328:そして恋が動きだす
ライナルトは多くを語りたがらない。
ルカが強請ってキヨ嬢の話をしてくれたくらいだが、私は聞いていた話で、ルカは若干むくれてしまう始末だ。
「むー。ワタシ、あんまりその女のこと好きじゃないんだけどな」
などと言いながら、黒鳥にクッキーを差し出して食べさせている。
なんでも黒鳥に食べさせると、なんとなく食べた気分になるらしい。でも黒鳥に味覚があるかと言えばそうでもなく「たぶんない」というのがルカの答えだ。さらにいえば個性も本来ないはずだが、最近は私と繋がっているのを考慮しても、この子には自意識があるのではと思う。
だって全部私の意思のままに連動して動くのだとしたら、ゾフィーさんのときに「嫌がる」なんて行動しなかったはずだ。
「まあ、マスターが生かしたいのならそれでいいわよ。関係ない娘だしね」
「僕としちゃコルネリアの養女はどうでもいいな」
シスは皇太后クラリッサをコルネリアと呼んでいる。その理由は深くは知らないが『箱』時代からの付き合いが理由と考えられた。
それで、とシスは身を乗り出す。
「公式発表じゃコルネリアとバルドゥル、そしてそいつらに与した一党はとっくに反逆罪で処刑済みらしいけど、そこんとこどうなのさ」
「どう、とはなんだ。何を疑っている」
「本当に殺したのか?」
「発表に嘘はない。あれらは、あの古い城と命運を共にした」
シュトック城での皇太后への扱いから、二人がとっくに亡き者であるのは予想していた。その公式発表が私の元に流れてこなかったのは遺憾だが、それだけライナルトや周りの人々が気を遣ってくれていた証拠なのだろう。
ところがシスはこの返答に満足しなかった。
「…………ふーん。へぇ、それ本気で言ってるんだ?」
「何が言いたい」
「だってコルネリアだぜ。昔っから馬鹿だったが、他人様に嫌がらせすることにかけちゃ誰よりも頭が働くあの女を、お前がただ、首を落として棺桶に突っ込むだけで済ませるとは、僕は到底思えないんだよなぁ」
「仮にも皇太后だった。首を晒すまではできん」
「ほーんーとーうーにーー??」
断じておくけど、オルレンドルでも首を晒すなんてやり方は滅多にない。相当の罪人でなければあり得ないが、シスは皇太后クラリッサが静かに埋葬されたことに疑問を抱いている。
「コルネリアの処刑もだけど、バルドゥルも息子共々現地で火あぶりだっけか。内容自体は妥当だけど、なーんで帝都に連れ帰らなかったんだ?」
「あれらは生かしておく方が害だ。バルドゥルなど特にそういった人間だと、お前はよく知っているはずではないか」
「そうだね、きみと一緒で生きてるだけで迷惑な野郎だ」
軽口を叩くと、横向きを止めて仰向けに寝転がった。おかげで私のふとももの負担は軽くなったが、枝毛はもう見つけられない。
「ま、この場で血生臭い話をするほど、優美さに欠けた半精霊じゃないからな。そういうことにしといてやるよ」
「そういうこと、ではない。いま語ったことだけが真実だ」
「へいへい。いまはそれが聞けただけでも充分だよ。それに……ふん、まあせっかく戻ってきたんだ。クソッタレなアルワリアが二度と魔法を使えないようにしてやるよ。今度こそ温情をかけろなんて邪魔は入らないはずだ、あいつには生き地獄を味わわせてやる」
こんな感じで切られてしまったのだが、まだ隠し事があるのは明らかだ。
ここまで教えてくれたからには、私が誘拐された理由を教えて欲しいのだが……ライナルトの不機嫌が増す一方で聞けない。
シスがいたってここまでご機嫌斜めにならなかったのに、これは私が見た中でも歴代一、二を争う恐ろしさだ。
「あ、そーだカレン嬢、どうせだから夜も部屋に泊めてくれよ。ヨーの面白い怪談話をしてやるよ」
シスの矛先が私に向いてしまった。良い迷惑だが、内容自体は明るい。
「怪談……って、それのどこが面白いのよ」
「そうでもないのよ。向こうの怪談話って、オルレンドルのものと違って幽霊に攻撃的なのが多いの。ちょっと元気良すぎない? ってものがたくさんで、面白いからきっとマスターも気に入るわ」
「ぜ、絶対怖くないって言えるならいいわよ」
「シス、お前には別室に部屋がある」
「外野はうるさいなー。どうせカレン嬢だって暇なんだから夜更かししたところで問題ないって」
「そういう問題ではない」
「でも本当にいまさらだぜ。コンラートにだって泊まってたし、彼女の部屋で一晩明かしたことだってあったしぃ」
「ワタシはなんであろうとしばらくはマスターとずうっと一緒ですけどねー」
誤解の無いように述べておくと、シスが部屋に戻るのを面倒くさがって寝落ちしただけだ。寝台を占拠されたせいで私が長椅子で寝る羽目になった。
結局、二人が悪乗りをはじめたせいでまたもや機会を逃してしまったのだった。
ルカに請われて夜の散歩に出た。
本来なら衛兵さんに同行をお願いするところだけど、ルカに二人きりがいいと言われて了承したのだ。
この時になると実感していたのだが、シスとルカの帰還は私にとって想像以上の支えとなっていたらしい。暗闇を恐れることなく一歩を踏み出せたのが嬉しくて、鼻歌なんて歌いながら夜の散歩を堪能していた。
いつもなら寛ぐ時間。近くを歩くだけの予定が変わってしまったのは、気分が乗ってしまったせい。この時は不思議と足が軽く、ルカとのお喋りも相まって、普段行くことのなかった区画に出てしまったのだ。
そこで、サゥ氏族のシュアンに声をかけられた。散歩といった様子ではないが、両手に本を抱えて上機嫌だ。
「カレン様、お会いできて嬉しく思いますが、こんな時間にどうなさいましたの」
「シュアン様」
「もう夜も深くなって参りましたよ。みたところ供もいらっしゃらないようですが、大丈夫でいらっしゃいますか」
「あー……ええと、あとから追いついてくる予定なので」
「ならよかった、御身がひとりなのではないかと焦ってしまいました」
「シュアン様こそどうしてここに。見たところ散歩といった様子ではなさそうですが」
「お恥ずかしい話なのですが、これをどうしても読みたくなってしまって……」
シュアンはこちらに滞在してからというもの、ほとんどを本の虫として過ごしている。今宵も本の続きが気になって、閉鎖前の図書室に借りに行った帰りらしかった。
「ああ、でもお会いできてよかった。ずっとお話ししたかったのです」
「話し?」
「どうしてもお詫びをしたかったのです。……この度は、私が大変なご無礼を働いてしまったので」
驚くべき事に、シュアンに頭を下げられ、あまつさえ何事かを謝罪された。
立場としては私より彼女の方が上のはず。なのにサゥ氏族のお姫様が私に対し、まるで恭しく従うかのように頭を垂れたのだ。
驚きに声が出ずにいると、彼女はほっとした表情で胸をなで下ろす。
「カレン様に嫌われたらどうしようかとずっと悩んでいました。すぐに気が晴れるとは思いませんが。どうかお許し下さいませ」
許す?
丁寧すぎる態度、顔色を窺う様子といい、なにかがおかしかった。その間にもシュアンはぐっと拳を握り力説してくる。
「ご安心ください、カレン様。私、兄様には何も言っておりません。少なくとも公的な発表が行われるまで何も言う気もございません」
「なに、も?」
いったい何の話だろう。
身を潜めていたルカが「あっ」歪な声を上げたが、それより早く彼女は言った。
「あんなことを言った手前なんですが、私はカレン様と陛下の恋路を邪魔するつもりはありません。例え側室になったとて、それは国同士の事情。本当にやりたいのは学び、自立することだけです」
目が点、とはまさにこのことかもしれない。
二の句が継げられずにいたのを彼女はどう思ったのか、続けてこう言った。
「一時とはいえ、兄が国に戻っていて本当によかった。だってこうして滞在しているだけでも、陛下のカレン様への格別の寵愛は日に日に高まるなんて話ばかりなんですもの。聞いてるだけで妬けちゃいます。ああ、でも私、ずっと失礼なことを言っていたのだとどきどきしっぱなしでした」
「は……」
「いまは輿入れの準備の最中と伺いました」
「え、いえ、わたし、は」
「私の前では誤魔化さなくたってよろしいですよ。ファルクラムに帰っていたのも、実は宮廷に移るための前準備のための嘘だったって、皆言っています」
「み」
「あ、皆は言いすぎかしら。でも宰相閣下やアーベライン様が忙しくされているのはそれが理由だとか」
そんなの知らない。
彼女はなんの話をしているのか私の脳は理解を拒んでいるのに、これまで抱いていた違和感がすべて納得へと変わっていく。
シュアンはなにか誤解しているが、その発言や仕草の中に悪意はなく、羨望すら含まれていた。
「突然申し訳ありません。でも、ヨー出身の私からすれば、上流階級の女性が好いた方と一緒になれるなんて本当に信じられなくて……」
背後を見れば、シュアンの侍女は主人の方を感慨深げに見つめている。
「…………好いた、かた、ですか」
「ええ。勇猛な皇帝陛下が美しい皇妃を迎えられるとなれば国民は喜び沸き立つでしょう。しかも誰かが決めた相手ではなく、お互い想い合って一緒になれるなんて、これ以上ない喜びでございますね」
ここでルカが私とシュアンの間に割って入った。
宙にうかぶ人形は彼女の目を引いたが、異様に焦るルカはそれすらも気付いてない。
「可愛らしいお人形さん、あなたは……」
「わ、ワタシはこの人の使い魔よ。そ、それでねっ。マ……主人ったら、調子が良くないのに外に出てしまって……。いまも具合を悪くしているから、部屋に帰らせてあげてもらえないかしら」
「それは大変、それならお供の方もまだのようですし、私たちがお部屋までお送りします」
「いいえっ。それはワタシがいるから大丈夫だし、それに主人がいる区画は、たしかアナタは侵入を禁じられているのではなかった」
「そうですが……」
「心配しなくても、主人はアナタを嫌ってるわけじゃないから! アナタの将来に影響があることはないから心配は無用よ」
「いえ、ご気分の優れない人を放っては」
「い・い・か・ら!」
ルカが強引に理由に別れさせたのだ。名残惜しげなシュアンが姿を消すと、ルカは焦った様子で言った。
「マスター、マスター! ちょっと部屋に戻りましょ、ねっ、いまは深く考えちゃ駄目だから!」
体は言うことを聞いてくれたが、しかし足取りはおぼつかない。どこをどうやって部屋に戻ったのかもはっきりしない。シスが部屋にいたのも声をかけられるまで気付かなかった。
「夜散歩にしちゃ遅い帰りだ。なにやってたんだ?」
「なんでお前がいるのよー!?」
「暇だから話そうとおも……」
「知ってたの」
低い声が出た。
ルカが気まずそうに目をそらす姿でおおよそを悟ったが、返事を聞いていない。幼い少女を責め立てる罪悪感があったが、それを悪いと思うだけの余裕がない。
……まさかまさかとずっと思っていた不安が、ここにきて現実になった。
正直、まだ全部理解したとは言い難い。だけど、シュアンの声まで無視してはならないのはわかっている。
「知ってたって、なにが」
「皇妃のこと」
「んあ?」
代わりにシスが返答したが、こちらは一秒と間を置かず答える。
「なんだ、もしかしてやっと鈍い頭が働き出したのか」
「シス」
「そうだよ、っていうか到着した時点で色々聞いてる」
「なにを」
「きみが皇妃になるってこと。ってか、あいつ攫われた原因を頑なに隠してるんだろ、知りたかったら教えるけど、どうする」
「わー! 馬鹿!」
「お願い、教えて」
「きみを皇妃に据えるって言っちまったからだよ。まったくらしくない直情さだよな。お陰で周囲は大慌て、諸々が後手に回ってバルドゥルに先手を取られちまった」
行動は早かった。
「ちょ、ちょっとマスター、どこいくのよ」
「家」
「はぁ?」
「帰るわ」
ぶっきらぼうになったのは怒ってるからじゃない。
むしろ逆だ。これまでの鈍い自分が馬鹿らしくなるくらい頭がはっきりと冴え渡っている。これまで抱いていた何もかもが答えとなって追いついてくるから、なおさらここにいてはならないと警告を放ってくる。早く宮廷から出ないとならない焦りが全身を支配し、衝動のままに体を動かした。
「……ちょっと駄目男ー! これどうするの、マスターがおかしくなっちゃったじゃないのー!」
「いや、そういわれてもさぁ、普通気付くもんだろ」
「だからって言っちゃう間抜けがどこにいるのよ馬鹿! なんなのよこれ、ねえマスター、待って、待ってってば! やだ、意味わかんない!」
「いい機会だから覚えておけよ。人間ってのはなー、どんだけ利口そうに振る舞うやつでも、ひとたび恋が絡むと前が見えなくなる、馬鹿な行動を取るもんなんだ」




