10 神剣と五芒星
春の近さを思わせる温かな光の中、中庭のベンチで雑談中に、ロジエはふとレクスの腰の剣帯に挿された剣に目を止めた。
「それが神より賜った神剣なのですか」
「うん? 知っているのか?」
「はい。私も一応、ルベウスの王族という扱いで、特に隣国のことは教育を受けましたから」
サフィラスの王位は王と正妃の子に継がれる。そして、王位の証として神孫降臨の際に神から賜ったとされる神剣が継承される因襲があった。
「見てみるか?」
レクスはすらりとその長剣を抜いて見せた。
美しい剣だ。柄頭に蒼い大きな宝石が埋め込まれ、鍔と柄頭に繊細な細工が施されている。何よりも刀身が青白く輝いているのだ。剣を動かすと光を受けて青の色調が様々に変わる。鋼や銀などという鉱物には見られない輝き。だからといって宝石とも違う。
「何で出来ているんでしょう?」
「鉄、らしい」
「え?」
「この輝きはサフィラス王族のもつ神力という力を帯びているからなんだ。通常は普通の鉄剣とそう変わらない。この剣は剣としての性能よりも宿った神の霊力が重んじられている。神と代々の王の神霊の加護が加わって、これを持っていれば無敗でいられると言う。いわば最強の御守りだな」
「建前で御座いましょう?……その剣は王族の神力が剣に認められて初めて神剣となり、本来の力と鋭さを発揮する、と言われているのでしょう?」
レクスが「やはり知っていたか」と笑う。ロジエも微笑んで頷いた。
「なぜ建前で通しているか訊いても?」
「お守りと言うのも建前ではないんだぞ。ただ……神の血が薄れているのだろうな。この剣に認められる王族が少なくなっているんだ」
「そうですか。ですが、レクス殿下は」
「ああ、俺は剣に認められた」
そう答えるレクスにあるのは誇らしさと何故か諦観のようなもので、ロジエが不思議そうにみれば、きまりが悪そうに微笑まれた。あまり聞かれたくは無い事のようだと、話を続けた。
「何故、神剣として使わないのですか」
「うん?」
「兄様が言っていました。戦場でも普通の剣として使っているようだと。それでも普通を超越しているが、とも言っていましたけれど」
サフィラスの王子の剣技は凄まじいとシエルは言っていた。“素晴らしい”ではなく“凄まじい”だ。
そして、そのカリスマ性は剣技以上に得難いものだと。戦場にレクスがいるのといないのでは兵の士気に雲泥の差がある。劣性を容易に覆せる程の腕と存在感だとよく言っていた。わかる気がした。彼はとても大きな包容力と慥かさを感じる。不思議と彼がいれば大丈夫だと思えてしまうのだ。
「お見通しか。蒼皇の時代から人と人の戦いには人の力で対するようにとの教えがあるんだ」
「そうなのですか」
「ああ。それにシエルもだろう? 彼も戦場で神導力をそれほど使っていないらしい。ルベウスの血も薄まっているのだろうと言われているが、彼は違うだろう?」
「わかりますか。確かに兄様は稀有な力をお持ちです。けれど、代々力が弱まっているのも事実です。精霊師の力自体も弱くなっていますし、自然の力を行使できると人を圧するよりも王族の徴程度に思わせていた方がいいと。それにルベウスにも教えがあるのです」
我々は神の血を引く子であって神ではない。
人の世を治めるは人であり、神ではない。
神の力は人を守り導き治めるもの、支配するものではない。
強い力は畏怖を生む。
恐怖ではなく信頼で人を治めなさい。
「何百年も前に神殿に仕えた巫女の神託だそうです。ルベウスの王家はそれを大事としています。ですから、兄様は戦場でも余程の事が無い限り人の力のみで戦います」
「なるほど。同じような教義があるのだな」
レクスが剣刃を確認するように持ちかえるときらきらと青い波が揺れた。
「そうだ。持ってみるか?」
「え? ええ!? いいのですか!?」
ほら、とレクスは笑って剣をロジエに手渡した。
「あ!? おもっ 重いです!」
レクスは分かっていたのだろう、剣から完全には手を離さずに支えてくれている。そうされていなければ重みで手を痛めていたかもしれない。レクスはこの剣を片手でも簡単に振るっていた。だから余程軽いのだろうと思ってしまった。軽いと思って受け取ったから余計に感じるのかも知れないが、それでも重い事には変わりない。
「俺には重みが然程感じられないんだ」
レクスは剣を受け取って、危ないからと鞘に納めた。
「え?」
「それこそ普通の鉄剣程度の重さだな」
「それも継承者ならではですか?」
「さあな? もともと力と体力が人並外れているらしい。神の加護だというものもいるが……例えばな」
「きゃあ!?」
レクスが立ち上がったかと思うと、ひょいっとロジエの身体が抱え上げられる。
「!? 軽過ぎだろう!?」
突然横抱きにされたロジエは当然驚いたが、抱え上げたレクスはそれ以上に驚いた。女性一人くらいなら軽く抱き上げられると言おうとしたが、彼女は人ひとりの重さとはとても思えない程軽い。華奢だとは思っていたがこれで大丈夫なのだろうかと心配すらしてしまうほどだ。
「ルベウスではこれが普通なのか……?」
「人と比べた事なんてありませんよ!」
「そうか……」
「もういいですから、降ろして下さい!」
「ああ、すまない」
そっとロジエを降ろし、まじまじと彼女を見つめる。ロジエはリアンの三つ年上で、身長もロジエの方が少し高い。けれどリアンはこれほど軽かっただろうか。いや、リアンも軽い方なのだ。ロジエの身長は女性の平均的なものだと思う。身体は全体に華奢だが女性として出るべきところは出ているし貧弱ではない。ならば人と違うところは何だと考える。
「何でしょう?」
「ロジエももしかして神子の徴があるのか?」
知叡神の裔、ルベウス王族の証として左胸に顕れる五芒星の徴。
ルベウスの王族は力の大小はあれ神導力と言われる精霊を召喚出来る力を持って生まれてくる。
もともとルベウスは魔力に突出した国であり、その力を持つものは利き手の甲に赤い三角形に似た形の力の徴を持って生まれてくる。その者を精霊師と呼ぶ。土、水、火、風の中で突出した力の記号が刻まれるが、王族は全ての力を備える徴の五芒星が心臓の上に刻まれると言われているのだ。
つまり、近年サフィラスで精霊師と言われる存在はもともとはルベウスの精霊師だ。蒼皇から百年の平穏な時代に血が混じり、ルベウスに比べてかなり稀少だがサフィラスでも生まれてくるようになったと言われている。
「いや、ロジエは正確には王妃の血筋だったな。王の血は継いでいないか。そもそも女性には表れないのか?」
「…………っ」
自問するようなレクスの問いにロジエは言葉に詰まった。
「どうした?」
「あ、の……レクス殿下のお心の中だけに留めておいて頂きたいのですが」
「ああ。他言無用というのなら守るぞ」
「ルベウスの王と王妃、それからシエル兄様しか知らない事です」
「ああ」
「その、徴は…あります」
「……ある……?」
「はい。左胸にあります」
「左、胸」
復唱して、かっと顔に熱が集まる。
「ああああ! すまん!!」
別に謝るような会話では無かったのだが、レクスの慌てぶりにロジエもつられて頬を染めた。
「い、いえ、見せることは出来ませんけど……」
「いや! 見せてくれとは言わんが……その、えーと、それは、どういうことか訊いてもいいのか?」
躊躇いがちな問いにロジエはこくりと頷いた。
「ルベウスでは王位が王族の中でも左胸に五芒星の徴のある者に継がれます。そして、稀にではあるのですが、その徴が直系以外にも表れることがあります。それは王位継承の徴ですので、過去には幾度か継承争いが起き、王位が傍系に移ったりしたのだそうです。傍系では三代程血が薄くなると左胸に徴が表れる者はいないと言われていますが、稀にこういうことがあるのでしょう。長い歴史の中でどこで誰の血が混じっているかはわかりませんし、私の祖先にも王族がいたのかもしれません」
サフィラスでは王位継承権が直系のみとされていて、神剣継承の儀も直系の正妃の子が五つになるときに行われる。正妃の子が神剣に認められなくて初めて側室の子は神剣に触れることが許される。けれど、側室の子が認められたというのは正妃に子がなかった場合のみと記録されている。近年では王の子が誰も神剣に認められない代もあった。その場合は正妃の長子が第一王位継承権を持つ。傍系に至っては神剣に触れる事すら許されていない為、一つの王家が建国以来続いている。だが、形に見える徴として表れてしまうルベウスでは王位の争奪があるのだろう。
「それが内密にしたい理由か」
「はい。シエル兄様は王として全く遜色のない方ですし、私は王位に興味がありません。ですが利用されてしまう可能性もあるということで」
「なるほどな。王族の胸の徴は金だと言うがやはりロジエも?」
「それが、その、私は銀、なのです」
「銀? なにか意味があるのか?」
「兄様が調べたところ銀の徴を持つものは滅多にないらしく、記録にあったのも二例で二人とも女性だったそうです。胸の徴は男性は金、女性は銀のようで。金は四大元素の中央の元素で古代には太陽、男性を示すもので、銀は四大元素の頂点にたつ元素で月、女性を示すそうです」
「そんな意味合いがあるのか」
「それでですね、えーと……昔は銀の徴のあるものは“王の花嫁”だったそうです」
「な、に!?」
それではロジエはシエルの!?
レクスの懸念が伝わったようにロジエは慌てて否定した。
「あの、私は、違います。今では銀の徴の事を知る者はいないようですし、兄様が調べて初めて分かったことですから。兄様も王夫妻も婚姻については縛られる必要はないと言われて、だからこそ徴は隠した方がいいと」
「ああ、そうか」
「力自体もなるべく使わない方がいいと……。だから私は兄様の指示で力があっても戦場の前線に立たせてもらったことはありませんし、基礎的な事にしか力を使ったことが無いので何が何処まで出来るのかがよく分からないのです。本当は王家に仕える者としてはこれではいけないのですが、大きな力を見せるのは私の為にならないと言って」
不本意だという様にロジエの表情が曇る。本当は王家の為、国の為になるのならばいくらでも自分の力を利用して欲しかった。
「ルベウス王も妃殿下も兄様も私が精霊師としてよりも普通の娘として生活することを望んでいます。ですから必要以上にこの力は使ってはいけないと。使えばそういう目でしか見て貰えなくなるというのです」
それでなくとも、娘、妹を戦場に立たせたいと思う家族はいないだろう。
「命の危険やそれに類することが無い限り必要以上の力は使わないと約束してます」
「ああ、その方がいい。俺もロジエにはあまり力を使って欲しくはないな」
「……私ではお役に立ちませんか?」
柳眉を下げるロジエに、レクスはそうではないと微笑む。
「サフィラスでは精霊師は人数もいないため護国に努めてもらっているので戦場の前線に立つことはそもそも無い。だから彼らは研究者のような存在になりつつあって、平時では自らの知識欲を満たすことに没頭しているだけだ……そういえば、ロジエも本ばかり読んでいるな。精霊師というのは知識欲の塊のようだな。さすが知叡の神の裔か」
「まあ! それは誉めているのですか!?」
「勿論。俺は座学が苦手だからな」
「ルベウスには“叡知は徳である。それは最高の善である”という訓誡があるのですよ」
「国を上げて勤勉なのか」
「でも勉強好きなだけでは人の役には立てませんから」
「ロジエは随分と人の役に立ちたがる」
「そこにいていいような気がしますので」
「ロジエ、間違えるなよ。役に立つから居て欲しいんじゃない。俺は…いや、俺だけじゃなく皆、ロジエの事が大切なんだ。大事だから傍に居て欲しい。お前を危険な目に晒したくないだけだ」
「でも」
「ただ、そうだな。サフィラスでは精霊の力を持つものは少ないから、例えば旱魃の地に雨を齎したり、雨続きの地の雨鎮めなんかでこっそり力を貸してくれると助かるな」
優しい笑みを浮かべるレクスと見上げ、ロジエはきょとんとした後で満面の笑みを浮かべた。
「わかりました。勉強しておきますね」
レクスはくしゃりとロジエの頭を撫でる。
「気負う必要はない。……ロジエ、大事な事を話してくれてありがとう」
「いいえ。夫婦になるのですもの。……兄様には本当の事を話すかどうかは自分で見極めるよう言われていたのですけれど、やはり殿下には知っておいて欲しかったのです」
「そうか。ロジエの事は俺が守るから心配しなくていいぞ」
「いいえ。私が殿下をお守りします。私、神導力が無くとも戦えるのですよ」
ふわりとロジエは微笑む。
「は?」
「幼い頃から剣の指導を受けていました。精霊の力を使わずとも戦えます」
儚げな彼女には似つかわしくない言葉にレクスは驚きを隠せない。確かに護身術程度に剣技を身に付けることもあるだろうが。
「腕が十分とは言えませんが殿下の盾くらいにはなれる筈です」
巫山戯たことを言う。どこの世界に好いた女性を盾にする男がいるというのだろうか。
「俺は自分で自分の身は守れる」
「知っています。レクス殿下はサフィラスの武神の裔で神剣の継承者。その腕は確かだと。……お傍に居る以上盾になるくらいの覚悟があるという事です」
「逆だ。ロジエ。俺がお前を守る」
「……私も自分の身は自分で守れますよ。力もありますから」
「それでも、だ。俺がロジエを守ると決めた」
「では、私も勝手に殿下を守らせてもらいます」
「……意外に頑なだな」
「よく言われます」
ふふ、と柔らかに微笑みながらもその瞳の輝きは毅くて、彼女の言葉が詭弁ではない事を醸していた。
銀の髪に
銀の瞳
そして神に祝福された力も銀に輝いているという。
銀は月の象徴とされ「白い輝き」を意味する。
魔を払う光であり、その輝きは「純粋」「無垢」な神聖なもの。
それは彼女そのもののようだった。
レクスの神剣の性能のモデルは日本の三種の神器“草薙の剣”です。日本神話では草刈りにしか使われていない残念な最強のお守りのようですが、レクスは普通の剣として使っています。
四大元素の話は嘘ものです。中央に“金”はありません。




