24 青薔薇 1
部屋の外が騒がしい。
ロジエは読んでいた本に薔薇のチャームのついた栞を挟みテーブルに置くと扉に近づき、注意深くそっと扉を開いた。そしてそこに見た蒼に、はっとして思わず扉を閉めようとするとその隙間にガンッと紺色のブーツが挟まれた。
あまりのことにロジエは扉から手を離すと後退りした。
「ロジエ、久しぶりだな」
足を挟み込んだその人物…レクスは、実ににこやかに黒い笑みを浮かべて部屋に入ると後ろ手に扉を閉めた。扉の外で慌てた侍女の声が扉を叩くがレクスは無視してガチャリと鍵まで掛けた。
「で、殿下?……」
ロジエが城に滞在して三ヶ月。レクスが一人でこの部屋を訪れたことは無い。外聞を気にしてかシエルかリアンと一緒でなければ部屋に入ることはなかったのだ。
それが、今、来訪の断りもなく突然、しかも悪徳商法の如く方法で部屋に入り込んできたのである。普段の彼らしくない態度に慌てずにはいられない。
身構えるロジエの前にずいっとレクスの手が差し出され、びくりとロジエの肩が跳ねる。
眼の前に差し出されたのは一輪の青い薔薇の花。
ロジエは花とレクスを交互に見遣った。
「俺が選んだ。受け取ってくれ」
その言葉にロジエはおずおずと花を受け取り「ありがとうございます」と小さく礼を言う。本物の青い薔薇なのだろうか。だとしたらロジエはそれを初めて見たのだが、それを問える雰囲気はとてもない。
「どうやらお前は贈り物を選んだ本人にしか直接礼を言わないらしいからな」
「え?」
「庭師に礼を言いに行くくらいだ。体調はもういいのだろう?」
ロジエは部屋に閉じこもってばかりではとちょっと出た際に、庭師を見かけたので礼を言ったのだが。何かまずかったのだろうか。
いつもこちらを気遣い、優しく接してくれる彼とはどうも違う。いったいどうしたのだろうか。
「あの、レクス殿下? どうかしたのですか……。いつもと様子が……」
「王子らしくないか? だが、王子らしくない部分は『俺』らしいのだろう」
レクスはふっと笑う。
ロジエは後退りする。だがその分だけレクスも距離を詰める。
「……っレクス殿下……あの、何か怖い…です……」
「全く怖くないと言っただろう?」
後退り。詰める。後退り。……そして
「きゃあ!?」
後退りするロジエの脹脛に何かが当たりそのままそこに倒れるように座り込む。そこは先程まで座っていた長椅子の上だ。
とんっと長椅子の背にレクスの手が置かれ、片膝が座面に乗る。ロジエは長椅子の上に閉じ込められた形となった。
彼は隠し事や嘘が嫌いだと言っていた。自分が体調が悪いと偽って部屋に閉じこもったことに怒っているのだろうか。
ロジエは目の前の吸い込まれそうなほど澄んだ蒼い瞳を見つめた。
「詰みだ、ロジエ。俺を避けた理由を訊かせてもらおうか?」
レクスは昏い笑みを浮かべた。
レクスは目の前の怯えた瞳で自分を見上げるロジエを見ていた。
蒼白な顔色で銀の瞳を零れんばかりに見開き、身体を強張らせて自分の贈った青い花を握り締めている。
自分の態度の所為で彼女を怯えさせているのは重々承知だ。けれど三日ぶりに見るその姿は、やはり自分にはどうしようもなく美しく見え、少しでも自分が態度を和らげ身を離せば逃げられてしまうと思えばこそ、解放する気にはなれなかった。
「避けたのではなく考えていたのです」
彼女はすうと一度息を吸い込むと震える声で懸命にそれを口にした。
「考える? 何を?」
ロジエは答える代りに視線を彷徨わせた。
「ロジエ?」
レクスは促すように優しく彼女の名を紡ぎ、顔を覗き込む。ロジエは顔を赤くすると俯きぽつりと溢した。
「殿下にとって私との婚姻に未だ益があるのかを」
「益?」
何を言っている? 三日間もそんなことを考えて自分の事を避けていたのだろうか?
「私と殿下が結婚すればサフィラスとルベウスの繋がりが強固になることは分かります。でも兄様とレクス殿下はもう友人と言ってもいい関係で……国の和平のためにもうそれ以上の繋がりが必要とはあまり思えません」
「……ちょっと待て。その言い方では……お前は俺の求婚を政略的なものだと思っているのか」
「……? 他に何があると?」
ロジエは心底不思議そうに首を傾げる。レクスは目元を手で覆った。
「…ふ……は、はは……」
「殿下?」
突然笑い出したレクスに動揺したのだろう。ロジエはおどおどと声を掛けてきた。
「俺がこんなにもお前を大切にしてきたのに…何も伝わっていないんだな」
「大切にされているのは分かっています! 優しくして頂きました。他の御令嬢に比べて特別扱いなのも分かっています」
「でも分かっていない」
「はい。分かりません」
きっぱりとロジエは答える。
「どうしてオリアーヌ様とご結婚されないのですか?」
「なに!?」
突然話が飛んだ。なんなのだ? オリアーヌ? オリアーヌの名がどうして今出てくる? 何の脈絡がある? レクスの頭の中を疑問符が駆け巡るが、目の前のロジエは至極真面目な顔をしている。
「オリアーヌ? オリアーヌというのは俺の従姉のオリアーヌか?」
「そうです。殿下はオリアーヌ様と相愛の仲だったとお聞きしました」
「はあ!? オリアーヌはクライヴの恋人だぞ」
思わず頓狂な声が出る。
クライヴはレクスの第一の側近だ。レクスがオリアーヌに用事がある際も常に傍にいて、その度に二人の距離が近づいて行くのはレクスにもわかっていた。更に言うならば正式に付き合いがあることもクライヴから聞いていた。
「え? クライヴさんの!? え? でも、その……殿下はまだオリアーヌ様の事をお好きなんでしょう? だから、私との婚約は白紙に戻した方がいいと思います」
「なぜだ?」
「ですから、殿下と兄様がこれだけ懇意な以上、私と婚姻しても意味がないでしょう。無理に政略で婚姻せずとも、オリアーヌ様でないにしろ心から望まれた方と添われた方が殿下も幸せかと……」
苛々する。どうしてこうも気持ちが伝わらない!?
わざと気付かないように目を背けて逃げようとしているのではないか!?
それほどまでに……
「俺と添うのが嫌ならそう言えばいい」
「違います!! そうではなくて、ただ、……私も誰でもいいと思われて殿下と婚姻を結ぶのは悲しいです」
レクスが吐き捨てるように言えば、ロジエはすぐさま否定して悲しそうに眉尻を下げる。
益々何を言っているのか分からない。
「誰でもいい? ロジエに出逢ってからそう思った事はない」
「だったら……報復ですか?」
「報復!?」
「子供が出来るかも分からない私と婚姻を結ぶのは飼い殺しにして敵国に報復するためだと……」
「……そんなことを言われていたのか!?……」
飼い殺しに報復。まさかそんな心無い事を言われていたとは。そして自分はそうするような人物と思われていたのか。
レクスは長椅子から手を離し、身を起こすと切なげに眉を寄せロジエを見下ろした。
「俺はそこまで卑劣な者だと思われていたのだな」
「違います!!」
ロジエは声を張り上げて否定する。
「そんな、そんな悲しそうな顔をしないで下さい。……違うんです。 違うからこそ分からないのです。殿下がそんな人でないことくらいわかります。だからこそ分からなくて……私はそんな風に思っていません……私は殿下の枷になりたくありません。両国の繋がりが出来た以上、私の存在はいずれ邪魔になります。殿下にもし想う方が居ればその方と……」
ロジエの声が徐々に落ちていく。
枷になるとか邪魔になるとか、どうしてそうなるのだ。
これほど道を逸れて色々考えているというのに何故本筋にはいたらないのだろうか。
そして、どうやら自分が嫌われているわけではないと解して、レクスも少し態度を和らげる。
「なあ、ロジエ」
レクスはロジエの横に座りなおすと、身体をロジエに向けた。ロジエは少し怯んだようだが、それでも「はい」と返事をしてレクス見た。
「今でこそ思うのだが、俺は相愛の相手を人に譲れるほど心が広くないし、そんな相手がいるなら誰に反対されようが時間が掛かってでも説得して結婚するだろう」
「ですが、それでは……」
「だから、つまり、俺はオリアーヌとはもともと相愛の仲ではないということだ」
ロジエは言葉を失くした様にレクスをただ見つめている。
「彼女は亡き母に本当に良く似ていて、その所為かリアンが本当の姉、いや失礼だが母のように慕っているんだ。俺にとっても実の姉のような存在で…ロジエにとってのシエルのようなものだと思ってくれればいい。それ以上のものではない。それでも俺が普段あまり女性と係わりを持たないためにそういった噂が出たのだろうな」
「…そう、なのですか……」
「ああ。それと、どうやら俺はやはり自分が思っていた以上に卑劣なのかもしれない」
「?」
「自分が想っているだけの相手も簡単には諦めきれそうもないんだ」
その言葉にロジエの顔が悲しそうに沈む。
「好きな方がいらっしゃるのですね」
「ああ」
レクスはロジエを見つめ、真っ直ぐに返事をした。




