15 王族である為に
本屋を出た後も、案内がてら城下を巡った。ゆっくりと、休憩を挟みつつではあるが数時間も歩いているというのにロジエは疲れたとは一言も言わない。
途中武器や防具の店にも入ったが、興味深そうにレクスの話を聞いていた。それをクライヴ辺りに言えばきっと「女性を連れて行く店ではないでしょう」と苦言を呈されるだろうが、ロジエは「また来たいです」と言うのだ。
夕刻が迫る頃、高台から影の伸びた街並みを見てロジエが訊ねた。
「殿下は良く御自分で城下を視察されますが訳を聞いても?」
「訳か?」
「危険だと咎められることあるでしょう?」
「ああ、あるな。だが……そうだな…王になる為だと俺は思っている。城に居ては見えないものがあるだろう。民の思いやその暮らし、その土地でどんな人物が何を判断してそう決めたのか、人の話を聴いて推し量るのは俺には難しい。自分の眼で確かめた方が確実だ」
城下に出るようになり、王子として城の中で学んだことが現実とは隔たりがあることを知った。
「王子としているだけでは得られないものも得ることがある。友人と言える側近の者と会えたのもそうだし、城下にいる者達との考え方の違いに驚かされた事もある」
幼い頃は、民には多くの場合、“質より量”が選ばれる事すら知らない無知だった。
「時流は城に居るだけでは掴めない。宮廷にいると気付かずに宮廷のことだけで精一杯になってしまうことがあるんだ」
宮廷は華やかなだけではない。くだらない権力争いや陰謀の渦だ。
「きっとずっと籠っていたら世間の動きや変化を感じることが出来なくなってしまうだろう。それで国を治めるなんて到底無理だ。無論全て自分で確かめるなんて無謀なのはわかっている。その辺はジェドやウィル、そのまた友人などに頼っているが。……民と直接会うのも好きなんだ」
自分に向けられる掛け値なしの敬意。勿論羨望や憎悪もあることは否めない。けれど、自分を統治者として認めてくれる彼らの瞳を曇らせないように努めたい。
「国は城の中ではなく外にある。王となり国を治める者として出来る範囲でいいから自分で確かめ、考えたい。その思いを失くしたくないんだ」
どこか遠くを見つめるようにするレクスをロジエは見て、そして瞳を閉じた。
「王子様がレクス殿下で良かったと思います」
国を統べる者がレクスであることはサフィラスにとって僥倖だといえる。
これほどまでに国と民を憂い愛してくれる君主はそういない。
「殿下はどうして国に民がいると思いますか」
「どうしてって。……どうしてだ?」
「王様が王様でいるためです」
「は?」
「国民が一人もいないと王様になれないんです」
「はは! 確かにその通りだな!」
「守るべき民がいるから王族でいられるのだから、感謝し、恩を返さないといけません。国に民がいるからこそ王族は王族でいられます。民とはその国にいるだけで王という存在を守っているのです」
「……なるほどな。それが民を守る理由か」
「はい」
民を守るのが王族の務めだと、幼い頃から言われてきた。疑問に思ったことは無く、理由を考えたこともなかった。そうするものだと思い、性に合っているとさえ思っていた。
漠然と国や民を守らなければと思っていたが、守る理由を初めてはっきりと理解したような気がした。
「お前は面白いことを考えるな」
レクスはロジエの頭を撫で、頭巾から零れた髪をさらりと梳いた。
「今日はありがとうございました、レクス殿下」
「ああ、本が手に入って良かったな」
「はい。それもですけど、それ以上に忙しいのに付き合って頂いたのと……贈り物が嬉しかったです」
レクスは微笑むロジエを眩しそうに見つめた。
「……喜んでくれたならそれでいいさ」
レクスがロジエに向ける眼差しも何処までも優しく見える。
「お忙しいのにいつも私の為に時間を割いて下さって、本当に感謝しているんです」
傍から見れば完全に二人の世界だ。けれど次に発したロジエの言葉に緩く弧を描いていたレクスの口元が引き結ばれる。
「今まで随分城下のことも案内して頂けましたし、もう一人でも買い物に来られます」
「……一人で城下に出せるわけがないだろう。また連れて来てやる」
「子供ではないのですから一人でも平気です」
「一人は駄目だ」
ロジエの提案はレクスの鋭い声で一刀両断される。
「では兄様か殿下の側近の方にお願いして……」
シエルやレクスの側近。確かに彼らであれば信用はできるが……。
「いや、俺に声をかけろ。いつもは無理かもしれんが出来る限り俺が一緒に行く」
「でも……」
「俺より他の者の方がいいのか?」
先程までとは打って変わり、レクスの表情は憮然としている。彼がロジエに心を傾けるように彼女はレクスに傾倒していないのだろうことが窺えて面白くないのだ。
「そんな事はないです! ただ、あまり、お忙しい殿下に迷惑を掛けては……」
「そんな理由なら俺にしておけ。婚約者なんだからもう少し甘えればいい」
遠慮がちなロジエにレクスは溜息交じりに頭を撫でる。
――― 婚約者なんだから ―――
今までにも幾度か言われたその言葉がロジエの頭を巡る。
彼が大切にしているのは婚約者としての存在であって自分ではないのだと、自己完結してどこか寂しさを覚えていた。
なぜそんなことを思ってしまうのか。
唯の政略の婚約者である自分をこれほど大切にしてくれる彼にこれ以上なにを望むと言うのだろうか。
自分の浅ましさに心で溜息を吐いて、ロジエは顔を上げるとレクスに笑顔を向けた。
「では、また連れて来てくださいね」
その答えにようやく満足したのか、レクスはロジエの手を取ってゆっくりと王城の方角へ歩き出す。僅かに先を歩くレクスに、ロジエは少し歩調を速くして隣に並んだ。
「あの……隣を歩いてもいいですか」
どこか躊躇いがちに見上げる彼女に僅かに驚いて。
「もちろん。構わない」
レクスは瞳を細めて微笑んだ。
前を歩く後ろ姿を見るのも、後ろを歩く姿を振り返るのも心が躍るのは間違いない。
手を引くのも引かれるのも悪くない。
けれどもふと横を向くと彼女の横顔が目に入る方が嬉しさを覚える。
こうして隣を歩くのが一番好ましいのかもしれない。
そう考えながらレクスは夕焼けの中の城を見やる。
彼と彼女の想いが交錯するのはもう少し先ではあるが、連れだって歩く未来の王と王妃の姿に城下の人々はサフィラスの明るい未来を思い浮かべ微笑むのだった。




