297、頼れるおじさん達
ライナルトの右腕といえばモーリッツ・ラルフ・バッヘム。宰相になり得るほど家柄と信頼を有しているとなれば彼でも不足はなかったが、周囲が危惧したのは年齢だ。それにモーリッツさん自身は文官寄りだけど軍属なのは変わりないため、バランスを考慮してリヒャルト・ブルーノ・ヴァイデンフェラー侯爵を宰相として推された。
私が知っている宰相閣下の経歴は、狐と称したマイゼンブーク氏とは逆で、世間同様根気と忍耐のイメージだ。
ライナルトは前皇帝カールの政権時に宰相を務めていたメーラー侯を処刑した。理由は様々あれど、やはり前帝の元で地位を守り続けた人物の警戒と、政治的な様々な不満の押しつけ先になると考えられる。
リヒャルト・ブルーノ・ヴァイデンフェラー侯爵はそんな前代とかつて宰相の座を争い負けているが、この騒動の折には跡継ぎの長男を失っている。以降は爵位の体面だけは保てたものの、社交界は実質追放。これほど冷遇されたのなら、並の貴族は生きる気力を失う。ところが新しく投資と商売に手をつけ、人脈を作り、落ち目貴族として影に潜みながら雌伏の時を過ごし、数十年以上かけ再び力を付けた。
ライナルトの登場には真っ先に駆けつけると忠誠を誓い、モーリッツさん等と協力しながら人事を尽くした人である。
すでに御年六十過ぎとお年を召しているが、政治的な勘は失っていない。ライナルトにも働きを認められ、苦節の時を経てヴァイデンフェラー侯爵家は栄華を取り戻した。
前宰相が処刑されたと国内を駆け巡ったときは、ヴァイデンフェラー侯爵家は真っ先に諸手を挙げてパーティーを開いたとかなんとか……。
ところがマイゼンブーク氏は宰相の顔を思い浮かべたのか、口をへの字に曲げて空を仰いだ。
「まったくいけ好かない人物だが、陛下への忠誠は間違いない」
これをマクシミリアン卿は、マイゼンブーク氏は軍人気質が強すぎるためと評した。
「マイゼンブーク殿は根っからの軍人。筆よりも剣を握り刃で語り合うことを良しとする御方だから、リヒャルト殿とは折り合いが悪い」
「ではマクシミリアン様から見た宰相閣下はどんな御方でしょう」
「真面目ではあるが、あらゆる状況を想定し周到に準備を整えておられる。お年を召しているが物事を決めつけるような真似もせず、頭も柔らかい。国を真摯に考えている御方が、陛下の意に沿わない真似はしないはずだ」
「宰相閣下なりの理由があって私にキエム族長の迎えに行かせたのでしょうか」
「私はそうであると願っている。でなければ若い女性をこんなところに送り出すなど、普通では考えられない事態だ」
ますます読めなくなってきた。一体私は宰相閣下に何を望まれているのかがさっぱりわからない。サゥ氏族と合流するまでに出来たことといえば、私なりのキエムの人となりやサゥ氏族の心証を話せたくらいだ。
「私の主観より複数の人間の意見が重要だ。市民寄りの方から聞けるのであればまた新たな側面が見えてくるのだから、無駄な情報などひとつもない。どうか気落ちせずに胸を張ってほしい」
私よりも長い間エスタベルデにいたマイゼンブーク氏ほどの情報は与えられない。それでも労ってくれるのだから、将来はこんな気遣いとお礼が言える人になりたいと思う。
サゥとの合流は三日ほど要した。本来はもう少し早くする予定が、先方がやや遅れて到着したのだ。
新たな五大部族入りしたサゥのキエム族長は以前より痩せていたが、精悍さは増していた。身に纏う衣類は上物になっていたが、もしぼろ切れを纏っていたとしても一目置いていただろう。あふれ出る自信は存在感を隠しきれずにいるのだった。
「サゥ氏族のキエム族長、よくぞオルレンドルに参られました。これより我らが帝都グノーディアまで案内させていただく。道中はこちらのマイゼンブーク殿が皆様の安全を御守りさせていただきます」
「よろしく頼もう」
「それとこちらはマイゼンブーク殿と同じく、見知った顔と存じますが……」
キエムはマイゼンブーク氏やマクシミリアン卿の挨拶に鷹揚に頷いていたが、挨拶も終わらぬうちに破顔した。
「おお、そこにいる白髪はカレン殿か。これは随分久しいな」
殊の外喜んでいただけたようで……。ただちょっと距離が近いのはなんとかしてほしい。これにはマクシミリアン卿も苦笑を隠せない。
「白髪の魔法使い殿を迎えに寄越すとはライナルト殿もわかっているではないか。むさ苦しいばかりの道中もこれで少しは楽しみができたな」
「お久しぶりです。あれから無事祖国にお戻りになられたようで、五大部族への就任おめでとうございます」
「それも貴国のおかげだな。背後を突いてやったときのドゥクサス共がどれほど見物だったか、是非とも語ろうではないか」
「……サゥ氏族のキエム族長にそう言っていただければ陛下もお喜びになるでしょう」
で、ここでちらっとマイゼンブーク氏に目配せする。助けを受け取ってくれたのか、氏が私とキエムの間に入ってくれた。
「それよりもキエム族長、連絡していただいた時間より随分遅れたが、道中なにか問題でも生じただろうか」
「いや、なにもないが、集団行動ともなれば多少は遅れも出よう」
「文句を言いたいのではない。尋ねたいのはあそこにいる……」
マイゼンブーク氏は全員の心中を代弁していた。キエムは族長だから護衛を連れているのは当然、彼らが馬に乗ってきたのだとしても、馬の数がやたら多い。十や二十の話ではなく、群れの数は膨大だった。縄を持った兵士がぐるりと取り囲んで誘導しているのだが、それらを見せつけるようにキエムは笑った。
「良い馬たちだろう。貴国も良い馬を育てるが、ヨーはいっとう名馬が生まれやすく、大陸一の産地だと自負している。貴様も武人ならば、あのしなやかな足腰と見事な筋肉がわかるだろう?」
「……荷馬ではないな。かといって鞍を付けている様子もないが、調教は済んでいないのか? あの馬の群れは……それと後方にある巨大な荷はなんだ」
「返礼品だ」
ふふん、と胸を張って言った。
「挨拶に手ぶらで来るほどサゥは礼儀知らずではない。此度はヨーが誇る駿馬百頭を貴国に献上するべく連れてきた」
「なんと」
私に馬の善し悪しはわからないけれど、どの馬もひときわ体格が優れており骨も頑強そうだ。優雅に伸びた四肢や豊かな胸は素人目でも美しく、キエムが名馬の産地と誇るだけはある。
マイゼンブーク氏は一目で馬の善し悪しを見抜いたのたのか、この一言にすっかり感激し、馬たちに熱い眼差しを隠せない。この反応にキエムも上機嫌だ。
「後方の荷は檻だ。そちらもライナルト殿へ渡したいものだが、そちらは到着後のお楽しみといこうではないか。なに、決して悪いものではないと保証しよう」
マクシミリアン卿は中身を改めたかったみたいだけど、キエムが強く言ってしまえば逆らえない。
「それよりもカレン殿、むさ苦しい旅に女性がいてくれて、これほど助かったと思う日もない。よければ会ってもらいたい娘がいるのだが、手隙の時間にでも我が元でおいでいただけるだろうか」
「もちろんお話しさせていただきたく存じますが、それにしてもキエム様が紹介されたい人とは、どんな御方でしょう?」
「私の妹だ」
と、軽い口調で言った。いまは行軍の後方にいるらしく、まだその人を乗せた馬車は姿は見せていない。
「妹さんがいらっしゃったのですね」
「エスタベルデの時は本国に置いていたのだが、此度の件で無事家族共々に暮らすことになってな。今回はオルレンドルに行くといったらどうしてもときかず付いてきたのだが、我らは男ばかり。退屈だなんだの文句ばかりで口煩い。外の世界を知らぬ娘だし、そなたとは年も近い。話し相手になってやってくれ」
「そういうことでしたら喜んで」
「少々気難しいが、なに、オルレンドルの白髪の魔法使い殿に関しては妹も興味を持っていた。仲良くしてくれると期待している」
ヨー連合国の同世代の女性ともなれば興味もひとしおだ。個人の興味も相まって頷くと、キエムは少年みたいに喜んだ。
「ああそうだ。仔細を詰め終わったら道中を案内をしてもらいたいのだが、夕餉も共にしたい。迎えに来てくれたからには頼めるだろう?」
「案内でしたら帝国に来て日の浅い私よりもマクシミリアン様の方が、皆様にとって興味深い話をできるでしょう。ですから私はマクシミリアン様のご同行程度になりますけれど、それでよろしければ是非」
「うん? 帝国に来て日が浅いとはまた気になる発言をする。そのあたりも含めて伺いたいな」
「もちろんです」
いらぬ興味を引いてしまったけれど、移住者とすぐにバレるだろうし、話題の触りになるくらいなら良しとしよう。
意外にキエムが『白髪の魔法使い』を諦めていないのがガンガン伝わってくるのだけど、このあたりは折り込み済だ。白髪の魔法使いの伝承をすでに知っていたマクシミリアン卿、マイゼンブーク氏の助言を受け、二人きりになりそうな誘いはすべておじさま達を通すようアドバイスをくれていた。
実は出会い頭、再び持ち上げてグルグルされそうだったのを妨害してくれたマイゼンブーク氏。ジェフ達も後ろで控えているけれど、危害を加えられるわけでもないし、キエム相手じゃ手を出しようもない。流石に行軍の最中持ち上げられるのなんて御免だし、守ってくれてありがとうおじさま方……!




