349:皇妃に必要な力
銃の規制があるから顧問に収まっているけど、今後はライナルト、魔法院双方に不信感を抱かせないよう均衡を保って行かねばならない。難しい問題に直面して帰りたい気分でいっぱいだが、本日の予定はまだ残っていて、一気に済ませてしまおうと横着したツケがここで回ってきた。
その後に顔を合わせたのはオルレンドル帝国宰相リヒャルト・ブルーノ・ヴァイデンフェラー。やはりこの御方にも会うなりお辞儀をされた。
「この度のご婚約、まこと目出度いと申し上げる」
「ありがとうございます。宰相閣下におかれましても、後見人を引き受けていただけるとはおもってもみませんでした。なにせ余所からきた移民でございましたので、お礼申し上げます」
「陛下から頼まれれば否やとは言えますまい。それに私は貴女に恩義がある、ここで礼を尽くさねば非礼にあたるでしょうからな」
嫌味は流されてしまった。恩義とは無断外交の件で、これはライナルトも知るところとなり誤解は解けていると説明され、一応の謝罪ももらった。
宰相にはお咎めがあったかもしれないが、私の知ったところではない。
「これから貴女様とは国や宮廷のことでお目に掛かる機会も増えるでしょう。ご苦労をお掛けするが、何卒ご容赦願いたい」
「こちらこそわからないことだらけです。どうかお力添えくださいませ」
「差し当たっては婚礼の準備でございますか。いやはや、侍女頭とも話をしましたが、日付を伸ばしてくださって助かった。おかげで猶予を持って支度が調えられる」
「そう……ですね。私も準備が必要ですから」
「必要と言えば、陛下よりちらと伺いましたが、カレン様は些か踊りが不得手だとか。差し支えなければ教える者を寄越そうと思うが、如何だろうか。無論陛下の御意は通しましょう」
「お断りする理由はございませんね、よろしくお願いします」
態度は丁寧でこそあるものの過度なお世辞は使ってこない。誰であろうと崩れない態度は心地よくはあるが、本意を探れないいまは不気味だ。
この面談では再度侍女頭と面通しを行い、侍女については滞在中にお世話になった面々で決まった。彼女達に不満はなかったし、そこは構わなかったけれど、侍女頭には宮廷での件をひたすら謝られてしまった。勝手に出ていったのは私なのだが、向こうはいくらか責任を感じていたみたい。
侍女頭も退散し、様々話し込んだ。さあ解散といった雰囲気が流れもしたが、いつまで経っても相手が言いだす気配はない。
「そのご様子では、なにもおっしゃるつもりはないということなのでしょうか」
「なにを知りたいとおっしゃるのだろうか。サゥ氏族の件は解決したと思っていましたが、やはり謝罪は不十分だったろうか」
「とぼけるようならお聞きしますが、前の侍女頭や侍医長に、陛下が私を皇后にしたいと伝えた件を漏らしたのは宰相閣下でいらっしゃる?」
「左様。私にございます」
拍子抜けするくらい簡単に認めた。
「お怒りであれば、このまま陛下か、あるいは外で待っているアーベラインに伝えるとよろしい。陛下はすでに確信を持って私を疑っておられる。貴女様を害された元凶として私を断罪されるのもすぐにございましょう」
「……それはまだです。なぜそんなことをしたのか聞く必要があります」
宰相はあらかじめいまを狙っていた。すぐにでも罰される覚悟もあって、あえて座っているのだから騒ぎ立てる必要はなかった。
「良い目をしておられる。たしかに、イェルハルドが褒めていた通りの御方だ。おそらくは私と気があうだろうとは言っていたが、なにぶん確信が持てず、ひどい目に遭わせてしまった」
「その言いようでは、誘拐は本意ではなかったと?」
「本音を申し上げれば、受けるのはせいぜい嫌がらせ程度かと。クラリッサ様の理性の鎖がああも脆いとは思わなんだ」
「なぜ陛下の意から逸れるような真似をなさったのです」
「貴女が楔であってくれるかを確かめるためにございますな」
ひたり、と帝国宰相リヒャルト・ブルーノ・ヴァイデンフェラーの眼差しが私を捉える。小柄な人だが、そこには体格などでは計れない圧がある。
「楔とは?」
「陛下の、ひいては国と民の楔に足りうるかどうか」
「私が楔であるか、それがなんのために、どんな意味を成すのです」
「陛下が我らオルレンドルを滅ぼさぬための楔でございますれば」
オルレンドルを滅ぼす。その言葉を聞いて私は驚き、宰相もまた頷いた。
「やはりご存知でしたな。私ははっきりと陛下の口からは聞いてはおりませぬが、陛下の政策、周りの者の態度、そしてバーレといった知人に話を聞き、自分の考えに確信を持った。陛下はいずれ、他国に侵略するおつもりでございましょう」
「知っていて陛下に協力したのではないのですか」
「もちろんでございますとも。家の復興のため、また我が子を謀殺した憎きメーラーめを討つため私はあの方に協力を申し出た」
実子がなくなった件は知っているが、それが前宰相の仕業だったのは初耳だ。
「ただこのような理由であっても、私はオルレンドルのために働けることを誇りに思っている。また、この老骨に機会を与えてくださった陛下にも深く感謝しております」
「その言葉に嘘はないと信じます。マイゼンブーク卿とマクシミリアン卿を信じておりますから」
「……あの二人か。あの二人も、貴女様をよく評価しておられた。コンラート家は人たらしの才能がございますな」
もしかしたら後半は冗談だったのかもしれない。
宰相は薄く笑った後、こう言った。
「しかしながら私めは古い人間。オルレンドルが他国に攻め込むよりも、やはり護国を重視してもらいたいと思う質ゆえに、考え方としてはヴィルヘルミナ皇女殿下に近しくあった」
「皇女殿下に付こうとは思われなかったと」
「元皇女殿下の考え方は好ましい。しかし彼らは立派すぎましてな。あそこに落ちぶれた貴族が入り込む余地はございませぬ」
たしかに皇位簒奪が起きる前にそういった話は聞いている。皇帝、皇女、どちらにも入り込めない勢力なんかがライナルトに協力していた。
ご老体の眉間に刻まれた皺は過去よりも未来に向いていた。
「誘拐は想定外、密告は試し行為だったのですね。でもそれで嫌がらせを受けたとして、あなた様はなにを見ようとしたのです」
「皇后たる方が平和を求める人となりかどうかを知るため」
「楔とやらと平和、結果はどうでした」
「両方共に申し分ないと確信しております。……あの陛下が、よくぞ貴女様を選んでくださったと真実感謝しております」
ああ、話が見えてきてしまった。
「一応尋ねます。……なぜ?」
「私は皇后には陛下にとっての枷に、或いは何者にも代えがたい存在を求めていたがゆえ」
「私が陛下のお考えを変えることはありません。むしろ督励する立場ですが、それでも?」
「陛下は貴女様の周囲には平穏を望んでおられる。ゆえに皇后が残られるオルレンドルを顧み、足場を固められるはずだ。戦は避けられずとも、戦のために国民が飢える心配はなくなりましょう」
つまりこの宰相閣下は、ライナルトが皇帝になった以上もう戦は避けられないと悟っている。正しくライナルトの気性を見抜いたからこそ、せめて国民がこれから続く戦の犠牲にならない足がかりを求めたのだ。
「なんて……」
「自らの愚かさは承知の上なれど、これが国を守る者の役目でございますれば」
「決断を私に委ねるのですか」
「いかにも。貴女様が被害者ゆえ、私も気付かれたと知ったときに決断した」
「陛下はなんと言っているのです」
「なにも語らず、言及せず、しかしこうして貴女様と会うことを許された。ならばすべては貴女様の判断だとおっしゃりたいのでしょう」
ニーカさんが情報を漏らしたと思しき犯人を言いにくそうにしていたのに合点がいった。あの時点で、ほとんど犯人は特定されていた。こうしているのは、ライナルトは私が許すかどうかで決めると暗に言っていて、この老人もそれを呑んでいる。
「しかし申し上げるとすれば、私はまだオルレンドルに必要な人間だ」
「命乞いですか」
「事実にございます。アーベライン、もといバッヘムをはじめいずれ宰相を任せられる者はいるだろうが、まだまだ未熟者。私ほど経験を積んだ者はおりますまい」
命が掛かっているのに堂々としている。
……決断には少し時間を要した。
ううん、答えは決まっていたのだけど、私が覚悟を決めるのに時間を使ったのだ。
沈黙が支配する談話室で、私はオルレンドル帝国宰相に告げる。
「以降、たとえ国のための行為であったとしても裏切りは許しません。背信行為と受け取られる恐れがある行いをする際は必ず私を通すように。二度目はないと心得なさい」
「畏まりまして」
……ここまでやった人だもの、以後悪いことをしてはいけない! なんて言えるほど私も無知じゃない。これだけ心中を吐露してくれるなら、相手とて私とやっていくつもりがある。これから手を取り合って行かねばならないし、どうせなら恩を売っておける相手の方が得策だ、と一瞬でも考えた自分に落ちこんだ。
ただ、ひとつ保険はかけておこう。
「リヒャルト様は、うちの義息子と同い年くらいのお子さんがいらっしゃいましたよね」
「……左様ですが、それが?」
声音が変わった。亡くなった実子の後、晩年に授かった子を掌中の珠と慈しんでいるのは知っている。
「聞けば家庭教師を付けているだとか。どうせなら市井の学校に通わせては如何ですか。これから警備体制も整いますし、うちの弟や義息子もいますから、良いお友達になってくれると思います」
「それは……」
「ただの提案ですよ」
にっこり笑って会談は終わったが、そのうち宰相閣下のお子さんが学校に通い出すのは間違いない。
なんて苦々しい気分。無性にライナルトに会いたくなってたまらない。
息苦しい部屋を出ると、待っていたのはモーリッツさんと、バーレ家前当主イェルハルド老だった。




