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神の子  作者: 柘榴石
33/80

26 ロジエ

 居た堪れません。

 今日は朝からしとしとと雨が降り続いています。

 いつもは中庭の四阿で午後の休憩を取ることが多いのですが、今日は流石に中庭に面した室内で殿下とお茶をご一緒しています。

 もう一度言います。

 居た堪れません。

 紅茶を一口飲んでちらりと前に視線を向けて……目にしてしまったものに慌てて視線をカップの中の琥珀に戻しました。


 テーブルを挟んで私の目の前にいらっしゃるのは改めて互いに望んで婚約者となったサフィラス第二王子のレクス殿下です。

 私は殿下の告白を受けて以来、ずっと居た堪れない思いでいます。

 なぜなら

 レクス殿下が二人きりの時にじっと私を見つめるからです。

 私の指の動きや唇の動きすら、瞬きもしないでじっと見詰められているようで。

 更に言うならば

 そのレクス殿下自身に居た堪れません。

 すっと背筋の伸びた綺麗な姿勢に鷹揚なようでいて気品を滲ませる所作。

 彼の蒼い髪と蒼い瞳もなんだか特別な蒼色で、その精悍な面差しでじっと見詰められたら

 顔が上げられないじゃないですか!


「ロジエ。どうした?」

「……あまりじっと見ないで下さい。落ち着きません」

「無理だ。見たい」


 肘掛けについた手に顔を乗せてきっぱりとにっこりと殿下は仰います。


「ロジエの瞬き一つ見逃したくない」


 顔から火を噴くとはこのことです。鏡なんて見なくても私は真っ赤でしょう。

 殿下は唯でさえ端整な顔をしているというのに、更にその顔で優しく甘く微笑むのだから正面から向き合えと言うのが無理というものです。

 私は彼と想いを交わして以来、赤面しっぱなしです。いつからこんなに緊張しやすくなったのでしょう。

 というよりも、レクス殿下は聞いていた為人とは随分違うと最近思います。

『人当たりは決して悪くないが、どちらかと言うと寡黙な性質に近く、黙っていると無愛想に見える。

 女性とは王子として一線ひいてしか向き合ったことが無く、女心に鈍感で絶食系と揶揄されるほど健全だ』


 前者はなんとなくあっているような気もしますが。でも後者は?

 女性慣れしてないようにとても思えないのですが。


「は、恥ずかし過ぎて顔が上げられません」

「……随分恥ずかしがるな? 前はもっと飄々としていただろう」

「そ、それは殿下が随分と変わられたからです……」


 そう、レクス殿下は随分と態度が変わりました。

 これまでは何処か友人のような兄のような接し方であったのが、気持ちを交し合ってからというもの、距離は近く、見つめる眼差しすら変わってしまいました。

 男の人というのはこんなに急に変えられるものなのでしょうか。こちらが徐々に思っていることを一足飛びでやってのけます。

 気持ちを交わした翌朝、「おはよう」という挨拶と共に頬に口付けられたのには飛び上がりそうになりました。

 一緒にいた妹王女のリアンさんでさえ「お兄ちゃんってこんなことができたの」と呆然と言っていました。

 これが女性と距離をおいてしか付き合っていない人のすることでしょうか。私は恋人同士の触れ合いというもの自体がよく分からないというのに。


「仕方がないな」


 私が言葉に詰まっていると殿下は立ち上がり私の隣に腰を降ろしました。


「これならいいか?」

「ちか、近いです!!」

「そんなことはないだろう。婚約者、恋人なら当然の距離だ。この間はロジエから抱き着いてきてくれたじゃないか」

「そ、そそそそんなことありましたか!?」


 覚えていますが、そんなことが出来てしまった自分が今更ながらに不思議です。あの時はまだどこかレクス殿下も私に触れる手がぎこちなかったのに、それは何処に消えてしまったのでしょう。私ばかりが置いてきぼりです。


「忘れたなんて言う奴にはお仕置きが必要だな?」

「はい!?っっきゃあ!!」


 不意に肩をぐいっと引かれて身体がレクス殿下の逞しい身体に密着してしまいました。


「これなら俺からロジエの顔は見えないし、ロジエも俺が見えないだろう」

「そ、それはそうですが!!」

「嫌か?」

「いや、では…ありませんが……」


 嫌なんかではない。だってこんなに安心するんです。

 本当に不思議だと思います。見つめられると居た堪れないというのに、こういうふうに抱き留められるとどきどきするのと同じくらい、どうしようもなく安堵します。彼には何か癒しの力でもあるのでしょうか。

 レクス殿下の手が髪を撫ぜました。こうして彼は度々、さらりさらりと長い指先で髪を梳いては指に絡めたりとします。


「ロジエの髪は本当に指通りが良くて触り心地がいいな」

「そう、ですか?」

「ああ、それにロジエは甘い香りがする」

「!!!??」

「香水か何か使っているのか」

「い、いえ!! 私はそういうものは……」

「そうか。ではこれはロジエ自身の香りなんだな。すごくいい香りだ。癒される」


 前言撤回です。安堵も吹っ飛びました。首筋に顔を近づけられてそんなことを言われて落ち着るわけがありません。


「殿下。はな、離して下さい……」


 身じろぎをしたら拘束がますますきつくなってしまいました。


「でんか……」

「ロジエ。嫌なら離す。嫌か?」

「嫌ではないんですけど……」

「そんなに緊張するな。お前が嫌だと言えばすぐに改める。もっと心を許して俺に甘えてくれ」

「あ、甘える?」

「好きな相手には甘えて欲しい。些細な事でも俺を頼って欲しい。力を抜いて俺に委ねてしまえばいい」


 只管優しく髪を背を撫でられて、聞こえる規則正しい心音を聞いているとほっとして自然と肩の力が抜けました。

 やっぱりこの温かい腕の中はどうしようもないくらい居心地がよく安堵します。


「漸く力が抜けたと思ったら時間切れか」


 何のことかと私がレクス殿下を見上げると殿下は少し残念そうに笑っていました。


「執務に戻る時間らしい。クライヴが呼びに来た」


 そこで殿下の言うように部屋の扉が叩かれました。彼は人の気配に敏感なので微かな足音でも拾ったのでしょう。

 私は慌てて身体を離しました。殿下が入室を許可すると入って来たのは言った通り側近のクライヴさんと私の義兄のシエルでした。


「僕がロジエを部屋に連れて行くよ」との兄の声に私はすぐ立ち上がり、彼の元へと歩み寄りました。正直本当に居た堪れなかったのです。これ以上殿下の傍に居たら心臓が壊れてしまいそうでした。


「ロジエ。また明日」


 私はその声に振り返ります。殿下は何故か少し複雑そうな顔で私を見ていました。

 また明日。そう、私と殿下がお会いするのは通常一日の中で午後の休憩時間が最後となります。殿下は執務がお忙しい方ですし、夕餉は時間が合えば父国王陛下と妹姫と奥向きで取られるからです。以前、一緒にと誘われたこともありますが、ご家族の時間を邪魔したくはないのでお断りしました。

 改めて、明日まで会えないと考えます。


 ――― 寂しいです。


 私は殿下の元にもう一度戻りました。背伸びをして内緒話のように口に手を当てると背の高い殿下は身を少し屈めてくれました。


「……殿下も甘えて下さいね……」


 なんとなく、殿下が自分に甘えてくれたら寂しさが紛れるような気がしたのです。もしかしたら殿下もそう思ってくれているのでしょうか。だったらいいのですけれど。

 ふと、殿下を見れば俯いて口元を手で覆っています。でも殿下の蒼髪の下に見える耳が赤くなっているのに気付きました。


 私だけじゃない。


 確かに殿下の方が余裕があるけれど、殿下も気恥ずかしいと思っているんだと悟りました。

 それが何だかうれしくて。

 私は「また明日、楽しみにしています」と部屋を辞しました。

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