16 視察 1
今回の視察はとある町の砦。
古くなり現在は使われていないそれを補修して使うか、取り壊すか、いずれにしても確認してからという事になり訪れることとなった。
ついでに近くの孤児院をリアンが訪問するという事由を加え、国に慣れる為と見分を広める為との名目で本人の強い希望もありロジエも随行させた。
町までは馬で二時間ほどだ。道中、危険の無さそうなところではロジエはレクスの馬に同乗させてもらったが、町が近づくとシエルと共に馬車に乗るよう促された。そしてレクスはリアンを自らの前に乗せ、馬車を守る様に隣を闊歩した。
「国境や辺境は戦役で荒んでいるところがある。そういう処ほどルベウスに対していい感情は無いだろうからね。この辺りはまだ王都の外れだから大丈夫だと思うけれど、牽制してくれているんだろう」
馬車の中、肘掛けに頬杖をついてシエルが説明してくれた。
町に入ると歓声が聴こえ馬車の窓から外を見れば、沿道には人垣が出来ている。
レクスとリアンは王族として民には慕われる存在ではあるが、それだけでなく、二人は民と近い存在でありたいという思いからよく市井と交わり、そしてそんな二人の行いに民は心を寄せていた。
何よりもレクスは世継ぎの王子にして、戦場では神剣を携え自ら先頭で戦う国の英雄だ。彼の名を口々に唱え迎える人々の顔は歓喜で紅潮している。レクスは堂々と背筋を伸ばし、時に手を上げてその熱狂に応えていた。
一人の少女が小さな花束を持って彼に差し出した。レクスはわざわざ馬を下りて少女の頭を大きな手で撫でそれを受け取った。
警備上馬車から降りることを許されていないロジエは馬車の窓からそれを心和む気持ちで見ていると、レクスがこつんと窓を叩いた。僅かに窓を開けるとレクスが微笑んでその花束をロジエを渡す。
「ロジエにだ」
驚いて少女を見れば、彼女は母親らしき女性に肩を抱かれ赤い顔でロジエを見ていた。
「降りたらいけませんか? お礼を」
レクスが傍に居た騎士に指示を与えると警備の体勢が変わった。レクス自らが馬車の扉を開けて手を差し出し、ロジエがその手を取り姿を現すと群衆が息を呑んだ。ロジエはその様子に瞬間怯んだが、レクスに手を握られて視線で大丈夫だと促されると頷いて、少女の前に進むと膝を折り視線を合わせる。
「とても嬉しいです。ありがとうございます」
ロジエが微笑むと少女は顔を真っ赤にして母親の影に隠れてしまった。
「……怖がらせちゃいました」
申し訳なさそうにその母親に微笑むと母親の方もなにやら顔を赤くした。少女は母親の影から顔を覗かせた。
「違うの! すごく綺麗なお姫様でびっくりしたの……」
少女はかあっと更に顔を赤くした。ロジエは一瞬驚いた顔をしたがすぐにやんわりと微笑んで、手にしていた花束から桃色の花を一輪抜き取ると少女の髪に挿した。
「ありがとうございます。でも、貴女の方がずっと綺麗です」
つい先日まで戦争をしていた敵国の娘に花を用意して迎えてくれた。
その心根はとても美しいものだ。ロジエはもう一輪花を抜きとると「おそろいですね」と自らの髪に挿した。
「お姫様は王子様のお嫁さんになるんでしょう?」
「え? ええ!?」
ロジエの顔が先程の少女のように赤くなる。
問われたことの答えは確かに「はい」だ。そうなのだが、改めてしかもこんなに小さな子に純真に確かめられると戸惑ってしまう。ロジエが隣に立つレクスを見上げると彼はこくりと頷いた。
「あ、その、予定です……」
わあっと群衆が色めき立つ。
僅かに居た堪れない思いでいるとロジエの肩がトントンと叩かれた。
「これ、あげる」
横で一人の男の子が広げた掌には紙に包まれた小さな砂糖菓子。それを見た少年の親らしき人物は慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません! 失礼なことを!!」
「いいえ? 甘い物好きです」
ロジエはありがとうとそれを受け取った。それを見ていた子供たちが自分も何かあげたいと親たちに騒ぎ出す。更には大人たちも、採れた野菜を持って行ってくれだの言い出した。流石にロジエもおろおろと視線を彷徨わせた。
「静かに!!」
凛とした声が響き渡った。
「皆の好意は嬉しく思う。だが、これ以上彼女を困らせるな!」
ロジエの肩を抱きレクスが憮然と言い放つ。しん、と静まり返った後でわあっと歓声が上がった。「お幸せに!」と声があがる。これまで浮いた噂一つなかった王子の嫉妬とも取れる態度に民衆は湧いたのだ。
「いっぱい貰っちゃったね!」
「はい」
暫し民の声に応え、リアンとともに馬車に戻る時には二人の手には小さな菓子が沢山のっていた。
「リアン様、ロジエ様、それをこちらへ」
控えていた騎士が貰ったものを受け散ろうと手を差し出した。リアンは迷いなくそれを渡した。けれどロジエは躊躇う。
「どうしてですか?」
「毒見が必要ですので」
「……どうして? あんなに小さな子がくれたのですよ?」
「万が一という事があります」
万が一……自分が敵国の者だったからだろうか。
けれど……優しい子供の心根をなぜ疑わねばならないのか。
「あ!」
「ロジエ様!!」
ロジエは人が止める間もなくそのうちの一つを口にいれた。リアンと騎士の驚きの声にレクスとシエルがふり返り、大股で傍による。
「どうした!?」
「ロジエ様が先程子供から手渡されたものを口に」
「馬鹿! 出せ!!」
「もう飲み込んじゃいました。……平気です」
肩を掴まれたが、大丈夫とロジエがにっこりと笑えば、レクスは顔色を失った。
「馬鹿か!! 自分が何をしたのか分かっているのか!」
荒げた声にロジエの肩がびくりと上がる。
「自分の行動が軽はずみだと分かっているのか!」
「でも、子供が善意でくれたものですよ……」
「善意なのは分かっている! その意を受けとればいい! 子供がくれた物だろうがなんだろうが、どこで誰が触れたか分からない。何が入っているかはわからないんだ」
「でも……」
「でもじゃない!! あの子供に悪意がなくともいつの間にかすり替えられたという事もある。そうなれば罪に問われるのは子供だ!!」
「あ……」
「俺達の軽率な行動は周りも巻き込むんだ。自重しろ!」
いつもは優しく温かな蒼色が厳しく光る。ロジエはレクスが本気で怒るところを初めて見た。しかもその怒りがロジエ自身に向けられている。自分の仕出かした事の所為だ。慙愧に耐えないとはこういう思いなのだろう。
ただ無闇に貰い物を口にするなと言っているのではない。ロジエはもう家臣でも一個人という身分でも無いのだ。自分の行動が自分以外にも返ってしまうことを初めて理解した。
「……すみませんでした」
ロジエはしゅんと肩を落とし項垂れたまま謝罪を口にする。
「二度としないと約束できるな」
「はい」
ぽんと肩に大きな手が乗った。
「本当に頼む。俺の寿命が縮む」
肩に置かれた手とは反対の手で目許を覆い、心底憔悴したように言われる。
レクスとしてはただただ心配なだけだったのだが、ロジエは益々自分の浅はかさが申し訳無くて恐縮してしまうのだった。




