301、ただでは転びたくないので
コンラート邸、我が家の家令に語るのは宰相リヒャルト・ブルーノ・ヴァイデンフェラーとの約束だ。
「まさか宰相閣下の条件を呑まれたのでございますか」
「呑んだというか呑むべきかしらと思ったというか……。相手が宰相閣下だけなら蹴っていたのでしょうけどね」
現在の帝都で宰相を担う人物とは、ライナルトより前に会っている。平均よりも身長が低く、ぱっと見は好々爺といった様子だが、いざ向き合うと眼光の鋭さに背筋が伸びる。同じ歴史ある大家でもバーレ家のイェルハルド老ほどの存在感はなく、衆目に中にあっという間に溶け込めてしまいそうなほどに控えめだった。
「マクシミリアンから良い仕事をされたと聞いた、サゥの姫君とも仲を深めたのならば期待以上だ」
「オルレンドルのためでございますので……」
「その忠節、宰相として感謝の念に耐えぬ。突然の命にもかかわらずよくぞ動いてくださった」
「ありがとうございます。しかしながら宰相閣下、その件なのですが」
「了知している。マクシミリアン達にも問われたが、なぜコンラート夫人をあの場に派遣したかだろう」
「ご明察恐れ入ります。宰相閣下のお名前で通してお話しがきたのもはじめてでしたもので……」
「そう、私が貴女を先にお呼びしたのはそれが理由だ。先にお教えすると、今回の件は陛下を通しておらぬ。私の独断だ」
息が詰まった。
「夫人にはまことご苦労をかけるが、サゥ氏族のキエム族長を迎えに行った話、しばしの間だけ夫人の独断であったとしてもらいたい」
「……は、い?」
「誤解が生じるやもしれぬが、長くはかからぬだろう。この時勢で迷惑をかけることは重々承知している。しかしながら貴女は陛下の信頼も厚く、またひとたび不興を買ったとしても早々見放されることはないだろう。この提案はライナルト陛下の御代をお守りするためだとご理解もらいたい」
もう青天の霹靂だった。だって帝都を発ったときには事実確認のために使いを送っていたし、ヘリングさんにだって相談していたのだ。だからてっきりライナルトも知っていると思ったのに、宰相閣下はそれも口止めした、と平然とのたもうた。
「し、失礼ながら陛下になにも知らせずそんな話を通すのは……」
「ふむ。夫人は陛下の気性を知っておられたな。確かに、事の次第を把握された後は私の首も飛ぶかもしれぬ。……が、それも承知の上である。オルレンドルの膿を吐き出すためには必要なことだ。落ち着いて聞いてもらいたい」
「聞くだけで構わないのであれば拝聴いたしましょう。ですが宰相閣下とライナルト陛下を天秤に比べれば、どちらを優先するかは明白です。なんら相談すらしていただけず、だまし討ちのような形でそのような話は……」
「承知している。ゆえに私では夫人の信頼を得ることは能わぬだろう」
この時の私はちょっと怒っていた。
命令もなしに帝都を発ったのだ。泥を被れ、なんて当然簡単に飲める話じゃない。大体ライナルト相手に嘘をつくなんて、これまで培った信頼関係を崩すだけだ。この時点ではどんな内容だろうとライナルトに報告するつもりで挑んでいたら、そんな心積もりはあっさり崩された。
これには第三者の介入があったのだが、その人物の名前にウェイトリーさんには瞑目した。
「アーベライン殿ですか。確かにあの御仁が噛んでるのならば、ヘリング殿が口止めされたのも納得できる」
モーリッツさんの話ならば耳を傾けると宰相閣下は知っていたのだ。だから私が相手の頼みを聞いたのも、あの人を信用したのが大前提。終わってからライナルトに経緯を説明することをモーリッツさんも保証してくれた。
……それでもバルドゥル絡みじゃなきゃごねてたかもしれないけどね。
簡単に言うと、宰相閣下は皇太后に取り入るべく邁進している。モーリッツさんが加担しているのは二人が協力しているため。彼らによればオルレンドル帝国第一隊元隊長バルドゥルが皇太后の元で潜んでいるとほぼ確信を得た。彼らはバルドゥルを捕まえるために動いているが、皇太后側のガードが堅すぎて、住処を思うように探れない。
「そこでカレン様を遠くに追いやることで信頼を勝ち取り、情報を得ようと?」
「私、皇太后様には陛下に近付く女として目の仇にされているそうです。だから宰相閣下が細工して私を一時的に追いやったと……そういうことにしたかったと」
「なんと」
「すべての言葉を鵜呑みにしているわけではありませんが、実際養女のキヨ様とライナルト様が接触できたと皇太后様はご機嫌だそうです」
接触するくらい私がいようといなかろうと問題なさそうだけど……深くは問うまい。
皇太后からどう見られているか、こんなところで知りたくなかった。
もっと他にやりようがあるのではと思うけど、これは彼らの苦労を知らないゆえの感想だ。そんなところにまで気を配らなきゃならないのなら、現場は相当大変なのだろうと伺える。
ライナルトに事情を伏せている理由は教えてもらえなかった。普通ならもっと疑うところだけどモーリッツさんだから……と、なってしまうのだから宰相閣下の思うつぼ。
……どうりで、入れ違いになったマイゼンブーク氏やマクシミリアン卿が同情の眼差しを送っていたはずだ。
「期限付きだから話を呑みました。少しでもうまくいってくれたらいいけど……」
「しかしながら商船を紹介してもらうとは大胆でしたな」
「モーリッツさんは信用してるんですけど、口約束だけではどうにも落ち着かなくって」
「構わないでしょう。先方もこちらに利がある申し出の一つ二つあった方が安心するというもの。どのような理由があれど、損を被り続けるだけでも疑われるのが宮廷でございます」
踏み入れば踏み入るだけ誠実や忠誠といった言葉が軽くなるのも政だ、とウェイトリーさんやクロードさんは語っていたか。
彼らの教え子である私は『約束』を『取引』に変えた。
理由はその、利用されるだけなのも悔しくて……。
だっていくら誤解を解いてくれるといっても、ライナルトに嘘をつき続けるのも苦しいし、せめて利があってもいいではないかと商船を扱う商会と渡りを付けてもらうよう取り付けたのだ。
他にもいくらか話し込んだけど、おおよその概要はこんな感じ。ついでにキヨ嬢の話もしたけれど、ウェイトリーさんは解せない様子で首を傾げていた。
「……しかし理解できません」
「気持ちはわかります。ですけど宰相閣下自ら一刻も早くバルドゥルを捕まえたいと頭を下げられてしまっては……」
ただ、なぁ。
これは個人的な所感なのだけど、彼らはまだなにか隠している気がする。
「カレン様の話を聞く限り、陛下が会って間もない女性にそこまで心を許すものでしょうか。公務中とあれば尚更です」
「え、そこ?」
「そこでございます」
「宰相閣下とモーリッツさんの企みについて考えるべきじゃありませんか」
「アーベライン殿が同席されたのであれば約束は守られるでしょう。それにカレン様がそれで良いと判断したのならば、これ以上申し上げることはございません」
……キヨ嬢とライナルトのくだりはなるべく淡々と説明したつもりだったけど、もしかしてかなり主観が入ってた?
でもウェイトリーさんの言うことも一理あるかもしれない。あのときは萎縮して冷静でいられなかったけれど、よくよく考えればライナルトの様子はおかしかった。ただ苛立っているにしたって、露骨に感情に現れる人ではなかったはずなのだ。
それに私がキヨ嬢に感じた違和感もある。
キエムの案内やシュアンの話し相手で潰れてしまった日もあったけれど、四方八方情報を集めて早数日、思ったよりも早くの資料が纏まったところでコンラート家は一大イベントを迎えた。
ヴェンデルの誕生会だ。
ライナルトとのあの気まずい雰囲気を悩まずに済んだのは準備のおかげもあった。情報を仕入れるほど、ライナルトとキヨ嬢が仲良くやっているとか、異国からやってきた姫君の側室入りが決定か! なんて噂も流れてきたからだ。
オルレンドル式の正装に身を包んだ少年は立派だった。
「うんうん、いい感じいい感じ」
コンラートにいた頃は十歳だった子が、いまや十二歳。気が付けば身長もすっかり伸びて、顔立ちも大人びた。
「うぇ……首元が苦しい」
「今日はあなたが主役なんだから我慢なさい。陛下や異国のお客様もいらっしゃるから挨拶は練習通りにね」
「陛下はともかく、ヨーの方はカレンのお客さんじゃん。僕は完全にとばっちりだ」
「うん。それはごめんね?」
「許さない」
「シュアン姫ってたくさんの本をお持ちなの。ヨーの宗教本なら融通していただけるかもしれないわよ」
「頑張る」
キエムとは話の流れで義息子がいて、もうすぐ誕生日だと言ったら是非祝いたいと言われてしまったのだ。シュアンもオルレンドルのパーティの類には興味があるようで、結局二人も招く事態になってしまった。
今日は朝から快晴。会場となるキルステンの屋敷は白と緑の調和が取れた屋敷だが、今日はあちこちが彩られている。準備は父さんが主体となって行ってくれたが、オルレンドル式の会場にするためクロードさんに意見を仰ぎ、マリーやゾフィーさん、それに愛すべき隣人等の知識をお借りしている。
「それで、もう落ち着いたみたいだけどこそこそ動いてたのはもう終わったの?」
「なんのこと?」
「隠しても無駄よ。あなたのお使いでマルティナやハンフリーがあちこち走ってたのは知ってるの。クロードさんまで巻き込んでなにしてたのよ」
いい加減なにをしていたのか教えてもらいたいのだが、ヴェンデルは「知らない」と突っぱねるばかりで語ろうとしない。
「ろくでもないこと企んでるんじゃないでしょうね」
「……ま、今日わかるよ」
邪悪な笑みだった。




