316:届かないこの心
「……単にライナルト様が疲れているように感じたからなんですけど、そんなにおかしいですか?」
「おかしいというより……」
珍しく狼狽を隠さないライナルトは、言葉を選んでいる様子が見て取れる。
「ごめんなさい。いまはなんだか深く考えるのが難しくて、思ったことをつい口にしてしまう。黙ってた方がいいですね」
「……いや、いい」
「ですが困らせてしまったのではありません?」
「そうではないが、いまはそれでいい。それで貴方の心が守られるなら、いくらでも訊いてくれて構わない」
「守るとかそんなのじゃないです。ちょっと混乱気味ですけど、いまはそれなりに落ち着いてます。皆さんが気を配ってくれたおかげですよ」
困った。
たくさん泣いて迷惑をかけた自覚があるから、せめて元気な姿を見せようとしてみたのだが、私の努力は斜め上の方向に向いてしまっている。眉間の皺がいっそう濃くなってしまったのが気がかりなのだが、そこで思いだした。
「なんでライナルト様が私を見られるようになってるんですか?」
「その言い様だと見えない方が良かったと受け取れるのだが」
「え、そんなことない、誤解です。またちゃんとお顔を合わせることができて嬉しいです」
あ、あれ?
なんか思ってたのとライナルトの反応が違う。いつもだったら「そうだな」くらいで質問に答えてくれるのに、今回はご機嫌を損ねてしまったみたい。
なんだか色々と難しい。
余程疲れているのかと顔を覗き込んだら、やっぱり困ったといった様子を隠さない。
「……まだ完璧とは言い難いが、シャハナに処置を施してもらった」
「な……るほどぉ」
「彼女の見立てによれば、たしかにあれには人を魅惑する影響があるが、主に目から身体に魔力が巡り、影響を及ぼすという。ゆえに私の体内から限界まで魔力を抜き、目には加護を施させた」
「え」
「それでも完全には拭い去れなかった。万全とは言い難いが、こうして直視できるようになったし、嫌悪感も湧いていない。多少の違和感程度で収まっているのだから効果はあった」
「は?」
「あとは元凶を調べてみないとなんとも言えないと言われている」
魔力を抜くって、それってイコール生命力と直結しているのではないだろうか。
「え、え、なんでそんな危険なことしてるんですか。普通の方がそんなことしたら大変なんですよ、わかってるんですか。どこか具合が悪いところはありませんか」
「ご覧の通り無事だ。見ればわかるだろう、だから落ち着き……カレン」
まさか疲労が濃い原因はそれか。焦りかけたところで肩を掴まれた。片方の手が塞がっているせいで身動きが取れなくなる。
「心配はその心だけもらっておく。私は貴方と違い無理はしない、倒れるような真似はしないから、信用してもらえないか」
「私と違いって、私だって好きで無理してるんじゃありませんけど」
「到底そうは……ああ、わかった。無理はしていない、そういうことにしよう」
「ねえ、その投げやりな納得はなんなんですか」
「投げやりではない。それで、怪我はまだ痛むか」
「誤魔化さないでください」
「誤魔化してもいない。シャハナに治療させたが、興奮していたにせよ腕を庇っていたろう。戻ってきたのもそれを確認したかったからだ」
――む。
そういうことなら答えねばならない。たしかにこうして質問されてから自分の状況を見返すことができた。包帯を巻いた左手や、傷が深かった腕に力を込める。
「力は入らないけど、最初に出来た傷の方はあんまり痛くないです。指先は……下手に力を込めなければちょっと痛い程度」
「いまそういう嘘は好きになれないな」
「我慢できなくはない程度です」
なんでバレるの。
「不服そうにされても困る。なにせ気付いていないようだが、先ほどから汗がふき出ているから」
置いてあったタオルが額に当てられ、油汗が滲んでいたことに気付いた。
「薬を飲ましてやりたいが、いまの状態では長すぎる眠りにつく恐れがあると言われた。どうにか首輪は外させたが魔力は枯渇間際となっている。回復もゆるやかで治癒も少しずつしかかけられない。せめて風邪が良くなるまで堪えてもらえないか」
「……魔法が使えるようになってるんですか? そのわりにあの子が戻ってる兆候がありません」
「外れた以上は戻っているはずとの見立てだ。ただ活動するまでの魔力が戻っていないというのがシャハナの見立てであり、いまは感知できないだろうが、気にする必要はないと伝言を預かっている」
……そうなのかな。
一度ゾフィーさんに移したのだもの、あの子を経由すれば、少なくともゾフィーさんが本当に元気かどうかくらいはわかるのだけど、ライナルトがそう言うのなら、ここで確認するのはやめておこう。
「首も……ほんとうだ、どうりで違和感がないはずでした。あの首輪が取れてますね」
「質の悪い鉄だった。肌に合わなかったのだろうが、跡は残らないようにさせるから心配しなくていい」
「自分では見えないのですが、もしかして赤くなってますか」
「かなり荒れていた。かゆみや痛みは?」
「そう言われてみれば痒いかも、くらいかもですけど、だとしたら薬を塗ってくれたおかげなんでしょうね」
シャハナ老達には会ったらちゃんとお詫びとお礼を言わないとならない。
「でも治ってくれるならいいかなぁ。無事脱出できたわけですし、またあそこに戻るよりは……跡くらい……」
…………跡くらいは、マシ。
いま言った通りあそこに戻されたら、帰れなかったらよりは、ずっと良かったはずだ。
そう言いきかせているのだけど、失敗していたらどんな目に遭っていたのだろうかと意味のない考えが過るのは何故なのか。
いけない、ライナルトがいるのだから二度もみっともない姿は晒せない。思い返してはいけないと言いきかせているのに、指が動かなくなった。笑顔が引きつる。信じられないくらいに上手く笑えない。
「あ、ええ、と――」
――嘘だ。こんなところにいるはずがない。ドアを蹴りつける音なんかあるはずない。
「カレン」
呼ばれ、まるで喜劇みたいに大きく肩が跳ねていた。呼吸を止めていたのか息が荒く、そんな私をライナルトが落ち着けようと、呼びかけを行っていた。
「あの、あの、わたし……ちが、大丈夫です、しっかりしてます、もうあんな風に取り乱したりは……」
「いい、深く考えるな」
「違うんですよ。私はおかしくなってないです。ちゃんと寝ましたし、いつも何があったって、眠って起きたら元気になってるんですから。いまは……ちょ、ちょっと、怪我が残ってるけど、治療が終われば元通りなんですから、これからまたあなたの役に立てます」
「もう充分に助けてもらっている」
「でもそうしないと私が傍に居られる意味がなくなります」
「そんな風に思う必要はない」
「いいえ、いいえ。私はあなた達みたいに特筆した才能がない人間なんです。なんでも借り物に頼るだけで、私自身にはなにもない。なかったんです。……せめて政でなにか役に立つくらい……」
「待て、一体なにを言っている。だれも貴方をそんな風には思っていない」
繋いでいた手が離れると、わけもなく不安が押し寄せる。寂しさで泣きそうになったら抱きしめられていた。迷惑をかけて申し訳ないのが半分、守ってもらえる実感と充足感が押し寄せてくる焦燥感をはね除けてくれる。
「……すみません。いまの戯言は忘れてください」
余計なことを口走った。後悔が押し寄せ、額を押しつける。
「私、なにもできなくなってますね。本当は色々話さなきゃいけないことがあるはずなのに、言葉にしようとするとなにも考えられなくなる」
「利になる必要性などに囚われなくともいい。カレンは私の傍にいてくれるだけで良い」
「無理です。協力関係でもいられないなら、私がいる理由がなくなります」
「いいや、良いのだ。私のような人間でも心は移ろい変わって行くのだと知った。カレンは協力者であることを除いても大事な存在だ」
会話の破片ひとつひとつが心地よく、羽毛の軽さで包み込んでくれる。心の隙間に染み入る言葉に嬉しさがこみ上げてくるものの、すべてを信じてはいけないとも、他ならぬ自分自身が警鐘を鳴らしている。
何故ならライナルトが追っている夢は壮大だ。誰か特別な一人を必要としない人だと知っているからこそ、私は間違えてはいけない。
本当はこうやって甘えるのも悪いのだと思う。けど怖いから離せないし、離れたくない。返事が出来ずにいるとますます力が強くなった。
「いまは信用できなくても構わない。頼むから貴方は自分を優先してくれないか」
「……痛いです」
力は緩めてくれるけど、抱擁はそのままなのが安心できた。普通だったら私はどんな反応してたっけと考えても、それがもうわからない。
「多分、ライナルト様にここまでしてもらうのは過ぎたことなんだと思います」
「違う。そもそも今回の咎はすべて私にある。決して過ぎた行動ではない」
「なにがあったのか聞く勇気を、私はまだ持ち得ません。でもこれだけは言える。チェルシーが死んだのは私の咎です。帝都内だから何も起きないと思ってジェフを外してしまった」
「……チェルシー? ああ、そういえば、あの男の……」
本当は話すまでもない不安。
黙って胸に秘めていればいいものを、私の口は勝手に動き出している。
彼女の生死がわからなかったときは不安だけでいられた。けどその死を知ったいま、時間が経てば経つほど罪悪感ばかりが押し寄せる。
最近特に一人行動を増やしていた。
……コンラートの皆は気を許せる人たちだから一緒にいて苦しいとは言わない。でも家以外、外出に必ず誰かが共に在ると息が詰まったり、誰かがいっつも傍にいると大変だな、と感じるときくらいある。
立場上駄目とは言えないけど、私とて身を守る術を得た。帰ったら一人でお茶に行ってもいいかしらなんて考えてて……ちょっとの間くらい彼がいなくったって平気と思ってたらこれだ。
私は失敗した。
ああそうだ失敗した!
襲撃は起こるべくして起こったのかもしれない。けどジェフがいたら少しでも変わっていたかもしれない可能性を殺したのは私だった。
「あなたの時間を奪っているの、ずっと悪いと思ってます。でもこうしてもらっていると安心できるの。あなたは最初から私と対等に話してくれたし、厳しいこともあったけど、たくさん優しくしてくれた人だから」
「……カレン。いいか、いま貴方は混乱している。だからいまは目を閉じ、深呼吸をして冷静になるべきだ」
「私、混乱してますか?」
「少なくともその状態ではヴェンデルの元には帰せない」
混乱しているつもりはないけど、コンラートに帰れないのはだめだ。きっとみんな心配しているし、元気な顔を見せないといけない。
「……でも」
いざ助かってみると、先を考えるのが怖い。
ライナルトから離れた。服を握る手に力が入る。
「でも?」
「どうしよう、私は、またちゃんと当主代理として立てるんでしょうか」
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