17 視察 2
砦の視察をする間、ロジエとリアンは孤児院を訪問する。
先程のこともあり、ロジエには厳重に注意し、警備の者も増やしたのだが、調査を終えて戻ったレクスは、目にしたロジエの姿に肝を潰し、また憤慨することになる。
レクスが見たのは顔や身体に血飛沫を浴びたロジエ。
しかもロジエは蒼白となったレクスを目にし、視線を反らすとシエルの影に隠れたのだ。
「何だこれは!! 何があった!? 怪我はしたのか!!」
レクスはシエルの影から強引にロジエを引き寄せた。
レクスも戦場に立ち戦っている以上、ロジエにかかった血が返り血だというくらいは分かる。だとしたら何があったかということだ。
「怪我はしていません……」
「だったら何だこれは!」
激昂するレクスに、「落ち着いて」と声をかけたのはシエルだ。
彼の説明によるとこうだ。
一人の子供が野犬に面白がって石を投げつけた。それを見咎めたロジエが慌てて注意に向かったが、犬はその子供に当たり前だが襲い掛かった。ロジエは子供の前に出て、仕込んでいた短剣を鞘に入ったまま犬の口に咥えさせ、後を追って来たシエルが犬を斬り捨て、その血をロジエが浴びた。
ということらしい。
「話は分かった。怪我は本当に無いんだな?」
「……ありません」
「子供は?」
「こちらに」
孤児院のシスターが一人の子供の肩を抱いている。少し血を浴びたようだが怪我も無いようだ。ただ、あからさまに不機嫌なレクスの様子を見て怯えているようだ。
レクスは大きく息を吐くと子供に「怪我が無くて良かった。だが自分のしたことをよく考えろ」と言って、ショックを受けただろうから部屋で休ませるよう促した。
そしてまたロジエに向き直る。
「何故隠れた」
「また軽率だと言われるかと」
「当たり前だ!!」
レクスの声にロジエが再びびくりと肩を震わせる。
「ロジエ、子供を助けたのは本当に良くやった。ただ、近くに他の者が居たのであればお前が進んで飛び出す必要は無いだろう。お前は女性なんだ。傷の残る怪我でもしたらどうする。そもそも犬が苦手なのはどうしたんだ」
「女とか男とか関係ありません。苦手とか考える前に動いていました。私が最初に発見して、兄様も居たので助けてもらえると……」
「だから!! 傍に人がいたのなら最初から他の者に声を掛ければいいんだ!」
荒げた声にロジエが身を縮こまらせる。
「お前の行動力は素晴らしいがもっと周りを頼め!」
「……すみませんでした」
「しかも怒られるのが嫌で隠れるなど。子供か。俺がその姿を見なければ黙っていたんだろう。後ろめたい隠し事はいつかバレる。俺はそういった嘘や隠し事が嫌いだ。もう二度とするな」
「はい。本当にすみませんでした……」
「わかったならいい。湯をつかわせて貰って着替えてこい」
「……はい…」
「リアン、手伝ってやれ」
「分かったけど、お兄ちゃん言い方キツいよ!」
リアンに宥められるように手を引かれてとぼとぼと歩く後ろ姿を見送って、レクスも憮然としたまま踵を返す。そのまま人気のない院の裏まで来ると壁に片手を付き盛大に溜息を吐いた。
「――――――やってしまった……」
拙い。拙いだろう。
只でさえ強面だ、無愛想だと言われて、口調だって普段から優しいわけではないのは自覚があったから自重はしていた。それなのにああも感情を露わにして叱ってしまうとは。
しかも一日に二度もだ。
怖がらせただろうな。
「はあぁああぁ……」
悲しそうな後ろ姿が脳裏に浮かぶ。
「「嫌われたら……」」
呟いた自分の声にもう一人の声が重なって、レクスは慌てて振り向いた。背後にいたのはレクスの側近の二人。
「ジェド、ウィル…何の用だ」
「何の用はないだろう。俺達はこれでもお前の護衛だぞ」
「嘘を吐け。揶揄いに来たんだろう」
にやにや笑うジェドにそう言うと、後ろからウィルが申し訳なさそうに言葉を掛ける。
「クライヴに言われたんだよ。様子を見て来てくれって」
「……全く。気を使うのなら少し放っておいてもらいたいものだ」
「そう言うな! 来たついでに相談にのってやるから!」
報酬付でな、と肩をジェドは叩く。
「相談なんかない」
「まあまあ、まずは報告。子供が泣きながら謝って来たって」
「泣きながら?」
「レクスがロジエを怒るのを見てすっごく反省したみたいだよ。『僕が悪いのにお姉ちゃんが怒られた』って。」
「『もう動物虐めたり、弱い者苛めもしない。王子様をやっつけられるくらい強くなる』って若干変な方向にいってたな」
「それはまたシスターに嗜められてたけどね」
「悪いことをしたと気付いたならいいが。やはり俺がロジエを虐めたように見えたんだな……」
ごつんと僅かに固い音をさせて壁に後頭部を預ける。
確かにあれは注意を通り越して罵倒に近かった。
「ほうら、やっぱり、嫌われて無いか不安なんだろう?」
肩に手をおいて覗き込むように言われレクスは眉根を寄せた。
「……嫌われたと思うか?」
「どうだろうなぁ?」
「まあまあ、レクス。嫌われてはいないと思うよ」
相談にのるといいつつ揶揄い続けるジェドに、仕方がないと言う様にウィルが話に加わって来た。
「ただ、怒られて多少ショックは受けたんじゃないかな……しょんぼりしてたしね」
人の機微に敏感なウィルの言葉にレクスの肩が落ちる。
「……恐がらせた…よな?」
「そうかもね」
ははっと困ったようにウィルに笑われて、とうとうレクスはジェドに問いかける。
「……ジェド、どうしたらいいんだ?」
病気がちの父の援けになる為と神剣の継承者として腕を磨くため、執務や鍛錬に夢中になるばかりで、色恋事に関せず過ごしてきたレクスは好意を寄せる相手への接し方など経験したこともない。
ただ弁明するならば、ロジエ相手でなければ、ここまで感情を露に怒ることも、それについて後悔する事も無かったはずだ。彼女以外には冷静に対処でき、例え嫌われようがあまり構わないからだ。
ロジエは自分の事には向こう見ず過ぎ、レクスはロジエに心を寄せ過ぎていた。
「恋愛経験のない男はしょうがねえなぁ……。お前が怒ったことは正しいと思うぞ。ロジエは自分に無頓着な所があるからな。ただ、一言がたりねぇんだよ」
「一言?」
「“お前のことが心配なんだ”って言えば良かったんだよ」
眼から鱗が落ちる。
「……言ってなかったか?」
「言ってねえよ!!」
「言ってないね。心配してるから怒ったんだろうけどさ、ちゃんと言葉にしてあげるとまた違うから、伝えてあげなよ」
「全くだ。俺らが言える立場じゃないが、俺達はお前の嫁になるのがロジエであることを歓迎してんだぜ。ビビらせて実家に帰るとか言われんなよな」
「そうだね。どうせ守るなら自分達の認めた相手がいいからね。レクス頼んだよ」
二人にポンと肩を叩かれる。
「帰り、どうせまたお前の馬に乗せるんだろ。その時にでも謝ってきちんと言えよ」
「分かった。善処する」
ロジエは馬車よりも直接馬に乗ることや徒歩を好む。だから行きの道中も危険の無さそうな場所ではレクスの馬に同乗させていた。
はじめて簡易な視察に同行させた際には兄であるシエルの馬に同乗しようと脚を向けたロジエであったが、シエルに言われたのか恥ずかしそうにレクスに「乗せて頂いてもいいですか」と言ってきた。駄目なはずがあるわけもなくそれからはほぼレクスに同乗する形が定着したのだ。
だから帰りの道中もそうなるだろうと思われていたのだけれど、そう上手くもいかないことをレクスはまだ知らない。




