304、皇帝陛下の決意
「推測の域は出ませんが、自らに対する好意を強制的に相手に擦り込むものでしょうか。だとしても何故、私に対する嫌悪感が勝るのかもわかりません。それにキヨ様に何故そのような力が備わっているかも……」
「そこは調べさせてみよう。必要なのはなんだと思う」
「キヨ様と接触しないことではないかと思われます。彼女と距離を置くことはできませんか?」
「厳しいな。あれにはそれなりの意味があって近付くことを許した。いま離すことはあまり良い結果にはならない」
「私が聞いても良い話でしょうか」
「いや……」
「わかりました。聞きませんから朝になったら早急に魔法院に行ってください」
気にならないと言ったら嘘じゃないけど、この言い様には踏み込まない方が良い部分もある。私は私の出来る範囲で彼女について調べれば良い。いまはライナルトを優先したかった。
「貴方の意見を交えながらシャハナと相談してみよう」
「是非そうしてください。ところでもうひとつ気になっていたのですが、見たところお疲れの様子です。失礼ですがちゃんと休んでいますか」
みたところ顔色が良くない。もしかして寝ていないのかと思ったら案の定で、ここ数日はろくに寝ていないらしかった。
「寝て起きれば状態が悪化しているような気がしてな」
「だからって寝ないのはだめです、正常な判断さえできなくなってしまいます」
「それでも私が私でなくなる感覚は不快だ」
「すぐ解決する問題なら多少寝ないところで問題はないでしょう。ですがこれは長引くかもしれないんですよ、ご自分の身体を優先してください」
それでもライナルトはうんとは頷いてくれない。
神秘嫌いもあるけれど、誰よりも己を信じて突き進む人だ。誰かに自分の心をねじ曲げられているのが許せないのもあって、意地でも抗おうとしているのだと伺えた。ライナルトの気持ちはわかる。私とてもし同じ目にあったら……想像しただけで背筋が凍るけれど、やはりライナルトには自分を大事にしてもらいたかった。
「シャハナ様ならなんとかしてくださいます。私からはシスに戻ってくるよう働きかけてみますし、他にもできることがないか探しますから、どうか寝てください」
「しかし」
「それにもしその異常が続いたとしても、私へのあたりが強くなるだけです」
「カレン。私にはそれがなによりも耐え難いのだ」
「大丈夫です」
これは自信をもって断言できる。
握った手に力を込めて言った。
「わかりませんか? ライナルト様はご自分で違和感に気付かれたのです。それにあなたが人にどれほど優しくても、反対に厳しい対応をされても、部下の声に耳を傾けない方ではありません。違和感は周りが指摘してくださいます」
そもそも自分の心変わりを気付けたこと、それ自体が「おかしい」と正体を突き止めようとした行為自体が普通じゃない。
「ニーカさんはちゃんとライナルト様に意見を述べてくださいますし、モーリッツさんだってそうです。あの方は色々と手厳しいところはありますが、ライナルト様の異常を見逃す人じゃありません」
もし私に対する態度が変わってしまったとしても、二人が「おかしい」と声を上げれば無視する人ではない。しかるべき原因を必ず突き詰め対応するだろう。
だから絶対大丈夫だ。力強く告げればライナルトの態度も軟化する。
よっし、あと一息。
「それにほら、私への嫌悪感が残ったままでキヨ様への好意が勝っていても、ライナルト様はご自身の信念を曲げるつもりはさらさらないでしょう? ですから将来についてだけは心配してないといいますか、頭で理解しているのならコンラートも無下にされないんじゃないかなあって……」
「その発言は不快だ。以後は慎んでくれ」
「……失礼しました」
……慰めたつもりだったんだけど失敗したみたい。
だけど話を続けた効果はあったらしく、少しずつ雰囲気も和らいでる。
「だが忠告はもっともだ。休むことは頭に入れておく」
「それを聞いて安心しました」
うんうん、いつもの調子に戻りつつある。
「……カレン?」
「はい、なんでしょう」
「気のせいか、悲しんではいないか」
「なにをおっしゃるのですか。大変な目に遭ったライナルト様ならともかく、私が悲しむ理由はございません」
嘘を言った。
本当は嬉しくて泣きそう。こんな状況で思ってしまっていいことじゃないけど、私がこの人に必要とされているかを直接聞くことができて嬉しい。
だってそうでしょう? 自分だって疲れているのに、いままでなら考えられない行動を起こして会いに来てくれた。友人達を除いて親切にしたい相手だと言ってくれた。
おこがましくも、もしかしたらこの人の特別になれたのかもしれないと考えてしまって、だからこそ嬉しくて悲しかった。
「追い返したいわけではありませんが、そろそろ宮廷にお帰りになりませんか。きちんと寝台で眠ってもらいたいのです」
でも本音は言わない。
この夜の出来事は胸に秘めて、手を握るのだって最後にするべきだ。
なぜなら私に一線は越えられない。超える勇気もないし、覚悟もないから口を噤む。
嫌だと言えば深追いしてこない人だからそれで済むのだが、帰すつもりで声にしたら渋られた。いくらいっても帰ろうとしないし、しまいには黙りを決め込んでしまう始末。
「ライナルト様? ライナルト様ってば……あっ、ちょっと、寝たふりは卑怯ですよ。ちゃんと横になって寝ないと駄目ですってば」
声をかけても揺すっても頑なに動かないのに握った手は離さない。
無謀な争いにそのうち諦めたが、その頃になると呼吸が一定になりはじめる。どうやら本当に寝ているらしいとわかれば起こすわけにもいかなくなった。
そんなので疲れが取れるわけないだろうに、かといって起こすのも気が引けたからだ。
「……本当に寝てます?」
反応はない。
ちゃんと寝ていることを願ってそっと頭を預けたら、目覚めたときには数時間は経っていた。
それというのも食堂の戸を叩いた人がいたからだ。
「おくつろぎのところ申し訳ありません。外にお迎えがいらしております」
外はもうそろそろしたら白みはじめる頃だろうか。
ウェイトリーさんの一声にはライナルトも目を覚ました。一度だけ目を見開いたが、目が合うなりすぐに両目を瞑る。わずかなりとも彼の表情が嫌悪に染まっていた。
「……忘れてくれ」
「いいんです、理由はわかってるんですから。それよりもお迎えの方もいらしたのだし、もう宮廷にお戻りください」
「玄関まで手を引いてもらえるだろうか」
「もちろん。ちゃんと目を瞑っていてくださいね」
よくよく考えれば私は後ろに下がっていればよかった。要は視界に入らなければいいだけなのに、その考えに至りもしなかったのは不覚としか言い様がない。
「その前に、サゥのことで聞きたいことがあったのを忘れていた」
「サゥ氏族ですか?」
「オルレンドルとヨーの架け橋になりたいと言ったのだろう。あれは例えば、彼の国に永住する覚悟があっての言葉だろうか」
……それは流石にびっくり。
確かにライナルトに向けてはそういう話になっている。聞こえようによってはなんでもします! って受け取れるだろうけど、流石にその気はない。
「たしかにお力になりたいという意味で申し上げましたが、私はヴェンデルが再びコンラートの地を踏みしめるまで何処にも行く気はございません。ラトリアからコンラートを取り戻してくれると言ってくれたのを信じているんです」
「ああ、約束していたな」
「それにせっかくオルレンドルに馴染んできたんです、ライナルト様は私に故郷を三度も変えろとおっしゃるのですか」
「オルレンドルを故郷と思ってくれると?」
「思えるようになりたいとは思っています。色々ありますけど、この国の人たちだって好きですもの」
そもそも私がヨー連合国にいったって、国民性の違いで苦労するのは目に見えている。
「それを言うなら、シュアン様が側室に入るという話を聞いております。……そのあたりはどうなっているのですか。シュアン様を受け入れれば、少なくともサゥとの仲は保てますよ」
「考え中だ」
「い、急ぎましょう。足元にお気をつけくださいね」
自分で地雷を踏んだ。
やめよう。避けられない話題だとしても、もうこれ以上突っ込んだらいけない。
手を引いて玄関まで向かうのは、ウェイトリーさんはさぞかしびっくりしただろう。
いつになく長い間共有できた時間もこれでお終い。
……手を離すのが惜しいなぁ。
「この件が片付いたら話がある」
「いまお話しいただくわけにはいかないのでしょうか」
「できなくはないが、まだ貴方の顔を見られないから私の気が進まない」
「それと顔がどう関係しているかはわかりませんが……。わかりました、心に留めておきますね」
「ああ、とても大事な話だから覚えていてくれ」
どれだけ重要な話なんだろう。もしかしてさっきのサゥの話題に関連している?
キエム絡みだとあんまりいい予感がしないのだけど、なんて思いながら廊下を進む。玄関口まで案内すると手が離れ、玄関に向かって彼の背を押した。
「玄関の向こうにお迎えの方がお待ちです」
「深夜に迷惑をかけた」
「迷惑だったらとっくに追い帰してます。……寒くなってきましたから、どうぞ身体を冷やさぬように温かくして寝てくださいね」
最後にキヨ嬢や魔法院についての話をしようとして止めた。言われずとも彼ならやるべきことを行うだろうし、きな臭い話で空気を濁したくなかった。
「どうぞお気を付けて行ってらっしゃいませ」
行ってらっしゃいは違うけど、紡ぐのは安全を祈るための言葉。私から彼に贈れるのはこのくらいしかない。
こんなこともう二度と無い機会。振り向きはしないだろうから、去る背中を見送ろうとしたらその背が一度だけ曲がったように見えた。
諦めに近い溜息に、理由を問おうとしたら――。
「え」
腕を引っ張られ、身体ごと倒れかけたかと思えば視界が塞がっている。顔どころか全身が押しつぶされそうになっているけれど、ぶつかっているのは壁じゃない。固くてごつごつしている体に柔らかい布の感触。服越しに伝わるのはライナルトの体温だ。
抱きしめられたと気付くには相当遅れた。
声が出ない。出ないというか出せない。
さらさらと揺れる髪の音が耳に届く。相手は深く、何度か深呼吸を繰り返す。抱きしめてもらう機会はあったけれど、これほど肩に顔が埋もれた記憶はない。
あの、これ、どういう……。
「行ってくる」
離れるなり素っ気ない一言だけで行ってしまった。
いまの行動はなんだったのだろう。
思考が働かない。働くのを拒否している。もうなにも考えずにいますぐ布団に直行して寝るのだと頭が訴えているのだけど、そこで重要なことを思いだした。
そうだこの場にいるのは私一人じゃない。
こんな遅くにも関わらず、律儀に起きて待っていたウェイトリーさんは怒りもせず、「ほう」とお向かいの悪友さんの如き仕草で顎を撫でる。
「これはまた、ずいぶんとのんびりした春でございましたな」
ああああああああぁぁぁぁぁぁ……!




