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99、攫われた先は


「……なぜライナルト様がこちらに?」


 いまいち状況は飲み込めないが、突然の美形の登場に使用人さんが呆然としている。ライナルトは頭から外套を被り、髪も邪魔にならないよう括っている。

 どうぞ、というまえに彼がすでに一歩中へ入り込んでいるのは、後ろの人物に押されたせいだ。


「私から説明が必要かな」


 シスである。こちらも若干質素、もといラフな格好になっていて、ライナルトの後ろからひょっこりと顔を出していた。


「その前に扉を閉じさせてもらうよ。や、出たのは良かったのだけど、全員揃うまでもう少しかかりそうでね。馬車も置きっぱなしだと目立つし、魔法で誤魔化すのも面倒くさい。君に話もあったし、しばらく置いておくれ」

「……お断りする理由はありませんが……ええと、すみません。少々そこでお待ちいただけますか」

「椅子でももってきてくれたらここでもいいよ」

「そんなことできるとお思いですかっ。……庭に出ている子に伝えてちょうだい。数日前と同じようにね」

「は、はい、かしこまりました」

 

 この日は数日前と同様に、ジェフ兄妹と使用人さん一名と私しか家にいなかった。ウェイトリーさんやヴェンデル達は学校見学へ、使用人さんとベン老人方は買い出し、秘書官達は商業区や港へ出払っている。

 皇太子を待たせるのは忍びないが、庭に出ているチェルシーを彼らと会わせるわけにはいかない。使用人さんに伝言を伝えに走ってもらったこの家は入ってすぐ、玄関ホールの横が応接間になっているので、そこにライナルト達を入れてしまえば万が一もあり得ないだろう。


「あ、ついでに隣の家を見ておこうか。ライナルト、こっちだこっち」


 待てぇ! 

 シスがライナルトの服を引っ張って奥へ……つまり庭へと誘導しようとするではないか。向こうはジェフ達が逃げたかまだわからないのに! というか客人が勝手に歩き回るんじゃない!

 思わず二人の服を掴んで引き留める。ライナルトから驚いたような雰囲気が伝わってきたが、それどころではない。


「に、庭はお止めいただけ……せめてお待ちいただけませんか! ちら……散らかっているのでとてもお見せできる状況では、なくて!」

「下町の安宿ほどじゃないだろ。私は気にしないよ」

「私が、気にします……!」


 そういう間にもシスはライナルトを引っ張っていこうとするし、こいつ本当に……!


「……シス、無理矢理上がり込んだのは我々だというのを忘れるな。それと皺になるからやめてくれ」


 助け船を出してくれたのはライナルトだった。


「カレン、こちらの部屋で待たせてもらってもよろしいか」

「はい、はいそちらでしたらもう全然! はい! むしろそちらでお願いします!」


 今度はライナルトがシスの首根っこを掴んで、文句を言いたげな魔法使いを引っ張っていく。ありがとうライナルト! 呼んでもないのにやってきたのは許さないけど!!

 お茶の用意をして応接間に入った頃には、シスはすでに我が物顔でだらしなく座っている。ライナルトの方が大人しいくらいで、どちらが偉いのかわかったものではない。へらへらと笑うシスは淹れたお茶を一口、「まぁまぁ」と素直すぎる評価を下した。ウェイトリーさんほどの腕前はないし、わかっていても目の前で言われるとカチンとくるものである。


「エレナから熱を出してたと聞いたけど、元気そうだねぇ。もう動いても大丈夫なのかな」

「一応は、といったところです。今日は念のため家に……。そうでした、ライナルト様、学校への口添えありがとうございました」

「大したことはしてませんよ。無事に入学できそうですか」

「お陰様で二人とも志望校に通えることになりました。生憎今日は見学のために出払っていますけれど、弟がいずれお礼に伺わせていただきたいと話していました。ヴェンデルはともかく弟の入学は難しいところでしたから……突然許可をいただけたので、本当に驚きました」

「移住者の転入は時間がかかりますからね。お役に立てたようならなによりだ」

「……カレンお嬢さん、私のこと嫌いかな」


 極力関わらない方が良さそうな人と思っているだけです、と言えたらどれほど楽か。愛想笑いで適当に誤魔化そう。

 しかしライナルトと世間話に興じ続けるわけにもいかない。私に話を聞きたいと言っていたが、いったいどういうわけで我が家に来たのか。そして時間までとはどういう意味か。話を聞いてみると、なんとも意外な答えが返ってきたのである。

 なんと彼ら、隣の空き家の調査にやってきたというのだ。しかも後からエレナさんやニーカさんといった面々も揃うらしく、そうそうたる面々である。


「もしかしてエレナさんに相談した隣家の騒音と関係ありますか?」

「あるといえばあるけど。でもまぁ、ここまで大所帯になったのはエレナから話を聞いて……。そうだねぇ、簡単に言ってしまうと、もしもというかまさかというか。わずかばかり心当たりがあったからなんだけど」


 ……うん、まったく意味がわからない。

 しかしそれ以上語るつもりはないようで、わざとらしく話を誤魔化そうとする。珍しく仲介役を果たすのがライナルトになる有様だ。


「説明をする気がないのなら紛らわしくするな。……カレン、シスが真面目に答えることはないだろうから、発言は深く考えないでもらいたい。ただ彼の言葉は我々にとってそれなりに意味を伴うものだ。それ故に足を運んだと考えてもらえないだろうか」

「ライナルト様が直接赴くほど、ですか」

「私は……いささか興味があった、という他ないが」

「聞いておくれ、なんと私が拐かした」


 ライナルトが黙り込む。あ、これシスの言ってることが正しいな? でもライナルトは大変なのだと思ってたけど、実はそんなことないのだろうかと疑問が浮かぶ。


「……カレンが病気と耳にしたので、顔を見ておこうと思ったのですよ」

「あら、それはありがとうございます。ご覧の通りほとんど回復しておりますよ」

 

 シスがご機嫌でお茶を飲んでいる姿は、見た目に反して少年のような無邪気さも感じさせるから不思議だ。けれどあまりいい話を聞かないせいもあって、彼の言動はつい警戒してしまう。

 だけど、お隣の調査か……。彼らが乗り出すほどの事態って、まさか皇帝に押しつけられた難題に関わりがありそうとか?


「それでカレンお嬢さん、本題だ。ちょぉっと教えてもらいたいのだけれど、君達がきいたっていう言い争いはどんな内容だったんだい」

「内容? それは男女の……そうですね、若い女の人っぽい声と男性の怒鳴り合いです」

 

 毎度毎度喧嘩をしているし、ずうっと五月蠅いなあと思っていた。シスは一体なにが気になっているのだろう。


「ふーん。内容はあんまり気にならないんだけど……。それじゃあ、もっと具体的な内容を話してもらえるかい。なにか気になる事を言ってた?」

「具体的な、ですか。……そうですね、ええと」


 夜中、金切り声をあげて怒鳴る女とそれを上回るような男の声。内容を思い返すと、ふと、その内容が思い出せないことに気がついた。


「ええ、と」

「どうしたんだい?」

「ごめんなさい。なぜかうまく思い出せなくて。変ですね、確かに毎晩、あれほどうるさいなぁって……」


 あれ? そういえば、私もヴェンデルも怒鳴り声とは話したけど、詳しい内容を皆に説明した覚えがない。夜中の声はなんて叫びながら喧嘩をしていたのだろう。


「あ、あの、すみません。嘘じゃないんです、夜中に何度も起こされたから絶対間違いないのですけど、どうしても内容が思い出せなくて」

「……なるほど、うん。じゃあいいよ」

「シス」

「大丈夫、お嬢さんを疑ってるわけじゃないさ」


 そしてシスは長椅子に横になる。あろうことかライナルトの膝に頭を乗せると、しばらく寝る、と宣言したのである。


「揃ったら起こしておくれ。ボクは少し寝る」


 一人称を変えるほど眠たかったのだろうか。シスを膝枕することになったライナルトはシスを除けようとはしなかった。寝転がった男性の呼吸は次第に規則正しいものに変じたのである。


「……本当にねちゃった。いいんですか、寝かせてしまって」

「昔からこういう性格ですから、私が言っても聞きはしませんよ。シスは風が吹くたびに気分が変わるといってもいい」

「帝国付きの魔法使い、ですよね」

「我々に対しては従順です。従順にならざるを得ないとも言えるが、どちらにせよ私が見ている限りは命を無駄に扱うことはない。ですからカレン、そう警戒しなくても大丈夫ですよ」

「べ、べつに警戒はしていませんよ。ライナルト様の前だと、シスの雰囲気が違うなぁと思ったくらいです」


 少し語弊がある。ライナルトもまた、シスの前だと雰囲気が柔らかい。コンラートにいた頃、シスが彼を「友人」と評していたのも嘘ではなかったのだろう。まだまだ私の知らない一面があるのだ。

 シスが寝入ってしまってからは適当な話で場を濁したが、相変わらずコンラート家の者が帰ってくる気配はない。エレナさん達が訪ねてくる方が早かったのである。

 エレナさんが顔を見せるのと、シスが目を覚ましたのはほぼ同時だった。欠伸をしたシスは「庭を見たい」といって案内を頼んだのである。

 エレナさんは始終そわそわしており、ずっとこちらに話しかけたそうだったのだが……。


「シス、先にカレンちゃんへ説明したいんですけど」

「不要だよ。もし正解だったら話してあげたらいい。確証もないのに、いたずらに怖がらせるのはやめておくんだね。なにより君たちが集まってたら目立ってしょうがないだろ」


 怖がらせるってどういうことですか。

 気になりはすれど、どうもこの場においての発言力はシスの方が上のようである。エレナさんは「ごめん」と言いたげな様子で、そんな彼女を責める気にはなれない。

 シスは私だけを連れて庭に向かった。チェルシーは下がらせたし、あるのは日当たりの良い庭だけだ。奥に向かって小道が走っているが、近々ベン老人の手で彩りを加えられる予定である。

 シスは空き家の二階、三階が見える位置まで移動すると顎をさすりながら窓やテラス席を眺める。ただの壁しか映らないのだが、彼にはなにが見えているのだろう。

 時間にして一分もなかった。

 シスは玄関に戻ると、ライナルト達に「なにか隠してある」と一言だけ告げて外に出たのだ。その一声だけはいつになく真面目だったから、同一人物かと疑ったほどだ。

 空き家と我が家の前は馬車でうまく隠れているが、ニーカさん、ヘリングさんを含めすでに十名程の人間が揃っている。いずれも階級が高そうな人達で、以前宮廷で見かけた護衛官も二名ほどみかけた。


「殿下、騒がしくなる前に参りましょう」


 ニーカさんが告げ、一同が中に入るのを見送る……はずだったのだが、おもむろにシスが引き返してきた。


「君もおいで」


 腕を掴み引っ張りだすではないか。ライナルトが眉を顰め、ニーカさんは彼の言動を咎める。私も抵抗を示すのだがシスはおかまいなしだ。


「シス、彼女は軍属ではない。我々の捜査に加えるわけにはいかないだろう」

「わかっているよ。わかっているが、なんだかうまく躱されそうな気がしてるんだよ。帝都内にありながら、私がまったく気付けなかったってことを考えてほしいね」

「私が行く意味がわからないのですが……」


 会話の間にも隣家の鍵が開けられ、扉が開いている。うちと同じように数段の階段を上がって玄関を潜るタイプのお家だ。中には家具一つ見当たらず、それどころか壁や床といった木材のあちこちが傷んでいるような印象さえ見受けられる。シスに引きずられるように連れて行かれるのだが……。


「釣りみたいなものさ。わかるだろう? 針と糸だけで獲物を待ったってなにもひっかかりやしないんだよ」

「とっても不穏な発言ですね。私、いますぐ家に帰りたくなってきました」

「心配いらない。私がしっかりと捕まえて……」


 ヘリングさん先導で、ライナルト達が中に入っていく。それに続くようにシスや私も玄関を潜るのだが、その瞬間だ。

 ――ぐにゃり、と視界の歪みを感じた。


「あ」


 あ、ってなに。あ、って。

 シスの素っ頓狂な声だけが耳に残っている。目眩がして、前後不覚に陥ると足下が喪失したような気がして膝を折る。胸が苦しくなって、堪らず胸を押さえつける。ぎゅっと目を瞑っていると次第に落ち着いてくるので、ゆっくり、深呼吸しながら呼吸を整えた。

 あとは目を開けて、顔を上げるだけで――……。


「……は?」


 我ながら間の抜けた声が出た。

 え? なに、ここどこ。

 周りには誰もいない。それどころか場所が違う。

 さっきまで玄関にいたはずで、背後は外だったはずなのに、私の後ろは壁である。そして見渡す限りの視界は、そう大きくない一つの部屋である。

 理解が走る前に、ざあ、と血の気が引いていく音が耳に届く。

 部屋は暗いけれど、窓から差し込む明かりで部屋の中はかろうじて見渡せる。

 床中に敷き詰められたふかふかの絨毯、意匠の凝った木彫りの机、レースが張った天蓋付きの寝台。悪くない部屋だけれど、この広さで天蓋付きの寝台は大きすぎて不釣り合いだ。

 無言で息を呑んだが立ち上がりざま、無意識に一歩下がっていた。壁に背中をぶつけるが、そんなことに気を取られている暇はない。

 埃っぽい空気が鼻の奥をつく。くしゃみの衝動が襲ってきたが、痛いくらいに鼻を摘まむとおさまった。

 ――どうしよう、どうしたらいいの。

 部屋の奥にある一点から目を離せない。

 机、机の方だ。人形や枯れた花がささった花瓶が乗っている。机には椅子がセットというのが当たり前なのだけど、そこに座るように『それ』があった。

 顔は見えない。何故なら身体は俯いて、頭から机に突っ伏しているから。さらに長い頭髪が顔全体を覆って頭部を隠している。

 隠している、けれど。

 …………涙が出てきた。

 誰かに助けを求めなきゃいけないとわかっているけど、声を出したら『それ』が起きそうな錯覚に囚われて動けない。

 だって、だって、予測してない。こんなのは知らない。

 さっきからぴくりとも動かない『それ』を凝視しているけど、ボロボロの夜着から覗く首の後ろや、垂れた腕が異常なまでに細い。ほとんど骨だけの状態に皮がくっついているだけの状態で、あり得ないくらいに黒くて細いのだ。慣れてきた目は床に点々と落ちているものの正体をつかんでしまった。数多の蠅の亡骸がここに在る意味を深く考えたら……。

 まってまってまって、まだ、まだだめ。心の準備ができてない。

 両手で口を押さえて、ゆっくりと呼吸を整える。視線を下げた瞬きの直前、目前に夜着からのぞく白い足がみえたのは気のせい、気のせいだ。だからぞわぞわと背中や腕に走る鳥肌も違うのだ。目を開けたら足なんてなかったし、理解するな考えるなとそればかりを自分に言い聞かせる。

 すぐ横には扉があった。自分でも笑えるくらい震える手でノブを掴んで回すと、カチャリ、と小さい音が鳴る。このちっぽけな音が私にどれだけの勇気を与えてくれたか、説明してもしきれないだろう。

 『それ』を見ないようにして扉を潜ったが――。


 

 あったのは、また、同じ部屋、で。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 長い間読ませてもらっていますが、ここにきていきなりのホラー展開!意表突かれたわー。でも楽しみです。
[一言] シス…。 カレンさんがトラウマになりませんように。
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