347:誰にだってある黒歴史
「ジェフさんの復帰は喜ばしいですが、宰相閣下、ですか」
不思議そうなエレナさんに、なんでもないことのように笑う。
「後見人のお礼が必要ですから。もちろんリリーやバーレ、モーリッツさんにも会いに行く予定です」
私は宰相リヒャルト・ブルーノ・ヴァイデンフェラーに会わねばならない。
そのつもりで連絡を取ってみたら、了承の返事は早かった。
その日は問題なく到来したが、復帰したジェフの他にもおまけがついてきた。
シスとルカだ。
「ワタシは、アナタはてっきりゾフィーのところに住み続けると思ってたわ」
「う……む……。子供達はいていいと言ってくれたが、いつまでも世話になるのはゾフィーに悪い。元々彼女らの家庭に割って入ってしまったのは私だからな」
「そお? ゾフィーも悪い感じはしてなかったみたいだけど……。それに子供達もわざわざアナタを見送りにきたじゃない。懐いてたんじゃないの」
「剣を教えると言ってしまったからな。休みの日に会うと約束している」
ジェフとルカが話す傍ら、私はシスに驚くべき話を聞くことになった。
「アヒムを旅に連れて行く……って、それ本当?」
「嘘言ってどうなるんだよ。ま、きみの結婚式までには戻ってくるから安心しな」
「あ、うん。それは戻ってきてくれないと困るんだけど、なんでアヒムが同行することになったの」
「成り行き」
だけで納得できるわけない。仔細を問い詰めると、なんとも頭の痛い事実が発覚した。
「詩人に扮して噂のコンラート夫人のデマを流してたときなんだけどさ」
「帰ってこないと思ってたらなにやってるのよ」
「暇だったんだよ。んで適当に酒場をふらっとしてたらヤツに会って、なんでかもうちょっとまともに謳えって叱られてさー」
なんでもそれで飲んだくれて、気付いたら一緒に旅でもしてみるか、となったらしい。
あれからアヒムはキルステンには顔を出していない。正確には父さんやエミールには会っていたけど、私とは会っていなかった。ライナルトからの報酬を父さんに預けた後はふらふらしていたらしいのだが、宿屋でのんびりしていたらしい。
「やることなくなって、これからどうするか考えてたんだと。旅するつもりでもあてがないし、じゃあ来るかいって誘ったら乗ってきた」
「アヒムがいいならそれでいいんだけど……。またルカも連れて行くのよね」
「本人もその気だし、お人形持ってる痛い野郎の役目が分担されるのは有難いね」
本音はそっちだな。
「アヒムは元気そうだった?」
「どっちの健康だよ。身体、心?」
「両方。私が最後に見たときは怪我をしてたから気になってたの」
「じゃあ身体は元気。後遺症もないし健康そのものだけど、きみの婚約発表はちょい元気なし」
「そっか……」
「つっても本人もわかってたことっぽいしなあ。会いに行ってもいいだろうけど、トドメ刺すだけだからやめとけー?」
「……しないわよ。少なくともいまは行けない、皆を困らせるだけだもの」
「それがいい。この時期に酒場街に行くのはライナルトも文句言うだろうしな」
「ちょっと、たとえ会いに行ってたとしてもそんなこと言わないわよ」
「じゃあ訂正してやるよ。表立っては文句は言わないけど、内心は不服だらけだぞ」
「だから……ちょ、なに、なにするのっ」
人指し指でぐぐっとおでこを押される。
「あの非人間はきみに限定しては面倒くさくなるってこと自覚しとけ。そこを見誤ると笑い事じゃすまなくなるから気をつけろよ」
「気をつけてみる、けど……」
「そうびびらなくても平気さ。大きなヘマをしなきゃ街一つ滅びるなんて事態は起きやしないから」
「なにひとつ安心できない」
そのあたりは見極めている最中だ。ライナルトが攫われた私のために怒ってくれた、軍を動かしてくれた、後宮を洗いざらい浚ってくれたと話を聞いていても、規模が大きすぎて戸惑いが大きい。
シスはそんな私に軽やかに笑う。
「僕らの旅が健やかに終わるかどうかはきみにかかってるんだから、しばらくは見定めておきな。あの野郎が式の日取りを特に決めず、一年以上も先なんて手間を了承した意味がわかるはずだ」
「いまいち理解していない感じだったけど、やっぱりそれも私が望んだから、なのかしら」
「九割方きみが望んだから、だな。あいつに恋人期間を楽しもうなんて情緒は備わってない」
「そうよね……」
「おい、落ち込むなよ。あいつが楽しめるかどうかはきみにかかってると思っておけばいい。そうでなくても文句なんて言うはずないさ」
「できるかなぁ」
「なんで突然弱気になってんだ。できないはずないだろ、あのクソ野郎がどれだけきみには笑うと思ってる」
そうは言うものの、同じ感覚を共有できるかはいまいち自信がない。まだなにかを言い募ろうとしたシスだが、ここでなにかに気付いた様子を見せた。
「……っと。ちょいと面倒なのと鉢合わせそうだ。僕は先にシャハナに会ってくるから、またあとで会おうぜ」
なにか言わせる暇もなく去ってしまった。どうしたものかと困惑していると、遭遇したのはキエムとシュアンだ。喧嘩とは言わないが、互いにやや語気を荒くしていた二人は、目が合うなりぴたりと争いを止めた。
特にキエムの変化は著しい。途端に首長の貌を纏い笑んだのだ。
「カレン殿におかれては、此度の婚約、まこと目出度いと申し上げる」
「サゥ首長にお祝いいただけるとは、感激の極みにございます。キエム様はヨーに戻ったと聞きましたが、いつオルレンドルにお越しに?」
「つい昨日だ。用事を済ませるだけだったのでな、途中で引き返してきた」
「まあ、それは……それにしても、なぜ魔法院においでに? 以前のように見学といった様子ではございませんが……」
「……もちろん、キヨ様にお目に掛かるためにございます」
「うむ、せっかくのライナルト陛下のご提案だからな。一度会っておかねばなるまい」
この話しぶりだと、サゥへキヨ嬢を引き渡すのが本決まりしたのだろう。既に知っているぞ、そんな顔をして笑顔を決め込んだ。
「カレン様は快癒されたようで嬉しく思いますが、どうかただのシュアンとお呼びください。私はこれよりオルレンドルで学問を学ばせていただく身ですもの、であればすでに私は御身に仕える立場にございます」
「そんな恐れ多い……いえ、ですが、今の話、どこが学び舎になるのか決まったのですか?」
「はい。ライナルト陛下のお勧めで、魔法院管理下にある薬学院に入れていただけることに」
にっこり笑うシュアンだが、隣のキエムはどこか面白くないと言いたげで、妹に対し冷ややかな眼差しを向けている。シュアンも気付いていながらあえて豪毅に笑んでいるから、先の争いはこのあたりが原因なのかもしれない。
「キエム様も妹さんが離れて寂しいのではありません?」
「はは、なに、数ある妹の中で尤も変わり種なのがこやつだ。なにがあっても心配はしておらぬよ」
「ええ、その通りです。兄様は私よりもキヨ様を案じてくださいませ。オルレンドルより姫君をお預かりするなど、これほど名誉なことはないのですから」
「は、お前に言われずともわかっておるわ」
「カレン様、兄はこの通りでございます。ですので私はキヨ様がご出発の日まで、せめてヨーについてお話ししておこうかと思い、これから通わせていただきたく存じます」
……であれば私もちょっと釘を刺しておかねばならない。二人に向かって頭を下げた。
「シュアン様のお心遣いに感謝を。キヨ様は皇太后クラリッサ様の大事にされたご息女にございますれば、何卒、あの御方をよろしくお願いします」
キエムには意外な顔をされたから、なおさらこの行動の正解を悟った。皇太后クラリッサの反逆を知らない者はいない。彼のことだからキヨ嬢のことは体の良い国外追放と考えていたはずで、いざという時にキヨ嬢を乱雑に扱われないためにも、私から忠告しておくべきだった。
「……そうまで頼まれては無下にもできん。あの姫君の安全はこのキエムが保証するが、いやしかし、カレン殿」
「はい?」
「なに、大したことではない。もしライナルト陛下に嫌気が差したら、サゥを頼りにされるがよかろう。いまや五大部族の一角となった我ら、白き髪の魔法使いはいつでも歓迎する用意がある」
「兄様、不敬です」
「ただの例えだ、例え。……ではなカレン殿、ライナルト殿よりは俺のほうがいい男だと覚えておかれるとよろしかろう」
キエムはひらりと手を振って去ってしまうも、残されたシュアンは悩ましげな形相だ。
「……シュアン様、大丈夫ですか」
「ありがとうございます。ですが私のことは気にしないでくださいませ、すべて自分で決めたことにございます」
「それは……お国に戻らないことと関係ございます?」
彼女はサゥに期待されていた側室の役目をこなせなくなった。本来ならキエムは妹に帰国を望むはずだし、帰るよう命じたはずも、おそらく彼女は了承しなかったのだろう。
「もはや私は捨てられたも同然、首長からの支援は期待できぬでしょうが、それはオルレンドルに残りたいと決めた時点で覚悟していました。ですが、まさか別の御方がサゥに預けられるなんて……」
彼女こそキヨ嬢が身代わりになっていると感じているのだろうか。実際はそればかりでもないのだが、オルレンドルの事情を知らないシュアンにはわからない。
だからこそシュアンはキヨ嬢にサゥの、ひいてはヨーの作法を伝授するのかもしれなかった。
「はぁ、愚痴を言っても仕方ありませんね。カレン様、兄のばかな言葉はどうぞ愚か者のうわごととお忘れくださいませ。それよりもサゥがお贈りいたしました大猫をよろしくお願いします」
「大猫?」
これにシュアンは不思議そうに首を傾げた。
「私と一緒に運ばれてきた、ヨーでは人気の猫にございます。まだ会ってないとしたら、慣らすために時間がかかっているのかもしれませんね」
シュアンと一緒に……?
「賢い子が選ばれたと聞きました。調教師も一緒ですから、きっとお役に立てると保証いたします」
「そう、なのね。大猫……」
なぜ大が付くのかは不明だが、ヨー特産の猫だとしたら、柄が特殊なのだろうか。それはちょっと楽しみかもしれない。
シュアンとはもう少し話をしたかったが、彼女は兄が気がかりらしい。早々に立ち去ってしまうと、それまで黙っていたルカとジェフが喋りだした。黒鳥はジェフの頭の上でぽんぽん跳ねている。
「あの子、祖国を捨ててもいい覚悟なのかしら」
「かもしれません。ある種の決意を感じさせます」
「……ワタシにはよくわからない覚悟なんだけど、ひとつだけわかることはあるわ」
「それは?」
「シスがキエムから逃げた理由よ」
まったく違う方向に流れ弾が飛んだ。
この様子だと喋りたくて仕方がないといった様子なのだが、これには私も興味がある。
「え、それ知りたい。白髪の件といい、むかしヨーでなにかあったのは確実なのに、きいても教えてくれないの」
「あいつらしいわ。……簡単よ。調子に乗ってかっこつけた自分の黒歴史をほじくり返されて恥ずかしいのよ」
「黒……歴史……とは……?」
ジェフが馴染みのない言葉に首を捻る一方で、私は奇妙に納得してしまった。
若かりし頃に犯した言動の結果が「白髪の魔法使い」の伝承だとしたら、逃げたくなるだろう。




