9.5 余談 騎士日記1 間の悪い人
4話の「枝を踏む音」の正体です。
今日は長い間争いを繰り返していた隣国ルベウスの姫君を我が国サフィラスのレクス王子の婚約者として招いての歓迎夜会だ。
国中の貴族や諸外国の賓客も多いこの日、俺達騎士は警備という重責を担う。今夜の俺の担当場所は会場に面した表庭だ。一人の僚友と共に槍を片手に庭を巡回する。
バルコニー下に来たときに、俺は頭上から聞こえた声に姿勢と表情を改めた。
チラリと声の聞こえる方へ視線をやると、なんとそこには俺達騎士が仕える王子レクス殿下の姿があった。
隣に居るのはなんとも可愛らしいご令嬢。
俺は夜会の警備を何度となくしているので、ある程度令嬢の顔はこっそりと拝していた。しかし、王子の目の前で微笑む女性は初めて目にした。
月明かりに輝く銀の長い髪に、白く細い身体。その顔は人形のように整い美しい。
妖精か!?
それがその時の心情だ。
「……嫌な思いをさせただろうか」
我らが王子の声が聞こえる。
レクス王子は親しい方からは絶食系と言われるほどに女性に無関心だ。こういった夜会などもお好きではなく、成人する前は面倒という態度が端々に滲んでいた。しかし、世継ぎとしての自覚が弥が上にも王子を変えたのだろう。適度に付き合いを見せるようになったレクス王子はその精悍な顔立ちも相まって御令嬢方…のみならず町娘達まで、いやもっと言ってしまえば商売女ですら憧れるという存在だった。しかしレクス王子は群がる女性達に一定以上の興味を見せられず、どれほどの美女に言い寄られようが表情と態度を崩すことが無かった。勿体無い……。
「ロジエ」
もう一度王子の声が聞こえた。この御令嬢はロジエ様というらしい。と、いうことはこの方が“妖精姫”といわれる隣国の姫か。なるほど! 妖精だ!
「はい?」
令嬢も柔らかな声で答える。そういえば、レクス王子が女性と二人でいるところなど初めてみるなとぼんやりと思った。今思えばこの時その場を離れれば良かったのだ。
「……ロジエ、と呼んでも?」
「ええ、はい。勿論構いません」
「ロジエ」
なんですか!? その声は!?
レクス王子は良く通る澄んだ声をしている。
武神を祖とするこの国で王子は剣技を得意とし軍務にもつく強者だ。並みの騎士では足元にも及ばぬほどに強く、反面俺達のような下っ端の兵にも気軽に会話に応じてくれる気さくな方だ。騎士として命を懸けてお仕えするに値する素晴らしい方なのだ。
練兵場や公の場で聞く声は凛と澄み強さを滲ませる。それが、その王子がこんな声をだすのですか!?
甘い。甘いです! 王子!!
しかもその顔を見ればなんと、あのレクス王子が笑っているのだ!!
それも、いつも令嬢に向けられるような儀礼的な笑いではなく、とても慈しみに満ちた顔をして……!!!
その響きと笑みに御令嬢も気付いたのか頬を染めている。
うっわ、まじ可愛いんですけど。
じゃなくて!
早く、早くこの場を離れなければ!! 胸の内で警鐘が鳴り響く。
早くこの場を辞さなければきっととんでもないことが待っているに違いない!!!
俺は手にしていた槍の柄で呆然としている友をそっと突いた。
気をしっかり持つんだ! 友よ!! 逃げるぞ!
と目で訴えたと同時、頭上からその声が聞こえてしまったのだ。
「俺と結婚してくれないか?」
!!!???
求婚!? 求婚しましたか!? 王子!!
いきなり! いきなりすぎませんか!?
っていうか婚約って決定なんですよね!?
何で求婚!?
内心で凄まじく狼狽する横で、パキリと小さな音がした。
あほおおおおおおおぉぉぉぉ!!!
よりにもよって友は足元の小枝を踏んでしまったのだ。友の顔は蒼白だ。きっと俺も同じ顔をしているに違いない。
レクス王子はもともと気配に敏感だ。今まで近くに控えていたことがばれなかったことがおかしいのだ。それほど注意がロジエという御令嬢に向いていたのだろう。
レクス王子は音のした方を一瞥した。つまりは俺達の顔を見咎めたのだ。
……背筋が凍る……
そんな稀な体験をし、俺達は死を半ば覚悟してそっと、そっとその場を辞した。
次の日………死を覚悟した俺達への刑は(たぶん)軽い物だった。
求婚が上手く行ったのだと思ったが、そうとも言い切れないことは後で知った。それでも王子の機嫌は良かった。
レクス王子直々に名を直接呼ばれ、一人十合の手合せを行う。やはりあの一瞬でもしっかり顔は覚えられていたらしい。ついでにクライヴ騎士団長辺りに表庭の警備をしていた俺達の名を訊いたのだろう。
辛い。辛いっす、王子。
レクス王子は合せて二十合の手合せだ。碌に息の乱れもない。なんなんですか、その体力は。
若さ。若さですか。王子。
レクス王子は御年十九。自分たちは二十代の半ばである。歳など関係ない。強いものは強いのだ(立場含む)。
実力確かな王子直々の手合せというのは周りから見れば羨望の的だ。だが、終わった後の俺達の有様をみて仲間達からは「お前ら何をしたんだ」と訝しがられた。
言いません。言いませんとも。俺達は貝ですから。口は開きません。
石造りの壁に背を預け(寝転がりたいがそれは拙い)ぜいぜいと肩で息をして、肉刺の潰れた手で痺れた腕をさすり俺は心に誓い、これくらい(これくらいと言っていいのかは甚だ疑問ではあるが)の罰で許してくれた王子に改めて忠誠を誓った。
訓練後、どうにか立ち上がり礼を述べる俺達に王子はふっと穏やかな笑みを向けて下さった。
ああ、その笑顔に令嬢はやられるんですね。
「よく俺と十合も打ち合えたな。見込みがあるぞ」
よっしゃ! 褒められた俺!! 名誉挽回っすね!
と思った束の間、王子は俺達の間に立ち肩にぽんと手を置いた。身長の高い王子はやや身を屈め俺達に囁いた。
「だが、覗きは良くないぞ」
背筋がぞわりとするほど底冷えのするひっくい声で。
抜けなかった自分の腰を褒めたいくらいだ。
普段から王子は叱らなければならないときはしっかりそのようにする。大きな声で叱りつけることもあるし、良く考えろと窘めることもある。とてもわかりやすい叱り方で、筋も通っているので受け入れて反省もしやすい。ついでにいうと、王子と言えど戦場に立ち続けた為か本気で怒っている時の気配は半端ない。口を開かれる前に土下座したくなる。そんな王子は八つ当たりなどしたこともないし、公明正大な方だと俺を含めた皆が思っている。
今回俺たちは王子のプライベートを覗いてしまったに他ならない。あんなところで(いきなり)求婚する方が悪いですよ、などと言えるわけもない。真っ直ぐ過ぎるほど実直な王子は女性を口説く所など見られたくなかっただろう。俺だって見られたら嫌だ。だから八つ当たりではない……はずだ。
しかし、翌日俺達は寝台から起き上がることが出来ないほどの筋肉痛に苛まれ、職務に就くことが出来ずその月の貴重な皆勤手当を逃すことになった。
こっちが罰なのだろうか……?
ともあれ団長と立ち去る後ろ姿に、絶対に本気で怒らせたらいけない人だと改めて俺達は悟ったのだった。




