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神の子  作者: 柘榴石
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21 奇策

 練兵場の控室。その一角でテーブルの上に地図と駒を広げて何やら話し込む人々がいた。


「何をしているのですか?」


 ロジエは人々の中に自分と同じ馴染の銀髪を見つけて声を掛けた。「ロジエ」と銀髪の青年、シエルは彼女を仰ぎ見た。周囲にいた人々はロジエの姿を見るとどうぞと言って席を譲ってくれる。


「丁度いいや。今、仮の軍議をしていたんだけど」


 シエルは地図を見せながら説明を始めた。


「白軍が五万、黒軍が十万の兵数とする。兵種はどちらも重装歩兵を中心に、軽装歩兵と騎兵。黒は重装歩兵が大半を占め、白の騎兵は黒の騎兵の倍。僕達は数で負ける白軍だ。さあ、どうする?」


 ふむ、とロジエは考える。

 部屋が一瞬ざわりとした。レクスが訓練の為に現れたのだ。ロジエは考えに没頭しているために気付かないようで、シエルがレクスを手招いてもう一度事の仔細を話す。それを聞き、考えるロジエを見てレクスも彼女がどんな答えを出すのかと黙って見ることにした。


「兵法通りなら単純に逃げます」


 ロジエの弾いた答えにえっと周りから驚きの声があがる。戦場から逃げると言う選択肢は騎士には無いのだから。けれども彼女の兄のシエルは淡々と訊き返す。


「兵法ではなんと?」

「『算多きは勝ち、算少なきは敗る』です。勝算が相手より多い側は実戦でも勝利するし、勝算が相手より少ない場合は実戦でも敗北する。実際に相手との戦力を比較してその勝算が立てば勝てますが、勝算が立てなければ負けます。勝算がないのに『やってみなければ分からない』などと奇跡が起こることを頼っているような人間はもとより指導者としての資格はない。と言われています」


 その答えを聞いてシエルはにやりとレクスを見る。レクスは苦い顔をした。彼の為人は『悩むなら飛び込んでしまえ』というものでレクスについては今まではそれがほぼいいように作用しているが、これからもそうだとは限らないのだ。当然、彼の傍近くに仕える者は提言を惜しまないし、彼もそれを無視するようなことはしないが。 

 レクスとシエルは両国の関係を休戦から終戦、そして同盟へと動かしたいと思っている。

 このままいけばそれは叶うだろう。だが、サフィラスとルベウスに争いが無くなったとしても、他国との争いは起こりうるのだ。大事な妹ともいえるロジエを嫁がすという意味でも、胆に銘じていて欲しい事である。 

 ロジエはその様子に気付かずに先を進めた。


「この場合単純に戦力差は四倍…奇策が無ければ勝つことは難しいですね」

「四倍? 二倍ではないですか?」


 ロジエの零した声に一人の男が声を掛けた。ロジエは男ににこりと笑って説明した。


「例えば十人と五人が同じ性能の矢を持って相手の集団を狙った場合、一回目の同時射撃で十人の集団は十本の矢を射て、五人の集団は五本の矢を射ます。すると十人の集団は相手の五本の矢を受け、逆に五人の集団には十本の矢が襲い掛かることになります。十人に五本の矢が当たる確率は二分の一、五人に十本の矢が当たる確率は二倍です。ですから集団が相互に見渡せる戦場では二倍の兵力がある時、実際の戦力差は四倍、三倍の兵力があるときは九倍の戦力差になってしまうのです」

「そう。だから明らかな兵力差があるときは逃げるが勝ちだよ」


 ロジエの説明にシエルが付け加えるとほうっと感嘆の声があがる。

 レクスも感心する。ロジエは本当に勉強熱心で驚くほど沢山の本を読み知識を吸収しようとする。それは精霊師に見られる特徴でもあり、彼らは知識に貪欲だった。

 そういえば女官長が言っていたと思い出す。妃教育として教えることが妃の仕事しかなくなってしまったと。

 その教育としてまずはこの大陸にある他の二つの国の言葉を学ばせようとしたら、既に全て習得していたと。行儀作法も完璧で、レース編みや刺繍も出来る。城の因習も覚えてしまった。貴族名鑑は暗記したし、知識の幅は歴史、法学、医学様々な分野に及んでいると言う。剣技や兵法はその知識のあるシエルの教えだろう。


「じゃあ、ロジエ。君が軍師だとして、逃げることは叶わない。さてどうする?」


 シエルの問いにロジエは再び地図を睨んだ。

 現在の布陣は白黒共に、中央に重装歩兵その前面に軽装歩兵、左翼右翼に騎兵だ。


「天候、兵糧などは考えなくていいですか」

「いいよ。さっき言った通り、白は騎兵が多く黒は大半が重装歩兵ということだ」

「うーん。この地形では隠れるところもないですね……。では布陣を変えます」


 ロジエは地図に置かれた駒を手に取った。


「中央最前列に軽装歩兵、これを少し弓なりに配置します。少し離れて中央後方に左右に分かれて重装歩兵。左翼右翼は騎兵です」

「これだと前線の歩兵は捨て駒だね」


 単純に言って軽装歩兵が相手の重装歩兵に敵う訳がないからだ。


「いいえ。歩兵は進行してきた重装歩兵を避けつつ徐々に左右に分かれます。V字型になるように誘い込みながら避けて行き重装歩兵と連携してこれを持ちこたえます。騎兵は白の方が多いので黒の騎兵を突破し、蓋をするように歩兵を囲みます」

「これで数の多い重装歩兵を倒せる?」

「人間は基本的に同時に多方向へ注意を向けられません。側面や背後を叩かれれば崩壊します。しかも相手方が倍という数で勝ると驕っているのは間違いないはずですから、四方を囲んでしまえばこちらの勝ちです」


 周囲が成程、と感心していると。


「それで本当に勝てる?」


 シエルが探るようにロジエに問う。ロジエは殊更にっこりと微笑んで揚々と答える。


「勝てます」


 シエルは一呼吸おいて。


「うん。僕もロジエの考えに賛成だ」


 と笑うのだった。

 一人の男が意地悪な質問をしてもいいですかと切り出した。


「机上の策だからこそ、それほど自信をもって言えるのではないですか」


 確かに意地悪い質問だ。彼としては年若い女性のロジエに自分たち以上の策を講じられたことが悔しい思いと、だがそれ以上に彼女に直接訊いてみたい質問だったのだろう。でなければ、彼女の兄であるシエルと彼女を婚約者とするレクスの前でそんな不興を買うようなことを言うとは思えない。なかなか気骨のある者だ。そしてロジエはその質問にも彼にも臆することが無かった。


「そうですね。実際の戦場でこの策が通用するかはその場になってみないとわかりません。風向き、天候、兵種、兵数、様々なものをその場で考慮してその場にあった策を施さねばなりませんから」

「戦場でもそれほどの自信を持って策を述べられますか」

「自分が自信の持てない策に人の命を懸けろと言うのですか。私は先程兄に『軍師として』と言われました。これしかないという策を常に立てるのが軍師の役割ではないのでしょうか。自分の策に自信と責任を持つこと、それが軍師です」


 凛然と自分の意見を述べる彼女はとても十六の娘には見えない。彼女はしっかりとした芯を持っているのだろう。質問をした男がロジエに頭を下げた。


「勉強になりました。またこういった機会があることを願います」

「嬉しいです。こちらこそお願いします」


 先程までの凛とした姿はどこへやら。ロジエは恥ずかしそうにふわりと微笑む。周囲に漂うほんわかした空気に、レクスは冷気を浴びせるように佇んだ。

 王子の不穏な空気を察して、騎士達はすごすごと訓練へ繰り出す。人気のなくなった部屋でロジエはレクスに向き合った。


「殿下、聞いていたのですか」

「聞いていたし、見ていた。随分自信を持って答える」

「その理由はレクス殿下こそよく御存じでは?」


 確かに、自信無さ気な者に誰が従うというのだろうか。


『自信を持つ者が人を導く』


 例えそれが虚勢だったとしても。

 目の前の嫋やかな女性はそれを良く知る強い女性だった。


「時々勿体無いんじゃないかと思うよ」


そう言ってシエルが意味ありげに微笑む。


「遠くないうちに撤回させてやる」


レクスは腕を組んで答えた。



 別の日

---精霊師の力ってこんなに威力のあるものなのか---

 その日人払いをした練兵場で消し炭となった訓練用の木人形を見て居合わせた者はそう思い言葉を失った。

「古いのにしておいて良かったね」と一人笑っているのはシエルで、哀れな姿になった木人形を無言で見つめているのはクライヴとジェド、ウィルだ。それを見て本気で打ってみてくれと言った自分が悪いのだろうかとレクスは考えていた。


 精霊師の力でどれくらいの事が出来るかわからないと言っていたロジエに試にその力を使ってみないかと言ったのはレクスだ。

 その際、シエルが「人形は一応壊れても良いものにしておいた方がいいよ」と言ったのが今更ながらに印象深い。


「これは渾身の力か?」

「いえ。小さな炎の力ですし押さえています。おそらく本気で打ったら……」


 ロジエは背伸びをしてレクスの耳に手を当てようとするので、レクスも僅かに屈んでそれにこたえる。


「練兵場が壊れます」


 確かに小さな力でこれなら本気の力なら建物位壊せるだろう。

 この華奢な身体のどこにこれほどまでの魔力が収まっているのだろうか。

 サフィラスの三人の精霊師の力もそれなりだと思っていたが、力の桁が違うだろう。胸に徴の有るものは皆こうなのだろうか。一人の力で大きく戦局を変えてしまえるほどだ。


「こうなってくるとさ、ロジエ自身が奇策だよね」


 シエルがレクスに笑う。例えば戦場でロジエが劣勢を覆す奇策になると言いたいのだろう。だが。


「人の戦いに神の力は使わない、両国ともに。それに戦争はもう起こらない」

「サフィラスとルベウスはね」

「他国とそういうことになったとしても、どんな劣勢でも俺は戦場にロジエを立たせたりしない。お前と同じようにな」

「うん。頼んだよ、と言いたいけれど。ロジエは頑固だよ」

「どうしようもない時はロジエではなくお前を恃むさ」

「はは。僕もそうしよう。まあ、ロジエを本気で怒らせたら命が危ないってことは確かだね」


 ぽんとシエルに肩を叩かれて。


「……その忠告は留意しておく……」


 レクスはきょとんとした顔のロジエを見て心からそう答えた。

参照は「カンナエの戦い」と「孫子」、「ランチェスターの法則」です。

「自信を持つ者が人を導く」はホラティウスの言葉です。


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