消された『私』
サロンで腰を落ち着けていても、アレクライトの視線は扉に向いてばかりだ。楓が心配なのだろうが、1人にしてと言われたので、行きにくい。
月華は手に持ってた財布から、いくつか小銭を取り出し、3種類の紙幣といくつかの硬貨を取り出したあと、財布をアレクライトに向かってポンと投げた。反射的にアレクライトはキャッチしたが首を傾げる。
「アレク、それ部屋に置いてきてくれ。しまうの忘れて持ってきちまった」
雑に用事を押し付ける。まさに雑用だ。
「え? え?」
「部屋に置いてきて」
「あ、はい」
アレクライトは行っていいのか、まずいのか判断できないまま、サロンを出て行った。
月華はうんうん、と頷いて閉まったサロンの扉を見ていた。
「ゼラ、これわたしらが使ってたお金」
パッとゼランローンズに向き直り、月華はテーブルにお金をならべる。
100円が銅貨 500円が大銅貨 1000円札が銀貨 5000円札が大銀貨 10000円札が金貨の換算と思ってる事を伝える。
「町を見た感じ、大体似通っていたから、お金に関しては雰囲気的に掴んだ。時代が変われば、物価も変わるだろうけど、これ記録に使って」
「いいのか? 月華の持ってたものだろう?」
月華は頷く。使用できないお金に執着する気はない。
記録としては実のあるものになるだろう、と硬化と紙幣をゼラに差し出した。
「ゼラさんや」
「ん? どうしたツキカ」
「記録のタネを差し上げたので、褒美のお菓子を所望する」
「承知した」
サロンに平和な時間が流れているかたわら、楓のいる部屋へ重たい足取りを向けるアレクライト。
「オレを部屋に向けるためだよな……」
部屋の前に着くと、泣き声はもう聞こえてなかった。ノックをしてみるが返事がない。
そっと扉を開くと、楓は座り込んだ場所にいたまま、ぼーっと虚空を見てるようだった。
アレクライトはその隣に座って、楓の手をそっと握る。
「……月華は、なんであんなに、強いのかしら?」
既に前を向いてる彼女は、逞しく強かで輝いて見える。楓はその背を見てるだけのような気がして、いつか置いて行かれそうで、不安と恐怖が迫り上がってくる。
「ツキカは、いい言い方をすると、切り替えが早いんだよ。『そんな事より筋トレしようぜ!』で多分殆どの事柄を切り替えれると思うよ」
「……女の子にそんな事言っちゃだめよ……ふふっ」
ようやく笑った楓に安堵して、手をさらに握り、楓の目を見て、柔らかく微笑み言葉を贈る。
「カエデ、この世界で大切なものたくさん作ろう。今まで出来なかった、やってこなかった事に挑戦して、沢山楽しいこと、面白い事を見つけて欲しい」
「そうよね、これからを見ないとね……。もう戻れないんだし、気にしちゃだめよね」
「何かしたい事ある? 向こうじゃできなかった事でも、こっちなら文化的に問題ないかもよ?」
「そうね、人生のやり直しも悪くないかも。運がいい事に保護者もいるしね?」
楓の笑みに、ほんのり頬を紅潮させるアレクライトが、可愛いなと思いながら立ち上がる。
「ごめんなさい。思いっきり泣いたらスッキリしたわ」
アレクライトは立ち上がり首を振る。
「この世界の事情に巻き込まれた貴女には、出来る限り助けになりたい」
「ありがとう」
部屋を出るとメイドから、ゼランローンズと月華は記録保管庫に戻った事を伝えられて、そのまま記録保管庫に足を向ける。
保管庫では月華が難しい顔をしてる。
「あ、楓……大丈夫か?」
「えぇ、ごめんなさい。もう大丈夫」
「そっか、ごめんな。面倒くさい可能性を炙り出した上に……」
「いいの、もう。早く記録読んでしまいましょ!」
楓の表情はスッキリしたのかとても明るかった。泣き腫らして赤くなっていた目を、そっと月華は覆って癒す。
「ありがと!」
「おぅ。んで、楓……ロシア語とドイツ語、フランス語読める?」
「え、絶対に無理だわ。大学でイタリア語なら齧ったけど、ほとんど忘れたわ」
「よし、8、9、11代目の記録は読めない!」
翻訳チートは日本⇔異世界のみだ。日英、日独、日露、日蘭などの外国用辞書にはなり得なかった。
諦めて10代目、12代目の記録に取り掛かる。
「10代目聖女は、神社にいたところ召喚された……23年前の人か……」
月華は記録をパラパラめくり、音読と日本のものを説明していく。
楓は半泣きになりながら音読してる。
「12月1日
朝ごはん ルッテパンとローストビーフのサンドイッチ
昼ごはん ミシャ牛のミルクスープとノナパン、ステヤチーズのハンバーグ
夜ごはん シェフの気まぐれサラダ、エイダ魚のアクアパッツァ、コンソメスープ、シャシャパン
………全部ごはん日記だわ、食べたもののみ。レシピなし、感想もなし」
「だね。非常にシンプルで、書きやすいね…………」
当時の食事事情の記録だろう。全部読み上げる。ほかの聖女と違って毎日欠かさず書いていた。ひとまずある記録は2000日、6000食分。
食事記録に終わりが見えない気もしながら、読み上げと書き取りを無表情で続けていた。




