334:好きだから、恋しているから、愛したいから
「意に沿わず勝手に身の回りを整えたことは、気が済むまで謝ろう。療養を優先したことで、もっと早く伝えるべき言葉が遅れた私の責任だ」
「……別に」
「カレンならばいずれわかってくれると考えたのが後れを取った理由だ。認識の甘さが心を踏みにじったのも悪かった」
「いえ、いいえ。勝手に話を進めないでください。違います、そもそもはじめに言っていたら受け入れていた前提の話をしないで。私への認識があまりに自分勝手じゃありませんか」
「ならば順序以外ではどこが問題だったろうか」
「なにが、って」
そういう言い方もどうかと思うけど、これはライナルトの性分だからある程度仕方がない。それよりもここでとんでもない爆弾が落とされた。
「私がカレンを好いたように、カレンも私のことを好いているはずだ。無論、好きだから問題ないなど安易な考えは今後改めるが、そこに相違はないはずだ」
真顔で言うからたまったものではない。
「へ」とか「あ」やら「うえ!?」みたいな悲鳴が漏れた。違う、もっと冷徹に睥睨しながら否定しないといけないのに、もう余裕がすっからかんだ。マイナスを吹っ切ってしまっている。
「ち、ちが」
「違う、とは。どう違う。カレンには男として好かれていると認識している」
さっきから酷な話ばかりする。
ちょっとは休ませてくれないかな!?
「違います。なんでそんな結果になるのか、うぬぼれも酷いところです」
「うぬぼれではない。冷静になり、常日頃の行動を振り返ればわかる話だ」
「常日頃って、私はそんな変な行動を取った覚えありません」
「では聞くが、いまも含め、カレンは好きでもない男に手を握られ隣に座られて、それを嫌だと感じずに享受する性格か」
いますぐ逃げたい。しかし皇帝陛下は淡々と繋げていく。
曰く、私をある日を境に、思い返したと言った。
「責任感が強い貴方のことだ。私から逃げずにいたのはコンラートのためもあったかもしれないが、エスタベルデではどうだった。どうでもいい男の上着の中に身ひとつで入ってくる無防備な行動をするのか」
他にも様々な例を挙げられていく。髪結いをはじめ連日の看病、間違えて寝台に押し倒してしまった日……いやもうなんでそんな細かく覚えているのといいたくなるほど、具体的な例題が上げられていく。終いには根を上げたのは私の方だった。
「これまでの言動を思い出す限り、間違ってはいないはずだ。リューベックの時もだったが、貴方はそのつもりがない男と無為に接触を図る人ではない」
「わか、わかりました。わかったから止めて。お願い止めて!」
「私がカレンを一人の女性として好いたと理解してもらえたか」
やだよぉ。そうハッキリ言われるのは嫌だよぉ。
手を振り払って顔を覆う。彼が近いからこうするしかない、もう見せられる顔がない。
「いつもならそんなこと言わないのに、どうして今日に限って饒舌なんですか」
「私とて必死だからだ。笑ってくれていい、貴方がいなくなったらと考えたらいても立ってもいられなくなった」
好きな人の必死な姿を笑うほどばかじゃない。
ライナルトの言葉は嫌ほど伝わっている。ここまで想いを伝えられて嫌いになりきるのは難しい。
だけどやっぱり了承するのは難しく、いい加減ライナルトにもこの迷いを気付かれている。
「カレン、なにが貴方を躊躇わせている」
「やめてください」
「やめてどうなる。私には苦しんでいるようにしか見えないが、原因が私にあるのだとしたら言ってもらいたい」
「これは私の問題だから違うの、お願いですから何も言わずに帰って」
「では逃げないと約束できるか」
意地悪だ。
そんなことはできない。
ここで彼が部屋から出て行けば私はオルレンドルから出ていく。
意気地の無い私で、ここで嘘でも「逃げない」と言えばよかったものを、嘘をつきたくなくて歯を食いしばる。
これほどの言葉を尽くしてもらいながら黙るのは卑怯だ。
「カレン」
だが彼はその逃げの姿勢さえ愛しいものと扱った。
「私は平和とはかけ離れた人間だ」
「知っています」
「人に恨まれ、血を流し、人命が失われても、見知らぬ土地を我が物にすることを夢見ている」
これで彼の夢が、ヴィルヘルミナ皇女みたいにただ国の安寧を求めるだけならどれほど良かったか。
でも状況はそんな甘さを許さない。例えライナルトがなにもしなくても、リリーが言っていたように、いずれ隣国二つがオルレンドルに牙を剥いてくる。侵略か自衛か、言葉が違うだけでいずれにせよ国は強固にしなくてはならない。いつかははっきりしなくても、戦が起きるのは目に見えている。
……そんな人を皇妃は支えなくてはならない。
「私は貴方に苦労をかけた。皇帝の隣に在るということはその苦労が続くと同意義でもある」
それでも、と言う。
「私は貴方を幸せにしたいと願っている。故に例え大変な思いをすることになろうとも必ず支えよう。そのためにも隣にいてほしいのだ。――皇妃となる申し出を受け入れてもらいたい」
……ここで。
普通だったら、ここで受け入れるのがめでたしめでたしなのかもしれない。
だって好きな人にこんな風にたくさんの言葉を尽くしてもらって、隣を望まれたら喜んで頷いて……そんなのが定石で、美しい物語の総仕上がりになる。
でも皇妃に望まれているのが私なのだ。
ライナルトの告白に、隣にいて欲しいと言ってくれる心に気持ちが傾くも、喜んでとは手を取れない。
「ごめんなさい」
「カレン」
「受け入れられません。私では無理です、許して」
「……理由を」
「言いません。言えません。……それで諦めて」
意地でも顔を覆った手はどかさない。理由も言わないで一方的に振る形になるから、悲しすぎて、泣くのを堪えるためだ。
長い沈黙と溜息には馬鹿みたいに苦しみが増していく。
でもこれでライナルトは諦めてくれる。私も痛みを抱えるけれど、時間が傷を癒やしてくれるはずだ。
立ち上がり、一歩下がったと思しき彼が出て行くのを待つ。
待っていた時だった。
「しょうがない人ねぇ」
場の雰囲気にそぐわない女の子が割り込んだ。
びっくりして思わず顔を上げてしまうと、いつの間にか室内に女性が立っている。
「ル――」
人形の身体じゃない。魔力で構成された肉体は、馴染み深い少女の姿でもない。
いつか夢の中で会った、漆黒のドレスを纏った、製作者そっくりの形を象った女性の姿だった。
「ほんとうに、どうしようもない人」
ほう、と息を吐く姿はどこか冷たく、それ故に彼女の製作者を彷彿とさせる面差しだ。日傘を持った女性はくるくると傘を回しながら言う。
「意気地が無くて、自分の心に臆病な、どうしようもないワタシのマスター。それでいて製作者の大事な人。誰かを必要としなかったライナルトがここまで変わったのに、アナタはいつまでそうなのかしらね」
文句があるみたいだったが、彼女の視線はライナルトに逸れる。
「いつかに向けた言葉は訂正しましょう。人でなしは同じでも変われる可能性をワタシに見せてくれた。だからそのお詫びに、ひとつ教えてあげようと思うの」
「割り込むのは結構だが、こういった場に差し出口をするのは感心しないな」
「そう? でもいまはある意味アナタの味方よ」
「……待ちなさい、ルカ」
嫌な予感がする。
この子にこれ以上喋らせてはいけない。どこかへ行きなさいと言う前に、ルカが口を開いていた。
「つまるところね、この人、アナタが他に女を作るのを見たくないのよ」
――。
ふわりとルカが浮かび、姿を薄くさせていく。このままどこかに逃げる気なのだ。
「ごめんなさいね、マスター? でもね、アナタこのままだと辛いままじゃない。だとしたらワタシは水を差すしかないのよ」
「ルカ!!」
「じゃ、あとは頑張りなさいな」
慌てて捕まえようにも姿が消失し、開きっぱなしの出入り口から黒鳥に乗った少女人形が去って行く。
勝手に人の心を暴露する行為にお説教すべく、その後を追いかけようとするが……。
「……ど、どいてください」
ライナルトが立ちはだかっている。
なんとも言えない難しい表情。腕を組み、顎に手を置いて真剣な眼差しで考え込んでいる姿に、私ははっきりと危機感を覚えた。
せっかく頑張ってお断りを入れたのに、諦める気配が全然ない。
「尋ねるが……」
「尋ねないで」
「今の話は」
「やだ、聞かない」
無理無理無理無理。
こんな形で心を明かされるなんて最悪だ。だってこんな理由、ライナルトのことだから、きっと――。
「そんなことであれば――」
……と、言われるのが目に見えていた。
やっぱり皇妃の責務が重いとか、あなたに相応しくないからと、そんな理由を表に出す方がよっぽど「らしい」のだろう。わかっているだけに、予想していた反応でも、むしろ予想できていたがためにふつふつと怒りがこみ上げてくる。感情を制御できず涙が零れた。
「そうですよね、そんなことですよね。……ふふ、そんなことって、思っちゃいますよね」
「待て、軽く捉えたつもりは……」
この人とは一緒にはなれないと頑なになっていた理由があっけなくばらされて、しかもそれはご大層な理由どころか、ちっぽけなものなんだからこの反応だって頷ける。
だけど『そんなこと』が断る理由の筆頭に上がるから、私の視座は彼よりも違う位置にあるのかなと悲しくてたまらない。
「でもねライナルト様。あなたはそんなこととおっしゃいますが、私にとって皇妃の地位がどれほど重いかおわかりになりますか」
声が震えるのは大したことないと暗に言われた気がしたせいだ。例えライナルトにそのつもりがなくとも、私はそう受け取ってしまった。
乾いた笑いと一緒にまた涙が流れた。
「私は、私はですね、モーリッツさんやニーカさんみたいに特筆した能力がないんです」
「そんなことはない」
「あります。だって私は当主代理なんてやっていますけど、本当はそんなの向いてないんです。それらしい振る舞いや話し方を学べただけなんですから」
ライナルト相手に渡り合ってきたのだってその時その時の運が良かったからだ。交渉事なんていまだに苦手意識が抜けないし、お世辞や腹の読み合いだらけの会食なんて大嫌いだ。ライナルトは知らないだけで裏側じゃヘマだってたくさんしてきた。いまでも頻繁にクロードさんに指導されているのが現実だ。
「決めたことだからやるだけで、私個人なんて良くて経理が出来て、薬草の知識があるくらい。でもそれも教わってる途中で終わっちゃったから中途半端。上流社会で渡り合えるのは助けてもらえてるから」
ウェイトリーさんやクロードさんは顔役になれれば良いと言ってくれるけど、前線で活躍する人たちを見ていたら、自分との差を思い知らされる。助けてもらえる立場じゃなかったらせいぜい良くても下っ端役人程度だ。
皇妃ともなれば求められるものはこれ以上に多くなる。これ以上の頑張りを求められると思うと心とて重くなろうというものだ。
「好きだと言ってもらえた私は、一緒に並びたいから頑張って、私なりに虚勢を張って立ってる私です。全部全部努力して、足りないものをなんとか補ってもらったからここにいられるんです。そんな足りないだらけの人間が皇妃なんてできると思いますか」
「責務が不安なら、これからいくらでも――」
「それだけじゃない!」
言うはずなかったのに、言いたくなかったのに、溢れだした感情が堰を切って止まらない。
「支えがあれば、ええ、きっとやれるのかもしれないけど、いままでの私であり続けられるのは、あなたが独りだから! 他の誰にも興味がなかったから!」
これまで聞いてきた皇室の伝統と側室事情。あれらは皇室が国の基盤を固める目的があって他の女性を受け入れている。調べれば前皇帝だけでなく歴代だってもれなく側室か公式の愛人を作っていた。
「どんなに態度で尽くしてくれたって、側室は作らないと言ったって、皇帝となれば側室を作らなきゃならない時だって出てくる! 皇妃はそれを受け入れなきゃいけないでしょ!?」
「それは……」
「必要だったら何だって利用するじゃない! そういうの平気な人だって、私が知らないと思ってた!?」
こんな理由に拘ってるから、一層自分がライナルトの隣に居られる人間ではないと思い知らされる。
「私は無理なんです。どんな事情があったって、好きな人が余所で女の人を作るなんて耐えられないの」




