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303、目を瞑ったままでも

「あの……ちょっと、聞き違いかしら。いまライナルト様がお越しになったと聞こえたのだけど」

「聞き間違いではございません。先ほど玄関を叩かれ、いまは下でお待ちになっております。カレン様が起きるまで待つとおっしゃったのですが、どうやらお忍びでいらっしゃったご様子。とてもではありませんがそのようなことは……」

「いいいいますぐ行きますっ」

 

 こんな夜更けに来たのだからただ事のはずがない。着替えもそこそこに部屋から飛び出ると、ライナルトは食堂にいる、と告げられた。


「広い部屋の方が良いとおおせで……」

「それは構いません。それよりこんな時間に来られたんです、どんな様子でしたか」

「酷くお疲れのように感じられます。お飲み物はいかがいたしましょう」

「……私が直接渡します。温かいお茶を準備してもらえますか」

「いますぐに」

「ありがとう」


 なみなみと注がれたお茶を持って食堂に入ったけど、ライナルトは予想とは違う場所に座っていた。壁際の少し小さめの長椅子、上体を折り曲げながら片手で両目を覆っているのだ。


「ラ……」

「起こさなくて良いと伝えたが、やはり起こしてしまったか」

「はい。ですが起こしてもらえてよかったです。それよりこんな夜更けにいらして、お疲れではないですか。お茶を持ってきたのですけど……」

「悪いが気持ちだけもらおう」


 彼は私の方を見ようともしない。それどころか目元は覆ったままだから受け取れないだろう。

 

「夜も冷える頃になってきましたし、少しでも温かいものを飲めば違います。それで……あの、私は離れますので……」

「……いや」


 せっかく用意してもらったお茶が無駄になるけど、ここまで様子がおかしいなら傷つくとかいった段階でもない。いつも自信ありげなライナルトに悩ましげな姿は珍しいどころではなかった。


「頼みがある、私の近くに来てもらえるか」

「しかし、私が近くにいるのはなにか問題があるのではありませんか。ずっとお辛そうです」

「説明は確認を終えてからにしたい。頼む」


 声は切実だった。

 近くにと言われてどのくらいの距離を詰めればいいのか。ひとまず隣に座ってみたものの、相変わらずライナルトの両目は閉じられている。


「触れさせてもらえるか」

「どうぞ」


 手を差し出そうとしたら、彼の動きは予想を上回った。

 探るように伸ばされたもう片方の指が頬に触れた。意外とごつごつした手の平が感触を確かめるように撫でていく。


「……温かいな」


 待って待って、それは聞いてない。触るって言っても手と思っていたのに、顔を触れるなんてそんなのない。

 その、もちろん嫌じゃない。びっくりはしたけど恥ずかしいくらいで、でもだからって心の準備ができていなかった。頬ははじめてじゃないけど、あの時はエルが亡くなってから茫然自失状態で……考える暇が無かった。

 私だから逃げないのがわかっててやっているのだろうか。

 きっと大事な理由があるのだとわかっていても顔に熱が集中するし、心臓がばくばく脈打って落ち着かない。親指が優しく頬を撫でる感覚は優しいのに、妙に背中がぞわぞわして離れたくなってくる。


「……触れるだけなら大丈夫か」

「あの、これは一体」

「はね除けてしまわないか心配だったが、触る分にはまだ問題ないらしい」


 安堵の声音が私の知るライナルトを想起させる。その様子に私もようやく熱が引いたが、気付いたら離れようとした手を握りしめていた。

 理由は自分でもわからない。もしかしたらいつになく不安定なこの人に私は大丈夫だと伝えたかったのかもしれなかった。


「思えばキエム族長の迎えから戻った日からご様子がおかしかったですね。てっきりお怒りになったものだと思っていましたが、違ったのでしょうか」

「貴方に向けるべき態度ではなかった」


 自嘲気味の笑みが零れる。

 

「冷静に考えればわかることだ。カレンのことだからなにか理由があるはずと……私はそこを問うつもりでいたのに、貴方を萎縮させた」

「それは間違っておりません。臣下の勝手を主君が怒らないわけはないのですから」

「違う、そうではない」


 力の込められた手が痛い。仕草で気付いたのか、すぐに力は緩められたけれど、いつものライナルトと違い勝手がわからない。


「でしたら、それとお顔を見せてくださらないのは何の関係があるのでしょう」

「ああ、今日は昨日来られなかった詫びと……それを確認したくて来た。こんな時間に起こしてすまない」

「ライナルト様なりの理由があってのことでしょうから、もう気にしていません。ですから急がれた理由を教えてもらえませんか」

「そうだな……。なんと話すべきか難しいのだが、貴方の姿が視界に映りこむと無性に苛立ちや嫌悪感が生まれてくる。この間からずっとだ」


 彼はそれをそのときの気分が理由ではないと断じた。

 普通聞く分には馬鹿馬鹿しいと一蹴されてもおかしくない話だが、無下に否定するつもりはない。


「……この間お会いしたときからですか?」

「そうだ。あの時から違和感が生まれていた。顔を直接見なければ違和感はまだ少なかったからだが……怖がらせたろう」


 そんなことはない……とは言えない。私も勘違いしていたとはいえ、いつもと違うライナルトに指摘できなかった。だがそう伝えても、彼は力なく首を振るだけだ。


「対面していたあの時では、なにを言われてもまともに受け入れられなかった。なにも言わずにいてくれて正解だった。もっとも、それもこの違和感に結びついたから言える話だが」

「……では会わない間は違う?」

「少なくともあの時までの私は、貴方に会うのを楽しみにしていた」


 素直な心情を吐露してくれるが素直に喜んでもいいのだろうか。


「思えば、あの後の食事も断ってくれてよかったかもしれん。この正体を探っている中で貴方を呼びつけても理不尽な怒りしかぶつけられなかっただろう」

「それでは、今日の昼も……?」


 こめかみを揉み解していたのも、心から湧き上がる理由のない嫌悪感に抗うためだったと言う。日に日に状況は悪化しているそうで、なんと顔どころか姿を身体の一部を視界に納めるだけでも、わけのない苛立ちが湧き上がってくるのだと語った。


「キエムの迎えから帰った日は――そんなことはなかったはずなのだがな」

「声はどうでしょう。あまり喋らない方がよろしい?」

「大丈夫だ。こうして試してわかったが、いまのところ視界に入らなければ苛立ちはしない」

「どうしてそうなったのか、当てはありますか」

「ある」

「それは……」

「皇太后の養女、私の義妹にあたる娘だ。あれをそばに置くようになってから、不愉快にも心をねじ曲げられている。だがあれを直接目の前にすると様々な頼み事が断りづらくてな」


 曰く、夕食に来られなかったのはキヨ嬢が遅くまで纏わり付いていたからだとか。もしかしてと思っていた理由、なにも知らずに聞けば肩を落としたままだったが、こうして仔細を語ってくれるなら事情は変わる。

 

「そういうことだったんですね」

「言い訳にしかならないな。すまない」

「こうして教えに来てくれたじゃないですか」

「貴方の誕生日を失念していた代わりに必ず向かうと約束していたからな。これではヴェンデルに叱られてもなにも言えん」

「失念などと、ライナルト様はお忙しいのですから」

「少し前までは覚えていたつもりだった」

「あの子、なにをライナルト様に言ったんです」

「なにもしなかったのだからせめて食事くらい共にしたらどうだと」


 あの子、皇帝陛下になんてことをしてるの。

 詳しく聞くと、どうやら私が誕生会の準備をしていたのと並行して懇願されていたらしい。しかも話を聞く限りウェイトリーさんやゾフィーさんまで絡んでいる。


「……は、話を戻しましょう。キヨ様と会うようになってからだとおっしゃいましたが、よくお気付きになられましたね」

「自分の言動に違和感があったためだ、一人になれば冷静になれる」

「どこに違和感があったか聞いても良いでしょうか」

「貴方や友人以外の人間に親切にする理由がない」


 ……あ、そうでしたか。

 改めて言われるとちょっと恥ずかしい。


「それでも半信半疑だったが、ニーカに貴方を見せてはっきりした」

「あ、ニーカさん……ライナルト様が連れておいでになったのですね」

「この不可解な現象の範囲を知りたく試させた。キヨと直接接触させたのがこの間だが、やはり貴方の姿を見た途端に不快感を感じたと言った。私よりは軽かったようだが良い傾向ではない」


 お昼に首を傾げていた理由はそれかな。しかしそうなるとキヨ嬢は……。


「ライナルト様は原因を突き止めてらっしゃるようですが、キヨ様は魔法使いでいらっしゃる?」

「違うはずだ。魔法使いにしてはあまりにも無知すぎる。なによりそんなものは私の傍に置きたくない」


 そのあと「カレンは別だが」と訂正してくれるけど、神秘嫌いだものなぁ。

 

「もう少し詳細を教えてください。先ほどキヨ様の前だと頼み事が断りづらいとおっしゃいましたが、それはどんな感じですか」


 これにはなぜかしばらく無言だった。

 応える直前の様子は諦めが交じりで、嫌々ながら答えたのだ。


「普段私が貴方に対する感情と同じ類のものが生じている……と、ニーカには言われた。そんなつもりはなかったが、間違いないとな」

「……流石に公務の邪魔はしません」

「わかっている、例えだ」


 よかった。嫌われたわけじゃなかった。

 ここしばらくの不安が解消されたのは嬉しいけど、またひとつ不安要素が浮き上がってきてしまった。

 すっかり現代日本人だった頃の記憶が遠くなっているのだけど、その頃の知識を総動員すると一つの答えが導き出される。


「これからシャハナを呼び出すつもりだが、カレンは人の心を惑わす魔法に覚えはあるだろうか。もし覚えがあるなら見解を聞いておきたい」

「……ない、といえば嘘になりますが、正直本当にあるのかと疑わしいところでして」


 所謂『魅了』なるものをお持ちとか……そんなこと……。


 …………あり得ない、とは言えないなぁ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 普段のカレンちゃんに対する類と同じものって、 それは好意でしょう!! [気になる点] カレンちゃん公務の邪魔じゃないよー。 そこじゃないよー。 ライナルトに好かれてるって 認識しなよー。
[良い点] 嫌悪感も考えると単なる魅了じゃなく好感度のすり替えみたいに感じる。 誰が影響下にあるか疑心暗鬼になりそう。 キヨがパーティ行ったのはカレンの関係者の印象を悪くするためかも。 [気になる点]…
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