14 城下へ
ロジエは見た目とても大人しそうな女性だ。ドレス姿で見た肩や腕、腰は細く、覗く肌は透き通るように白い。重ねた手は小さく柔らかくて少しでも力を入れたら簡単に折れてしまいそうだった。その姿はまさに深窓の令嬢で、慎ましく従順な女性にしか見えない。
けれどもそれは城の外に連れ出すたびに覆されていくのだけれど。
初めて一緒に城下に行ってみないかと誘った時の輝いた顔は忘れられないだろう。
「歩いて行ってみたいです!」
と子供のように瞳を輝かせた。馬車で流れる景色を追うのではなく、自分の速度でものを確かめたいと。
訊けば、ルベウスでも歩きで城下を廻っていたそうだ。ただ、それはシエルの監視のもとだったという。それにはちゃんと理由があった。シエル曰く、幼い頃城を勝手に抜け出したロジエが攫われそうになった事件があり、それ以来勝手な外出を禁止したそうだ。「ロジエは見た目よりずっと無鉄砲なんだよ。目を離すと居なくなるから気を付けて」と忠告された。ロジエは「それは小さな時の話です。もうひとりでも平気なのに」と剥れていた。
だが、シエルのそれは確かな情報だった。好奇心が旺盛なロジエは、様々なものに興味を持ちふらふらとそれに吸い寄せられるように移動を繰り返す。幼子が迷子になる状況にそっくりだった。
その為、城下に出る際は常に手を繋ぐことを約束させた。このことに下心が全く無いとはいわないが。
「殿下! 急いでください。本が誰かに買われてしまいます」
今日も嬉しそうにレクスの手を引いて城下に続く石畳の道をロジエは歩く。以前城下を訪れた際に、連れて行った本屋の主人が熱心に本を選ぶロジエを見て今日異国の本が数冊入荷することを教えてくれたのだ。
ロジエは本が好きだ。それは彼女の部屋に新たに備えられた大きな本棚をみたり、足繫く城の図書室に通う姿を見てもやすやすと窺えた。実際素養も高く難解な文面もすらすら読んで理解してく。辞書もなく古語や外国の本を読んでいるのには驚いた。
「そんなに急がなくとも、あの店主ならお前が来るまで売らずにいてくれるだろう」
「そんなことは分かりません。あそこのお店は品ぞろえが珍しいことで収集家には有名だとジェドさんが言っていました!」
「だから城に取り寄せればいいと言ったのに……」
「もうっ! ちゃんと中身を確認して必要なものだけ買うんですよ。なんでも買えばいいと言うわけではありません」
むうっと口を尖らせるロジエにレクスの喉がくっと笑う。
言う事もやる事も全く姫らしくない。店まで自分の脚を運び、欲しいものを自分の眼で選んで買うと言うのだ。これでは節約家の町娘の様だ。自分を着飾ることにしか興味がないような貴族の令嬢達にはまず見られない姿に普段無愛想と言われてしまうレクスの相好も崩れてしまう。
「……どうして笑うんですか? どうせ女らしくないとか、子供っぽいとか思っているのでしょう?」
「そんなことは思っていない。…そうだな、可愛いと思っている」
ロジエに並び、繋がれていない方の手で頭巾を被る彼女の頭をポンポンと撫でる。
「ほら、子供扱いです……」
「そういうつもりはないんだが」
「もういいです! 急ぎましょう!」
そうしてくるりと踵を返すとロジエはレクスの手を引いて足早に歩いていく。
(王子が女性に手を引かれて歩くとはな)
レクスは確かな足取りで前を歩くロジエを見つめた。
貴族の令嬢の口癖は「殿下のお気に召すままに」だ。それは何かの合言葉なのかと問いたくなる。何を訊いても、どこで仕入れた情報なのかレクスの嗜好に合わせた返事をしてくるのだ。自己を晒さないくせに“自分を見ろ”という自己主張だけはしてくる。それはとてもではないが奥ゆかしいとはいえないもので、溜息を吐きたくなる。
ロジエは自分の意見や考えをきちんと口にする。人の意見を無視するわけででもなく、自分の意見を押し付けることもない。相手の考えも受け入れて更にこれではどうでしょうと新しい意見まで提供してくれる。
勿論、駄目なことは駄目とはっきり言う。以前仕立てた服の代金を全てレクスの元に請求が来るように指示をだした時には「一婚約者にすることではありませんよ。無駄遣いはいけません」と一蹴され驚いたのは記憶に新しい。
王子から贈り物をされるというのは栄誉と言える。だが、レクスに特にはそんな意思はなく単にロジエに贈り物をしたかっただけで、それを口にすれば「品物ではなく、代わりに同行できる視察がありましたらご一緒させて下さい」と言われてしまった。
いずれ国を支えられる有力な貴族令嬢か自分の立場の邪魔にならないような慎ましい女性と結婚するつもりでいた。
けれど彼女は邪魔にならないどころかより自分を高めてくれる相手だと理解した。
優しく勉強家な彼女に相応しくならなければと思う自分に驚いた。
“王子が女性に見合う様になりたい”と思っているのだから。
これでも人の上に立つように教育され、自然そうなるように振る舞い、そうしてきたつもりだ。それなのに彼女といるとさらに向上心を持てると言うのは不思議なものだ。そうして手を引かれているのも決して嫌ではない。けれど……
「ロジエ、道が違うぞ。左だ」
「え? そうですか?……」
ロジエはピタリと脚を止めてきょろきょろと辺りを見回した。
「こっちだ」
レクスはロジエの手を引いて路地を曲がる。今度はロジエがレクスに付いてくるように歩く。後ろに聞こえる小さな足音にレクスの口元がふっと緩む。
(やはり自分が手を引く方がいいな)
それはもちろん道案内だけの事ではなくて。
レクスは振り返りロジエに向かって穏やかに笑った。
「お城にお届けしましょうか」
選ばれた本を束ねながら店の主人が伺を立てる。
レクスの顔は城下では良く見られるものだ。彼は視察も兼ねて城下を良く廻る。もちろん好奇の目で見られることも多々あるが、それでも慣れた者ならば普通に接してくれる。ここの店主は殊更朗らかだ。ロジエと出歩くようになる前は本屋になど顔を出すことは無かったが、今では居心地の良さからもこの店のお得意様状態だった。
「ああ、そうだな。持って歩くには邪魔になるからそうしてもらうか」
「……すみません」
ロジエは俯いて小さく答えた。結局ロジエは六冊の本を選んで購入した。八冊入荷したうちの六冊である。しかもどれも重厚な装丁の分厚いもの。邪魔であり重すぎる。
「お嬢様。そう畏まらなくても……。貴女様の欲しそうな本を入荷しましたからねぇ。仕方がないですよ」
壮年の店主は軽やかに笑う。ロジエの素性はある程度わかっているだろうが、その上で“姫”ではなく“お嬢様”と呼んでくれているのだろう。
「高価な本をたくさん購入いただきましたからね、私から一つ粗品をお贈りしましょう」
店主が取り出したのは小さなショーケース。中には光を受けてきらきらと輝く細工物が入っている。
「……綺麗です…」
「これは栞、だな」
レクスはその一つを手に取った。先端に青い硝子のチャームのついた銀細工の栞だ。それをもとに戻し別の物を手に取る。こちらはリンゴの形をしたやや大きなガラス細工。
「重いな。こっちは何に使うんだ」
「それはペーパーウェイトです。どれも仕入れたばかりでまだ店頭に並べていません。お好きなものをお一つどうぞ」
ロジエはケースの中を見た。レクスが手に取った物のほかに様々な色や形のチャームのついた栞や、小鳥や王冠の形のペーパーウェイト。どれも綺麗で目を引くものばかりだ。けれど、店頭に並べていないと言うだけあって値段が付いていない。ロジエはちらりとレクスを見た。
「……どうやらこの店はお前の好みの物を集めつつあるようだな。これからも贔屓にする代わりにひとつ貰えばいいだろう」
ふっと笑ってロジエの頭にぽんと手を置く。すると店主の方もにこりと笑って。
「どうぞご遠慮なく」
「え、えと、では……よく見てもいいですか」
躊躇いがちにそう言って、ロジエはショーケースをもう一度まじまじと見つめた。
「レクス殿下」
「ん? 決まったか?」
「この青い薔薇のついた栞と青い蝶のペーパーウェイト、どちらがいいと思いますか?」
ふむ、とレクスはロジエの指さした二つを見比べた。
「そうだな、ではこちらのペーパーウェイトを貰うといい」
「は」「で、この栞は包んでくれ」
ロジエは「はい。お願いします」と答えようとしたのだが、上からレクスの言葉が被さり振り返った。
「殿下?」
「これぐらいは受け取ってくれるだろう?」
「ですが……」
「ちゃんと使ってくれれば無駄遣いにはならん。それに俺にだってそれくらいの手持ちはあるし、これくらいを買ってもいいくらいの働きはしているはずだ」
事実レクスは成人してから『もう一人の王』といわれる位に働いているのは城内外でも有名だった。
「そうですよ、お嬢様。ここは王子に花を持たせませんと」
店主はすでに栞を箱に詰めて包んでいる。ペーパーウェイトの方は割れないように紙に包んで袋に入れられていた。包装し終わると店主はペーパーウェイトをそのままロジエに、栞はレクスに渡した。レクスは受け取ったそれをロジエに差し出した。
「受け取ってくれ」
「え、あの……嬉しいです。ありがとうございます」
受け取って頬を朱に染めてはにかみながらそう言うロジエは本当に可愛らしく、思わずレクスも緩みそうな顔を片手で覆った。
「あ、あの、ご店主も…ありがとうございます。大切に使いますね」
「いえいえ。その微笑みだけでおつりが来ますよ」
どうぞこれからも御贔屓にとの言葉を受けて店を後にする。帰りしな、伝票にサインするレクスに店主がこっそりと、「プレゼントは二人きりの時に贈った方がいいですな」とにやりと笑った。レクスは「次はそうするからいい品が入ったら教えてくれ」とロジエに聞こえないように言うのだった。




