298、サゥ氏族のお姫様
しばらくは談笑が続いたが、後続と合流を果たすと、少しの休憩を挟んでまた出発となった。兵士達の様子をつぶさに観察していたジェフとハンフリーが、マクシミリアン卿が緊張しており、兵士は警戒心が高いと教えてくれる。
「マクシミリアン卿が緊張するのも無理はない。此度の親交は、オルレンドルにとっては失敗できないのでしょうね」
「自分には、他の兵士達はもっと別の意味でサゥ氏族を怖がっていたように見えました」
「長らく国交が途絶えていた相手同士だから、襲いかかられても……と思うのは仕方ないだろう」
ジェフはマイゼンブーク氏やマクシミリアン卿を。ハンフリーは道中護衛してくれた人や、もっと末端の軍人の動きを注目していたらしい。ジェフは注目を集めてしまうのだが、ハンフリーが上手い具合に緩衝材になって、踏み込みすぎた質問は逸らしてくれたらしかった。
二人の所感は私にとっても貴重な意見で、やはりキエムのご機嫌を損ねるわけにはいかないと強く思い知らされる。ぽっと出の小娘にマクシミリアン卿が頭を痛めるのも無理はなかった。
「そういえばジェフはマイゼンブーク氏に話しかけられてたわね、なにを話したの?」
「たいした話ではありません」
「なんて言ってますが、実は軍人にならないかとお声がかかってました」
「ハンフリー」
「あら、まあ」
ヒルさんがベン老人の意志を継いで土いじりに熱中するようになってからは、ジェフが彼の剣や作法を教え込んでいるから、そのためか距離も近くなった。
気まずそうなジェフはわざとらしい咳をこぼす。
「……いまの私が剣を捧げるのはお一人だけです。あの方の誘いはお断りしております」
「あの方にまでお声をかけられるなんて、ジェフは余程優秀なのねえ」
「少なくともそこらの武人よりは一線を画してるのは素振りでわかります」
「あなたも頑張らないとねー」
「あははは、それはカレン様もでしょう」
あははうふふと笑い合う私とハンフリー。
ジェフだけじゃない、私たちもだいぶ仲良くなった。
「これからも剣の道は精進しますけど、自分としちゃ将来は剣も使える御者になってみたいです」
「御者……って、また偏ってるわね。よくお庭を手伝ってるけど、庭師じゃないの?」
「師匠は土いじりが性に合ってたんでしょうが、自分は生き物の、とりわけ馬の世話をしている方が好きです」
ジェフは前帝カールにも興味を持たれていたし、顔は見えずとも彼の年齢で目を引くなんて余程だろう。主人としては嬉しい限りだけど、同時に注目を浴びすぎることで彼の素性に気付く者がいないか不安になる。
さて、キエムの接待も重要だが、彼の妹さんとの面会も仕事に加わった。私はヨーの人達の中を進むのだが、話は伝わっていたらしくすぐに道が譲られ、辿り着いたのは道幅いっぱいを占拠する大きい荷馬車だ。屋根張りもひときわ豪華だったから貴人がいると一目でわかった。
侍女の数は少なめ。いずれもサゥ独自の民族衣装に身を包んだ綺麗な人が多いけれど、オルレンドルの感性を考えたら目を引いてしまうだろうな……なんて余計な感想を抱いてしまう。キエムの妹さんは馬車内で休んでいるらしく、中に上がり込めるのは女性だけと言われてしまったので、ジェフ達は外で待機だ。
上がり口まで丁寧に彫られているのはちょっとびっくり。細かい意匠まで気を配るならキエムの馬車より豪華っぽいのだけど、中には一体どんな女性がいるのだろう。
上がって分厚い仕切り布を潜れば、その人がいた。
「ようこそおいでなさいました、異国のお客様。兄より話は聞いております」
「お初にお目にかかります。オルレンドルより参りましたコンラートのカレンと申します」
「私はサゥ氏族がキエムの血に連なる者、シュアンです。馬車は揺れるでしょう、そちらにお座りになってもらいたいのですが……」
こう言ってはなんだけど、キエムとは似ても似つかない可愛らしい女性だった。彼の印象から抱くなら、きりっとした女性像を抱いていたのだけど、目の前にいる人はふんわりと柔らかな心証を抱かせる。堂々とした振る舞いでも傲慢さはなく、むしろ控えめな大人しい人だ。
馬車の中は見た目ほど広くない。天井から壁まで布で覆われ、床には絨毯が敷き詰められている。奥には主人のための大きなクッションがいくつも置かれていた。
「履物はそこの侍女に渡してくださいますか。オルレンドルでは室内でも履物を履いたまま過ごすのは存じているのですが、サゥで人をお招きする際は、靴を脱いでくつろいでいただくのが習わしなのです」
郷に入っては郷に従えだ。壮年の侍女に靴を預けると、相手は何処かほっとした様子で微笑んでいる。
私たちを挟むのは足のないテーブルで、とんとん拍子で茶器が用意される。
「こうしてお目通り叶いましたこと、感謝の念にたえません。時間を設けてくださったことに感謝いたします」
「貴女のことは兄より伺っております。あの人に無理を言われていらしてくださったのは承知しておりますが、お許しくださいね。オルレンドルの女性とは一度お話をしてみたかったのです」
「無理なんて、とんでもない」
「いいえ、あの人のことだから白髪の魔法使い様を困らせたのはわかりきっています。実際困った人でしょう?」
キエムをあの人と呼んで笑う姿は苦笑交じりだ。私の疑問に気付いたのか、お菓子を勧めながら教えてくれる。
「私は母と共にずっと本国にいたので外のことは詳しくないのですが、族長のことはわかります。気に入った方ほど困らせて、そして手に入れたがる人ですから、白髪の魔法使い様であればさぞご苦労なされたのではないかと、母と話しておりました」
「キエム様がどこまで誤解されていたのか、私では定かではありませんが……」
「良い機にあやかったのだと喜んでいましたよ、とても」
そんな話を聞いてしまうと、元祖『白髪の魔法使い』に会わせてみたくなってくる。きっと夢に抱いた幻想を粉々に打ち砕いてくれるだろう。
「白髪の魔法使い、では呼びにくくありませんか。どうぞカレンとお呼びください」
「礼を失することになります。よろしいのですか?」
「お断りする理由がございません。それに御国に失礼とは存じますが、私は白髪の魔法使いである事実は変わりませんが、その呼び名はしっくりこないのです」
「あ……。それもそうですね」
「ここにいるのは魔法使いではなく、ただ気晴らしの話し相手とお思いください。国を出てずっと馬車では、道中は退屈だったのではありませんか」
「……おわかりになりますか?」
「シュアン様ほどではございませんが、私も長旅をしたことがございます。多少ならばご苦労もわかるつもりです」
「えぇ、えぇ、実はそうなんです」
五大部族の族長の妹となればお姫様も同然だ。それなのに相手に気を遣われるのは大変気が引ける。
聞いたとおり年の頃も近く、歳は二十歳とのことだった。『白髪の魔法使い』扱いしなくて良いと会話で示せば、相手はいくらか緊張を解いてくれる。
「シュアン様、私はサゥ氏族の作法に詳しくありません。ですので教えてもらえると嬉しいのですが、サゥでは客人を招く際は靴を脱いでもらうのですか」
「オルレンドルの方には馴染みありませんよね。履物を脱いでもらうのは、こちらが相手をもてなす証であり、また相手がこちらを信頼していると示す証となります」
「オルレンドルにはない考え方ですね。たいへん興味をそそられるのですが、たしかエスタベルデ城塞都市で宴を催してもらった際は違ったと思うのです。やはり戦場では勝手が違うのでしょうか」
「そうですね。兄も家で人をお招きするとなればサゥの礼儀に倣うのでしょうが、オルレンドルの方々に靴を脱いでくださいとお願いするのも失礼でしょうから」
「キエム様は風習に拘らず、オルレンドルの方々のことも考え交渉に臨んでくださったのですね。流石できた方でいらっしゃいます」
「ふふふ、いまのお話しは兄には秘密にしておきますね。きっと世辞を世辞と思わず、額面通り受け取ってしまうでしょうから」
ファルクラム然り、オルレンドルでは家の中で靴を履くのが当然で、ふかふかの絨毯を土足で歩く行為もいまではすっかり慣れてしまった。日本ではなんとなしに靴を脱ぐのが当たり前だったけれど、こんな考え方になるのが面白い。
他にもサゥ氏族について聞いてみたのだけど、彼女は知識が豊富で、自らの氏族のみならず他の部族の例も出して話してくれた。
私が質問する側になったのは、彼女に会話への躊躇いを感じたためだ。余所の人慣れしてないと表現するべきか、気まずい空気で過ごすよりは相手の心を開かせることを優先した方がいい。コンラート家の家令と顧問の教育に従い話を切り出したら、なんとか手応えを感じて心でガッツポーズ。ヨー連合国やサゥ氏族の風習を話すときが活き活きしているのもあって会話を重ねれば、ついに遠慮の壁を取り払えた。
「あの、私ばかりが話してばかりで、いまさらこんなことをお尋ねして気を悪くされないでほしいのだけど」
「どうぞなんでも聞いてください。私にわかる範囲でしたらなんでもお答えします」
政治面だとちょっと自信ないけど!
彼女はなにを躊躇っているのだろう。きょろきょろとあたりを見回すと、身を乗り出して小声で尋ねたのだ。
「…………貴女は女なのにお仕事の役職についているとは本当なのかしら」
……おや?
話の風向きが変わったような気がした。




