58、記されていたのは果たせない望み
後に思えば、この時の私の姿は滑稽、或いは悲惨なものだったのではないかと思う。間違っていないのならその場に集まっていた男女十数名、主にファルクラムの武力を預かる立場の人だったはずだ。
口上は……さてどうするか。こういったことは苦手だが、開幕までライナルトの助けを借りるのは気が引ける――。などと考えていたところで、自らの失敗に内心で舌打ちした。
違う、そうではない。
ここで私はやらなければならないことがある。ライナルトより早く進み出ると両膝をついて頭を垂れた。振動で鈍い痛みが増し、鉄錆の臭いが鼻をついたが、コレはある程度覚悟の上の行動だ。
「わたくしは夫と共にコンラート領を預かる身でありながら、陛下の民を守ることかなわず……夫たるカミル、そして嫡男であるスウェンが命を落としました」
幸い、痛みのおかげで苦しむ表情や仕草は問題なかった。ずる賢かろうがなんとでもいってくれ。どんな事情があろうがコンラート領が落とされたのは事実。私はここで失態を詫び、その上でコンラートの名誉……ひいてはヴェンデルが帰るべき場所を守らねばならないのである。
「多くの民と兵を失い、敵をして勝ち誇らせたのはわたくしどもの失態にございます。この罪はいかな裁きをもってしても贖えるものではございませんが、恥知らずにも生きてかえりましたのは陛下に仔細をお報せしなければと愚考したため」
顔は上げない。いまは陛下の顔を見ることは出来ない。ただ家を失った女の子としてなら泣き叫ぶだけで許されただろうが、ここに立つのは辺境伯の妻である。
襲撃された、為す術がなかった。本当はたくさん話したい、伯達に落ち度なんてなかったと訴えたい。だがここで無為に叫ぶのはただの言い訳になる、と長年の勘が囁く。
「コンラート領は襲撃により墜ちました。この罪はすべてわたくしどもにありますれば、残った者達にはどうか寛大なご処置を賜りたく……」
「おめおめと生きて戻ったのか」
静まりかえった広間に響いた声は陛下のものではない。聞き覚えのある、微かに怒りを含んだ声は第一王位継承者であるダヴィット殿下のものだった。誰かが彼を止めたようだが、まるで聞きやしない。
「夫と子を失っておきながらみっともなくも生きて帰るとはなんたる醜態か。辺境伯夫人、コンラート領は闇夜に乗じて襲撃を受けたのだったな、早馬がそう報せたぞ」
「はい」
「なぜ気付かなかった。コンラート領はなんのためにあの場所に居を構えることを許されたと思っている。ラトリアの脅威に備えるためだぞ、あの老人はそんなことも忘れたか!」
……髪で顔が隠れていてよかった。おかげで頭上から降ってくるしょうもない言葉に浮かぶ怒りを見せずに済む。我慢、我慢と唇を結んだところで割り込みが入った。
「――ダヴィット」
「陛下からも何かおっしゃってください。こんな――」
「黙れ。わしがいつお前の発言を許可したか」
男が息を呑む音が聞こえた気がした。静かだが、決して抗えない重低音は煮え立った溶岩そのものだ。油断すると呑まれ火が飛び移る。背筋がぞわっと粟立っていると、今度はくすくすと笑いが響いた。
「……兄上、場をわきまえぬ発言は相変わらずですな」
「なんだと?」
ジェミヤン殿下の兄を小馬鹿にしたような笑いに、ダヴィット殿下がまともに反応する。しかしこれすらも父王には耳障りだったようだ。
「ジェミヤン、お前もだ。子供のようにみっともなく囀るか」
「――は? ……いえ、あの」
「囀るか、と聞いている」
「…………失礼いたしました」
悔しげな謝罪であった。あからさまな落胆の息を漏らした陛下はライナルトの名を呼ぶ。先に送っていたという簡易的な報告の内容と詳細を確認していくのだが、途中私にも何度か話を振られた。ライナルトの報告に偽りはなく、淀みなく答えていたのではないだろうか。
「……捕虜は捕まえられなんだか」
「賊とはいえ命令は行き届いていたようです。捕らえる前に自害を図り……」
「だが、ラトリアの者で間違いないと?」
「身体的特徴は一致しております。おそらく間違いないかと存じます」
ライナルトは捕虜がいないと言ったが、この発言が妙に引っかかった。エレナさんも捕虜などいないと言い張っていたけれど、普通賊と正規軍を比べれば後者の方が力量が勝っていると考えるのが普通だ。ライナルトの騎兵は実力もあると聞いているし、統率が取れているのはこの目で確認している。いくら相手が抵抗したといえど、捕虜を取れなかったなんて話があるんだろうか。それにあの賊だって、私が知っているのは男女の二人組だけだけれど、自ら自害を図るような人物だっただろうか。いくら金に汚くとも、どちらかといえば生き汚く足掻く類の人間なのではないだろうか。
なにかがおかしい気がする。けれどその違和感を言葉にするのは難しく、またライナルトが次に放った言葉に意識が向いた。
「捕虜にすることはかないませんでしたが、討伐前わずかに聞き出せた情報によれば、コンラート領の住民には毒を使われた可能性がございます」
……知らない話だった。いや、口から泡を吹いて亡くなった人がいたというのは知っていたからわかってはいたが、仔細を私は聞いていない。
ライナルト曰く、たき火にくべることで毒煙を発する薬であり、それが領内のあちこちで焚かれ蔓延したが、コンラートの館は住宅区画よりやや高い位置にあったため無事であった。被害は低層に集中したはずであると述べる。不審なたき火の形跡、これらの手際の良さや、塀や物見櫓にいた兵士は弓で射貫かれた形跡があったことから、敵は入念な準備をしており、商人や旅人に扮して事前に紛れ込んでいたのではないかともつげていた。他にも家々を焼いたこと、分厚い壁を崩壊せしめたものの正体については不明であるといった話を進めていたが、正直このあたりはあまり頭に入っていなかった。なぜなら先の話に背筋を薄ら寒いものが通り過ぎていたからである。
すべては推測だけれど、領内ですれ違った誰かがコンラート領の人々を殺して回っていたのかもしれないと思えば、自分の節穴を怨みたくもなる。……ああ、でも、そうだ。商人として領内に滞在していたのなら、伯の顔を知っていても間違いはないのだろうか。
ひとつの話を鵜呑みにするのは危険だけれど、この話も可能性の一つとして留めておこう。
「辺境伯の亡骸は私も確認しておりますが、勇敢に戦われたのだと存じます。ご遺体には無数の傷があり、お身体は壁に縫われるよう剣に貫かれておりました。おそらくは辺境伯の風格に圧した賊が恐れおののき、剣を突き立てたのでしょう」
住民の件もだが、思い出したくもない話をすらすらと喋るライナルトが少し憎い。手を握る力が知らずと強くなり、手の平に爪が食い込んだ。
「夫人もこのように怪我を負っておりますが、すべては託されたご子息を守るため、自らの命も省みず庇ったがゆえの傷。……コンラートは立派に戦ったと考えます」
「…………わかった」
ライナルトの報告はコンラートを援護するものとして終了していた。この場を統括する立場にある王は彼の話をすべて聞き終えた上で、こう言ったのである。
「長年沈黙を保ってきたラトリアがいまになって動きを見せたのは我々の予想を超えていた。しかし彼の土地を預かる身として、なんら対応もできず、みすみす侵略を許したのはコンラートの落ち度だろうよ」
「では」
なぜかダヴィット殿下が嬉しそうな声を上げたが、すぐにそれもかき消された。
「が、その罪はカミルの示した武勇と血によって贖われたであろう。このうえ非力な妻子に罪を負わせれば、義に厚き忠臣の心に反する。我が祖先に愚かものとそしられようぞ」
陛下の声は段々と柔らかなものに変じていく。心なしか哀しみも籠もっているようだった。
「夫人、いまは傷を治し療養せよ。そなたたちの名誉は我が名にかけて保証しよう」
その言葉をもって、ようやく安堵の息を吐くのが許された。気が緩んだのか、ふらついた上半身を、駆け寄ってきたであろう見知らぬ女性に支えられる。装いからして高位の武官だろう、広間の外まで身体を支えてくれたのだが、彼女はこんなことを呟いた。
「どうか殿下の心ない言葉に気落ちなさらぬよう……。大半の者はコンラートに非があったなどとは考えておりません。おそらくは、陛下も同じお気持ちです」
「……ありがとう、ございます」
それを教えるために支えてくれたのだろうか。女性が医者を呼ぼうとしたところで退室を許されたらしいライナルトが追いついたのだが、私はここで待ったをかけた。
「あの、ほんのわずかでいいのです。陛下に少しだけお時間をくださいとお伝えいただけませんか」
「陛下に、ですか? しかしいまから諸将と……」
「少しでいいんです。辺境伯からの預かり物があるとお伝えください。それでおいでいただけないのなら、また出直しますから……!」
本当はいますぐにでも帰りたいのだが、まだ私の役目は終わっていないのだ。あの脱出劇の最中、スカートのポケットに突っ込んだまま存在を忘れていた、大事な預かり物を――。
必死の形相に気圧されたのか、女性はいぶかしみながらも謁見の間に引き返した。
「私は用事があるので、ライナルト様は帰っていていただいても……。あ、諸将との会合があるのでは、抜けてしまってよかったのですか」
「退出したのは陛下の命ですよ。私はいまから部下を迎え、また話を纏めねばなりません」
「え? いえ、でも……」
あなたも将の一人ですよね、と問う前に薄く笑われていた。
「これから始まるのは彼らにとって都合の良いばかりの話なのです。私があの場にいない方が好き勝手に話せるのですよ」
などと肩をすくめる始末である。……もしかして、あの中でもライナルトは浮いているのだろうか。確かに容姿的には一番浮いているけど。
どうも私を家まで送ってくれるつもりらしい。律儀な人だと感心するところだったが、その前に多少の不満をぶちまけた。
「ライナルト様、一応尋ねておきたいのですが、もしかして私のおかれた状態をわかったうえで、休ませずに走らせ続けました?」
「カレン嬢がなにをおっしゃりたいのか私には理解しかねる」
「同情を引くような姿で、わざとあの場に置いたのかと尋ねております」
「とんでもない、私は貴方の意を汲んだまでですよ」
「……お恥ずかしい話ですが、私は陛下にお目通りする寸前までなにも考えておりませんでした」
「でしたらなおさら感嘆しますよ。咄嗟の判断のみでよくあそこまで言えたものだ」
「あせったんですよ、本当に」
「陛下から温情の言葉を引き出せたのだからよかったではないですか。……下手な言い訳もせず事実のみを喋られたのはよかったと思いますよ。私の出番は必要なかった」
……もしやフォローしてくれる用意はあったのだろうか。とはいえ、そんなことを考えていたのなら事前に一言ほしかったのが本音である。
「あまり怒られるのはよろしくない、また傷口が開きますよ」
「誰のせいだと――」
もう少し文句を言いたかったが、先ほどの女性が戻ってきたので口を噤んだ。陛下がお会いになるそうですと言われ、慌てて背筋を伸ばしたのである。
ライナルトに見送られ、女性に案内されたのは、広い窓が印象的な部屋だった。陛下はソファに腰をかけていたが、女性が扉を閉めた途端に立ち上がった。
「先はすまなかったな」
「いえ……ご温情に感謝いたします」
「その物言い、理解してくれたようでなによりだ。ところで――」
「はい、お時間もないでしょうし……」
取り出したのは、随分しわくちゃになってしまった手紙だ。陛下に渡したのだが、仕方ないとはいえ心苦しさがあった。
「このような状態で申し訳ありません。逃げるのに精一杯で、ここまで持ち出せたのも偶然だったのです」
「いいや、そなた達が無事なだけでもあれは喜ぶはずだ。……それより、これは」
「出立寸前に預かりました。夫のしたためた陛下宛のお返事です。本当ならば、ご子息のスウェンが生まれた年の葡萄酒も持って行くよう言われていたの、です、が……」
思い出したら、喋るのに失敗した。
こちらに来たら開封していいと言われていたのに、もう開封する機会は訪れないのだ。
陛下は唇を噛みしめながら手紙を受け取り、焦りを隠せない様子で開封した。広間で見せていた威厳はとうに消え失せ、目を見開きながら手紙の文字に目を走らせる。
伯がどんな手紙を書いたのかはわからない。だが陛下は突然身を翻すと、私に背を向けるように窓の外に顔を向けた。
「陛下。夫は、何と」
「……もしもの場合は、そなた達を、頼むと」
教えてもらえたのは、それだけだ。他のことはなにも……というより、聞くことはできなかった。
「…………すまんが、一人にしてもらえるか」
この一言に無言で頭を垂れた。傷口は痛んだが、自然と頭が下がっていたのだ。大の大人の肩が震えているのを指摘するほど鈍感ではない。
「我が兄の手紙を届けてくれたこと、感謝する」
……私は恩人を亡くしたが、数十年来、兄にも等しい旧友を亡くした痛みをこの場一人で抱えねばならない重みはどんな辛さなのだろう。
そんなことを思いながら、扉を閉じた。
“もし許されるのであれば、僕はまた君と語り合いたい。”




