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[一四]陰湿な権謀術数が、根暗人間の専売特許とは限らない

「イデデッ──ちょ、ギブ……。参りましたって」

 僕は情けない声色で、降伏を宣言した。念押しとして、きめられていない側の腕で相手の肩をタップする。

 何度も何度も。

 ややしばらく間があって、束縛を解かれた。

『やっとかよ』と思ったのもつかの間、今度は足の裏で腰を蹴られる。気を抜いた絶妙のタイミングってこともあり、僕は前傾姿勢でよろめき、ぶっ倒れた。

「ぎゃふん」

「一本、それまで!」

 ボウズの後輩部員が面白おかしく審判のモノマネをして、試合終了を告げた。畳の床でうつ伏せになった僕へ、ニタニタする。

「天城せんぱーい、師匠が弟子に追い越されちゃ、世話ないっすね」

「うっせーぞ。僕の心配はいいから、とっとと練習戻れ」

「へ~い」

 気のない返事をした後輩は刈りこんだ頭の後ろで手を組み、所定の場所へ引き返す。

 僕は腕立て伏せの要領で起き上がり、道場の端へと移動した。今しがた技をかけられた相手に手招きする。

「話があるからちょっと来て」

 頭髪をポニーテールに結わえ、凛とした袴姿の美少女が従う。僕が正座すると、目と鼻の先で同じ姿勢になった。

 座るなり、感情の欠落した面差しで言う。

「お呼びでしょうか、師匠」

「能登さん、技のキレが増しているのは喜ばしいことだよ。指導者として、僕も鼻が高い。加えて今日は、いちだんと気合いが入っているみたいだね」

 能登さんが『どうよ』というふうに鼻を鳴らした。

「ただ、僕が降参の意思表示してるのに、関節ねじり続けるのは感心しない。もはや虐待とか折檻だ。あと最後足蹴にしたのだって、妙に力がこもってた気がするんだけど」

 平たく言って、〝怨念〟っぽいものを感じたし。

「一所懸命の志に準じたまで。訓練の段階から真剣勝負で臨むべき、と思って」

「いーや。何か僕に含むところがあるんでしょ」

 能登さんが『嫌々』という具合に首を振る。

「他意はない」

 百パー虚偽報告だな。

 だって彼女、僕と目を合わさないもの。

「正直に言ってご覧。僕は『怒らない』と、八百万の神に誓うから」

 僕はワシントン大統領の父になった心境で、自供を促した。

 能登さんは数瞬目を泳がせたのち、

「近親相姦への戒め」

 誰一人予知不能なトンデモ発言に、道場内が水を打ったように静まり返った。

「だだだ、誰と誰のことを、おお、おっしゃっているのかな」

 僕のどもった口調が静寂な屋内に響く。

「巡とあやめさん」

 燃えたよ。燃え尽きた──真っ白にな。

 僕は口から魂が抜け出たんじゃないかと、錯覚した。


♯ ♯ ♯ ♯ ♯


 僕と能登さんは、部活の早退を余儀なくされた。

 彼女の根も葉もない『姉とのただれた関係発言』が尾を引いたためだ。

 立ちくらみがする。どうにか取り繕わないと、道場に出入り禁止はおろか、二度と部活に参加できなくなるかもしれない。

 まぁいいさ。いざとなったら、どうとでもごまかせる。

 最悪『能登さんが宇宙からの怪電波を受信』という落とし所にすればいいのだ。

「能登さん、今後一切『近親うんぬん』は他言しないでください」

 てくてく通学路を帰る中、僕は哀願した。

「……うん」

 あからさまな不服が透けて見える。

 不愉快なのは僕だけどね。

 どういった経路をたどれば、ああいう昼ドラ的発想になるのだろう。能登さんの想像力には驚かされてばかりだ。

「分かってくれればいいよ。ところで一つ教えて欲しいんだけど、どうして遊園地でリスの着ぐるみをまとってたのかな」

「アルバイト」

 能登さんは終始一貫して僕のほうへ目もくれない。

 一応質疑応答はするみたいだが。

「いつからあそこで働いてるの」

「あの日だけ」

 短期の日雇いバイトってことか。

 にしても天城三姉弟が行く日とかぶるってのは、なにがしか因果関係あるのかな。

「ひょっとして僕のスケジュールと」

 僕が言い終わる前に、電子音でかき消された。

 ケータイが着信を告げる、無機質な音。

 僕のではない。自宅以外は常にマナーモードだし。

 能登さんがスクールバッグからスマートフォンを抜いた。液晶画面を見下ろして、顔を曇らせる。知らない番号からの電話なのだろうか。

「もしもし」

 居留守を使わず、応答する能登さん。ちと不用心じゃないかな。

「……どうやってあたしの番号、知ったの」

『おや』と思った。

 口ぶりが、見ず知らずの相手用じゃなかったので。

「金輪際かけてこないで」

 能登さんは拒絶のセリフを吐いて、通話を切る。そのままスマホの電源まで落とすほどの念の入れようだ。

 よっぽど生理的に受けつけない輩なのかもしれない。

 通話相手を聞くべきか聞かざるべきか煩悶していると、いやが応でも電話機を握る能登さんの手が目にとまった。

 小刻みに震えている。

 どう見たって、ただごとじゃない。

「今の相手は誰だい、能登さん」

「さ、さあ。間違い電話」

 彼女、能面のような顔を保てないほど動揺しているらしい。

 鈍い僕でも難なく見抜ける。

 でまかせだ、と。

「みだりに行使したくないけど、師匠の強権を発動する。誰なのか教えて」

「道場の外には、師弟関係ないはず」

 心穏やかじゃないはずなのに、聡明さは失ってないようだ。

 能登さんの指摘は的を射ている。

 でも正攻法が封じられたなら、奇策を弄するまで。邪道は僕の十八番だ。

「分かった。だったら友達としてのお願い。ケーバンを交換しよう」

 能登さんがいぶかしげに僕を見つめてくる。真意を推し量っているのかもしれない。

 僕の意図など単純明快だ。

 連絡先さえ把握していれば、万一彼女に不測の事態が生じたとき、駆けつけられる。

『能登さんのアドレスゲットしたい』などという邪心のなせる業ではないから。

 とまぁ小話はさておき、このごろ能登さんと二人で下校していると、見張られてる気がするのだ。ねっとりとした視線が体中まとわりつく感じ。

 初めのうちは、おなじみのお騒がせ集団〈ASEAN〉かと思った。僕がぼっちになる頃合いを見計らって来襲するに違いない、と踏んだのに仕掛けてこない。

 当てが外れるばかりか、能登さんを家へ送り届けたあと、怪しげな気配がぱったり途絶する。ゆえに僕は仮定してみた。

 不審人物の狙いは僕でなく、能登ひまわりじゃないか、と。

 彼女が『間違い電話』と称する相手、前述の尾行者と同一人物とも限らない。

 慎重になりすぎても、バチは当たらないと思う。

 能登さんが考え抜いた返答を口にする。

「あたしたち、いつの間に友達だったの?」

「そこから!?」僕は身振り手振りも交えて訴えた。「ってゆーか、僕は能登さんにとってどういう存在なのかな」

「前に巡が言ったでしょ。〝単なる〟クラスメイト。あとクラブ活動の時間内だけ師匠」

 ぐぬぬ。返す言葉もない。

 でもやたらめったら『単なる』を強めなくてよくないかな。やけに当てこすりっぽい。

「もういいよ。身のほどわきまえてませんでした」

 僕は道端に落ちている石ころを蹴った。能登さんが転がる行方を目で追う。

 とんでもないほうへシャンクして、下水道に落ちた。

「すねないで。『教えない』とは言ってない」

「え、いいの!」

 諦めムードからのどんでん返しだったため、思いがけず大声になってしまった。

「うん。悪用しないなら」

「僕が悪徳業者じみたマネ、すると思うの!?」

 能登さんは即答せず、奇声をあげる僕を観察した。

「思わない、かも」

 わずかに空いた間と、奥歯に物が挟まる曖昧表現が加味され、トリプルショックだ。

 彼女は打ちのめされる僕を眺めて、悦に入ったらしい。もう手も震えていない。

 予想通りサドの申し子だよ、まったく。

 能登さんがスマホの電源をオフにしてるので、赤外線通信などはできず、互いにノートを破った切れ端に、番号をメモって交換した。

 もののついででメールアドレスも書いてもらったのだが、能登さんの@マークの前部分に『FumaKotaro』って人名があり、知られざる一面に触れたことも付け加えておく。

 能登さん、歴女なのかもしれない。


『情緒不安定か』というくらい短時間でテンションが浮き沈みするうち、アーケード街に差しかかった。黄昏時なので夕飯の買い出しに訪れる主婦層が多い。

 僕らは寄り道する予定もないので、連なる店舗はシカト。出口が見えてきたところで、唐突に進行方向をふさがれた。

 男子中学生が一名、立ちはだかっている。

 されど一向にしゃべりかけてこない。能登さんと同類で人見知りなのだろうか。

 って、この影の薄さと内気な感じ、見覚えがあるような──

「あっ君、妹と同じ学校で、お友達の」

 正確にはルミちゃん配下の座敷わらし君だ。

「は、はい。ルミ様には、いつもよくしてもらってます」

 この子が言うと、妹にハイヒールで踏みつけられて、「ありがとうございます」と歓喜する姿しかイメージできないのは、なぜだろう。

「こちらこそ、妹がお世話になってるね。で、何か用かな」

「あ、あの、そちらのお姉さんに」

「えっ。もしかして能登さん、彼と知り合いだったりする?」

 能登さんはきっぱりと首を横に振った。

「だと思ったけど、彼女にどんな用事だい」

 座敷わらし君が言いにくそうに口を開閉している。

「ば、罵声を浴びせるよう依頼されてて……」

「おいおいおい。どこのどいつだよ。そんな頭の悪い頼みごとするの」

「すみません。依頼人について、口を割っちゃいけないんです」

 へどもどする座敷わらし君。

 おっ。ぴーんときたかもしれない。

「責めないから教えてくれ。ここ数日、機会をうかがって僕らのこと、つけてた?」

「は、はい。ごめんなさい」

 僕が感じた陰気な追跡者の気配、彼によるものだったのだろうか。

「実は最後通牒されてまして。今日を逃すと、見限られちゃうんです。それだけは絶対に嫌だから、気が重いんですけど、お兄さんの前に出向きました」

 斟酌せず弱き者をこき使う手口、すんごい親しみ深い。

 おぼろげながら点と線がつながってきたぞ。

 同時に頭が痛くなってくる。

「君がゲロったってことは伏せておく。だから答えて。君に指令を下したのは誰あろう、〝僕の妹〟だね」

「え、と……はい」

『公明正大』は美徳だろうけど、きっと彼にスパイの適性はないと思う。

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