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神の子  作者: 柘榴石
32/80

25 青薔薇 2

 柳眉を下げ、ロジエが問う。


「好きな方がいらっしゃるのですね」

「ああ」


 レクスがじっとロジエを見つめると彼女はふいっと視線を外した。レクスは両膝に両肘をついて指を組み、額を乗せて深く深く溜息を吐く。


「これだけ言ってわからないのか?」

「何を、ですか?」


 疑問を口にするロジエに、もう一度レクスは心底呆れたように溜息を吐く。

 改めて顔を上げたレクスの強く澄んだ蒼い双眸にロジエは射貫かれた。


「俺が好きなのはお前だ。 ロジエが好きだ」


 本当に予想だにしていなかったのだろう。ロジエはそれまで手にしていた薔薇を膝の上に落とした。


「……え?……」

「ずっと…初めて逢った時から好きだった。好きだから大切にしてきたのに……どうして伝わっていないんだ……」


 レクスは真っ直ぐにロジエを見て、少し怒ったような顔をしている。対してロジエは呆けた様などこか不安げな様子だ。


「……すき……すきって…殿下が…私を……?」

「そうだ。お前の事しか見ていなないのに、どうしてわからない?」

「……だって…だって、今まで一度も好きだと言われたことがありません……」

「………は?……」


 言われたことがない?


「……言われなくとも、あれだけ態度で示せばわかるだろう!」


 レクスが非難めいて少し声を荒げると、ロジエもムッとなって言い返してきた。


「分かりません! 殿下が好きな相手にどういった態度を取るかなんて知りませんし! だ、だいたい、心で思っていても気持ちは言葉にしないと伝わらないです!!」

「それはそうかもしれんが!………だが、大事だとか大切だとかは言っていただろう!」

「ですからそれは婚約者という立場の者を大切にしているのかと!……」

「違う! 俺は婚約者だからといって好きでもない相手にそんなことは言えないし、お前に接するように出来るほど器用じゃない。ロジエのことが好きだから大切に出来るし優しく出来るんだ!」


 双方が顔を赤くして睨み合い、やがてロジエの方が視線を外した。


「……本当に……? 信じてもいいですか?」


 俯いて上目使いにこちらを見て躊躇いがちに問いかけるロジエが堪らなく可愛らしい。こんな時でさえそう思ってしまうレクスは自分をもうどうしようもないなと思った。


「ああ。もう一度はっきり言った方がいいか?」


 レクスがまだ疑うかと憮然とするとロジエは更に顔を赤くして勢いよく立ち上がり、レクスと距離を取るようにまた後退りする。

 膝の上にあった青薔薇がぽとりと床に落ちた。


「い! いいえ! もういいです! なんとなくわかりましたから!」

「あれだけ言ってまだ“なんとなく”なのか。また変な方に考えられると面倒だ。きちんと言おう」


 レクスも立ち上がるとロジエとの距離を詰める。


「いえ。あの、待って…まって下さい」

「いいや。言う」


 じりじりとロジエは壁際に下がり、ついにはそこに追い込まれた。


「あの、本当に……待って。…もう、分かりましたから」

「駄目だ」

「お願い……心臓が壊れます……」

「俺だって苦しい」

「殿下……お願い……」

「聞けん!!」


 バンっと音を立てレクスはロジエの肩の上の壁に手を付き、彼女を閉じ込めた。


「俺はロジエ、お前を誰よりも愛している」


 告げられたロジエの顔はこれ以上ないという位に赤くなっている。彼女の戸惑いすらありありと伝わるその様子にレクスは更に言葉を続ける。


「その姿も声も髪の一筋さえ、他の奴らに見せるのが惜しい。腕の中に捕らえ片時も離したくないほどロジエが愛おしい」


 胸が苦しい。心臓が跳ねる。顔が、耳が熱い。


 どうしよう。どうしよう。……もう、どうしようもなく……


「……嬉しい…です……」


 そう、嬉しいのだ。

 ロジエは躊躇いがちに目の前にいるレクスを見上げ、そしてそっとレクスに体を寄せた。

 レクスの大きな背に細い腕をまわして逞しい胸に甘えるようにすり寄った。レクスは思いがけないロジエの仕草に動揺したが、それでも自然に腕はロジエの腰と肩を抱き締めた。


「……ロジエ、嬉しいということは…その…お前も……」


 ロジエはレクスの腕の中で顔を上げて恥らいつつも花咲くような笑顔をレクスに向けた。


「はい。私もずっと…一目お逢いした時からレクス殿下をお慕いしていました……」


 本当はずっとわかっていた。一目見た時から自分はこの蒼い色の虜になっているのだと。だけど、彼の真意が分からなくて、自覚するのが怖くてその感情から目を背けていただけなのだから。


「……っ、ロジエ!」


 レクスは切羽詰まったように、強くロジエを掻き抱く。


「愛してる。誰よりも、何よりも。だから俺の妻になってくれ」

「殿下。……はい。はい、とても嬉しいです……」


 ロジエは露の滲む瞳でとても美しく微笑んだ。レクスは堪らずにぎゅうっと音がしそうなくらい強くロジエの華奢な身体を抱き竦める。


「んっ……」


 ロジエから苦しそうな声が漏れたので力を少し弱めたが、それでも解放する気はない。

 とても不思議な感じがした。

 壊れそうなほど華奢な身体はレクスの腕の中にぴたりとおさまる。まるではじめからレクスの一部だったようだ。

 心地よい体温と柔らかな感触に胸が高鳴ると同じくらいに心が落ち着く。

 許されるのなら一日中でも抱き締めていたい。

 身体を丸めるようにして彼女の白い首筋に顔を埋めれば、甘い花のような香りがする。生涯この距離でこの芳香を堪能出来るのは自分だけだと優越感に浸る。


 そこでふと、思い出した。

 彼女自身の甘く優しい香りを堪能できる距離。そしてそれは逆も当然なわけで。

 自分はここに来るまでに何をしていた?

 バッと彼女の肩を掴むと勢いよく自分の腕の長さ分彼女を引きはがす。


「……え? あ、あの……?」

「すまん! 俺は今まで素振りをしていたんだ。……その、……汗臭いだろう……?」

「え、ええ!?」


 レクスの顔は気持ちを告げた時以上に赤い。


「え、えと……べつに……気になりません、よ?」


 ロジエはそう言ってもう一度レクスの胸に飛び込んだ。


「!? ロジエ?……」

「汗の匂いなんてしません。凄く落ちつく香りがします。それにもししても、レクス殿下なら…気になりません」


 ロジエがレクスの胸に額を当てると、頭上から「ああ、もうっ!」という少し怒ったような声が聞えた。不愉快にさせたのだろうかと顔を上げると、そのまま顎を掬われた。そして視界が蒼で覆われる。



 唇に触れるのは自分とは違う柔らかな感触のそれ。

 ロジエが硬直していると啄むように何度か触れた後、そっと唇が離された。

 呆然として指で自分の唇に触れると、上からふっと笑う気配がした。視線を上げるとレクスは優しく微笑んでいた。


「ロジエ。可愛いな。大好きだ」


 かあっと全身が熱を帯びて視線を逸らそうとする前に再び唇が重なった。

「んっ……あっ……」

 どうして声が漏れてしまうのか分からなくて、どうしようもなく恥ずかしい。どうしたらいいのかも分からないが、どう身体を唇を離したらいいのかも分からない。

 長く深い繋がりにがくりと膝の力が抜け崩れ落ちそうになり、頭と腰に廻されていたレクスの腕によって支えられるた。


「……大丈夫か? ロジエ」


 レクスの支えなしでは立っていることも出来ないロジエはレクスの服を掴み、胸に顔をうめたままふるふると首を振った。


「すまん。お前があまりにも可愛いから止まらなかった……」

「!?」


 尚もロジエは頭を振る。


「……ロジエ……怒ったのか?……」


 レクスの戸惑いを含む声を聞いて、ロジエはもう一度頭を振ると必死に言葉を紡ぐ。


「………く…くちづけって、…あんな……?」

「……ああ、その……舌を使うのを知らなかったのか?」


 先程、舌を忍ばせた際にロジエの戸惑いは感じていた。服を掴む手に力が入り、身体が逃げようとしたのも分かった。だが、表面だけの触れ合いではとても満足出来なくて、やや強引に口腔内を貪ってしまったのだ。

 ロジエは身体に力が入らないためかレクスに縋り付いているが、顔を上げることはしない。見れば、髪から覗く耳と白い項が赤く染まっている。


「嫌…だったか?」


 ロジエはびくりと肩を跳ねさせて、それでも違いますと頭を振った。


「おどろいて……」

「そうか。だったら徐々に慣れてくれ。繰り返すうちにどうしたらいいかもわかるだろう」

「!!」


 繰り返す!? 慣れる!? どうするって何!? その前に死んじゃいます!


 ロジエのその思いはとても言葉にはならなくて。

 想いが通じ合い、一つの枷が外れたレクスに結局毎日のように口付けられて。

 恥じらいが抜けることは無かったけれど、やがてロジエも慣れていくことになる。


 床に落とされた一輪の青薔薇が水を得るのはもう少し時間が掛かりそうだ。



 青い薔薇

 それはどんなに頑張っても作ることができない不可能な花だとされていた。

 故に、花言葉は「不可能」「あり得ない」だった。

 サフィラスは建国以来青を国の象徴としていたが、蒼皇の時代よりそれは益々強いものとなった。代々庭師や研究者は青い薔薇を作れないかと試行錯誤を繰り返していた。そうして数十年前漸く成功させたのが此処に咲いている薔薇である。他の色の薔薇に比べ育成や増繁も難しく未だ市場には流通させるに至らず、サフィラス城の温室とこの中庭に合わせて数十本植えられているのみだ。

 それでも不可能は可能になった。そこで、新たな花言葉が生まれた。

「奇跡」 「神の祝福」 「夢叶う」

 そしてこの数に限りのある珍種の薔薇は王の所有物であった。王だけがこれを持ち、そして人に贈ることが出来る。贈る相手は賓客の場合も稀にあるが、多くは殊に愛する相手のみである。その為、正妃であってもこの花を贈られなかったこ者もいるらしい。

 つまりこの青い薔薇は “王の愛の象徴” であった。

 現在の王に愛する女性はもういない。数年前に王はこの青薔薇の所有を王位継承者のレクスに譲っていた。

 そしてレクスはこの薔薇をロジエに贈ったのだ。


 ロジエが青薔薇の意味を知るのは、レクスが部屋を辞した後、床に落ちた花を拾い上げ花瓶を用意して欲しいと侍女に言った時だった。侍女達は黄色い悲鳴を上げて女官長の元に走っていた。


 ロジエは一輪挿しの硝子の花瓶に挿された青い薔薇を一日中ぼんやりと眺めて過ごすことになる―――はずだったのだが。


 数刻後、青薔薇の大きな花束が届けられて、恥ずかしさから居た堪れない思いで過ごすことになるのだった。

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