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神の子  作者: 柘榴石
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22 夜会

 サフィラス城では月に一度夜会が開かれる。それは各地の貴族らが情報交換の為にも集まり、親睦を深める大切な行事だ。

 レクスは勿論王子として少年期からこれに出席していたが、堅苦しい正装で愛想笑いを浮かべていなければならない夜会が嫌いだった。年頃になれば貴族令嬢から秋波を送られ更に辟易していたので、挨拶だけして辞するということもあった。けれど近年では体調の芳しくない父王の代理として出席せざるを得なくなり、これも仕事だと割り切って耐えて来ていた。


 三ヶ月前からは少し違う。

 三ヶ月前―――それはロジエが来てからだ。

 ロジエは、レクスの婚約者として夜会に出席していた。着飾ったロジエを見るのは楽しみでもあったし、更にはひとつ“仕事”として頼みごとをしてあった。


 開会の辞が発せられると音楽が鳴り響く。ここでまずは王がその妃と一曲踊るのが習わしである。しかし王妃は既にないため王はダンスの相手をその場で適当に選んでいた。が、現在 王は夜会に出席しても踊ることは無く、それは王太子としてのレクスの仕事になった。

 問題は相手である。多くは妹のリアンや母方の従姉である姫と踊ることにしてきたが、どこからともなく不満の声があがり、選ぶ気が無いのならクジ引きでといつの間にか相手が決められるようになっていた。王子のダンスの相手ともなれば目に留まる機会も増すわけで、買収や裏通り引きが行われないように指導もしなければならなかった。

 一人と踊れば次は私と、と当然令嬢達は群らがってくる。レクスは笑顔で優しく躱しながら、クライヴに促され貴族の挨拶や会談へと足を向けこれを逃れていた。


 レクスはロジエの手を掬い上げるとホールの中央へと連れて行く。

 ロジエの今日の装いは銀糸の刺繍が施された桜色のドレスで背中が大きく開いているものだ。肩甲骨の下あたりに大きなリボンが結われ彼女の華奢さを一層引き立てているようだ。髪はドレスと同じ色のリボンと真珠を一緒にゆるく編みこみ左側に流されていた。


「今日も素晴らしく綺麗だ」


 レクスは巧みにロジエをリードしながらそっと告げた。

 全くこの姿を独り占め出来たらどれだけいいか。勿論、自分以外の誰とも踊らすつもりはないが。


「あ、ありがとうございます……」


 レクスに優しく微笑まれればロジエも恥ずかしそうに頬を染める。


「……殿下に恥をかかせるわけにはいきませんから……」


 ロジエの仕事とはこれ、ダンスの相手である。歓迎の宴からレクスはロジエとしか踊っていない。しかもいつも自分から彼女を誘いに行くのだから、自分が己の意思でロジエを妃として選んだのだと主張しているに他ならない。


「殿下の言葉は真っ直ぐ過ぎて…照れてしまいます」

「そうか? 言葉を飾るのがどうにも苦手でな。可愛い、綺麗だ、くらいしか言えないんだ。もっと巧く言えればいいのだが」

「いえ、言って欲しいわけではなくて…その…私も飾り立てられた言葉は苦手ですし」


 社交の美辞麗句や巧言令色は例えがありすぎて何が言いたのかわからないのが本音で、そんな言葉を囁かれても冷静に謝辞を返すだけだ。でも、こうも真っ直ぐに褒められてしまうと。しかも目の前の青年こそ此処に居る誰よりも魅力的なのだから。恥ずかしがるなというほうが無理だ。


「あの…レクス殿下も素敵ですよ」

「はは。そうか。俺もロジエに恥はかかせられないからな」


 眼を細めるように愛おしげにロジエを見るレクスと、彼を直視できずに俯くロジエ。なんとも微笑ましい彼ら。傍から見れば互いのその思いは明らかであるにもかかわらず、彼らの思いは未だ交錯していない。


 レクスとロジエのダンスが終わると王族と貴賓客、上位貴族のダンスが始まる。そこかしこで談笑と立食、酒を交わす和やかな雰囲気となった。

 踊り終わるとレクスはいつも足早にロジエを人気のない露台から庭のテラス席へ連れ出す。互いの次の相手を牽制する為だ。そうして暫くは二人で過ごす時間を得るのだが、今日はそうもいかないらしい。早々とクライヴから(彼なりに言いにくそうに)会談に応じて欲しいとの申立てがあった。

 いつもなら、シエルに託していくのだが今日は彼も令嬢達につかまっている。目くばせは伝わったので早々に切り上げるだろうが、すぐにとはいかないだろう、その間はロジエが一人になってしまう。クライヴを残そうかとも考えたが、ロジエは「ここに居るから大丈夫です」とレクスを促した。レクスは仕方がないと、自らの正装用の豪奢な外套を外すとロジエの肩にかけ、「ここから絶対に動くな。誰の誘いにも乗るな」と諭して会場へ戻った。


 夜会はまだ始まったばかりで、ロジエのいる庭先には誰もいなかった。風に乗り春の花の匂いが届く。ロジエが天上の月を見ていると背後から声が掛かった。


「ごきげんよう。ロジエ様」


 ロジエは振り向き「ごきげんよう」と挨拶を返す。そこに居たのは三人の令嬢。彼女たちは行儀見習と見聞を広める為ということで王城に滞在している貴族令嬢達だ。当然それは名目で、王子であるレクスを射止めて妃や側室に納まりたいと本人が望んだか、娘を宛がい王族の仲間入りをしようと目論む生家に送り込まれてきたのだ。

 レクスとロジエの婚約は政略であり、過去を振り替えれば婚姻を結んでも両国の血が交わったことはなく、サフィラスの王の子はサフィラスの女性が生してきた。側室の座、国母の座は水面下で未だ競われていた。

 そんな彼女達は、レクスがロジエに対して温かに接する事に我慢ならないのだろう。偶に顔を合わせると嫌味を投げかけられる。最初の頃はロジエも少し傷ついたりもしたが、今ではすっかり慣れてしまい、かえって正面切ってあれこれ言ってくる彼女達を微笑ましく思ってしまう始末だ。

 そう、こそこそ噂されるくらいならはっきり言ってくれた方が反論も抵抗も、そして会話も出来ると言うものだ。


「今日はどうなさいました? レティシア様」


 ロジエはにっこりと栗毛の女性に笑いかける。彼女、レティシアは、大きく貿易業を営む侯爵家の令嬢だった。サフィラスの社交界では、五指に入る美しさと評判の彼女は取り巻きのように二人の女性を引き連れていた。左右の二人は伯爵令嬢。この立ち位置は序列なのだろうかとロジエは常々考えていた。


「壁の花どころか、今夜は外にまで出られてしまってどうしたものかと声をかけたのですわ」


 ほほっとレティシアは口元に扇を当てた。壁の花というのは、レクスが他の男性とダンスはしないで欲しいと言ったことと、ロジエ自身あまり社交の場が好きではないのでそうなってしまうのだが。まあ、弁明する必要もないことだ。


「心配して下さるのですね。夜会の空気に酔ってしまったのです。少し風に当っているだけですから大丈夫ですよ」


 ロジエが微笑むと何故か彼女達は頬をほんのりと染めて腰を引いたようだ。


「……ふ、ふふ。そうやってか弱いふりをしてレクス殿下の外套をお借りしたのですわね」


 なんて浅ましい、とレティシアはロジエの肩に掛かった外套を一瞥する。あからさまな嫉妬が可愛らしい。ロジエはふっと笑ってしまった。


「まあ! なんて不遜な態度でしょう! ご自分は特別だとでも言いたのでしょうか!」

「いいえ。レティシア様の様な可愛らしい女性に嫉妬されたら殿方としては嬉しいだろうなと…なんだか微笑ましくて」

「馬鹿にしているんですの!?」

「いいえ? 全く?」


 ロジエは首を傾げる。本当に可愛いと思っているのだが彼女にとっては気に障るような事だったらしい。レティシアは口元を扇で隠すと片眉を上げた。


「ロジエ様」

「はい?」

「今日ははっきりと言わせて頂きますわ」

「何でしょう?」

「レクス殿下の優しさに甘えるのはお止めになって早々にお国にお戻り願えませんか」


 確かにはっきりきっぱりと言われて暫しロジエは言葉を失った。


「レクス殿下が貴女に政略とは別に求婚したというのは確かなようですが、勘違いなさらないで。それは貴女が国の為に王妃として相応しい立場であるからで、決して愛しているからではありませんのよ」


 高らかにレティシアは言い放つ。ロジエは「はあ」とどこか気のない返事をした。何故ならそれは自分だって知っている事だから。

「それに」とレティシアは勝ち誇ったようにロジエを見た。


「ロジエ様は御存じないでしょうが、レクス殿下には相愛の方がいらっしゃったのですよ!」


 今度の言葉にロジエの思考は停止した。

 どうして自分がその言葉に動揺したのか分からない。政略的な申し入れであることは理解していた。ならばレクスに好きな相手がいたとしても仕方のないことではないか。王侯貴族の婚姻とはそういうものが大半ではあるのだから。でも、考えたことがなかったのだ。あの実直な人が他に好きな相手がいるのにどうして……。


「どうしてその方と一緒になられないのですか」


 言葉が口を滑り出た。レティシアは我が意を得たりという様にロジエを見下ろした。


「お相手が母君方の従姉姫、オリアーヌ様だからですわ」


 レクスの母方の従姉オリアーヌ。ロジエはその令嬢には、以前の夜会で紹介されていた。豊かな金の髪に翡翠の瞳の穏やかな笑みの大人びた美しい人。


「亡き王妃様の再来と言われるほど美しく賢い方ですわ。レクス殿下も幼い頃からオリアーヌ様には心を許しているご様子で、貴女がいらっしゃるまではダンスのお相手と言えば彼の方でした。ですが…権力が一つ所に集まってしまうが故に反対にあったそうですわ」


 王妃を輩出した家からまた王妃を出すと言うのは確かにその家に更なる権力をもたらすだろう。王家の外戚となるべく働く者たちには面白くはないし、もしかしたら血が近すぎるという反対もあったかもしれない。権力に固執するような家ならばそのような反対は押しのけるだろうが、オリアーヌの家はそうではなかったのだろう。国状を慮って身を引いたのだろうか。


「ですが、この婚約は……」

「休戦協定ですわね」


 そうだ。だから個人が嫌だと言って反古出来るものではない。


「ですが、もう意味が無いのではありません?」

「え?」

「レクス殿下とシエル殿下は端から見ても友人という関係でございましょう? 時期王同士が御友人。これ以上の繋がりは必要無いのではなくて?」

「……でも、確かな結束の為には……」

「……ロジエ様はレクス殿下の妃になりたいんですの?」

「……」


 言葉を失った。


「ロジエ様がレクス殿下の愛情を得たいと言うのでしたら益々この婚姻は断るべきですわ。レクス様の心はオリアーヌ様のもの。オリアーヌ様と一緒になれないから、政略の為貴女との婚姻に頷かれただけですのよ。レクス殿下はああ見えてお優しいかたですから、一度したお約束を自分から破棄には出来ないでしょう。ですから貴女から身を引くのが優しさではありません? ロジエ様にしても王妃を仕事として捉えられないのでしたら国に帰られた方が幸せというものですわよ」


 確かにその通りだ。レティシアのいう事は正論である。ロジエに課せられるのはサフィラスの王子妃、王妃としての役である。


「レティシア様達はそのようにできると」

「ええ。勿論ですわ。私達は心からレクス殿下を愛していますし、例えレクス殿下の心に他の方がいらしても変わらずに愛して支えると覚悟しておりますもの」

「愛されなくとも幸せですか」

「それが王妃という仕事でございましょう」


 きっぱりと言い切る彼女は誇らしげだ。


「ご忠告ありがとうございます。レティシア様。……確かに私もきちんと考える必要があるようです」

「分かればいいのですわ。お帰りになる際はぜひご連絡を。送別会を開きますわ」

「ふふ。その時はお願いします」


 三人がホールに姿を消すとロジエはまた一人で月を見上げた。

 レクスから求婚された時、それが政略の為だとしても、彼とならば愛という甘い物がなくとも支え合っていけるような気がしたのだが。こうして事実を突きつけられると心が痛む。

 レクスはとても魅力的な男性だ。

 このまま結婚してもきっと妻として自分を大事にしてくれるだろう。

 でも、彼の幸せは……?

 この婚約はシエルは嫌なら反故できると言っていた。

 でも、自分は……?


 愛してさえいれば、自分を愛していない人と一緒にいて幸せなのだろうか。

 見返りを求めずにただ愛することが出来るのだろうか。

 ――― 自分はやはり強欲だ。


 春の風が花弁を舞い上げ身体を撫でる。ロジエは肩に掛かった外套を自分を包むように握り締めた。

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