346:どうかあと少しだけ
なんて話していると、廊下の方が騒がしい。
大きな花束を抱えて入ってきたのはエレナさんとヘリングさんだ。「こんにちはー!」と今日もエレナさんは明るく、そしていつになく笑顔だった。
「お二人ともこんにちは。ヘリングさんがこの時間にいらっしゃるのは珍しいですね」
「古傷が疼きましてね、しばらく休憩を仰せつかってしまいました。あ、こちらうちとエレナの両親に、隣の祖父母達からです。ご婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます。飾らせてもらいますね」
いまはこんな感じでお花をいただくので、家の中は花で溢れている。そろそろ花瓶が足りなくなってきたとは使用人のローザンネさん談だ。
しかし古傷が疼くといったヘリングさんだが、言葉を鵜呑みにするほど、私ももう甘くはない。
「ヘリングさんもお疲れさまです。流石にお出かけするときは一報を入れますから、心配なさらずとも大丈夫ですよ?」
「おや、お気付きに」
「ならないわけがありません、流石にね。……どうせヘリングさんだけじゃないんでしょうが、そこは聞かないでおきますから、周りに迷惑が掛からないようにお願いします」
「やあ助かります。また貴女になにかあっては陛下がなにを壊すかわかりませんから」
「私としてはカレンちゃんのおかげで二人っきりの時間が増えるので、感謝なんですけどねー」
「それとお祝いの気持ちは本当ですよ。落ち着くべきところに落ち着いてくれて良かった」
そう言うと紙を取り出した。
「お受け取りください。家令殿に渡すものですが、その前に目を通していただくべきものです」
「準備金ですよ。特にカレンちゃんには金額を設定して見せておいた方が気が休まるだろうからって先輩が言って、ジーベル伯が纏めてました」
「使える額がわかるのなら興味あるわ。宝石や装飾品の候補を挙げるのは私もやらせてもらうもの」
「え、僕も見たい! いくら使って良いの」
マリーとヴェンデルが覗き込んでくる文書には、およそ結婚式までに向けた支度金の、所謂上限設定額が載っている。たしかに準備金を用意するみたいなことを言っていたし、好きに使ってもいいと言われても金額がわからないと気が引けてしまうのは事実だ。
だけどこれは、ゼロの数が……。
「え、なにこれ。僕の見間違いじゃないのかな。どこをどうやったらこんな数字が出てくるの。これ本当に式までの準備金? 一生分のお金とかじゃなくて?」
「およそ一年分って書いてあるわねぇ。あらぁ……さすがにこれは……」
などと二人も驚く始末。
「それが陛下ったらあんまり自分のことにお金かけないのでぇ、使うならカレンちゃんに回せって言っちゃったのもあるみたいですよ」
「皇太后が消費していた分に比べたら可愛いものですし、それにいまは後宮が潰れましたからね。宝物庫に入りきらない下級品装飾品を処分して、さらに有り余っているそうで」
「こ、こんなにあっても困りますよ……!?」
「全部使えっていってるわけじゃないですけど、使っても問題ないのは本当ですよ。っていうか使ってほしいみたいです。ジーベル伯も言ってました」
「な、なんで!? こんなの散財もいいところじゃないですか!」
いくらなんでも高すぎる。この辺一帯の家を買ったっておつりが来る額を支度金に使えって、これはもうコンラートやキルステンから出すお金なんか考えなくてもいいほどだ。
だというのにヘリングさんは言った。
「むしろ使い込むくらいでいいんですよ。貴女ならこう言えばおわかりになるでしょうが、そうでないと経済が回らない」
「ちょ……っと……そ、そんなに後宮ってお金使ってたんですか」
「それはもう。寵愛の対象がひとりになり、これでもかなり負担が減ったと聞きました」
後宮の皇太后や側室達が服飾品を購入することで、商人が潤い、ある意味市場が成り立っていたのだ。それが後宮が潰れてなくなったとあれば、彼らの収入も減少する。つまりこの紙切れには準備金の他にも、言外に「経済を回せ」というお達しが込められているのだ。
「ぐ、グノーディアの拡張工事に回したらいいじゃないですか。もう城壁外に街を作る計画は出てるんですよね!?」
「陛下のご指示で、既にそちらの予算も確保済みです。治水工事等も心配いりません。すべて検討の上でこの度の支度金に宛がわれています」
「孤児院とかにもちゃんと予算が回りますから大丈夫ですよ~。たぶんカレンちゃんの名前で寄付されるって、これもジーベル伯が言ってました」
「これまでの額をお一人で消費しろとはいいませんが、せめてそれくらいは使ってもらいたいと陛下も仰せなのです。宰相閣下やバッヘム家の裁可ももらっているので、問題ありません」
そんなことを言われてしまうと反論が出来ない。コンラート家だって一応商売に手を伸ばしているのだ。市場が回らなくなった商家がどれだけ苦しい気持ちになるかはわかってしまう。
呆然と数字を見つめていると、マリーが言った。
「いいんじゃない。一年後には完全に宮廷に住むわけだし、まさか服や雑貨を全部侍女に用意させたいわけじゃないでしょ。式までの準備金じゃなくて、ついでに普段着とかも買い揃えろって意味よ」
「はは。その後は後で予算が組まれますけどね」
ま、まぁ……これについてはおいおい考えよう。
「ところでカレンちゃん」
「あ、はい。なんですかエレナさん」
「なんで式がおよそ一年後なんですか?」
とうとう来てしまった質問だが、これはあらかじめ考えてある。
「それはもちろん、いまは陛下も即位して間もないですし、その、恥ずかしながら一年後くらいの方がお祭り気分になっていいんじゃないかと思ったんです」
「なるほどぉ。陛下ってお世継ぎがいないから周りが急かすかもですし、国の安定を考えたら早めに式を挙げてしまうのかなって思ったんですけど、後事に回して皆を楽しませるんですね」
……誤魔化せた!
内心で拳を握りしめていると、エレナさんとヘリングさんの視線が背後へ向かっている。
何事かと振り返ると、義息子といとこがジト目で私をみている。それを受けた二人はなんらかを悟ったらしい。追及の視線に目をそらした。
「…………あの、もうちょっとゆっくり……準備を……」
……本当はエレナさんの言うとおり、急ぐべきかも検討に上がったのだ。
ライナルトが即位し民の評判も悪くないとはいえ、前帝が崩御、皇女は追放、皇太后は謀反とよくない知らせばかりが帝都を駆け巡っていた。ここは暗い気分を払拭するため、優先して式を挙げては……と。
正直、最初にこの話を聞いたときは「なるほどなあ」と納得しかけた。ライナルトもその方針で構わない様子だったけど、私があれこれ理由を述べて一年伸ばしてもらえた。
「だ、だってそんな急速に進めたって追いつかないと言いますか、それに式を挙げてしまったらもうこの家から出なきゃいけなくなるんですよ。それはあんまりにも早すぎて……」
「……カレン、貴女、ばればれだから白状しておしまい」
「え゛」
「目が泳いでる、嘘ってばればれよ。ほら、おじさまや私たちに言ったことと同じものでいいのよ。それで全部納得するんだから。陛下になんて言って延期してもらったの」
ぐ……!
これでも誤魔化すのがうまくなったつもりなんだけど。
でもエレナさんたちに黙り続けるのもなんだしなぁ。
「もう少し、恋人気分を、味わいたいなぁって」
「わ」とエレナさんが驚きを上げる。手持ち無沙汰でつい髪を弄っていた。
「み、みなさんにご苦労をおかけするのはわかってるんです。でもこればかりは、家のこともあるしすぐに対応できないなって……。そういったら、ライナルトも納得してくれたので……」
「ははぁ……陛下がそれで納得したと。……なるほど」
ヘリングさんの反応がニーカさんと一緒で困る。
この理由、誰よりも納得を示してくれたのは父さんだった。ライナルトは目から鱗といった様子だったけれども、父さんの話を聞いてそういうものか、と頷いてくれた。
……だって皇妃じゃなくて、ただのカレンとして一緒に並びたいじゃない。
「すみません。警護、大変ですよね……」
「なんてことはありませんよ。こちらの仕事はいつだって変わらないんです」
「納得できないのにいきなりお家を移っても嫌ですしね。それに恋愛したいーって気持ちは、お姉さんとーーーってもわかります」
コンラートに戻った理由がこれだ。いずれコンラートに戻る心積もりでいたから、発表後に家を移るとなっては周囲が慌てる。ウェイトリーさんやクロードさんたちとやりとりするとなればコンラートの家が最適だった。
「シスもさー、僕がなにがあっても対策してやるよって自信満々だった」
「あ、そうだそうだ。こんなおめでたい時に、あの居候はどこ行ってるんですか」
「昼はいっつもどこか遊びに行ってるけど、ルカと黒鳥はわかるよ」
「ううん、奮発してケーキ持ってきたんだけど……どこ行っちゃったんです?」
「学校だよ。この間、エミールの鞄に忍び込んで学校を見てきたって自慢してた。楽しそうだったし、また見に行ったんじゃないかな」
この間にもエレナさんは完全にくつろぎ、ヴェンデルと一緒にクッキーを囓っている。
「このお家はどうするんですか」
「引き続きコンラートで管理するって。そのために家は買い取ろうかってなってて、僕も引っ越すことになるけど、落ち着いたらこっちに戻るつもり」
「あら、ヴェンデルはこっちがお気に入りですか。向こうは書庫もたくさんあるのに」
「広すぎるとクロとシャロがどっか行っちゃわないか心配なんだよね。シスに相談したらすぐに見つけられる魔法をかけてくれるって言ったけど、とにかくそのうち戻るよ」
……将来的に城壁外に家を作るかもっていったらどう思うかな。
地下遺跡の出入り口になってる屋敷を一つ任される。その意味でライナルトはコンラートのものとして預けるか別荘にするかって言ってるんだけど。
あれ、本気だったんだぁ……。なんて思いに耽っていると、入ってきたのはゾフィーさんだ。
友人夫妻ににこりと微笑を送ると、ある報せもたらした。
「明日にはジェフが復帰するようです。それともう二つ、キヨ様と宰相閣下の面会予約が取れました」




