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神の子  作者: 柘榴石
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23 青い色

 次の日、ロジエは早朝の鍛錬を見学に行かず、体調が良くないからと朝食も皆と別に部屋で摂った。

 そして日が高くなった今も部屋から出ることもなく一人物思いに耽っていた。


 考えなければいけない。

 いつまでもこのままでいていいわけがない。

 サフィラス王の体調が良くない今、レクスの結婚は急務で望まれている。

 レティシアの言うように出来ないのであれば直ぐにでも断るのが礼儀だ。

 レティシアのような令嬢達にも失礼になる。


 国同士の繋がりならば、確かにレクスとシエルの関係で十分だろう。この先二国間で小さな諍いがあったとしても、あの二人なら話し合いで解決できるはずだ。

 そこに自分は必要ない。

 リアンと親書でもやり取りして、関係の持続に努めるという方法だってある。


 レクスとシエルが懇意になればなるほど

 リアンと自分が仲良くなればなるほど

 レクスと自分は……。


 分かっていたのだ。最初から。

 ただ、自覚したくなかっただけ。


 長椅子の肘掛けに行儀悪く頭を乗せて、閉じていた目を開くと、コンソールテーブルの上に置かれた豪華な花瓶が目に入った。そこには午前中にレクスの名で届けられた花が活けられている。おそらく選んだのは庭師なのだろうが、その花は青色の様々な種類のもので、体調が悪いと言ったからかあまり匂いの強くないものが選ばれていた。

 武神の孫とされるサフィラス初代国王も、今なお愛される蒼皇も、蒼穹の如き蒼い髪と瞳をしていたという。それに因んでサフィラスの花園には多くの青い花が育てられている。


 青は空の色、海の色。

 空に人の手が届くわけもなく、海の水は掬えば青ではなく透明で。

 青は手の届かない尊き色。

 そして青は、彼の色だ。


 深い青に沈み込むロジエの意識を呼び戻したのは、規則正しいノックの音だった。慌てて身を起こす。


「ロジエ、僕だ。入ってもいいかい」


 扉の外から聞こえるシエルの声にロジエは「どうぞ」と入室を促した。シエルは部屋に入るとそのままロジエの元に歩を進め、彼女の頬に手を伸ばした。


「顔色が冴えないな。本当に具合が悪い?」


 ロジエは「いいえ」と首を振る。


「少し考え事を」

「レクスが心配していたよ」


 ロジエは眉尻を下げて困ったように微笑んだ。


「きちんと考えたいんです」

「考えただけでは出ない答もあるよ。わからないことは訊かないとね」

「……兄様はレクス殿下と仲良しですよね」

「そうだね。彼は面白いよ」


 前置きもなく尋ねるロジエにシエルは嫌な顔をするでもなく答えを返す。


「ずっと続きますよね」

「さあ? 好きな女の子がかぶったりしなければ大丈夫じゃないかな」

「女の子取り合うんですか?」

「その子が僕の事を好きなら譲れないだろう?」

「自分が好かれていなければ引けますか……」

「僕はね、自分の事を好きでもない相手を恋人にするほど広い心は持っていないよ」


 全てを見透かしているようなこの人は一体どれだけの事を知っているのだろうか。


「自分だけが好きでは駄目ですか」

「人それぞれだよ。僕には無償の愛なんて無理だという話だ。そもそも“無償の愛”なんていうと殊勝に聞こえるけれど、器だけ手に入れて満足できるなんてある種、特殊嗜好だろう」

「ひ、卑猥な言い方をしないで下さい!! 情緒もなにもないですね!」

「だから人それぞれだって」


 シエルの露骨な物言いにロジエは赤くなり、眉をひそめる。


「兄様はいつも思わせぶりな事しか言いません」

「そういう性分なんだ。その点レクスは随分とわかりやすいと思うけどね」


 分かりやすいと言われる彼。確かに私的な時には感情が顔や態度に表れやすいほど実直な人柄だ。普段の彼を知れば公務の時など、余程自分を律しているのだろうと思いやれる。

 でも、彼にとって結婚とは公務なのだ。きっとロジエに対する優しさも王族として培ったものなのだろう。

 人の心なんて、当人以外には覗けないのだから。


「午後の休憩はどうする? レクスは会いたがっているよ」

「……もう少し一人で考えたいです」

「そう? 僕はきちんと話し合った方がいいと思うけど」

「覚悟が出来たらそうします」


 何の覚悟とはシエルは訊かない。


「君は相変わらず頼るのも甘えるのも苦手だな」


 そう言って頭を撫でるだけだ。


「兄様には甘えていますよ」

「多少はね。……好きな相手に甘えるのも僕と同じくらい時間が掛かるのかなあ」

「………好きな人が出来てみないとわかりません」

「そうか」


 ぽんぽんと頭を優しく叩くと「レクスには適当に言っておくよ」と部屋を出て行った。


 話し合う

 例えば、何事も自分で確かめようと努める彼であれば、いっそ飛び込んでしまうのだろう。

 自分は怖がりだ。

 自分が傷つくのを恐れている弱虫だ。

 答を先延ばしにしても結果は同じだろうに。

 でも、もう少し心を強く持つための時間が欲しいのだ。




 ここは荘厳な歴史あるサフィラス城……の中の暗雲立ち込める様な雰囲気を醸している王子の執務室だ。

 常は無愛想でありながらも優しい王子はただ今近寄るのも勇気がいるほど機嫌が悪い。些細な失敗でもしようものなら、執務机の脇に置かれた国宝の神剣ですっぱりと斬られてしまいそうである。文官、侍従も怖がって、言伝も書類の受け渡しもこっそりと側近のクライヴを呼び出す始末だ。


 彼が不機嫌な理由。

 それは婚約者である彼の想い人ロジエが、ここ三日ほど彼を避けているためだ。

 先日の夜会の翌日に体調が悪いと部屋を出てこなくなり、知らぬうちに酒でも過ごしたのかと思ったりもしたがそうではないらしい。女性特有の、という訳でもないらしい。

 慣れないながらも花を贈ったり、菓子を届けさせたりもした。面会を申し入れても断られる。本当に体調が悪いなら仕方がない。

 そう思っていたが、……自分以外の面会は受け入れているのだ。シエルはわかる。彼は肉親だ。だが、何故リアンは良くて自分は許されない? 線引きは男と女か? 

 シエルに訊けば「君に会わずに考えたいことがあるんだって」の一言。つまり答えは

 ――― レクスに会いたくない ―――

 である。

 机の上に右肘をつき、その手の甲に顎を乗せて窓の外を腹立たしげに睨みつける彼からは「怒」という言葉が滲む。

 城の侍従侍女の間では不仲説まで囁かれるようになってしまった。しかもそれは“王子が姫になにか嫌われるようなことをしたのではないか”というものだ。ロジエが城の者に慕われるのはいいことだ。

 だが。

「俺が何をした!」

 彼は叫びたい。否、心で叫ぶ。

 夜会でダンスを踊るまでは普通、いやどちらかというといい雰囲気であったのではなかろうか。綺麗だと言えば恥ずかしそうに頬を染めた、この上もなく可愛らしいロジエ。

 それが、貴族との話が終わってテラスに戻ってみればシエルに伴われたロジエに「疲れたから今日は先に下がらせて下さい」と言われ、送ると言えばいけませんと窘められ、そのまま三日だ。

 自分がいない間に侯爵令嬢達と話をしていたのは聞いた。彼女達に何か言われたのだろうか。

 だがそんなことで臆するような性格ではないことは分かっている。ならば……自分が何かしてしまったのだろうか。

 自分の気持ちを押し付けて愛おしさのままに掻き抱きたい衝動を抑え、最大限の努力で紳士的に振る舞ってきたつもりではあるが、知らず何か嫌われるようなことを言ったり、したりしたのだろうか。


 左手がこつこつと机を叩く。机の上の書類の束は減ることが無く、寧ろ高さが増すばかりだ。

 溜息を一つ吐くとレクスは席を立った。


「レクス様、いかがされました」


 それまで黙って書類を捌いていたクライヴに、レクスは神剣を手に取り、溜息交じりに返事をする。


「すまん。少し気持ちを切り替えたい…気晴らしをしてくる」

「…かしこまりました」


 クライヴは頭を下げ、続ける。


「なれど、これ以上中庭のものを破壊なさらないようにお気をつけください」


 昨日も同じことをいい、中庭で素振りをした際に灌木を一本駄目にしたことを醸されてレクスは一瞬考えたが。


「…努力はするが保証はできん」


 と答え執務室を後にした。




 剣を振るう風圧に落ちた花弁が舞う。軌道をそらさないように基本の動きをなぞれば、それに合わせてひらりひらりと花弁が動いた。

 無心になるべく剣を振るっているというのになかなかそうはなれずに、幾度となく動きを繰り返す。

 ふと眼の端に人影を捉えた。王族の庭たる中庭に居てもおかしくない人物、庭師だ。


「精が出るな」


 鍛錬に集中しきれないレクスは、剣を収め彼に声を掛けた。


「これは殿下。ありがたきお言葉で」


 庭師は深々と頭を下げる。


「畏まるな。幼い頃はお前にも良く叱られたものだろう」


 剣を振るうことで少しは気が晴れたのか、レクスは幼少時から良く知る庭師に笑顔を向けた。


「殿下は幼い頃よく物を壊されましたからな。昨日はまた久方ぶりに灌木を駄目にして」

「うっ。すまん」

「苛々する気持ちも分からなくはございませんが……そうそう、先程ロジエ様がいらっしゃいましたよ」

「は? ロジエが此処に?」


 レクスは唖然とする。部屋から出るようになったのだろうか。ならば何故自分に挨拶に来ない?


「ええ。“遅くなりましたがお花ありがとうございました”と。それはもうお可愛らしい笑顔で申されて、たかが庭師に律儀な方ですな」


 庭師は孫自慢をするように目尻が下がっている。


「ほう。そうか」


 それに対してレクスの声は低く剣呑さを滲ませる。花を贈ったのはレクスである。その彼に対しては女官長を通して礼を伝えたのみで、庭師には直接礼と言いに来たと? 花を選んだのが庭師だからか? 自分の中で黒い何かが鎌首を擡げる。

 問い詰めたい。自分が会いたくないと思わせるような何をしたというのだ。

 普段なら人を追い詰めるようなそんな感情を持つことは無いし、持ったとしても抑え込めるであろうそれを今は抑えられそうにない。

 レクスは近くにあった青い花に目を止めると一枝手折る。そして自らプチプチ棘をへし折った。


「殿下。その花は……」

「ロジエに持っていく」


 無愛想にそう言うと庭師に背を向けた。

 庭師は黙って頭を下げて王子を見送った。

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