313:たとえ悪であろうとも
「そういう方は診療所で見てきたわ。生きることを諦めていない人の目、女なのに男みたいに意地を張る。全然可愛くないのに、よくそれで陛下とお近づきになれたわね。上り詰めるのなんて大変だったでしょうに」
涼やかに笑ってみせるが目は笑っていない。
むしろどこか悲しげで「可愛くない」と口にしたときも私に攻撃が向いているようには感じなかった。自らが痛みを堪えているとさえ感じたのだ。
「キヨ様は女が仕事を行うことに対して拘りがあるようですが、そちらの故郷では女が社会に出ることは何か問題があるのでしょうか」
「侍女がいなくなった途端に突っかかってきたわね」
「すみません。初めてお会いしたときから、お言葉が気になっていたので……」
侍女がいなくなってから強気に出たのは、実際そう。
震えが止まっているのはキヨ嬢に私を害する意志がないと伝わっているからだ。
「オルレンドルでは悪いことではありません。誰かに口さがなく言われることはありますが、でも女が進出しても堂々と胸を張ってもいい国です」
なぜだろう、彼女は悔しそうに奥歯を噛んで俯いた。
「……胸を張っても良いのは知ってる。だってここでは女ですら公爵になれるんだもの。……でも! 女は下品だし、男はなよなよしてるのばっかりで、日本とは大違いよ。いくら夫婦でも公衆の面前で口付けなんて頭が沸いてる」
「ええその……」
「もう慣れたわ。異国には異国の規則があるもの、異端なのはキヨの方。ここはそういう国なんだわ。だから彼らも、貴女もそれでいい。好きにしたら良いじゃない」
投げやりな言葉の割にフォークを持つ手に力が入りすぎて、ケーキを潰しているのに気が付いていない。
「でもキヨは違う。キヨは美しいし、誰にだって愛してもらえる。だって可愛いし、だからお義母様も娘にしてくださったのだもの。良い妻として夫を支えて、子供達を立派に育て上げなければだめ。それが貴人の務めというものだわ」
「……だから皇帝陛下なのですか?」
「そうよ。キヨと釣り合う最上の御方だし、お義母さまの勧めがなくたってキヨはあの人がいいってきっと思ったわ。バルドゥル様は危険な人だと言ったけど、皇帝陛下たる御方が危険を恐れてどうするというの」
夢は大陸制覇だけどいいのだろうか。
……といっても、この様子では肯定するのだろうな。
発言から薄々わかっていたけど、彼女は「女とはこうあらねばならない」と考えている。こうして話をして改めて気付いたのは、キーワードは「可愛い」だ。その言葉を口にするとき、彼女はいたく追い詰められた様相を見せる。
「高貴な方の妻はそういった側面も求められます。ですが、オルレンドルにおいては皇太后の言うことがすべてというわけでは……」
「皇太后様、よ。キヨのお義母さまを呼び捨てにしないで」
キッと睨まれた。
……どうやらキヨ嬢は皇太后クラリッサに対して本当に懐いている。正直、まったく、一切、どうしてあんな人を義母と呼び親しみを持っていられるのか、到底理解できない。
ただ、私の疑問はキヨ嬢にも伝わっていた。
「……ふん。始めに言ったとおりキヨは貴女が嫌いよ。だから理解したいと思わないし、理解だってしなくていい」
「失礼ですがキヨ様はどうして皇太后様をそれほどお慕いしているのでしょうか」
「理解しなくていいって言ったばっかりでしょ!?」
「興味です」
「明日死ぬくせに厚かましいわね!」
「だからこそです。せめてもの疑問くらい解消させてください」
キヨ嬢はちょっと高飛車で我が強いが、直接話す限りは可愛らしい性格をしている。表情が変わりやすい分、思っていることも伝わりやすいし、ギリギリと歯ぎしりされても微笑ましいとしか思えない。いや、状況はまったく微笑ましくはないのだけど。
「……まあいいわ、それが冥土の土産になるのならせめてもの情けと思って話してあげる」
瞬間湯沸かし器かな。彼女は指で己の髪を摘まみ、くるくると指で弄んだ。
「貴女はキヨのこの髪をどう思う?」
「どう、とは。とても美しい御髪です」
「そうよね、キヨも綺麗だと思ってる」
だけど、と少女は続ける。
「キヨの国ではそう考える人の方が少なかった。この顔も、目も、高すぎる鼻も歓迎されなかった。……信じられる? キヨの国はね、黒い目と黒い髪の人ばかりなの。美しいと褒め称えられるのは黒髪なのよ。おかしいわよね。キヨはキヨで、なにもかも全部生まれ持ったものなのに、みんながキヨを変なもの扱いするの」
彼女の言葉でとうとう確信を得る。
様々疑わしかったのだが、発言に混ざった古い時代の考え方に近い思考、発言等から、私とは違う時代から来たのではないかと推察していたのだ。
そして「黒髪の他は美しいと称えられなかった」等の発言から、キヨ嬢は過去の人間なのは決定となった。「兵隊さん」がいて「診療所」があったのなら一度は戦争が発生している。
だから時代としてはええと、元号はなんだっけ。め、め、明治か大正?
外との交流が残っていた時代、友好国であればそこまで敵愾心はなかったはずだ。ハーフが生まれて診療所で手伝うのも、生まれが良くないと、この気ままな性格で育つのは難しそう。
細かい歴史が思い返せない。忘れたのではなく削れているか、もう「ない」のだろう。記憶の虫食いとあの精霊の「祝福」は向こうの世界の記憶を風化させている。
異世界転移に時代は関係ないのだと、こうして目の当たりにすれば信じざるを得なかった。
「……難しいお国柄ですね。ですが、少しは違う考えを持つ方もいたのではないですか」
「少なくともキヨの周りにはいなかった。お爺様から弟や妹、女中までみーんな髪を染めろ、身長が低く見えるように背を曲げなさい、男の人より前を歩いてはダメ。……そればっかり」
お茶に砂糖を放り込み、クルクルと混ぜていく。自嘲が含まれた微笑は過去に向かっている。
「髪が綺麗、可愛いと言ってくれたのはお義母さまが初めて。右も左も分からないまま行き倒れて、なぁんにも取り得のないキヨに食事と住まいを与えてくれたの。このシュトック城だってそうよ。お義母さましか立ち入ることを許されない城に居場所を作ってくれた」
「……だから皇太后様に従うのですか?」
「一宿一飯の恩にそれ以上のものがあるの。貴女にはわからないでしょうけど、キヨはお義母さまに救っていただいた。それを裏切るつもりはないわ」
「…………バルドゥル様やニクラスの所業を知っていてもですか」
「キヨからみれば貴女も悪い人よ、要は見方の問題。結局は誰を信じて、誰と共に居たいか、それだけじゃない。キヨは正義や大義名分なんて興味ないの」
彼女は彼女の理由があって皇太后クラリッサを愛している。
……ああ、これは、騙されているわけでもないのなら、私が転生人と伝えても彼女の意志は変わらない。元より伝えたところで信じてもらえる保証もないのだけど。
そうだ、もうひとつ確認しなきゃ。
「……キヨ様はたくさんの人に愛されておいでです。だというのに祖国でそのような扱いを受けていたとは、正直信じがたい気持ちがあります」
「貴女からそう言われるのは気味が悪いのだけど……でも、そうね。キヨはきっとこちらと相性が良かったのよ。もしかしたら本当にあるべき場所はこちらだったのかもしれない。ありのままのキヨを認めてくれる、好意を好意で返してくださる方ばかりだもの。……貴女のせいで陛下はそっけないけど」
「ライナルト様のお心は私が操れるようなものではございません」
この様子では魅了については何も知らなさそう。
「……でもねキヨ様、もうここは貴女の祖国ではありません。遠いお国にいらっしゃる家族や友人はいないのです。良くも悪くも、誰も」
「なぁに藪から棒に。そんなこと言われなくても知ってるわ」
「可愛い、に縛られる必要はないんですよ。貴女様を輝かせるのは貴女様自身です。誰かから向けられた言葉は、もうここにはありません」
「…………なにそれ」
「なんなんでしょう」
キヨ嬢にあるのは時代の背景と家族から受けた言葉の呪いだ。
私もうまく返せなくて力なく笑う。ここに連れ去られてからはじめて自然に笑ったのだ。こちらに余裕が生まれたのが気に入らなかったのか、キヨ嬢は退室してしまった。てっきり手枷を解いてくれるかとおもったけど、命令がないから誰も解いてくれず、結局そのまま洗面所に逆戻りだ。
その日の夕方は食事も出ない。水の補充もなかった。出す理由も失せたのだろう。
小窓から差し込む曇り空を眺めてぼんやりしていた。不調の波を繰り返していたけど本格的に熱を出してきたおかげで、あまり真剣にならずに済んでいる。
あーあ、なんで身体が弱いんだろう。でも冷たい部屋と床に薄いシーツで転がって、栄養も満足に取れず寝ていたらこうなるか。
あ、鎖が解ける音がする。最後までしつこい人たちだ。本当に、心から軽蔑する。
予想に反して扉向こうは静かだった。洗面所の扉に向かって控えめなノック音。
「いますか。おれです、アヒムです」
吉か凶かの分かれ道、緊張に固まりながら鍵を開くと、懐かしい顔があった。
安堵した私に反し、向こうの方が傷ついた顔をしているのはどういうことか。
赤毛の髪を後ろで結わえ……てはいなかったが、後ろ髪をすっきりまとめ、ちょうど付けひげを外していた。不自然な顔の汚れを拭い落とすが、頬から首にかけて傷が走り、赤い血がぽたぽたと滴っている。
見た目はかなり違う。だけどひとつも気取らない微笑は昔から変わらない。
お待たせしました。……そう言った後にぼやいた。
「……おれ、いっつも間に合わねぇなぁ」




