18 帰路
そうして帰城の途。
ロジエはシエルの馬に乗っていた。先頭をクライヴと歩くレクスの空気が澱んで重い。
「拙いな、ウィル」
「拙いね、ジェド」
後方で二人が呟きあった。
「少し頭を冷やしたいので兄様の馬に乗せてもらいます」
ロジエの言い分はこうだった。ちらりと後方にいる二人を見れば親しげに(現に従兄妹で義兄妹なのだから親しいのだが)話をしている。レクスは不機嫌な顔を隠すことなく再び前方を見た。
「レクスに怒られたのが堪えた?」
後ろから優しく問われ、ロジエは義兄であるシエルの胸にぽすんと体を預けた。
「……そういう訳では…。ただ……」
言いかけてロジエは口を噤む。
「ただ?」
「レクス殿下は……やはり御淑やかな女性が好きなのでしょうか……」
「いやぁ…そんなことはいないんじゃない? ロジエの行動力の高さには驚いてるみたいだけど」
ロジエの落ち込む理由をつかんでシエルはくすりと笑う。
「嫌われたかもしれないと思ってる?」
「………」
「大丈夫だよ。レクスは優しいだろ?」
「…そうですね。優しいです。……でもそれは」
『婚約者』という者に対してであって、自分個人にではないのだ。ロジエははぁっと溜息を吐く。
「私は……強欲です」
自分は和平のための儀礼的な婚約者だ。それなのにこれほど大切にされて、なお素の自分を見て欲しいだなんて。決して彼に対して自分を飾ってはいないけれど。
「レクスとの婚約は強制とはいえない。彼なら嫌だと言えば無理強いしないはずだ。彼と結婚する意志が全く持てないのならばそういえばいい」
思わぬ言葉が頭上から聞こえ、ロジエは兄を仰ぎ見た。
「当初の予定通り僕と結婚する?」
にこりと微笑むシエルにロジエは怪訝な表情を返し、ぷいっと顔を逸らす。
「嫌です。その気もないくせに。兄様は兄様です。それに両国の和平はどうなるのです?」
「僕はもうレクスと争う気は起きないよ。彼もそうだと思う」
「だとしたら、私の存在はどうなるのです? 私だって国を王家を守りたいのに」
「ルベウスは君を犠牲にしなければならないほど惰弱な国じゃないよ」
「……知っています。それでも私は守られるだけでは嫌です。私が自分に出来る事をしたいと思うのはいけない事なのですか……」
「僕達が望むのは君の幸せだよ。君が幸せでないならば何をさせても嬉しくない」
ロジエは俯く。
「誰かの為に生きられて嬉しいと思うのは幸せではないのですか」
「違うね。もっと何かを欲するようにならなければ。幸せで幸せで、だから誰かを幸せにしたい。そう思えなきゃ駄目だ」
「私、幸せですよ。家族に愛されて、だから家族と国を幸せにしたいです」
「足りないよ。もっと幸せになって」
「これ以上?」
「勿論」
「どうやって?」
「自分で見つけてよ」
シエルは何でも知っているくせに肝心な事こそ教えてくれない。ロジエはむっとした顔をシエルに向けた。
「じゃあヒント……レクスに嫌われるのが怖い?」
話しの脈絡が分からず唖然として兄を見れば、シエルは答えを促すように微笑んだ。俯いて考える。隠し事をする奴は嫌いだと言われ確かに心が痛んだ。怒られるようなことをしたのは自分だが、向けられたことのない怒りの感情に不安になった。
「……そうかもしれません」
「だからって自分を偽って好きになって貰ってもね」
「そうですね」
「レクスはちゃんと君を見てるよ」
「そうでしょうか……私は…殿下が思うほどか弱い女性ではないのですが……もう少し……」
――――もう少し…自分を認めて欲しい。
そう認められたいのだ。
「レクス殿下に私という存在を認めて欲しいだけなのに…」
「頑張れ」
「……頑張って嫌われたら…殿下の方から婚姻を取り消すのでしょうか」
「さあ? 彼の思惑が何処にあるのかによるよね」
思わせぶりな言葉に怪訝な顔をするロジエを見てシエルは意地悪く笑うと話を変えた。
「ところでさ、もうすぐ休憩場所に付くからそうしたらレクスの馬に乗せてもらいなね?」
「どうしてですか?」
「いやぁ、もう、なんていうの? 視線が刺さるところが無くて跳ね返ってる状態って言うかさ。もう居た堪れなくて」
そう溢すシエルにロジエは不思議そうに首を傾げた。
レクスがずっとシエルとロジエの様子を訝しむようにちらちらと窺っているのはロジエ以外の者は当然気付いていて。
「視察団の空気が悪くなっても困るしね」
その会話が聞こえた視察団の面々は心の中で、うんうんと頷いていた。
なぜ今のレクスのままだと可哀想なのだろうか、と視線をレクスにやると丁度こちらを見ていたのか彼と一瞬目が合いふいっと逸らされた。まだ怒っているのだろうかと心が沈む。
「……でも……」
「レクスは君には怒っていないよ。あのままのレクスが城に帰ったら侍女や侍従が可哀想だしさ」
つまりはもう一度しっかりと謝って機嫌をとれという事だろうか。ロジエはわかりましたと頷いた。
休憩が済んで皆がそれぞれ馬に乗ったところでロジエはレクスの元に歩を進めた。
「あの……乗せて頂いても……?」
馬上からロジエを見下ろして、レクスは目を見開いた。一瞬間をおいて我に返ると。
「あ、ああ。問題ない。来い」
そう言ってロジエを馬上に引き上げた。すっぽりと自分の前にロジエがおさまると、傍目にもわかるようににこやかに後方に目をやって出発を伝える。
先ほどまでの暗雲を纏うような空気はなくなり、花が飛びそうな雰囲気に団員は苦笑した。
自分の前に座るロジエを窺う。先程から俯いたまま一言も発しない。いつもならこちらを見上げて楽しそう話しかけてくるのに全くの無言。それどころかいつもより座る距離が心なしか遠い。やはり怖がられているのだろうか。
ちらと後方にいるジェドとウィルに目をやると、やれと言う様に頷かれた。
「あー……ロジエ?」
「……はい?」
返事はしても顔は上げない。レクスは一呼吸おいてまずは心を落ち着けてから謝罪を口にする。
「その……町では怒って悪かった」
思っても居なかった言葉にロジエは顔を上げた。蒼い双眸が躊躇いがちにロジエを見ていた。
「怖かった、よな?」
「……そう…ですね。怒るレクス殿下は少し…怖かった…です……」
「だよな。すまなかった」
ぺこりとレクスは頭を下げる。ロジエは慌てやめて下さいと言う。
「あの、あの……私が怒られるようなことをしたのは分かっています。兄様にもよくもっと自分を大切にしろと言われます」
「そうだな。……それはシエルの言うとおりだ」
「はい……」
またもしょんぼりとしてしまったロジエにレクスはまたやってしまったと後悔して先を続けた。
「すまん。俺はいつも言葉が足りないらしい。……俺はロジエのことが心配だっただけなんだ。お前の事を大切に思っている。だから無茶はやめてくれ」
レクスの真摯な言葉を受けて、ロジエは只管に銀の瞳を見開いてレクスを見つめていた。
「……ロジエ?」
「あ……あの、私もすみませんでした……子供みたいに拗ねたりして……」
「拗ねていたのか?……怖がって近づいてこないのかと」
「…怒っているのに怖くない人ってどうかと思いますが……。レクス殿下自身のことは全く怖くないですよ」
「怖くないか?」
「全然。優しくて温かな人だと思っています」
ロジエは不思議そうにレクスを見上げた。
人から無愛想だと言われる彼であるが、それは言葉を飾らないからで、無愛想に見えてしまうのも考え事をしている時と本当に不機嫌な時だけだとロジエは思っている。
普段は声も態度も温かく優しい。ただ、よく知らない人は彼の長躯と姿勢の良さから威圧感を感じてしまうことがあるのかもしれない。
ロジエの言葉に嘘はなくレクスの顔もうっすらと朱に染まる。
「怖がって避けられたのかと」
「いえ! そうではなくて……私が…強欲なだけなのです……」
「強欲?」
ロジエはまた視線を逸らして膝に置いた自分の手を見つめた。
「……殿下は私の事呆れたりしていませんか?」
「呆れる? 何故?」
「私、御淑やかなお姫様ではありませんから」
「なんだかよく分からんが、充分淑やかだろう。お前の行動に粗雑な所はないが?」
ロジエはぱちぱちと長い睫を瞬かせる。
「本当に?……本当は視察に付いて回るような私の様なものが嫌なのでは……」
「ああ、そういう意味でか。嫌なら元より連れてこないし、確かにロジエの行動に驚くことはあるが好ましくないとは思わない。ただ自分に対して浅慮なのは自重して欲しい」
「はい。……あの、殿下は大人しい女性が好き、ですか?」
「は? 特に考えたことは無いが? どうしたんだ?」
「あの……私、武器も扱えるのですが……」
「ああ、前に言っていたし、さっきも短剣を仕込んでいたと聞いて正直驚いたが。見た目そうは見えないが、いいんじゃないか? 万が一の時自己防衛くらい出来た方が」
「本当に? 本当にそう思います?」
「ああ。……なんなんだ? さっきから」
「ふふ、いいえ。なんでもありません。でも、ちょっと安心しました」
よく分からないと言う様に眉を寄せるレクスにロジエは花綻ぶように微笑んだ。
「殿下は私の様な行動派の女は嫌いかとちょっと不安だったんです」
「嫌いなわけないだろう!」
レクスは赤くなった顔を見せないようにぐいっとロジエの身体を自分の身体に寄せた。
驚いたロジエから小さな悲鳴が上がる。それでも華奢な肩を強く抱いたまま離さなかった。
ロジエの身体はピタリとレクスの身体に密着しているが、肩の力が抜けずに強張っている。
「お前の行動も発言も間違ってはいない。その辺りは頼もしいとも言っていいが…如何せん周りに頼らなすぎる! もう少し周囲に甘えることを覚えるべきだ」
「甘える…ですか」
「そうだ。……今だって…シエルには身を預けるのに、何故俺にはしないんだ?」
「はい!?」
「俺にもっと甘えろと言っている」
これは甘えるの意味合いが違うのではないだろうか。
「え?えええええぇぇ!? だって……恥ずかしいです……」
「俺がそうして欲しいと言っても?」
「…うぅ…え、っとでは…遠慮なく……」
漸くロジエは肩の力を抜いてレクスの胸に寄り掛かる。レクスの服をきゅっと掴む手がいじらしく、レクスの口角が上がる。
(こういうところは大人し過ぎるくらいなのにな)
「……殿下はシエル兄様と全然違います……」
「うん?」
「……兄様は鍛えてはいるのですが線が細くて……」
「ああ、筋肉がつきにくいとシエルが零していたな」
「はい。でも……殿下は、その殿下も見た目は長身で姿勢がいいからか細身に見えますが、こうするとすごく大きくて…その…逞しいです。温かくて…安心します」
「そ、そうか。だったら普段からもっと甘えればいい」
「う…それは…そのう……なかなか……」
こうして前方で入り込めない空気を醸し出している中、後方では。
「おい、シエル」
「なんだい? ジェド」
「あの もだもだ両想いはなんとかなんねえのか? 見ていて歯がゆいんだが」
「あはは。君たちの王子様の恋の遍歴が見られて面白いじゃないか」
「悪趣味だな。お前」
「良く言われるよ。……ウィルも何か言いたそうだね?」
「……ロジエはシエルの婚約者だったの?」
「いや? そういう話もあったってだけだよ。一番身近にいたからね」
「レクスは知ってるの?」
「まだ。いつ言おうかちょっと楽しみにしてるんだ」
「……おっ前、本当に悪趣味だな……」
そんな会話がされていた。




