323:権力の片鱗
寝台の上にぽんと置かれた状態で、間抜け面を晒したまま室内を見渡していた
「あの、これが私の部屋って……」
「急ぎ用意させたから不便なところもあるだろう、人を置いておくから使いやすいように変えてもらってかまわない」
「いえ、そうじゃなくて」
「外に出るのも自由だ、部屋に侵入されることはないから安心していい」
「ライナルト様!」
なにか、と言いたげに見下ろされたけど、なにかと言いたいのは私の方だ。動揺が治まらず、言葉が浮かばぬまま部屋を指さした。
「こっ、ここれが私の部屋ってなんでですかっ。あの、ちょっと、いえかなり! お部屋を借りるにしては豪勢すぎると思うのですが……!!」
「暗い場所、狭い場所は苦手だと聞いている。私もそのように認識しているが、間違っているだろうか」
「それは、合ってる……と、思うのですけどっ」
「宮廷であっても夜は暗く、ひとつの明かりでは到底足りないだろう。ならば明かりを取り入れやすい場所が良いと伝えていたら、ここに部屋が用意された。それだけだ」
「それだけだ、って……」
難なく言われてしまうが、その実、彼はとんでもないことを言っている。
この部屋、場所としては一階にあたるのだけど、広さで言えばコンラートの私の部屋の五、六倍は軽くある。ひとつの大きい部屋に低めの机とソファ、食事テーブル、寝台などと置かれているが、視界を上手に遮るように衝立で区切っていて、なにより特徴的なのはこの広い部屋に煌々と入り込む自然光!
窓際は庭に面しているが、これが全面ガラス張りで光が室内にふんだんに降り注ぐ。窓は扉も兼ねていて、外には緑の芝生が広がっている。また外にもテーブルが設置されていたから、言葉通り好きに寛いでいい証になりそうだ。
室内の窓際には簡易休憩に使えそうな吊り下げ式の編み篭椅子。ふかふかのクッションが詰められていて、実用性はもちろんインテリアとしても優秀だ。
これだけ広く、また窓が大きく部屋に面していると空調や、季節柄寒さが気になるが、あらかじめ備わっている暖炉や暖房具が室内を一定の温度に保っている。たった一部屋の暖を取るのにどれだけの燃料が消費されているのだろう。
「こ、ここ、ここってお部屋の作りが違います。普通のお部屋じゃありません、よね」
「元々は談話室だろうな。私の要望通り作り替えたのだろう」
「さっきもそう言われてましたけど、作り替えたって……」
部屋の構造や窓からの視覚的に、人を楽しませる目的を兼ねていそうだから談話室と言ったのも間違いではないはずだ。
「あのあのあの、この寝台も私が使うには豪華すぎではないでしょうか。もっと普通のでいいんですよ、普通ので。だからもっと小さな……」
「寝心地が悪いのなら変える」
「いえいえいえいえとんでもないです。ふっかふかだけど程よい固さで好きですけど、でも……」
「一刻もあれば組み立てられるはずだ」
「あ、いいです、これでいいです」
極めつけは中央奥の天蓋付き寝台。つまり私が置かれたところなのだけど、これだってひとり用としては広すぎる。白レースがふんだんに使われた、それこそ王族が使っていそうな、普通の貴族では絶対に持ち得ない寝具だ。
こんなの普通に運んだって絶対扉を通過しない。
つまり中に部品を持ち込んで組み立てるなりしないといけないわけで、それを取り替えるとなれば解体しないといけない。そんな恐ろしいこと言えなかった。
これらの調度品に加え、寝台下に敷かれた絨毯の価格すら想像するだけで恐ろしい。
療養部屋を作るのにどれだけの人と予算が掛かったのだろう。ごく当たり前に話してくれるこの人の、オルレンドルの最高権力者の片鱗が垣間見えてしまう。
「あ、あの、もっと普通の部屋でいいですから、こんなことになるなら家に……っていうか、そうです、ここまでしていただかなくったって良かったのに、なんでよりによってあんな運び方するんですか」
部屋の勢いに飲まれてしまうところだったが、ライナルトの凶行を忘れてはいけない。
「こうでもしなければ、貴女はコンラートに帰ると言っていたに違いない」
「それのなにが悪いんですか」
「悪くはない。だが私はしばらく宮廷に留まるように言った」
「それは……で、でもお返事はしてませんよね!」
「断ってもいない」
「屁理屈じゃないですか!」
たしかにそんなこと言っていたけど、こんな事態になるなんて誰が予期できたのだ。これではおもいっきり長期滞在の構えだし、匿ってもらうにしてもひっそりと、それこそ宮廷の端っこにある客室だと思うではないか。
「……家のなにがいけないんですかぁ」
「無論、愛する家族の元ならいずれ傷も癒えるだろうが、残念ながら私は貴女の行動について一切信用していない」
「は?」
「貴女が大人しくしていた試しがないと言っている」
「え、え、そんなわけないです。私はいつだってライナルト様の忠実な臣下だったじゃないですか。変なこと言わないでください」
「忠実な臣下は休息せよとの注意を無視し動き回りはしないし、私に黙って家に戻ったりはしないな」
「……そんな前の話!」
「それに数回顔を合わせただけの他人のために、自らの不調を押してまでかけつけたりもしない」
「うっ」
それは直近すぎて反論の言葉も出ない。
ぐうの音も出ずにいると勝利を確信したらしかった。
「世話係は用意させている。これから充分な休息を取るといいだろう」
「あ、待ってください、背中の傷……」
「大事ない」
「なんでですか! 人の心配ばっかりしてー!」
去って行く背中に文句を投げてしまう。なぜか笑われた気がしたが、こっちにとっては笑い事では済まされない。
ライナルトがいなくなると部屋にひとりっきりだ。明かりがあるから怖くはないけれど、慣れない部屋は居住まいを悪くさせる。
……外に繋がる部屋にしたのは、いつでも外に出てもいいよ、ってことかな?
シュトックの館では出たくても出て行けなかった。庭に繋がる硝子扉が半開きになっているのは多分……そういうことなんだろうと思う。
しかしそれでも本当にお世話になって良いのか不安が残る。大体こんな要人待遇を受ける意味がわからない。だだっ広い部屋では意外にも天蓋と衝立が上手に視界を遮って落ち着きを与えてくれるが……うっ、視界のことまで考えて部屋造りがされたと思うともっと気が重くなってくる。
どうにか家に帰してもらえないだろうか。いまは無性にヴェンデルやウェイトリーさんの顔が見たくて堪らない。ジェフに会うのは怖いけど、このまま家族に会えないのは寂しい気持ちが上回る。
せめて宮廷のどのあたりなのか場所を確認しようと寝台から降りると、おもむろに扉がノックされた。
「は、はいぃ?」
上ずった返事に対し入室したのは五、六名の女性と一人の男性だった。全員宮廷仕えの人であるのは明らかで、五十代頃の女性が前に出ると頭を垂れる。
柔らかい雰囲気を持つ女性は自らを宮廷で働く女性達のまとめ役、隣に並んだ六十頃の男性は侍医長であると名乗った。
「陛下より夫人が心安らかにお過ごしいただけるよう言い付かっておりますれば、こちらの者達を手足として使っていただきたく存じます。また体調になにかあればこちらの侍医長が代表してお身体を看させていただき、すぐに不安を取り除くべく働く所存にございます」
もう声も出ない……わけでもなかった。
物怖じしていたのは事実だけど、それより疑念が頭に湧いたからだ。
「……私の記憶では、以前お見かけした限り、侍女長と侍医長は違う方だった記憶があります。失礼ですが、前任の方はどうされたのでしょう」
誘拐される前に二人の姿を確認している。なんなら珍しく姿を見せていたから間違いないのだが、相手は微笑みながら言った。
「残念ながらお二方共に持病の癪が思わしくなく、自らの希望を持って辞任されてございます。わたくし共は後任にございますが、これまでも長く宮廷に仕えてございました。この者達も宰相閣下並びにアーベライン様より推挙されておりますので、御身の安全や経験についてはご安心くださいませ」
「あ、ああ、そうなんですね……」
「本来ならゆっくりご挨拶に移るところですが、ひとまずお休みいただくために身体を清め、着替えに移りたいと存じます。こちらの者達にあたらせてもよろしいでしょうか」
「じ、自分でしますから、服は置いていってもらえたらですね……」
「失礼ながら具合が思わしくないと伺っております。もしもがあっては大変ですから、どうか御身に触れることをお許しくださいませ。もちろんその後は邪魔にならないように下がります」
あっこの物腰は柔らかくても有無を言わさない圧は宮仕えの人だ。侍医長の簡単な質問と確認が終わると、あっという間に湯浴みと着替えが完了される。
流石モーリッツさんが推挙に関わっていると感じたのは、これまでの宮廷侍女との違いだ。いままで宮廷ですれ違い、接触した侍女達はどこかツンツンしていて近寄りがたい雰囲気ばかりだったが、今回の侍女達は、働きはもちろん、全員愛嬌があり、取っつきやすい印象だ。
おかげでさほど緊張せずに着替えは終わり、香りの良いお茶で一息つけた。侍女達はしつこく残ることもしなかったし、やたら香りのきつい香水なんて使われなかった。硝子製の器や水差しは一切なかったし、服だって着心地が良くさらっとした室内着だ。ただ煌びやかさを追及したものとは違い、あくまでも過ごしやすさを優先する、気遣いのできるものを選べる人たちだった。
宮廷に偏見があったからこんな人たちがいた事が驚きなのだが……。
「服が……ぴったり……?」
しつらえも良いし可愛い。おかげですごく楽だけど……。
あと湯浴みを手伝ってもらった時に気付いたが、隣の部屋にお風呂も備わっている。隣室を急拵えで改装したと述べるのが正しい表現だが、足つき湯船を運び込んであったのは本当に……本当に吃驚した。
色々と頭がおいつかないが、帰りたい、と思う間にも、潤沢にお湯を使う贅沢は身体を緊張から解放させてくれる。
ほかほかの身体は睡眠を訴えている。ちょっと誘惑に負けて枕に頭を傾けたら、いつの間にか外は夜だ。薄毛布をかけてくれたのは誰なのか疑問を覚えるが、室内の明るさと、更には大窓から見える景色にまた目を丸くした。これ以上の驚きはないと思ったのに、私は宮廷を甘く見ていたみたいだ。
ひぇ……と情けない声を漏らして枕を抱きしめる。
なぜなら硝子の向こうの小さな広場では、設置された硝子灯が煌々と光を放っている。周囲をきちんと見渡せるようになっているし、室内だって多めの灯りが用意されているから暗がりを心配する必要もない。明るすぎて眠れないときはカーテンを閉めれば良いし、室内だって明るさは調整可能だ。
至れり尽くせりの対応がライナルトの本気度を窺わせる。
果たして家に帰れるのか不安を覚えていると、衝立の向こうで扉が開いた。ノックはなかったし誰が入ってきたのだろう。つい息を殺していると、やがて侵入者の姿が明らかになる。
ゆっくりとこちらを覗き込むのは、予想より遙かに身長が低く、顔立ちにも幼さが残る少年だ。
目が合うと、どちらからともなく「あ」と口を開いていた。
「ヴェ……」
ヴェンデルに続いて顔を出すのはエミールに、わん、と鳴いて尻尾を振るジルを慌てて止める父さんがいる。
あ、むりだ。
姿を認めた瞬間には寝台を降りていた。
どちらから手を伸ばして抱きしめ合ったのかは覚えていないが、みっともなくたくさん泣いて、あとからやってきたウェイトリーさんやマリーにも言葉にならない叫びを上げてしがみ付いた。マリーの服に鼻水をつけて怒られても、彼女の声すら懐かしい。かねてからの願い通り抱擁を求めて回る生き物になっていたが、全員きちんと抱きしめ返してくれて、ヴェンデルとエミール、父さんなんて号泣していたからまるで収拾がつかなくなった。
父さんの手が震えている。
「よかった、本当に、本当に……」
家族の愛が恋しい。
私は泣き止んだ後も諦めが悪く、家族の手が放せないのであった。




