンスの申し込みである。王子の婚約者となったロジエにも当然申し込みたい男性陣はいたが、常に彼女の傍らでぴたりと寄り添い、近付く男に鋭く冷たい視線を浴びせ続ける王子を前にして尚ダンスの申し込みをしようという勇者はついぞいなかった。
しかし、女性というのはとても強かである。レクスには令嬢達が「婚約記念にどうか私と」と群れを為した。
ここでひとつ、ロジエはレクスに仕事として頼まれていたことがある。レクスに言い寄る女性を出来るだけ往なして欲しいというものだ。
レクスとしてはロジエの執着心を演技でも見たいと思っただけで、無理そうなら自分で適当に断るつもりではいた(そもそも婚約記念になぜ他の女性と踊らねばならないのか)のだが。
「ロジエ様、レクス殿下と踊っても宜しいでしょうか」
一人の令嬢がレクスではなくロジエに声を掛けた。ロジエが驚いたようにレクスを見上げたので、レクスは少し微笑んでやってみろというように頷いた。するとロジエは右手に組んでいたレクスの左腕に更に左手まで添えぎゅっと身体を押し付けた。そうなると当然ロジエの柔らかな胸の感触が左腕に伝わって、レクスは内心とても慌てたが無表情な顔をして耐えた。が、ロジエは更にレクスを揺さぶる言動をした。レクスの腕を絡め取り、彼の後ろに隠れるようにして頬を僅かに朱に染めると。
「申し訳ありません。……あの、…殿下と離れたく、ありません……」
――― 俺を殺す気か!!
レクスは心でそう叫んで緩みそうな口元を右手で覆うと顔を逸らした。
令嬢達はしん、と静まり返った。ロジエは失敗したのだろうかと俯いて更にレクスの影に隠れようとする。レクスはロジエの腕をそっと外させると自らの腕をロジエの腰の括れへ廻してぐいっと引き寄せた。
「すまない。俺も少し休みたい。ダンスは他の者と踊って欲しい」
にっこりと。それはもうきらきらとした眩い微笑みをレクスは令嬢達に向けた。令嬢達がその笑みに呆けている隙にロジエに「行こう」と促すと例の如くバルコニーから人気のない表庭へと姿を消すのだった。
表庭は軸線を設定しての左右対称に噴水や樹木、花壇が幾何学模様に配されている。
転ぶといけないからと手を取って、表庭を突っ切り、二つの噴水を通り過ぎ、ヘッジの中に薔薇が植わっている一角に来るとロジエをベンチに腰かけさせる。ロジエは紅潮した頬を両手で覆った。
「……すみません。どうしたらいいのか分からなくて……」
「謝る必要なんてない。可愛すぎてこちらがどうしたらいいのか困ったが。次からもああ言ってくれれば嬉しい限りだ」
レクスは嬉しそうに笑っているのだが、言うことがあまりにもな内容でロジエはますます赤くなる。
「俺と離れたくないというのが建前でも嬉しかった」
レクスはロジエの隣に腰かけると朱に染まる頬に手を伸ばし、先程令嬢たちに見せた以上の煌めく笑顔をロジエに見せる。
「……そんな顔でそんなこと言わないで下さい……。これ以上はもう熱が出てしまいそうです……」
確かにロジエの顔は赤くなりっぱなしだ。春の夜の涼しい空気でも冷ましてくれそうにない。
しかし、そんな顔というのはどんな顔だろうか。自分はいつもと変わりないと思っているが、とレクスは不思議に思う。
「変な顔をしていたか」
「もう! 素敵だと言っているのです……。レクス殿下が格好良すぎて居た堪れないです。それに……建前なんかではありません。殿下が他の御令嬢と踊るのは、あの、あまり見たくはないです……」
「勿論必要なのはわかっていますから踊ってもいいですよ」と加えるロジエの声はレクスには既に届いていない。
ロジエは頬に添えられたレクスの手に自分の手を重ね、恥ずかしそうに顔を逸らし瞳を伏せていて……。長い睫に縁どられた銀の瞳は露に潤んでいる。
お前こそなんて顔でなんてことを言うんだ! 俺の理性を試しているのか!
そんなことを思い、そう叫ばなかったのはひとえに王族として培った自制心の賜物だろう。
「ロジエ……」
甘く名前を呼んでそっとロジエの頤を掴み上向かせる。戸惑いに揺れている淡い色の瞳は、レクスが視線で促せば大人しく長い睫毛を伏せる。可憐な唇に触れるだけの口付けをして、理性を総動員して解放する。
貪ってしまえば整えられた髪が崩れてしまう。まだ会場に戻らなければならないのにそれは拙いだろう。
だが、ロジエが花のように微笑むものだから。
ごくり、と一度だけ喉を鳴らしてそのまま噛み付くように可憐な唇を塞いだ。何度も何度も角度を変えて口付ける。漏れ聞こえる悩ましげな声に煽られてとうとう半ば強引に舌を滑り込ませるとロジエは少しだけ身を強張らせた。しかし宥めるように、労るようにすべらかな背を幾度か撫ぜてやればすぐにその強張りも解ける。拙いながらも応えようとしてくれるのにまたそそられて離せなくなる。思う存分に堪能して漸く解放する。濡れた唇を僅かに開けて呼吸を整えようとするロジエはとてつもなく可愛らしい。レクスは眼を細めて彼女を見た。
「……少しは慣れたか?」
ロジエはレクスを潤んだ瞳で見上げて。
「…まだ慣れません。……だから、これからも沢山して下さい……」
「っ! ああ、全く。お前は!」
自制心など木端微塵だ。レクスは強引にロジエの肩を抱き寄せ、再度きつく唇を合わせた。
結局会場に戻る際に髪を整える為に女官を呼ぶことになり、女官長から「自制心を持つように」と重い言葉が掛けられた。レクスは反論など出来なくて黙ってそれを胸に刻みこむのだった。




