335:この愛を拒絶する理由には足りない
コンラートでも同じような例があった。
伯達に救ってもらったけど、私が伯とエマ先生の間に割り込んだのは事実であり、お飾りであろうと妻がいる事実をエマ先生は認めていた。もちろん伯は浮気なんかしない人だったけど、それでも、どれだけ理解しようと努めても笑って許せるエマ先生の愛の形は私には遠かった。
ああ、ライナルトのことだからきっと言ったことは本当だ。
有言実行の人だもの、たしかに私に愛情を注いでくれるかもしれない。
でも物事に絶対なんてないのを私は知っている。
愛は消耗するし、永遠ではない。
例えば形だけの愛情がない側室ができたとして、これが皇室の慣習だと言われても、きっと私は苦しくなる。側室候補のシュアンを見ているだけで心臓が掴まれる思いなのに、耐えられるわけがない。
いつか私は摩耗しきって、心は醜く歪む。
それがわかるのだ。未来を絶対と断言できる勇気も無いから踏み込めない。
歪んだ感情に囚われた私が怒りの矛先を他者に向け、第二のクラリッサにならないと誰が保証できる。
「もし自分がって考えたら、私は間違いなく笑いながらその人を憎むし、絶対意地悪するし、酷いこともする! そんなのはあなたが好きになってくれた私ではいられない」
度量がないとでもなんとでも言えばいい。誰かにとって下らない理由は、私にとってはなによりも譲れないものだ。
ただ嘘をついて受け入れて、醜い私を見せるならいまのままがいい。ねじれながら、特異だからこそまっすぐに前へ進む人の隣で立ち続けるには、私は強くあり続けられない。
……そういう自分勝手な、本当に弱い理由だったから、誰にも語らず黙り続けていたのに。
「……もうやだぁ」
すべてが嫌になってその場に座り込む、ルカ達を追いかける気にもなれなかった。
感情に振り回されて叫ぶ私はライナルトの隣に並べるほどの精神性を保てない。ライナルトにはきっと煩わしいであろう本音、子供みたく騒ぐ私に彼はどれほど幻滅しただろう。
「お願いだからこんな私はもう見ないで、あなたの知ってる私のままでいさせてください」
「……そんな状態の貴方を見て、私が放っておけると思ったのか?」
横抱きで持ち上げられた。
許可なんてあったもんじゃない。降りようとしてもしっかり抱えられているし、そのまま寝台に腰を下ろしたのはともかく――。
「なんで諦めてくれないの。こんなに嫌だって言ってるのに!」
膝の上に座らされてるし、そのまま抱きしめられるしで、この人の頭の中がわからない。私の知るライナルトならこんな面倒くさい女なんかとっくに突き放しているはずなのに、まるでその気配が無かった。
「諦められない理由ならいくらでも挙げられるが、諦める理由はひとつもない」
「離してってば」
「断る」
「馬鹿、嫌い、最低」
「これだけ熱烈な告白をされて帰るなどできるはずがないだろうに」
「違う。あれは無理な理由だけを説明しただけで……!」
「そうとは聞こえなかった」
力はいっそう強まるばかりで、抱きしめられていた時間も長かった。ほうほうの体で逃げ出したものの手首を掴まれていて、どうやっても逃げ出せそうにない。
「いくら粘っても離す気はない」
綱引きの要領で足をつっぱってみてもびくともしない。
「ここまで言われ黙っているわけにもいくまい。頑張って貴方の不安を潰してみようか」
「そんなことしていただく必要はありません」
「まずカレンに足りないものがあるのは承知の上だ」
人の話を聞いてない。そして悩みをたった一言で片付けてしまう。
「承知の上でその身を望んだのだ。解決できるかどうかは関係ないな」
「関係ないって、わかってるんですか。私の世評があなたにも繋がるんですよ」
「民のことを指しているならば、彼らには満足できるだけの衣食住を守ってやれば済む話であり、王の役目はそれだけだ」
……そうだった。この人は周りの評価なんて気にしなかった。もし世評を加味するとしたら、それは自分の行く道を邪魔する可能性が生まれるかどうかの場合だけだ。
「そんなことよりも私は貴方がどうしたいかを聞きたい」
「どうしたいって、そんなのはもう……」
「資質がないからなどと、私の求婚を断る理由にはならない」
私の劣等感はまたもや軽くいなされてしまったのだが、ライナルトはどこまでもライナルトだった。
「物事とは何物もどうしたいかで始まるものだ。結末が決まっているから、解決できるかどうかで始まるものではなかったのではないか」
「知ったような口利かないで」
「ではコンラートの当主代行を決めた折、さらにはヴェンデルにコンラートを返すと決めたときに確実な解決策はあったのか」
……それは、返す言葉がない。
「あまり語ることでもないが、私が皇帝になると決めたときも似たようなものだ。その時には打開策など無かった、ただなると決めたからこそ今がある」
「皇妃も一緒だと言いたいの。だったらあなたは酷いことを言ってる」
「そうだな。だがカレンを妻とするためならできる限りのことをしよう」
避けられるはずがないものを守ると取り繕おうとしない。
これまで以上に頑張れと、自分のために耐えてくれと言っている。
「足りないものは私が補おう。私で不足するなら必要なだけの人材も揃えよう。コンラート家の人々の教えや優しさが貴方に根付いたように、皇妃として自信がつくまでの助力は惜しまないつもりだ」
「だから耐えろっていうんですか」
「その通りだ。その代わり、私も貴方を不安にさせぬよう努めると約束する」
そこでやや考え込んだ。
「……言い方を変えよう。助け合おう、と言いたかった」
「そういう言い方やめてくださいずるいです」
どんどんこっちの気が緩む物言いを覚えるから質が悪い。
「次に側室だが――」
ライナルトの口から側室、などと言葉が出ると胸がずきっと痛む。顔を顰めた私に、彼は何故か口角をつり上げた。
「取るつもりはない、と約束しても、口約束をしても信用を得るのは難しいのだろうな」
「ええ、無理です。それが国の平定に繋がるなら、あなたはいくらだって利用するでしょう。すでにシュアン様がいらっしゃいますし、答えなんて出ています」
ああ、話したくない。
私はシュアンのこと嫌いじゃない。むしろ好ましいし頑張って欲しいと思う相手だからこそ、あのお姫様を嫉妬なんて醜い感情で汚したくなかった。
「あの時は濁されましたけど、どうせ面倒が少ないなら側室に入れるつもりだったでしょう。周りだってそれが一番だって思ってたはずです」
私だって第三者で関係ない臣下だったらその程度にしか考えなかった。そして穏便で問題なく済む方法があるのなら、ライナルトは側室自体にはなんら気に留めないし、手を出すのも抵抗がない。
…………言ってて悲しくなってきた。なんで私はこんな人を好きになったのと思うけれど、彼のこの在り方は否定しない。
結局、好きになってしまったのは事実なのだから。
「声にして悲しむくらいなら、あえて言う必要もないだろうに」
「違う。違うったら違います」
「シュアンを側室にするのはやめる。誰の働きかけがあろうとも、彼女を私の傍に置くことはない」
「そんなの通用するはずないでしょう。大体、私は今回だけの問題を言ってるんじゃありません」
「わかっている。だから少し時間をもらいたい」
その期間、彼は数日で良い、と言った。
「たった数日ですよ、何をする気ですか」
「信じられないと言うのなら、先も言った通り、まずはその不安を取り除くのが私の役目だ」
「い、言っとくけどそんなことしたからって、私の返事は変わりませんよ」
「それは私のやることを見てから言ってもらいたい。ともあれ、その間にどこにも行かないと約束してくれるならカレンの信用を掴むだけの働きをしてみせる」
もうすこし謙虚さを覚える気はないのか。なかったから皇帝にまでなったのだろうけど、いざその対象が自分に向くとこんなに大変だったのかと実感する。
「ひとまずカレンの気持ちが確認できただけ良しとしようか」
「良くない。ぜんっぜん良くない」
「ニーカを置いていく。なにかあったら言ってくれ」
「聞いてよ! 信じるも何も、無理矢理でも私の言うことを聞いてくれる気ないじゃない」
「聞いているが何度も妻にしたいと言っている。通告しておくが、私は手に入れると決めた対象を逃がしたことはない」
「なんでもかんでも思い通りになると思い込むのは傲慢です。足を掬われる要因になると、以前も似たような話をしたと思うのですが」
「忘れがちになってしまうな。これからも忠告し続けてくれ、私には貴方のその意見が必要だ」
臣下としてならいくらでも、と言っても通用しないのだろう。
「やめてください。私は待ちませんし、約束もしません」
「ではこちらで勝手にやる。また数日後に会いに来よう」
「ですから!」
こっちの不安を取り除こうとしてくれるのはわかる。
だけどそれだけじゃないのだ。私はまだ、なによりも重要なことを言っていない。
迷っている間にライナルトは立ち上がり、ようやく手を離してくれて――。
……寂しい、と思ったのは、実は敗北だったのかもしれない。
「課題を解決しなくては話も進められまい。また会いに来るが、そのときには覚悟を固めておいてほしい」
「…………気持ちが傾くとは思えません」
「そこをどうにかするのも私の務めだ」
今度は無理矢理ではなく手を差し出された。手を置いて、ということらしいが、さすがにもう自分から捕まりに行ったりはしない。警戒心丸出しになったけど距離を取れば、無理には追ってこなかった。
ライナルトが出ていってしばらく、入れ替わる形で入ってきたのは父さんだけど、恨み半分恐怖半分で抱きついていた。
「全然諦めてくれないの、なんでよ、あれだけ言ったのに」
「まあ、そうだろうな。私もくれぐれもよろしくと言われてしまった」
「なんで助けてくれなかったの。扉まで蹴破って入ってきたの、父さん知らないわけじゃなかったのに」
「割り込んだらきちんと話はできないだろう。そういった大切な話は疎かにさせないようにと、私はアルノーから言われているんだよ」
子供の頃みたいに背中を撫でてくれる。過去の教訓をこんなところで出してくるなんて父さんも卑怯だ。アルノー兄さんのせいでおちおち文句すら言えやしない。
「…………部屋を移さねばならないか。陛下も涼やかな様に見えて、存外激情を抱えていらっしゃる方なのだな」
心なしか笑いが乾いていたのは気のせいか。
こうしてキルステン家での騒動は幕を閉じたが、私に降りかかった問題はなにも解決していなかった。
しろ46さんが昨日の黒鳥&ルカやカレンとライナルトのファンアート追加してくださってます。
4巻 書店特典SSペーパー
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