日常を彩るただ一人の・後
これは宮廷で働く人の間じゃ有名な怪談だ。皇帝カールの治世でいつからか発生するようになり、侍女や衛兵の間では、深夜に『目の塔』付近から塔を見上げてはならないとされている。窓に立つ人影までなら問題ないが、落下する人影と目が合ったら死の国に連れて行かれると噂されている。
ライナルトは『目の塔』に思い入れがないから、戴冠後は塔を閉鎖した。手入れがされているとはいえ古い塔だし、窓も大きめで掃除人ですら危ないから、この閉鎖は正解だ。最上階の窓もいまは内側から板が打ち付けられているのだが、「それ」が出現するときは、不思議と窓が全開になった状態で『見える』のだとか。
あとは落下地点近辺を歩いていると人が打ち付けられた音がするとか、塔から悲鳴がすると……悪い噂は事欠かない。
で、この噂の信憑性を高める人としてライナルトがいる。
驚くべきことに彼は目撃者のひとりだ。
噂の真偽をニーカさんに確認した折には、彼が見たことあるはずだと教えられて驚いた。
事実を確かめると、彼は「ああ、あれか」となんてことないように言った。
「見たことはあるが、ただ落ちているだけで害はなかろう」
心臓に毛が生えている人は言うことが違う。
ともあれ目の塔をなるべく見たくない理由がおわかりいただけただろう。過去の少女の件も含め、そんなもの目撃してしまっては宮廷が嫌いになってしまう。ライナルトも私が怖がるのを理解してか、場所の設定に親身になってくれたのだと考えられた。
完全に余談だけど、後宮を避けた理由はここにも掛かっている。
皇太后クラリッサと同じ場所に住みたくなかったのもあれど、後宮もこの手の噂は事欠かない。むしろ宮廷より多い。いじめを苦に自殺した侍女が出るとか、二階の角部屋から啜り泣きが聞こえるだとか、こちらは大分昔から「出る」と有名なのだそう。
もう建物ごとお祓いした方がいいんじゃないかしら。
なので後宮を明け渡される文官さんたちは可哀想なのだけど、私が入らずに済みほんっっっっとうにほっとしている。
なにせ内見中に見学だけは行ってみたのだが、二階を見に行った侍女が青い顔をして戻ってきたかと思いきや、ルブタン婦人に耳打ちしてすぐ撤収となってしまった。その時は意味がわからなかったが、後に詳しく聞き出すと「いるはずのないご婦人を見かけたので」と気まずそうに言われたのだ。
「寒いのなら外に出続けなければよかったものを。風邪を引いては意味がない」
「違います。ちょっとやなこと思い出しただけ」
「なにかあったのなら、すぐに……」
「そういうことじゃないから大丈夫!」
人前で腕を組むのも慣れました!
「侍女達はどうだ」
侍女達と合流してからの問いは絶対わざとだ。この一言に彼女らの空気が固まったが、ライナルトの意図もひりついた空気も無視して言った。
「どうだもなにもよくしてもらってるし、こっちが申し訳なくなるくらい。なんにも問題なんてありません」
「問題ないというのは、本当になにもなかった場合にのみ使う言葉だ」
「じゃああれ以降はなにもありません。彼女達も頑張ってくれてますし反省と努力は伝わってます」
お付き合いするようになってライナルトの過保護ぶりが増している。気にしてくれるのは嬉しいが、彼は私を甘やかしすぎるきらいがあるので、言葉通り受け取り続けてはいけない。甘えはほどほどに、堕落の一途を辿らぬようすでに心を引き締めている。
部屋は皆さんの心遣いが活きて既にあたたまっていた。暖炉はもちろんだが、一部の部屋は特別な配管が部屋を囲み、管の中を温泉が通っているのだ。これは自然の熱を生かした暖房で、他の人々が早く住む区画を決めてくれと言ってきたのも、こういった改築が必要な関係だった。
つくづく思う。
宮廷って贅沢だぁ……。
「何度も言いますけど、これは流行です」
そして上着を脱いだら不服そうなライナルトの反応は想定内。それもそのはずで、最近の私は、お出かけ時は実用よりもおしゃれを優先している。
その中でここ最近の上流階級の女性を夢中にさせている流行は、ずばり薄着。
冬だから外套の厚着は絶対だが、その下はレースや肌の透ける薄い生地のブラウスだ。今日は首から肩がすべて濃青の生地に透けている感じ。首のひらひら流れるリボン結びに、彼とお揃いになった紅玉と金の飾りが美しい。
「流行だろうがあまりそういった格好は感心しない」
「外套は厚くしているから、風邪は引きません。そのあたりはちゃーんと注意してます。ライナルトはちょっと考え方が古すぎなんだから」
「そういう問題ではないし、貴方以外に口出しなどしない」
「それでもです」
お年を召した方なんかはこういった流行を破廉恥だなんだの言うけれど、個人的にはこういうお洒落の楽しみ方はありだ。
流行の元になったのがリリーなのが引っかかりはすれども、オルレンドルは自立して働く女性が多い。特に公爵として前線に立つ彼女に憧れて服装を取り入れたのなら、それは素敵な事だと思うのだ。好きだからという理由で、自分の思う通りの格好が出来るのは、考えている以上に自由の証なのだから。
唯一引っかかるのは……これをリリーが意図していたのかという点だけど……。
この一件で彼女は自治領の特産品はもちろん、溜め込んでいた宝飾品や原石を大量に売りさばいている。昨日も会うなり大変ご機嫌で、こぶし大の宝石の原石をくれたくらいだから、笑いが止まらないとはまさにあの様子を指す。
自分の胸に手を当てた。
絶対私は悪くないぞ、と主張するためだ。
「いいですか、私は仮にも陛下に選んでいただいた婚約者です」
「仮にももなにも、本命はカレンしかいないが」
「そういうのはいいんです! ……とにかく、皇妃です。最近やっと実感が出てきましたけど、あなたの……お、奥さんになります」
「知っている。何が言いたい」
侍従のヨルン君がお茶を準備していく。
最近ウェイトリーさんと仲が良いと耳にした噂は事実なのだろうか。
「そのあなたの隣に立つ女がですね、周りの女性が流行に乗ってお洒落をする中、ひとりだけ古くさい格好してたらどうするんですか。笑いものもいいところですよ!」
「そうやっていとこ殿とエレナに吹き込まれたな」
「吹き込まれてません。っていうかなんで知ってるの!?」
「やはりか」
「で、でもこれが気に入ってるのは事実です。私だってお洒落心くらいあるんですから、そのくらい好きにさせてください。それとも似合ってないですか」
「……似合ってはいる」
「なんで不服そうなの」
腕を組み返答を避けるライナルト。
ちょっと悔しくなって相手の髪を掴んだ。弄ってやろうと思ったのだ。
「……いや、貴方が楽しんでいるのならそれでいい。だから髪を掴むな、格好に文句はない」
「うそつき。納得してない顔してる」
「カレンが楽しみ、私のために努力していると思えば許容できる、それだけだ」
「思うところがあるなら言えばいいじゃない!」
「個人の問題だ」
これ以上は口を割りそうにない。
あまりしつこくしてもお茶が冷めるのでほどほどにするが、なんだかこの論争はこの先もずっと続く気がする。まさか服装で互いの意見が割れるなんて思ってもみなかった。
「重ねて言うが似合っている。他の女では追随を許さぬ美しさだと、私は胸を張って言えるだろう」
「……ライナルトこそ今日も素敵です。金髪に紅玉が映えて似合ってる」
ライナルトはこうやって私の機嫌の取り方が上手くなっていくのだとヴェンデルが言っていた。
そんな簡単に転がされたりしないと思うのだけど、ここまで言われ、頭部に口付けを落とされてしまっては文句はいえない。
「私を褒めても特になにもないだろうに」
「やだ。言い続けますからね」
褒められてばかりもいられない。ライナルトもきちんと格好良い旨を伝えているが、こちらは反応も薄く成果を感じられない。けれども恥ずかしくとも言い続けるのはやめないつもりだ。
……だって大切な日々、大事な人はいついなくなってしまうかわからない。もう何度も経験させられたもの。
「ライナルト、あと休憩時間はどのくらいありますか」
「夕方くらいまでは自由にしていいと言われた」
「あら、結構長い」
「普段の分を取り戻せ、だそうだ。カレンこそ住まいを決めたのなら、時間ができたのではないか」
「そうね、残りの分は見なくてもいいかな。お稽古も明日になってる」
二人揃って珍しく長い時間が確保できたのだ。
どこかに遊びにいくと考えたけれど、寒いしこの後仕事が待っている彼を連れ回したくない。
悪戯心が働いて肩を引き寄せた。
「うん?」
「横になって」
「椅子でか?」
「はい、ここで」
クーインではないけれど、こちらも大きな動物を扱っているみたいな気がする。
言われた通り横になるライナルトに膝枕をすれば、想像よりも重みがあって驚いた。
「カレン」
「あなたは頑張りすぎですから、ちょっとの間だけ寝てください。無理なら目を瞑るだけでも良いから」
そういって眠れる人はいないだろうから、目は手の平で塞がせてもらった。
「……される側になるのは奇妙な気分だな」
「前は……シュトック城から助けてもらったあと、私があなたにしてもらったんでしたっけ。……反抗しないんですね」
「これはこれで悪くない。それにカレンが楽しいのであればな」
「私はライナルトに満足してほしいんですけど、全部そればっかり」
「言っているだろう。私は貴方がこの手の内に留まり続けるならいい、楽しんでいるのならば充分だ」
「……いつかその意見変えさせてみせるからね」
色々と先が思いやられるけれど、こんなところが愛おしいのも事実なのは認めるしかない。
手の平を取ると口付けし、目を瞑った人の寝顔に充足感を覚え、そして願った。
――こんな平和な日々が、続きますようにと。
穏やかな毎日の裏側で、きな臭い噂や事件は細々と発生している。最近は小事件ながら軍部内に逮捕者が出たと聞くし、私の周りでも些か騒がしい。私が下剤を盛られた他、不審者の接近を許してしまったせいで、ジェフが護衛の数を増やすべく急いている。
それにこれまでの経歴を辿るなら、どうにもこれだけで終わらず……もっと大きな事件が待っているのではないかと、奇妙な胸騒ぎも止まらない。
「おやすみなさい、ライナルト」
不安は杞憂で終わるといいな。
好きな人と一緒に居られる幸せな時間が嬉しくて、少しだけ泣きそうになっていた。
書影公開されました。
表紙と裏表紙がかなり面白いことになってますので是非ご覧ください。




