331:人の話はよく聞きましょう
「いきなりそんなこと言われたってわかるわけないでしょ!?」
「慌てるなよ。まったく、粋がるくせに思いがけない事態に弱いよなぁ」
上着のほかは襟巻きと、手袋も欲しいけどこっちは諦めよう。出て行く準備を整えたが、扉に手を掛けたところでシスに声をかける。
「シス、ここを開けて」
「違う違う、止めようってんじゃない。邪魔はしないさ」
扉が開かないのだ。鍵は内側からかかるようになっているから外側から閉められる恐れはない。わずかだけど、扉にシスの魔力の痕跡を感じていた。
ほとんどジト目になっていた。シスはそんな私をみて、椅子から一歩も動かずに言った。
「出すのは構わないよ。だけどそこからどこに行くつもりだい」
「……コンラート」
「だから冷静になれって。これまでの言動を考えてみろ、どう考えたってヴェンデルやウェイトリーは事情を知ってるだろ」
「…………父さんのところにいく」
「よし。じゃあ行き先は決まりだ。次にここからどうやって親父さんの屋敷までいくつもりだ。途中見回りだっているだろうし、見つからないわけない」
「そのくらいなら身を隠せるわよ。魔法を教えてくれたのはあなたでしょ」
「ごもっともだ。それじゃここからキルステンまで歩くのか?」
これには口ごもってしまった。たしかにキルステンまで歩いて行くのは現実的じゃない。
でも、ここで迷っていたらなんにも行動に起こせない。
「いやいやいやいや、勢いづくのは結構だが、だから僕の話を聞けよ。だからさー、キルステンに行くんだったら馬車を使えばいいじゃんって言おうとしたのに」
「そんなことしたら御者が上に知らせないわけにはいかないでしょ」
「知らせないようにしたらいいじゃん」
そんな都合のいい魔法は知らない。露骨に顔を顰めると、なぜか私が悪いかのように盛大な溜息を吐く。
「……あのよぉ、僕は最初から止めないっていってるだろ」
「だからなに」
「僕に力を貸してって言えばいいじゃん。なんでそうしないわけ」
まともにいわれて、はたと「そういえばそうだ」と自分で驚いた。
「協力してくれるの?」
「僕は大体面白い方の味方だと思うんだが?」
人の窮地を面白いかどうかで判断しないでほしいけど、嘘を告げている様子はない。
「……そこまで疑うもんかね。僕なりにきみには情があるつもりなんだけどさぁ」
「え、ちょっと。マスターを行かせちゃうの、ほんとにそれでいいの?」
「別にいいんじゃない。お前が反対する方が僕としては意外なんだけど」
「反対してるんじゃないわ。違う、そうじゃなくてマスター本当は……」
「あーはいはい。いいからいいから、そうと決めたらとっとと行くぞー、小娘は出ていくときに部屋に鍵かけておけよ」
「聞きなさいよー!」
本当に協力してくれるらしい。いまだ行動の意味を図りかねている私が不愉快だったのか、手を取ると引っ張るように歩き出す。この間に私に魔法がかけられた気配があった。
もう片方の手には黒鳥が乗って、彼の手の平の上でくるくる踊っていた。
「こいつの方がよっぽど素直じゃないか」
「あ……ね、え、その子、いままで自我なんてないと思ってたんだけど、シスの見立てではどう思う?」
「なんでまたそんなことを」
「ちょっと、最近、そんな感じがして。気のせいならいいんだけど」
「調べりゃわからないこともないが、面倒だからやりたくないね。ただこうしてみる限り、なかったものが芽生えたとかそんなじゃないか。元の製作者が製作者だから、ないとは言えない。もとより魔法生物なんて思考が備わる以上そんなもんだし」
「だし?」
「きみが関わると、大概珍しい事象が起こるからな。むしろなにも起こらない方が不思議だな」
……それは言いすぎではないだろうか。
だけどもし黒鳥に自我があるのだとしたら……ちょっと嬉しい。
「……ルカにとっては何になるのかしら。姉妹、それとも兄弟?」
「はぁ? ワタシ、ひとりっこですけど! そんな知性の欠片もないやつがワタシの身内なんて冗談じゃない!」
「あ、ちょっと傷ついてる感じがしない?」
「嘘!?」
「きみら、うるさい」
怒られた。
口を噤んでいると人通りが増え始めたが、誰も私たちには注目しない。夜だからもっと人が少ないかと思っていたけど、そんなことはなかったみたい。
結構な時間をかけて到着したのは宮廷御用達の馬車乗り場だ。そこでシスは待機中の御者に声をかけたが、御者にはシスや私たちが別の人物に映っているらしい。難なく馬車に乗り込むと、市街地付近で一度下り、今度は辻馬車を拾ってキルステン邸に向かうよう指示を出した。
「二段構えにするのね」
「その方が安心するだろ」
「それはまぁ……」
気が利きすぎててちょっと怖いくらいか。だけど久しぶりの外の空気は心地よく気分が良い。
「シス、いまさらこんなことあなたに尋ねるのはなんだけど……ライナルト様って、どうして……」
「きみを皇妃にするだなんて言い出したかって?」
「う、うん」
「僕が知るか。それを言うんだったら先にあっちに入れ込んだのはきみだろうが。むしろ逃げるなんて言い出す方がおかしいだろ」
「それはそうかもしれないけど、それは……」
絶対私に振り向くことはないだろうなって……思ってたからで……。
「ふーん。でも今回のは嘘だとかいう気はないのか。てっきりあり得ないって騒ぎ立てると思ってたけど」
「宮廷であそこまで懇切丁寧に扱われたら、本人はともかく……一応そういう事実があるのは認めないといけないじゃない」
「勘弁してくれよ。そこまで鈍くないはずなのに、どうして今まで気付かなかったんだ?」
「う、うううるさいっ! いままで何があったか知らないくせにっ」
「まあいいさ。それよりこれは純粋に恋愛の先達としての忠告だがな、そんな答えは他人に求めるんじゃない。第三者を挟むもんほどやっかいなものはないんだ、聞きたいなら本人に聞け」
「……やだ」
「そうだな。できてたら逃げてないもんな。このいくじなしめ」
「アナタ、マスターを苛めたいのか助けたいのかどっちなの」
「面白いものが見られる方」
馬車は無事にキルステン邸近くに到着できた。シスはこのまま馬車を使うみたいで、どこかに行くみたいだ。
「古い知人に会う用事があるんでね」
「こんな時間から?」
「こんな時間だから都合がいいのさ。ここから先は大人の時間なんで子供はお断りだよ」
なんていっていたけど、古い友人なんているとは思えないから嘘をついているのだろう。ルカがなんとも言えないしかめっ面を作っていたのが気になったけど、聞き出すほど野暮ではない。
私は宮廷を脱しキルステン邸にたどり着けた。
報せを聞いて飛んできたのは父さんとエミールだが、二人とも私の顔を見るなり驚き、父さんに至っては「なぜ」と口を開いた。
「家に帰ってきちゃ駄目でしたか」
「だめ、ではない。そんなつもりで言ったのではないが、カレン、宮廷の方は……」
「出てきました。しばらくこちらにお世話になりますけど、黙って出てきたので向こうには何も言わないでください」
驚愕の父さんを立ち直らせたのはエミールだ。
「父さん、ひとまず姉さんを部屋に連れて行きましょう。暖炉のある部屋にして、それと温かい飲み物、靴下も用意しないと」
「あ、ああ、そうだな」
「姉さんも出てくるにしたって、なんでそんな格好で出てきたんですか」
いわれて気が付いた。
上着や襟巻きをつけたからちゃんと準備したつもりだったけど、靴はぺらぺらの薄い簡易なもので、靴下もまともに履いていなかった。
たしかに足先が冷たい。エミールに袖を引っ張られて談話室に移動すると暖炉に近い椅子に座らされ、靴下が用意されるまでといって足の上にジルのお腹が乗っけられたのだ。
ジルがなんともいえない満足げ仕草をしているので、妙に気が抜けてしまう。あたたかい飲み物を手に取り、背もたれに身を預けたところで事情を説明しはじめた。
「父さん達は聞いていたはずですよね、どうして教えてくれなかったの」
「教えた方がいいとは思いました。だけど姉さんの状態をみてまだ話さない方がいいだろうって皆で決めたんです」
「……本人に言わないのはどうかと思うわ」
「それは僕たちも悪いなって思ってました。だけど姉さん、あの時に明かされて絶対混乱しないって断言できますか。それにコンラートはもちろん、キルステンでも姉さんにとって最適な環境を用意できなかったのは事実です」
それを言われると自信が無い。混乱してなにをしでかすかは……あの時の私だと予測不可能だ。
「だ、だからって怒らない理由にはなりません」
「はい、だから父さんも抜け出してきたこと、叱るに叱れないんだと思いますよ」
エミールに出番を奪われてしまった父さん。息子の成長を喜ぶべきか、出番を奪われ悲しむべきか複雑そうだ。
「う、む……。まぁ、なんだ。それに関してはいずれ謝るつもりだった。だがともかく……陛下の……皇妃に関してはお前の気持ち次第だから、もしものときは……私も覚悟はしている」
「もしも、って」
「コンラートの時も同じことをしてただろう。二の舞を演じるつもりはないということだよ」
「お気遣いと覚悟は嬉しいです。でも下手に陛下に恭順したせいで妙な噂が立っているんですよ」
「なにを見てきたかはわからないが、なるべく漏らさないよう、私たちはもちろん陛下も気を使っているよ。外にはまだ漏れてないはずだから、そこは安心しなさい」
「その陛下が……」
そもそもライナルトが元凶なのだ。彼が私を皇妃にするなんて言わなければ……。
「姉さん。どのことに怒ってるんですか」
「どうしたの突然」
「……いえ、ちょっと気になったから」
見透かされた気がして気まずい。ルカと黒鳥はさっきからジルの上に乗って遊んでいるけど、この子達が気付いているのはたしかだし……。
「詳しい話はまた明日にしましょう。ひとまずしばらくお世話になりますから! ……いい、絶対、このことは、誰にも言わないでくださいね!?」
特に念押しさせてもらったのに、事態が急変したのは翌朝。悶々とした思いを抱えながら朝ご飯の果物を囓っていると、窓際に立っていた父さんが言った。
「カレン」
「なんでしょう。もう悪かった、はお腹いっぱいですからね」
「そうではなくてな。……私たちはたしかに誰にも口外していないと約束できるのだが、お前こそ、本当に誰にも見つからず行動できたと断言できるのかね」
問いかけようとしてすぐに思い至った。慌てて席を立ち外を見ると、ちょうど見覚えのある金髪が屋敷に向かって大股で庭を渡っている。
ひ、と喉から声が漏れた。
どうして、と呟きが漏れると同時に「あのねえ」と溜息交じりの答えがやってくる。
「マスター……面白いっていうのはね、つまり混沌としてるのが好きって意味で……絶対にマスターの味方ってわけじゃないのは、覚えておいた方がいいと思うのよ」
シスぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!!
書影も出てますので是非チェックしてもらえたらと思います。ライナルトとリューベックに挟まれた白髪カレンが美しく仕上がっています。




