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345/365

345:婚約者。未来の皇妃のために

 ジルが鼻で足をつついてくるのに合わせ、ライナルトが涙を拭ってくれる。

 最後にもう一度、胸に額を押し当てた。


「カレンは己を嫉妬深いと言うが、そう思うのであればなにか私に我が儘でも言ってみたらどうだ」

「……我が儘って?」

「さて、私には見当も付かないのだが、いまのカレンであれば望みを言えるのではないか」

「あるにはありますけど……簡単に言わない方がいいですよ」

「言うだけいってみればいい。思うに、カレンはまず私に甘えることが必要だ」


 額に口付けが落とされる。

 驚きはしたが嫌とは思わない。これが甘えることの一環なら慣れるのも必要なのだろうか。

 東屋に戻るか無言で問うてきたが、こうなった以上は屋敷でやきもきしながら待っている父さんに会いにいくべきだ。ライナルトも意図を察したのか、肩を抱いて背中を押してくる。

 ちょっと慣れないけど、離す気はなさそう。ジルもゆらゆらと尻尾を揺らしながらついてくる。


「じゃあ、お揃いのものを身につけたいです」

「以前壊れた腕飾りのようなものか?」

「種類は問わないんです。指輪でも、首飾りでも、なんだったら衿止めでもなんでも。……そういうのがあったら、一緒なんだなって元気が出るから」

「わかった、用意してみよう」

「簡単に約束しないで。本当に用意させたらずっと身につけさせますよ。どこに行ってもです」

「使い分け用にいくつか種類を作らせた方が良さそうだな」


 できない約束はしてほしくないのだが、おかしくて堪らないと言いたげに喉を鳴らしている。


「ライナルト様こそ、望むものはないんですか。ほら、前にほしいものがあるって言ってたでしょ」

「ああ、それなら様付けをやめてくれ。敬語も不要だ」

「急には難しいけど、頑張ってみます。でもそれだけだったんですか?」

「欲しいものはいま手に入った」

「いま?」


 …………あっ。

 背中にじわっと変な汗が浮き出てきたあたりでニーカさんや近衛と合流するが、もしかして付いてくるつもりだろうか。……付いてくるよね、だって護衛だもん!

 顔に血が上るのを誤魔化すためにまくしたてる。


「ほ、ほかに我が儘、ありました!」

「それは?」

「さ、サゥのお酒、仕入れられますよね。あれ美味しかったからまた飲んでみたいんです。あとヨーのお洋服、あれ可愛くて好きだったので、一着くらい……ライナルト様?」


 肩を掴む手に力が入った。


「カレン」

「はい? 怖いお顔をされて、どうしました」

「酒はともかく、服は文化の違いがある。やめておく方が良い」

「部屋着にしかしないから文化は気にしなくて大丈夫です。それにあの時は私が好きならそれでいいみたいなことおっしゃってたじゃないですか」

「駄目だ」

「なんでですか。お酒は構わないんですよね。それに最近は街でもヨーの服が女の子に売れてるらしいんですよ」

「下の流行はわからないものだな。だがカレンが着る必要はなかろう」

「いえいえそんなことないです。なので生地が上等なやつがあったら欲しいので、サゥの商人がいたら紹介してもらえると……」

「いいから、とにかく避けてくれ」


 ぱっと思いついたことを言っただけなのに、頑なに断られる理由がわからない。

 ライナルトの伝手ならすぐだと思ったけど仕方ない。抜け道はいくつかあるし、いずれシュアンに相談して一着融通してもらおう。ついでにサゥの本も貸してもらえたら万々歳だ。


「それよりもお父上になんと話すか決めているか。自覚が薄いようだが、いまから婚約の報告だ」

「あ」

「すべてとは言わないが、今後についていくらか詰めねばなるまい。式の話も出てくるだろうから、カレンも確認したいだろう」

「そ、そそそうですね」


 話すべき内容がちっとも思い浮かばない。一気に結婚式の話が出てくる事態が段々と恥ずかしくなってきたものの、ライナルトは力強く一歩を踏み出している。


「もしかして浮かれてますか」

「浮かれずにいられると思うか?」


 愚問でしたね、はい。

 でも浮き足立っているのは私も変わらない。肩に置かれた手の感触は現実で、すぐ傍にライナルトがいて、並び歩けているのだと思うとおかしな気分になる。

 現実味を帯びないまま入った部屋では、すでに何もかもを悟ったかのような父さんがいて、三人分のカップも整えられつつある。

 話を終える頃にはこれから起こる騒ぎに改めて事の重大さを悟ったものの、苦労させられたのはコンラート家も同じかもしれない。

 また数日後の話だ。コンラート家でマリーがこんなことを言った。

 

「私、貴女の手足になってあげるわ」

「……それって侍女とどう違うの?」

「侍女は細かい身の回りの世話が役目。私は貴女の服を見立てたり、人に言えないことがあるような時にお使いをしてあげる。それ以外は自由にしてるけどね」

「それっていいとこ取りなんじゃ……侍女と変わらないんじゃない?」

「あんな面倒なの私には無理。だけどその方が良いのよ」

「なんで?」

「私みたいに融通の利く同性を抱えていた方が、貴女が楽だからよ。それにひとりくらい気心知れた私が近くにいた方がいいでしょ。いいわよね」

「いいわよねって、ねえ、最近のマリーってほとんどそのつもりで動いてなかった?」

「あら、ばれた?」

「……助かるから別にいいけど、マリーが考えてるよりは大変だからね」

「誰にものをいってるのかしら。女の園の戦いだったら任せなさい。そこらの侍女なんて蹴散らしてあげるわ」

 

 ライナルトの求婚を受け入れて数日ともなれば、コンラート家の周りも騒がしくなっていた。いまもヴェンデルが教科書を開きながら、ときどき恨めしげに見つめてくる原因は私にある。


「外にもろくに出られないとは思わなかった」

「私のせいじゃないもん」

「カレンのせいじゃないかもしれなくても、法改正を明かす機会はちゃんと考えてほしかった」

「学校の対応が終わったらまた通えるから……」

「そうじゃなきゃ困るよ。僕の学校生活が家庭教師だけで終わるのはやめてよね」

「はい……」

「……結婚は駄目とは言ってないだろ!」


 そう、あれからすぐに婚約を決めた旨をライナルトが正式に明かした。法の改正が成される以上は、疑いが出てくるのは火を見るより明らか。口さがない噂が立つ前に婚約と後見人の旨を明かすと、この話は光の速さでオルレンドルを駆け巡ったのだ、とはクロードさん談。

 これを受け、私は諸々の問題解決を兼ねて犬のジルと一緒にコンラートに戻った。

  一匹のおまけは治療の一環だった。懐かしの我が家とはいえ、夜を過ごすのは不安があったが、可愛らしい犬猫の力があって、夜もカーテンさえ開いていれば苦しくなくなった。

 嬉しい変化だったけど、父さんとの時間が終わってしまったのは少し残念か。落ち着いたらまたうちに泊まってもらうか、私が泊まりに行こう。

 で。私は騒がしくなるのは覚悟していたとして、問題はそれ以外。特に被害を被ったのがヴェンデルで、学園長と学年主任と担任の先生がわざわざおいでになり、ヴェンデルにしばらく学校を休むよう伝えてきた。

 学校側がそんな対応を取ったのはとてもとても簡単。

 ずばり警備体制が整っていないから。

 なにせ私とライナルトが婚約したのならこの子が皇帝の義息子となる。ややこしい関係とはいえど、このあたりは学校側もヴェンデルに通ってもらうのは名誉と考えてくれている節があるので、調整していけば大丈夫そうだ。


「エミールはうまいこと言っていまも通ってるのに……くそー」

「あの子、意外と口が回るのね……もしかしたら父さんよりうまくなるかもしれないわ」

「カレンは知らないだろうけど、エミールの社交性は頭おかしいくらいだよ。友達なんて低学年から高学年、果ては卒業生までなんだから」

「……ヴェンデルは?」

「僕は狭く深くでいい。あんまり人と話すと疲れる」

「あなた地味に学者気質だものね……」


 エミールはきっとこのことを予測していた。あらかじめ口上を考えていたのだろうが、父さん以上に口が回ったのは驚いた。しかしこれにマリーが口を挟む。


「でもねえ、学校に行ったとしても、きっと面倒な思いしてるわよ」

「なんで?」

「そりゃ未来の皇妃の弟だもの。この国の規模は大きいし、なにより歴史在る側室を廃してまでこの子を選んだのよ。その弟ってなったら、ゲルダの時の比じゃないわ」

「あー……まぁ、それはわかる。前帝陛下と違いすぎるもんね」

「天と地ほどの差よ。おまけに噂になってた後宮潰しがこの子のためじゃないかーって囁かれてたら、これはってなるわよほんとに」

「なんに使うんだろって言われてたもんねー」

「子供のくせに耳聡いわね」

「学校で女子が騒いでたんだよ。陛下が後宮を潰したのはなんでだって」

「……ああなるほどね? 顔は良かったものね。あの陛下」


 聞いてられなくてクッションに突っ伏した。


 そう、そうなのだ。ライナルトは後宮を潰した。これは私が誘拐された直後の話になるけど、後宮を洗いざらい探索した後、宰相に命じて後宮を閉じた。いまは調度品等を宝物殿等に移動させ、跡地をどう利用するか検討中らしいが、これが民衆にとって興味の対象となった。人を減らしてはいたものの後宮自体をなくしたとあっては何事かと思うし、また彼に娘をあてがう目論見のあった貴族が注目していたのが原因だ。ここへ婚約発表がどうなるかは推して知るべしだろう。

 婚約発表が流れた後、人々がどう私を噂したのかは知らない。知りたくなかったし、その必要はないといった父さんやウェイトリーさん、それにクロードさんの勧めもあって、ほとんど家に閉じこもっている。


「巷じゃカレンが寵愛を独り占めするために後宮を閉じさせたって悪女説が人気だけど、同時に決して結ばれるはずのない相手を娶るために陛下が後宮を消したっていうのが、女の子には人気なの」

「うわぁ、女子が好きそー」

「吟遊詩人が面白がってるのねきっと。……ちょっと、婚約までしたのにいまさらなに照れてるのよ。顔上げなさいってば」

「無理だって、カレンこういうの弱いもん。素直になっただけ拍手ものだ」


 ……ものの、マリーなんかは耳障りにならない範囲で話してくる。

 特にやることもないからシャロのご機嫌を取って、こんな風にヴェンデルの勉強を見ている。


「おじいちゃんも大変だろうね」

「労うならお年寄り達にしたらどうかしら。張り切っておいでだからあれこれ仕切っていらっしゃるけど、あんなのいつ倒れてもおかしくないわよ。ヴェンデルから一言注意なさいよ」

「いやー……ウェイトリーもクロードもノリノリだったし、絶対止めないって。マリーねえちゃんだって見たでしょ。あの、はなからもう全部わかってましたよって顔」

「この子がお願いしますって言った途端に、袖をまくってよしきた、ですものねぇ」

「最後の大仕事だーってはしゃいじゃってるし、無理無理」

「やあねえ、結婚式前に葬式なんていやよ私」

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― 新着の感想 ―
[良い点] 落ち着いてニマニマしながら読めるのが嬉しいです。 [一言] ライナルト視点で、カレンへの気持ちの変化を語って欲しいです。
[良い点] 50話辺りの頃に比べれば、カレンちゃんもヴェンデルもウェイトリーさんも、幸せそうで泣けます。 思いの外、独占欲のあるライナルト氏、白い結婚だったと知ったら、さらに面倒クサイ人になったりして…
[良い点] ここまでやっとたどり着いて、カレンちゃん、ライナルトさん、そしてそして、かみはら様も、おめでとうございます! [気になる点] もうすぐ終わってしまうのですか?! 永遠に読んでいたいと思うの…
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