僕は友達をしらない・後
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さらなる転機が訪れたのは、少年がもう一人、別の少年を連れてきてからだ。
眼鏡をかけた少年で、無理矢理連れて来られたのか、不機嫌にむくれている。
「悪い。今日はもう一人追加な。弁当はせがまないから安心してくれ」
「なんだよ勝手に連れてきておいて、せがむって」
「いいからいいから」
「まったく、こういうのは事前に言ってよね」
「言ったじゃないか」
「誰とは言ってない」
「あ、あああの、ぼ、ぼく……」
「だからさー……ああ、ええとな、不機嫌なのはレーヴェが悪いんじゃなくて、個人の問題だから。っていうか別に怒ってないぞこれ」
「え? あ、そ、そういうわけじゃ……」
「人見知りなんだよ。姉さんとか大人の前じゃけっこう頑張ってるけど、学校だとこんな感じ」
――そういうことじゃない。
レーヴェが何も言えず、目を白黒させるのは眼鏡の少年を知っていたからだ。
否、いまやこの学園に在籍する者で、彼を知らぬ者はいない。少年こそが約束された将来の皇妃、カレン・キルステン・コンラートの義息子ヴェンデルだ。クラスの子達が通りかかるヴェンデルを見て噂していたから知っていた。
「あ、あう」
そして、そしてだ!
レーヴェはいま大変な状況にある。震える手でエミールを指さした。
「レーヴェ?」
「キルステンの、エミール、さま?」
「え? いまさら?」
「……わかった。エミール、またやらかしただろ」
「なにが?」
「また名乗りもせず仲良くなっただろ」
「……そうだっけ?」
「誰も彼も自分を知ってるって前提で動くからそうなるんだからちゃんと名乗って。……君も、名前わからないんだったら、名前くらい聞きなよ」
「あ、はい。すみません……」
「……別に責めてないって」
「す、すみません」
父リヒャルトはコンラートとキルステンに近寄るなと言っていた。学校に通い出した後だって確認するように言われていたのに、自分は約束を破っていたのだ。逃げなきゃいけないと思うのに、しかし体は思うように動かない。
逃げるタイミングを逃してもそもそ食べていると、また見知らぬ少年が近付いてきてヴェンデルの肩を叩く。
いかにもわんぱくといった様子だが、こちらは普通の庶民の子らしい。
「ねーねー、明日のやつ、ちゃんと許可取った?」
「平気だから、そっちこそちゃんとゾフィーさんに伝えておきなよ。あとレオに遅れてくるなっていっといて」
「兄ちゃんのことまでは管理しきれないってば」
話すだけ話して去ってしまう。レーヴェの視線に気付いたヴェンデルは大丈夫、といった。
「仲の良い友達だから」
「う、うん」
「仲の良い友達だし、いいやつらだから、変な吹聴はしないよってことだよな、ヴェンデル」
「そう、それ」
「ちゃんと最後まで言えって。そんなだと誤解されるぞ」
「学校でくらい好きにさせてよ。大体誤解もなにもないよ。僕が普通であって、エミールが異常すぎるんだよ」
「まあいいけどさー。あんまりぶっきらぼうなのはだめだぞ」
やりとりから仲の良さが伺える。
すっかり怖じ気付いたレーヴェだが、ここで勇気を振り絞れたのはエミールがいたからだ。
「あのっ」
「どした。もう腹一杯か?」
「ち、違くて……」
「エミール、遮らない。悪い癖だ」
……そう、それにヴェンデルもなんだかんだで、喋るのが遅いレーヴェを嫌がらない。苛々する喋り方でも、最後まで待ってくれていた。
「今日、なんでヴェンデル様を、連れてきたの……?」
「……ん? 嫌だったか?」
「え、ち、違うよ。そんなことない」
「……嫌だったというより、びっくりしたんだろ。で、僕もなんでいきなり紹介されたか知りたい」
「そんなこと言われても、二人とも仲良くなれそうだったからなんだけど」
レーヴェは目を白黒させ、ヴェンデルが深い息を吐く。
「良い奴だぞ、レーヴェは」
「…………うん。エミール」
「ん?」
ヴェンデルがエミールの頬を掴む。
力いっぱい引っ張った。
「そういうことは、事前に、話してって、言ってるだろ!!」
……難しい子達とはなんだったのか。
なんとなくだが、ヴェンデルとも仲良くなってみたいと感じた瞬間だった。
ヴェンデルと話すようになって、何度目かの昼休憩。
十日も経った頃にはレーヴェもヴェンデルと話せるようになっていた。そのときにはレオとヴィリという兄弟もいたけれど、レーヴェも話してみたところ、兄弟はいい人だ。ヴェンデル以外には同学年のヴィリが話しかけてくれるおかげで、クラスメイト達もレーヴェと、ぽつぽつと話しをはじめてくれたのだ。
また、ヴィリはレーヴェにこんな話をした。
「思うにねー、レーヴェは家柄もだけど、見た目綺麗すぎるからみんなびっくりしてるんだと思うんだー」
「き……れい?」
「あ、もしかして自覚ない? 家の人に言われてるでしょ」
「え……」
「あれぇ……ヴェンデル?」
「カレンと同じかぁ」
「え、カレン、って……ヴェンデルの……え?」
家の人達はレーヴェを綺麗、可愛いと言ってくれるが、それはお世辞だと信じていた。だからレーヴェは自身の容姿がずば抜けて美しいのだとは知らない。その時はエミールがいなかったため、レオがレーヴェの弁当の相伴に預かる傍らで、ヴェンデルとヴィリがとうとうこの質問をした。
「パンが嫌いなのか?」と。
レーヴェは三人にも理由を話した。理由を聞いた二人は「なるほど」と納得して、ヴィリがヴェンデルに尋ねる。
「ヴェンデルはそういうの詳しいし、なんか知らない?」
「んー……なんか昔、母さんから聞いた覚えはあるけど」
「どんな?」
「卵が駄目な子の話。体質を治そうとお父さんやお母さんが奮闘したけど、結局亡くなっちゃったって。でも相当昔だからな」
「そっかぁ。レーヴェ、他になにが食べられるの?」
「ああ、ええと……小麦以外は大丈夫。大体……調べたから」
「調べたって、どうやって」
「ちょこっとずつ食べた……」
卵が駄目な子が亡くなった理由は、レーヴェにはなんとなくわかる気がした。
レーヴェもそうなのだ。体質を治そうと皆が頑張ってくれた。蕁麻疹が落ち着く度に色々な小麦のパンを食べて、毎回過呼吸を起こすなどして倒れた。最終的にみかねた父リヒャルトが止めさせてくれたが、そうした毎日の中で食べられるもの、食べられないものを正確に把握していったのだ。
だからレーヴェは、本当は食事があまり好きではない。
いまの弁当を食べられるのは、この弁当を作ってくれた料理人が、唯一レーヴェに小麦を与えるのを反対してくれた人だからだ。
そういった経緯を話すと、ヴェンデルは腕を組む。
「でもお菓子とかもだめでしょ。飽きない?」
「慣れたよ」
「……お米って食べたことある?」
「ある、よ。父上が主食になるのを探して、取り寄せてくれたことはあるけど……べちょべちょしてるから、苦手……」
「あー……」
どのみち子供達だけで話したところで問題は解決しない。そういうこともあって、この話はお終いだ。ただこのとき、レオの瞳がキラリと光ったことにレーヴェは気付かなかった。
さらに刻が経ってからだ。
その日、見送りに出てきてくれた父リヒャルトは様子がおかしかった。
「今日はなにもないから早めに帰ります」
「ああ……いや、ゆっくりしてきなさい」
どことなく要領を得ない返答を不思議に感じながら登校し、いつも通りの授業を終えた放課後、レーヴェは突然拉致された。
犯人はエミール、ヴェンデル、レオ、ヴィリの四人だ。
四人に取り囲まれ「さぁ、行くか」と言われた。目を白黒させていると、なぜかヴァイデンフェラーの御者までも承知している様子で馬車を走らせる。
到着したのは小さな家。こんな家に人が住めるのかと疑問に感じたが、中は意外とちゃんとしている。友達の家にお邪魔するのは初めてで、周囲を見渡しているとエミールに背中を押された。
「ほい、行くぞ行くぞ」
「え、え、え……な、なななななにっ」
「……いや、説明はそっちの親に任せてたんだけどなぁ」
「ち、父上!? 父上はなにもいってない!」
力は完全にエミールの方が勝っている。
全然心の準備ができていないのに、中に通されるともっと緊張する羽目になった。
「ようこそ、小さなお客様」
出迎えてくれたのは綺麗な女の人だ。これまでレーヴェにとって美しい人とは母を指していたけれど、今日を以て少年の認識は少し変わる。キラキラと眩しいエミールに加え、その女の人も加わったのだ。
「はじめまして。コンラートのカレンです、よろしくね」
「はっ……!?」
声を失った。そうだ、馬車でヴェンデルの家に行くと言っていた気がする。だからそこにいる女の人は噂の未来の皇后に違いないのに、まるでなにも思い至らなかった。
幾度もどもりつつ、もうよくわからない挨拶を交わすと、カレンはご機嫌な様子で少年に話しかける。
「お話には聞いてたけど、ほんっとうに綺麗な子なのね。お肌すべすべ……女の子みたい……」
「あ、あわ……」
「姉さん……それは男に言っちゃいけない台詞です」
興奮しているのか、彼の女性は頬を赤らめながらレーヴェをうっとりと眺めている。恥ずかしくてレーヴェが俯いていると、ヴェンデルがカレンの背を無理矢理押した。
「ほら、挨拶終わったからカレンはあっち」
「もうちょっとお話してはだめ? あなたが新しいお友達を連れてくるなんて……」
「いいから! レーヴェが困ってるだろ!」
「でもー」
「いいからあっちいって! 余計なこと言わないで!」
「もう……レオとヴィリもゆっくりしていってね。帰りはジェフが送っていくから!」
はーい、と声を揃える兄弟にわずかに気を良くしたカレンは退室する。
小動物がレーヴェの足に頭を擦りつけた。いままで動物に触れても、指先でしか触れたことのないレーヴェだ。初めての感触に驚きの声を上げると、レオがクロを抱き上げた。
「動物だめだったか!?」
「あ、お、驚いただけ。……それ、って、猫?」
「ヴェンデルの飼い猫。めちゃくちゃ人懐っこいぞ」
「さ、さわっても、平気?」
「……うちの猫じゃないからなあ。エミール、触らせてもいいのか?」
「撫でられるの好きだから平気だろ。というか催促に来たんだと思うぞ、撫でろって」
こうして初めてまともに触らせてもらった動物は撫で心地が良く、そしてレーヴェの知る猫と違いとても懐っこい。驚いていると、エミールが言った。
「……気に入ったんなら、今度うちの犬触るか?」
思わぬ許可をもらってしまったところで本題だ。てっきりお茶会かと思ったレーヴェが驚いたのは、そこに見知った料理人が登場したこと。なんとヴァイデンフェラーの料理人で、それもいつもレーヴェの弁当を作ってくれる使用人だ。
「旦那様の許可をいただきまして、こちらに伺わせていただきました」
そう言って卓に置かれたのはたくさんの飲み物に、バター、ジャムに……焼きたてのパン。これがどんな意味を指すのか、レーヴェの顔色が変わると、使用人が言った。
「ご安心くださいませ。小麦は使用していないことを、私がしっかりと確認してございます」
「え……?」
「米で作ったパンです。コンラート家の皆さまが材料を融通してくださいまして、コンラートの料理人の方に教えていただきながら作りました」
と、安全を保証してくれる使用人。これにレオとヴィリが付け足した。
「小麦粉が入らないように、厨房は掃除したぞ」
「作ってもらうなら、ちゃーんと掃除しなさいって言われたからね。ぴかぴかにしたよ」
二人は主張するが、他にもヴェンデルやエミールも掃除に加わったらしい。
「父上は……」
「もちろん知ってございます。お話にならなかったのは……旦那様にも色々ありましてございます。大人の事情と言うことで、はい」
「だ、だよね。じゃないと派遣はしないし……」
とにかく目の前のパンは彼らがレーヴェの為に用意したものであり、レーヴェが信用する料理人が保証してくれるなら大丈夫なはずだ。
ただ、簡単に一口を頬張れるかと言われたら難しい。レーヴェはこれまで、こういった実験を兼ねて食事をしてきたのだ。嫌な記憶は脳にこびりついており、もし息ができなくなったらどうしよう、と不安が過る。
皆が期待しているから、食べなきゃ……とパンを持つが、そこでエミールがレオに話題を振った。
「試験の勉強進んだか?」
「え……嫌なこと聞くなぁ。……全然進んでないし宿題も終わってない。エミールは?」
「まあまあかなってところ。今回の落としたらまずいんじゃないのか、ちょっと真剣にやらないとまずいぞ」
「ああ……わかってるけどさぁ……なんで軍学校行くのに試験がいるんだよ。実地だけじゃだめなのか」
「それ、ジェフの前で言ったら怒られそうだな」
「絶対怒ると思う。兄ちゃん、バカやってよく怒られてるし」
ヴィリも話題に乗りだした。三人がテストの話で盛り上がるとそこにヴェンデルが加わり、さらには話題を振られてレーヴェも喋りだす。
「兄ちゃんよりレーヴェの方が頭良いよ。今度勉強教えてもらったらどう」
「え、いいのか?」
「へ? え、あ、うん、いいけど……でも、上級生の範囲、知らない……」
「いやー……確実に上級生の範囲は超えてるって、レーヴェの教室の子達は言ってたよ。ヴァイデンフェラーの家庭教師はすごいねって。だよね、ヴェンデル」
「学年首位が変わるのも時間の問題だって先生も言ってる」
「そ、そうなんだ……」
「おお、じゃあ今度教えてくれ」
「提案しといてなんだけど……兄ちゃん……」
話題はあれやこれやと移り変わり、会話は和やかに、自然な笑いが零れるようになった。誰もレーヴェに強制をする雰囲気はなく、エミール達が自然に米のパンを口にする様を見て、レーヴェも同じようにパンを千切って口に運ぶ。
嚥下には少し時間をかけたが、それだけ。
「…………おいしい」
ちょっともっちりして噛み応えがあるが、甘みがあって美味しいパンだ。呑み込んでも蕁麻疹は出てこないし、呼吸も苦しくならない。驚きに目を見張る少年に、ヴァイデンフェラーの料理人は感極まった様子で口元を押さえたが、友人の少年らは違った。
「美味いだろ」と。
たったそれだけ。よくできましたとか、よかったね、とか、そんな労いはない。
じゃあ続きをはじめようと言わんばかりに、各々がお勧めのバターやジャムを差し出すから、レーヴェの前は大量のジャム瓶でいっぱいだ。
レーヴェはぽかんと口を丸くして、やがて屈託のない笑みを浮かべる。
友達をしらない少年が、友達をしって、なにかを得た瞬間だった。




